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「夜が明けたらハウスに戻ろう」

 螺旋階段の先は広いスペースになっていた。その真ん中には大きな機械があり、ドーム型の天井に向かって聳えている。明かり取りの窓から差し込む淡い月明かりの下、ダークの胸元にギュッとしがみ付いていたイヴは、その言葉に震えた。

「……ハウスはイヤ」

「イヴ?」

「私は生まれてからずっと、あの白い部屋から出たことがなかった。ドアにはいつも鍵がかかっていて、何の物音も聞こえない部屋の中で、私はいつも独りきりで……」

 イヴはそう言うと、恐ろしそうに体を震わせてダークの胸に顔を伏せる。

「もう戻りたくないの、ダーク。お願い、私を助けて……」

「イヴ……」

 ダークは困惑して、イヴをその胸に抱き締める。イヴはその胸に頬を寄せると、目を閉じて小さく息を震わせた。

「ダークとこうしていると、ホッとする……」

「ああ」

 その言葉にダークも頷く。

「こうしていると心が落ち着く」

「心……?」

 ダークの言葉に、イヴが不思議そうに顔を上げる。

「心って何?」

「難しいことを聞くな」

 ダークは笑うと、自分を見上げている美しい瞳を見詰めた。

「俺はグリーンのように難しいことはわからないが、『心』とは風にそよぐ葉擦れの音のようなものだと思っている。風が無い時は静かだが、風が出てくるとザワザワし、嵐の時はゴーゴーと鳴る」

「今は静かなのね?」

 確かに『心が落ち着く』と言ったのは自分だが、ダークはイヴを見詰めながら返答に迷う。

「さっきはそう思ったのだが、今は少し違うような気がする。イヴを見詰めていると心がざわめく。なぜかな……」

 しかし、それは不安なざわめきではない。体の奥から沸き上がるようなその感情は、ダークの体を甘く揺さぶった。

「私も……」

 イヴがダークを見上げながらそっと囁く。

「私もダークとこうしているとドキドキする。出来ればずっとこうしていたい。もっと近くで、もっとダークを感じていたい……」

「イヴ……」

 ダークはイヴを抱き締める腕に力を籠める。それに応えるように、イヴも体をすり寄せてきた。互いの体の違いを意識し、胸の奥から、腹の底から、何か得体の知れない激しい衝動が込み上げてくる。

「お前を守りたい、イヴ。一緒にハウスを出よう」

「ダーク……嬉しい、ダーク」

 イヴがダークの名を呼び、首に腕を回してすがり付いてくる。ダークはイヴのほっそりとした体をきつく抱き締めると、激しい衝動に突き動かされるまま、夢中でその温かな首筋に顔を埋めた。


 キィ……

 階下でドアの開く微かな音がしたのを、ダークは聞き逃さなかった。いつの間にか眠ってしまっていたことに気付き、ハッと顔を上げて隣を見る。隣ではイヴがダークの二の腕に頭を預けてスヤスヤと眠っていた。

