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第七章 故宮(紫禁城)博物院

一、御堀で魚釣り!?


1


三日目、六月四日快晴……、

朝食を済ませた峪口たちご一行は、北京市内の観光に出発した。

先ずは定番の故宮を目指し、タクシーに乗った。

「変だなぁ、こんなところで降ろされて……。故宮の入口までって、運転手には言ったンだけど。“神武門”だろう、こっちは、出口なンだけどなぁ…」

「天安門が入口だろう?」

「うん、あそこの道路は車が停められないンだ。だから、手前で降ろせって言ったンだけど。以前はこっちからも入れたんだよなぁ。……それもダメみたいだ、ちょっと訊いてみるよ」

「駄目かぁ…。峪口、バスが来たよ。外人だ、外人の観光客だ」

「ゲェジンじゃ、しゃんめぇ」

「添乗員は中国人だから、訊いてみるよ」

「……、で、どうだった?」

「向こうに入口があるから、ついて来いって」

「そうか、それは良かった。ところで峪口ぃ、あの人たち釣りをしているみたいだけど、こんなとこで釣りをしていいのかよ?」

「ふんとだぁ…、いっぺぇいる」

故宮の周りは、ちょうど皇居のように堀が張り巡らされている。

そんな場所にもかかわらず、釣り糸を垂れている人々がいた。

「わし、ちょっと見てみるわ。おおーッ! けっこう釣れている。なんだろう、この魚? 細長くて、ハヤかヤマベみたいだけど、違うナ。ワカサギのデカイやつってところかナ」

