22.過去と言う名の足枷
「やい! トマルくんをいじめるなぁ! かかって来るなら、あたしがぁ相手だぁ!」
それは幼いころの記憶。
俺は『戦うこと』ができなくなっていた。
俺に課せられた枷。父さんが、俺の一家が背負われたいわれなき罪。
『暴力教師』の息子。
父さんは教師だった。真面目な教師だった。それゆえに付け込まれた。
父さんの受け持っていたクラスにいじめが起きた。父さんはそれを何とかするため、いじめの主犯格たる生徒、波良という生徒に正しい言葉を投げかけた。しかし、波良はそれを聞く耳持たず、いじめはエスカレートしていく。
そしてエスカレートしたいじめは臨界点へと達し、波良はクラスメートの一人を集中的にいじめた。その彼を、波良はしばりつけ、そして頭にビニール袋をかぶせた。
ビニール袋をかぶって窒息死――という事件は教師たる父さんは熟知していた。父さんは虐められていた生徒を助けるため、駆け寄った。
そのさい、父さんは立ちふさがる波良を殴った。それは後ろにいる生徒を性急に助け出すために仕方のなかったことだった。
でも――
「お前のとーちゃん、教師なのに生徒殴ったんだってよー。ほんと許せねーな」
そう言いつつ俺に殴りかかる同級生ども。
俺は口の切り傷から垂れる血を嘗めながらその同級生を睨む。
「なんだよ。お前もお前のとーちゃんみたいに人を殴るのかよー? そうなったら『いしゃりょう』をせいきゅうしてやるぞ!」
「それともろうやおくりにしてやろうかー!」
低脳どもが。テレビからの受け売りの情報を振りかざして生意気を言いやがって。
俺の父さんは虐めの主犯格たる波良を殴ったことで裁判になった。
波良の母親が、波良の顔に一生モノの傷(実際はかすり傷程度なのだが)を負わされたと言い、学校とそして父さんを訴えた。波良の家は裕福な家庭で、そして母親はPTAの会長だった。波良の母親の言動は“モンスターペアレンツ”そのものだった。
そのモンスターペアレンツに目を付けられた父さんは、とんとん拍子で裁判に敗れ、多額の慰謝料を請求された。そして追い打ちをかけるように、父さんは教職を解雇処分させられた。
裁判が終わった後、俺たち家族に付けられたレッテルは『暴力教師』またはその息子だった。
どうして、あの真面目な父が、いじめを阻止しようと、生徒を救おうとした父が避難されるんだ。ババ抜きのババを50枚くらい背負わされたみたいな、壮絶な濡れ衣を着せられてしまった。
父は壊れてしまった。もともと、過労で死んでしまった母のこともあって、心身は非常に危険な状態だったのに、それに追い打ちをかけるようにこんなことが起きてしまった。
そうして父は自殺した。自分が自殺することによってどうにかトマルへ火の粉が降りかからないようにしよう。遺書の一部にそんなことが書かれてあった。
痛い。苦しい。同級生になすすべなく殴られている俺。気付けばそんな俺に近づいて体をさする一つの影があった。ユーカだ。あの泣き虫で弱虫の。
ダメだユーカ離れろ。今の俺は戦ってはいけないんだ。
『トマル、お前は決して戦うな。暴力を振るうな。戦ったら、大切な人が不幸になる。そして自分が不幸になる』
それはおそらく父の最後の言葉だった。枕元に小さくかけられた言葉だった。袋小路に立たされた父さんは、息子が同じ目に遭わぬようにとそんな一見平和的で、そして最終的に残酷な言葉を投げかけたんだ。
果たして、父さんの行ったことは悪かったことなのか。
戦うことは罪なのか。
戦わないことは、正しいことなんだろうか。戦わないことはこんなにも苦しくて、自分が生命体でなく、ぼろぞうきんになっているような感覚だ。
「やい! トマルくんをいじめるなぁ! かかって来るなら、あたしがぁ相手だぁ!」
一瞬、その声がユーカのものかわからなかった。あんな弱弱しいユーカの身体から、そんな怒号が出るとは思えなかった。
ユーカは拳を握りしめ、いじめっ子たちに向かっていた。
「トマルくん、もう大丈夫ですよ! トマルくんが戦えないなら、私が戦ってやりますよ!」
「止めろ、無茶をするな、やめるんだユーカ……」
ユーカは俺の言うことを聞かず、ただ同級生のいじめっ子たちに向かっていく。威勢はよかったものの、実力は伴わず、ユーカは同級生に引き倒され、俺と同じように殴られていく。
女の子がぼこぼこにされてるってのに、俺は何をしているんだ。
戦ってはいけない。でも、戦わなくちゃいけない。
二律背反にがんじがらめにされた俺は、行動することをやめた。
代わりに、考えることを始めた。
考えろ。考えるんだ。動けないなら、戦えないならせめて考えろ。この状況を打破する、平和的な解決方法は何か!
「てやぁあああああああ!」
俺は殴った。人でも怪物でもなく、傍らに止まって立っていた木に対して拳をめり込ませた。その振動により、木より雹のように黒いものが降ってくる。
「うわぁ! これはケムシじゃねぇか!」
同級生たちは降ってきたケムシにてんやわんや。背中や頭についたケムシをぬぐいつつ、その場を逃げ去ろうとする。
「お、お前! トマル! 暴力を振るったな! せんせいに言いつけてやるぞ!」
「何を言うんだ! ケムシが落ちたのは偶然だ! 俺は指先一本たりとも暴力を振るっていない! だから俺は何も悪くないんだ!」
俺の振りかざした間接的な暴力。間接的であるが故、己に非は一切ない。それが俺の“不戦勝”の始まりだった。
「こ、この野郎! 覚えてやがれ!」
同級生たちはいちもくさんに逃げ出した。俺はユーカの方へと駆けていく。
「ユーカ!」
「トマル……くん」
「ユーカ、俺は戦わないぞ! でも、俺は負けないからな! 何があろうがどんな野郎にも負けないからな!」
「トマルくん……それじゃあ私も負けないです! トマルくんが戦わないなら、私が戦ってやりますよ!」
俺とユーカはお互い、ぐしゃぐしゃに泣き崩れながら叫びあった。
人には話せない、淡い思い出だ。あいつはこのことをちゃんと覚えているだろうか。