「イヴ」

 そっと名を呼び、起き上がると、その気配にイヴも目を開ける。

「どうしたの?」

「シッ」

 ダークは口元に人差し指を当てると、緊張した面持ちで階下の物音に耳を澄ました。

「ダーク、いるのか?」

 聞こえてきたのは聞き慣れた声で、ダークはホッと緊張を解くと、笑みを浮かべる。

「グリーンか」

 それはハウスで待っているはずの相棒であった。

「この間一緒にいた仲間だよ。心配しなくいい」

 ダークはそう言ってイヴの傍を離れると、急いで柵に駆け寄り、下を覗き込む。真っ暗な階下で、それに応えるように白い手の平がヒラヒラと動いた。

「やあ、探したよ。いい所に避難したね」

 グリーンはトントンと軽い音をさせて最上段まで上って来ると、フゥと息をついて笑う。そして、物珍しそうにグルリと周囲を見回すと、イヴに視線を止めた。

「やあ、お嬢さん。怪我は無いかい?」

 イヴはダークの後ろに隠れたままコクリと頷く。

「あれ、嫌われたかな?」

 グリーンはその様子に困ったように笑うと、窓に歩み寄って外界を見た。

「もうすぐ夜が明ける。そうしたらハウスに戻ろう」

「それなんだが、グリーン」

 その言葉に、ダークはおもむろに口を開く。

「俺達はハウスを出ようと思っている。どこか二人で生きて行ける場所を探すつもりだ」

「何を言ってるんだ、ダーク?」

 グリーンはその言葉に驚いてダークを見る。

「俺達はハウスの外では生きられない。知っているだろう。ジャングルには危険な獣もいる。夜になったら二人とも喰われてしまうよ」

 そして、そう言うとイヴに視線を向け、安心させるようににっこりと笑った。

「心配しなくてもいいよ、イヴ。君の管理者は交代だ。たぶん今日からダークが君の管理者になるだろう」

「え……?」

「何を言ってるんだ、グリーン。俺はハンターで、管理者ではない」

 ダークが訂正すると、グリーンが笑う。

「説明すると長くなるんだけどね」

 グリーンはそう言うと、窓枠に背を向けて凭れ掛かった。

「ハンターの年長者は毒虫に刺されて死んだことになってるけど、実は彼らは死んじゃあいない。みんなハウス内に移されて、管理者として働いているんだ」

「な……に……?」

 ダークは突然の話に戸惑って眉を寄せる。脳裏に浮かんだのは、先日死んだはずのブラックだった。

「ではブラックも……」

「生きてるよ」

 グリーンはそう言うと、頷いた。

「実は、人工的に作られた個体はなぜか短命でね。年長者から構成されていた管理者は、ここへきて急に補充が忙しくなってきているんだ。昨日も二名の管理者が死んでね、それで僕たちが補充されることになったというわけさ」

「では、そのうちの一人が……」

「そう。イヴの管理者だった男だよ」

 グリーンはそう言うと、イヴに視線を向ける。イヴはその言葉にショックを受けて目を見開いた。

「……死んだ?」

 決して好きではなかったが、作日まで自分の世話をしていた男である。イヴは言葉を失くして立ち竦んだ。

「管理者は『イヴ』を育てる代わりに、自分の遺伝子を残す権利を与えられる。君が望むならイヴに君の子を産ませることも可能だよ、ダーク」

「子供を……?」

 ダークはグリーンの言葉に驚き戸惑う。子供は生理食塩水の入った水槽の中で育てられると教えられてきたダークには、想像も出来ないことだった。

「心配することはないよ」

 ダークの戸惑ったような顔に、グリーンが笑う。

「君達がさっきまでしていたことが、動物のいわゆる受精方法だからね」

 イヴの内股を伝うヌルみを示してグリーンが言うと、途端にイヴが赤くなって躊躇える。グリーンはその様子に薄く笑った。

「人工の個体が短命な遺伝子を有してしまう原因を解明出来ない上層部は、人工培養ではなく、人間本来の方法で受胎・出産させることを考えた。それが『イヴ計画』だよ。選ばれた『イヴ』は全部で十人。生まれた子どもが健康体で、遺伝子的にも長命であると実証されれば、すぐにでもその数は増やされるだろう。君の子はその第一号になるというわけだよ、ダーク」

 ダークは突然の話の展開に戸惑う。

「それに、食用の動物性細胞の培養もほぼ最終段階に入っている。近いうちに僕達は狩りに出なくても動物性タンパクを摂れるようになるだろう。凄いだろ?」

 その言葉に、ダークは眉を寄せて不思議そうにグリーンを見た。

「……お前は誰なんだ、グリーン」

「うん?」

「何故そんなことまで知っている?」

 グリーンはダークの問いに片眉を上げて見返すと、何事か考えていたが、肩をすくめて笑った。

「僕はグリーンだよ、ダーク。君と同じハンターのね」

「だが、それらはハンターの基礎教育では習わないことだ」

「そうだね」

 グリーンは再び笑うと、窓の外に視線を向けた。

「じゃあ、これは昔話だと思って聞いてくれるかな。君が理解出来るように説明する自信が無いんだ」

 グリーンの言葉に、ダークが無言で頷く。グリーンはそれを確認すると、小さく頷いて話し始めた。


「この建物を見てごらん。これは天文台と言って、ハウスとは関係の無い人達が建てた研究施設だ。これを見てもわかるように、世界には僕達以外にもたくさんの人間がいた」

「人間が『いた』……?」

「そう」

 ダークの疑問に、グリーンが頷く。

「人間は増え過ぎて、種を維持することが出来なくなってしまったんだよ」

 ダークは黙ってグリーンの言葉に耳を傾ける。グリーンは続けた。

「僕達の住んでいるハウスは、元々は遺伝子を実験する施設で、そこにはシノハラという博士と五人の助手がいた。世界が壊れた時、生き残った彼らは自分達の研究を生かして何とか子孫を残そうと考えた。それが僕達人工人間の誕生だよ」