「ほんと、なんだろう? ほら施川、水面をたくさん泳いでいる。甘露煮にしたらうまそうだ」

「俺ぁ、川魚は嫌れぇだ。やっぱし魚を鮪だんべぇ」

「頭から生で齧りそうな面しやがって、よくゆうよ。峪口は魚が好きだからなぁ。でも、ここは皇居の御堀みたいな場所だろう?」

「俺ぁ、猫か?」

「謙遜するな。それほどかわいくはない。まあ、そうだな、皇居の御堀とゆうことになるかな」

「日本で、もし御堀で釣りしてたら、警備員が青い顔して飛んで来るだろう」

「そらそうだんべぇ、天皇陛下様の家だモン」

姿勢を正して邑中が言った。

「アンタは立ってるだけで、警備員が鉄砲持って飛んで来るぞ」

「へへへっ…、施川、オメェもナ。なにしろ人相悪りぃかんなぁ」

「おっと、いっけねぇ。外人さんたち、あっちの方へ行っちゃった。俺たちも急ごう」

「ふんとだ、ふんとだ。ほンれ、施川、急ぐべぇ」

「大丈夫、問題ねぇよ。この御堀に沿って行けばいいンだろう」

こんなとき、施川は冷静な男である。

「そらそうだ。こっち側は故宮の壁だし、迷うことはないナ」


2


「この御堀に沿って植えられた柳、風情があるなぁ。峪口、写真、写真、頼むよ」

三人は交互にパチリ、パチリと写真に納まった。

「やっぱり、中国の景色には柳が一番似合う。夕方になると、正に幽玄境、そのまま水墨画の世界になる」

「オメェでも、そんな気の利いたことゆえるんだぁ。ただの飲兵衛のスケベじゃねぇなぁ」

「へへへっ…、飲兵衛は否定しないが、スケベは余計じゃ!」

「でも、最近の乱開発で、自然がだいぶ壊されたみたいだよ」

「どこもかしこも開発、開発か。中国も少しは考えて欲しいよなぁ」

「ふんとだぁ。経済発展ばっかり優先してっと、昔の日本みてぇに取りけぇしのつかねぇことになんど」

「おっ、邑中君も、偶にはいいことゆうねぇ」

「俺ぁいつだって、自然保護のこと考げぇてんだぁ。最近じゃ、家の田圃にもエビガニだのドジョウだのがけぇって来た。ゲェロっ子も増えた」

「そうか、オマエさんのところは、確か、無農薬とか有機栽培とか言ってたなぁ」

「うんだ。ふんでも、無農薬は手間がかかってなぁ」

「でも、あれだろう。少しは高く売れるンだろう」

「まあ、そうだけんどよぉ…、収穫は減るし、手間を考げぇるとなぁ…。ふんでも、俺ぁ頑張るだぁよ」

「うん、頑張ってくれ。わしも応援するから」

「オメェに応援してもらっても、なんにもなんめぇ」

「お~お、かわいくないねぇナ、相変わらずよぉ」

「ははははっ…、それにしても今回の旅行は良い天気に恵まれたなぁ」

北京には珍しい紺碧の空が広がっていた。

「ふんとだ、六月でこんなに暑いとは思わねかった」

「今日も暑くなりそうだ」

三人は風に揺れる柳の枝に、初夏の息吹を感じながらブラブラと歩を進めた。

「やれやれ、やっと着いた。ここが入口だ。ずいぶん歩いたなぁ」

「あら~あ、ここは天安門じゃないか」

施川が嬌声をあげた。

「どうりで遠いはずだ。出口から入口まで歩いたわけだからナ」

「ふんじゃぁ、こんだぁ、入口から出口まで歩くことんなんのかぁ。馬鹿みてぇだ」

「そう言うこと。邑ちゃん、あったまいいねぇ」


3


天安門を潜ると広大な内庭が広がっている。

内庭の左が“中山公園”、右側は“労働人民文化宮”、真ん中を故宮に向かう敷石の道が延びていた。

道の両側に並ぶ土産物の店を冷やかしながら進むと、故宮への入口、“午門”に突き当たる。

午門の両側は高い石壁で、両側から覆い被さるような圧迫感、威圧感があった。

その付近では、故宮の案内を生業とする人々が猛烈な売り込みをかけてくる。

三人のところへも若い女性が近づいて来て、流暢な日本語で、

『案内はいりませんか?』

と声をかけてきた。

― かわいいから雇うか。

と言う施川の意見を無視し、峪口は丁重に断わった。

「案内を頼むほどのものじゃないよ。俺がただで案内してやるから。入場券を買って来てちょうだい」

「あらら……」

「峪口ぃ、銭っ子は俺ぁが出すから、買ってきてくんどぉ」

「いいよ、いいよ。邑中には羊鍋を奢ってもらったから、今日は施川さんが出すそうだ。はい、お金」

「あらら、お釣りは返せよ」

「バァ~カ、足りねぇよ。昔はねぇ、入場券売り場が二つあって、中国人用と外人用にわかれていたンだ」

「あんでぇ?」

「あんでぇ、って、値段が違ったンだろう」

「そうゆうことだ。以前はどこもそうだった。上海の“豫園”、あそこもそうだ。正確には忘れたけど、以前は、中国人の二倍はしていたと思うよ」

「へーえ、バカにしているなぁ」

「んだ」

「まあ、当時の所得差を考えれば、仕方なかったのかも知れないな。九十年代の初めまでは、兌換紙幣ってゆって、使う紙幣も中国人と外国人とでは違っていたンだよ。俺が来るようになったころには、兌換紙幣はもうなかったけどね」