「人工……人間……」

「言い方が悪かったね」

 ダークの呟きに、グリーンが肩をすくめる。

「でも、言葉の通りなんだよ。博士達はストックしてあった卵子を利用して自分達のジュニアを作り、管理者として教育して、自分達の生活を維持させようと考えたんだ」

 しかし、扶養家族が増えれば必要な食糧も多くなる。もともと植物用のプラントはあったが、たくさんの作物を生産するには世話をする人間が必要だ。そこから研究者達の思考が常識から逸れ始めた。

「誰だって自分の子供は可愛いからね。そこでファーマー達労働者にはストックしてあった他人の精子を使い、後世には自分達の子供だけが残るように繁殖能力を取り上げた」

「そんな……」

 ダークの言葉にグリーンは頷く。

「うん。既に狂っていたのかもしれないね。世界が破滅した時に……」

 ハンター達も最初はファーマーと同じように作られたが、管理者のストックが必要なことに気付くと、彼らはハンターにも自分達の遺伝子を与える代わりにハウス内から追い出した。

「そして、上層部は管理者に欠員が出ると、ハンターの最年長者を眠らせてハウス内に運び込み、管理者として再教育したんだ」

「……再教育を受けた者はどうなるんだ?」

 グリーンの説明に、ダークが低く尋ねる。グリーンは翡翠の瞳で静かにダークを見返すと、しかし、全く別のことを口にした。

「ある日、原因不明の病気が発生した」

「……え?」

「その熱病は、あっという間に博士と四人の助手の命を奪った」

「……死んだ?」

 ダークが眉を寄せて尋ねる。グリーンは小さく頷いた。

「群れにトップは必要だ。最後に残った助手は、ホストコンピュータに博士の画像を取り込み、まるで博士が生きているかのように受け答えするようプログラミングした」

 管理者達はその日あったことをモニターの中の博士に報告し、指示を仰ぐ。ホストコンピュータは博士の顔を借りて彼らの話を聞き、励まし、指示を与える。しかして、管理者達はその助手の思惑通りに穏やかな日常を繰り返した。

「間もなくその助手も同じ病で死亡した。それが十年前のことだよ」

 グリーンが言葉を切ると、途端に静寂が訪れる。それを破ったのはダークだった。

「……お前は誰だ、グリーン」

 再びダークがグリーンに尋ねる。グリーンはやはり静かにダークを見返した。

「……シノハラ博士は高齢だったせいか、受精させても生存率が悪くてね」

「誤魔化さないでくれ、グリーン」

 まるで世間話でもするかのような口調に、ダークが声を荒げる。

「まさか。僕は君の質問にちゃんと答えているよ、ダーク」

 グリーンはそう言うと、小さく首を傾げて笑った。

「何度受精させても卵子はなかなか育たない。精子は腐るほどあるけど、卵子は貴重だ。とうとう自分の子供を残すことを諦めた博士が、最後に一つだけ受精を試みた卵が僕なんだよ、ダーク。僕は博士の唯一人の子供なんだ」