中国人の友人から峪口が聞いた話によると、その友人が北京大学大学院を卒業して就職したときの初任給は月に七十元(約1,000円)、八十年代のことである。

因みに、当時のブルーカラーの給与は三十七元だったそうである。



二、珍宝館チン・ポウ・カン


1


“午門”を潜った施川はいきなり、

「おおっ、すっげえッ! すっげえッ! この階段も凄い、全部大理石だよ。この彫刻も凄いなぁ」

と、広い階段の中央に彫られた龍の彫刻を指し、驚嘆の声をあげた。

そして今度は建物を見渡すと、

「屋根が黄金色、少しくすんでいるけど、できたばかりのころは綺麗だったろうなぁ」

“観たかったなぁ”という感慨を込めて呟いた。

冗談の多い施川もときにはマジになが、

「うんだ、きっと金閣寺みてぇだったんべぇ」

という邑中へ、

「おっ、今度は成田山じゃねぇのか」

と、透かさず突っ込みを入れる。

「オメェが突っ込み易いようによぉ」

「お気遣い、あんがとうごぜぇます」

「へへっ…、なんもなんも。小作人はでぇじにしねぇとなぁ」

「誰が小作人じゃ」

「オメだ」

三人は代わる代わる写真撮影を済ませた。

「あの瓦は“瑠璃瓦”っていうンだ。故宮は明の時代に造られて、清の終わりまで、“紫禁城”として歴代の皇帝に使われていたンだ」

「元、明、清、か、中学で勉強したべぇ。ふんでも、なんで故宮ってゆうんだぁ?」

「えっへん。それはね、故の宮城という意味だ」

「あんだぁ~、そのまんまじゃねぇか。そのまんま東、なんちって」

「ははははっ…、確かに。今は、建物全体が博物館になっている。だから、正式には“故宮博物院”だ」

「詳しいね」

「どうせ、受け売りだンべぇ」

「ばれたぁ…あっ、はっはっはっ…」

“太和門”を潜り広場を抜けると“太和殿”だ。

「太和殿ねぇ…。この柱は木かな?」

直径が一メートル以上はあろうかという朱塗りの円柱を、施川は手でピチャピチャと叩いた。

「どう見ても、コンクリート製の音だな」

「うんだなぁ。成田山も今じゃ、本殿はコンクリートだもんなぁ。風情がねぇべよぉ」

薄暗い太和殿の中を覗き見しながら脇に回ると、直径が二メートはあろうかという、大きな鍋のような形をした銅製の置物がある。

「施川くん、この周りの金色は金箔だって」

「きっ、金! ……なぁ~んだ、ほとんど地金が出ているじゃねぇか。引っ掻いた痕がたくさんあるぞ」

「誰でも、考えることは同じだね、ねぇ施川くん」

「でもよぉ、峪口ぃ~。中国って凄いよなぁ」

「なにが?」

「いや、こういった、これ文化財だろう。それを観光客に自由に触らせるってことがだよ」

「確かに、日本じゃ考えられないな。京都なんかじゃ、写真もダメだって怒られるからなぁ」

「にせもんだんべぇ、いめてぇーしょんだんべぇ」

「おっ、邑ちゃんよく言えた。本物だと思うけどね」

三人は“中和殿”、“保和殿”と通り過ぎ、“乾清門”に到着した。


2


「まぁた、門かよぉ…」

と、施川が愚痴をこぼす。

「それじゃ施川、博物館でも覗いてみるかい?」

「博物館、……だってあれだろう。大したお宝はないンだろう? いいものは蒋介石が、全部台湾へ持って行ったって聞いたけど」

「おっ、よく知ってるねぇ。でも、施川さんの好きな“珍宝館”があるよ」

「チン、ポウ、カン? なんじゃ、そりゃ」

「別料金だけど、見る?」

「キンタマは、自分のがいつでも見れっから、いかんべぇ」

「邑中のデッケェ……。峪口ぃ、止めとこう。思い出したら、吐き気がしてきた」

三人は他愛のない会話を交わしながら、先へ先へと進んで行った。

「乾清宮……門、殿、門、殿、門、殿ときて、今度は宮か。どれもこれも同じようなモンばかりぃ~、と」

施川はうんざりとした表情をして愚痴をこぼした。

「そうだな。代わり映えしないからなあ。まあ、このスケールだけは堪能してよ」

故宮の観光が五回目になる峪口は、愚痴に同調した。

「した、した。もう十分だ。堪能したよ。出口はまだかいな。なあ、クマちゃん」

「うんだなぁ、ハゲちゃん」

やがて、峪口たちは出口に近い“御花園”に足を踏み入れた。

「もう直ぐだ。ところで、この庭の槙柏しんぱくは見事だろう」

「確かに古いなぁ。どのぐらい経ってるンだろう?」

施川も植木には興味を示す。

「槙柏って、これのことかぁ。俺ぁに盆栽があんどぉ。そういゃ死んだ祖父さんが、二百年以上は経ってるべぇけんど、百万円積まれても売らねぇってよく自慢してたなぁ」

「ほんとかぁ、熊ちゃん家にはなんでもあるンだな。一っ鉢、わしんとこへ持って来い」

「へへへっ…、豚に真珠だんべぇ」

「おっ、なかなかゆうじゃないの」

「槙柏はなかなか育たないからな。これで二、三百年は経ってるンじゃないか。でも、“天壇公園”のはもっと凄いぞ」

「そこへ行くンだろう? これから」

期待を込めた声が施川から返ってきた。

「ああ、公園の広さも桁違いだ」

「楽しみだな。中国はなんでも桁違いだ。もう、ここは飽きた。そっちへ行こうよ」

「うんだぁ」

「そうか、そうするか。でもその前に、ほら、あの白い塔の見える、“景山公園”へ行ってみない?」


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