「……ッ!」

 ダークはその告白に驚いてグリーンを見る。グリーンは再び小さく笑った。

「博士はまだ小さかった僕に全ての教育を施した。きっと、行く行くはこのハウスの全てを任せたかったんだと思う」

 しかし、博士が死ぬと、グリーンは普通の子供たちと同じようにハンターに配属された。ハウスには『年功序列』というルールがあったからだ。

「それでも僕は構わなかった。ハンターの仕事は楽しかったし、君もいたからね」

 グリーンは話し終えると「何か質問は?」と言ってダークを見る。グリーンが背を預けている窓の外では、既に空が白み始めていた。

「……昨夜、二名の管理者が死んだと言ったな。死因は何だ?」

 ダークの問いに、グリーンは少しだけ困ったように眉尻を下げる。言い難そうに何事か考えていたが、チラとイヴに視線を向けると口を開いた。

「間接的には君も関係している。原因はそこにいるイヴだよ」

「私が……?」

 グリーンの言葉に、それまで黙って二人の会話を聞いていたイヴが驚いたように目を見開く。グリーンは小さく頷いた。

「イヴは管理者の子を産む筈だった。しかし、イヴはハウスから抜け出して、そこで出会ったダークに恋をしてしまった。そのことを知らない管理者は、イヴの態度の変化に気付くと、イヴを保護した管理者に疑いの目を向けた。その管理者がイヴの心を奪ってしまったに違いない、と邪推してね」

「では、その管理者は……」

 ダークの言葉にグリーンは頷く。

「イヴの管理者が殺した。そして、イヴの管理者もすぐに自室で毒を飲んで死んだ」

「毒を……」

「犯人が自殺したことで事件は解決し、欠員を補充する為に僕達が呼ばれた。君はすぐに管理者としての教育を受けなければならない、ダーク。一緒に戻ろう」

 説明し終えたグリーンがダークを促す。しかし、ダークは静かに首を横に振ると言った。

「すまない、グリーン。それでも俺は、イヴをハウスに連れ戻すことは出来ない」

「ダーク!」

 グリーンが声を荒げてダークの腕を掴む。そして、部屋の中央で不安そうにこちらを見ているイヴに視線を向けると、きつい口調で言った。

「……ダークをそそのかしたのは君だね、イヴ」

 静かだが怒りを孕んだその声音に、イヴがビクリと体を震わす。

「よせ、グリーン」

 ダークはグリーンの腕を掴み返すと、それを止めた。

「決めたのは俺だ」

 きっぱりとしたその言葉に、グリーンがダークに視線を戻す。その碧の瞳が、ダークを映した途端に悲しそうに揺れた。

「じゃあ僕はどうなるの、ダーク。君の為に……君のことだけを考えて生きてきたこの僕はどうすればいい?」

 今にも泣き出しそうなその顔に、ダークは言葉を詰まらせる。

「グリーン……」

 グリーンとは生まれた時から一緒だった。同じハンターになってからも、いつもペアで行動していた。グリーンが自分に心を寄せているのも知っていたし、部屋に呼ばれる意味もわかっていた。イヴに出会わなければ、きっと自分はグリーンの気持ちを受け入れていただろう。しかし、ダークはイヴに出会ってしまった。

「すまない、グリーン。だが、俺はイヴを守りたい。幸せにしたいんだ」

 その言葉に、緑の瞳が悲しく煙る。グリーンはダークの腕を掴んだまま視線を落とすと、声を震わせた。

「なぜイヴなんだ……なぜ僕じゃいけないんだ、ダーク……」

「グリーン……」

 ダークの声に弾かれたように、グリーンが顔を上げる。その碧の瞳から、大粒の涙が零れて落ちた。

「君の為なら何だってしてきた。君は知らないだろう……僕がどんなに君のことを好きだったかなんて、君はこれっぽっちも知りはしないんだ」

「グリーン……そんなことはない、グリーン。お前は大切な友だ」

 ダークは真剣な眼差しでグリーンを見詰める。その言葉に、ダークを見上げていた碧の瞳からフッと力が抜けた。

「行きなよ、ダーク……じきに日が昇る」

「グリーン……」

「早く……僕の気が変らないうちにね」

「すまない、グリーン」

 ダークは小さく頷くと、グリーンの腕をそっと離す。そして、部屋の中央で立ち尽くしているイヴを振り返ると、歩み寄って手を伸ばした。

「行こう、イヴ」

 イヴがコクリと頷いて、差し出された手を取る。二人は並んで長い螺旋階段を下りると、重い扉を開けて、すっかり明るくなった戸外へと出た。

「どこへ行くの、ダーク?」

 イヴが不安そうにダークを見上げて尋ねる。

「とりあえずジャングルの外へ。それから、君が安心して子供を産める場所を探そう」

 ダークはそう言うと、イヴを見下ろして目元を緩める。イヴはその顔を眩しそうに見上げると、嬉しそうに微笑んでコクリと小さく頷いた。


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