悪役令嬢として完璧に振る舞ったのに、断罪イベントが来なかった
「……おかしいわね」
鏡の中に映る自分を見つめ、サファリナ・ド・ラ・ヴィネット公爵令嬢は、何度目かもわからない溜息を吐いた。
白磁の肌に、燃えるような紅蓮の髪。切れ上がった紫水晶の瞳は、誰が見ても「高慢で冷徹な悪役」そのものだ。
今日は、サファリナが通う王立アカデミーの卒業記念パーティー。
本来ならば、この会場のど真ん中で、婚約者である第一王子エリオットから婚約破棄を突きつけられ、身に覚えのない──あるいは、あえて身に覚えを作っておいた──罪状を並び立てられ、国外追放を言い渡されるはずの日である。
それなのに──。
「サファリナ、喉が渇いていないかい? 君の好きなシャルトルーズの果実水を持ってきたよ」
目の前で、この国の第一王子が、とろけるような甘い微笑みを浮かべて立っていた。
◇◆◇
サファリナ・ド・ラ・ヴィネット公爵令嬢には、誰にも言えない秘密がある。
それは、ここが前世で熱中していた乙女ゲーム【聖女の祈りと銀の冠】の世界であり、自分がヒロインを徹底的に追い詰めた末に破滅する『悪役令嬢』であるという記憶だ。
(……決めたわ。私は、歴史に残る最高の悪役になってみせる!)
転生を自覚した十歳のあの日、彼女は鏡の前で不敵に微笑んだ。
中途半端に運命に抗って、湿っぽいハッピーエンドを狙うなど美学に反する。どうせならゲームのシナリオ通りに完璧な悪役を演じきり、卒業式の「断罪イベント」で華々しく婚約破棄され、自由な隣国へと追放されてやろうじゃないの。
そこから、サファリナの“血の滲むような悪役修行“が始まった。
まず彼女が着手したのは、ヒロインであるリルへの徹底的な──演出上の──嫌がらせだ。
ある日のアカデミーの昼休み。
サファリナは取り巻きを引き連れ、中庭のベンチで慎ましくパンを食べているリルの前に立ちふさがった。
「あら、見てちょうだい皆様。あちらにいるのは、男爵家の分際で我が校の門をくぐった、例の『お掃除不要』の泥棒猫さんじゃないかしら?」
サファリナは扇をバサリと広げ、高慢な笑い声を響かせる。
「ちょっと、リルさん! あなたが持っているその教科書、あまりに薄汚くて私の視界の汚れですわ。さっさとこちらに渡しなさいな!」
「えっ……サ、サファリナ様? でも、これは……」
「黙りなさい! 没収ですわ!」
力ずくで教科書を奪い取り、サファリナは背を向けて立ち去った。
(よし! これで“身分を笠に着た嫌がらせ“成立ね!)
と、彼女は心の中でガッツポーズを作る。
しかし、その日の放課後。サファリナは公爵家の自室で、奪った教科書を丁寧に開いていた。
「……ふん、案の定よ。平民出身の彼女が使う教科書は、紙質が悪くてすぐにインクが滲むわ。これでは勉強に支障が出るじゃない」
彼女は真剣な眼差しで杖を構えると、古語の呪文を唱え始めた。
「『撥水保護』。さらに『耐久強化』……そして、行間を自動で整理する『視認性向上』。これでよし」
翌朝、サファリナは登校するなり、リルの机に教科書を叩きつけた。
「返しにきましたわ! こんな安物の本、私の屋敷に置いておくだけで空気が汚れますもの!」
リルは、戻ってきた教科書を恐る恐る開いた。
「……えっ? すごい……。文字が浮かび上がるように読みやすくなって、水に濡れても平気な魔法がかかってる……。サファリナ様、わざわざ一晩かけてこれを……?」
「勘違いしないでちょうだい! 汚れがうつるのが嫌だっただけですわ!」
サファリナは頬を染めて立ち去ったが、背後でリルの瞳が“尊敬“の色に染まっていることには気づかなかった。
次に彼女が挑んだのは、婚約者であるエリオット王子の側近たちへの“高圧的な態度“だ。
王立アカデミーの生徒会室。
第一騎士団長の息子であり、王子の護衛も務めるカイルが、連日の激務で目の下に隈を作り、机で突っ伏していた。
そこへ、サファリナがガツガツとヒールの音を立てて踏み込む。
「ちょっと! カイル! 王太子の側近がそんな情けない顔をして、私の視界に入らないでくださる!?」
「……っ、サファリナ様。申し訳ありません、少々書類仕事が立て込んでおりまして……」
「言い訳など聞き飽きましたわ! あなたのような“無能“が隣にいては、私の格が下がりますの。いいから今すぐ、その汚い顔をどこかへ消しなさい! 明日の朝まで、私の前に現れることは一切禁じますわよ!」
「え……?」
「聞こえなかったかしら? 今すぐ退室して、自室に閉じこもっていなさい! 扉に鍵をかけて、泥のように眠ってしまえばいいんですわ。これは命令です!」
サファリナはカイルの腕を掴むと、半ば強引に部屋から追い出した。
(これでよし。冷徹な命令で彼を傷つけたはずだわ。私の好感度はこれでまた下がったはず!)
だが、追い出されたカイルは、廊下で呆然と立ち尽くしていた。
「……休めとは言わずに、公爵令嬢の命令として俺を強制的に休ませてくれたのか。俺が責任感で仕事を辞められないことを見抜いて……。なんて不器用で、慈悲深いお方なんだ……!」
カイルの心の中で、サファリナは“厳しいが愛の深い理想の上司“に昇格した。
そして最後に、本命であるエリオット王子への態度だ。
放課後、エリオットがサファリナを茶会に誘いに来た。
「サファリナ、今度の休日、新しくできたサロンへ一緒に行かないかい?」
「お断りいたしますわ、殿下」
サファリナは王子の顔も見ずに、冷淡に言い放つ。
「あいにくですが、本日はお肌の調子がよろしくなくてよ。殿下のその眩しい笑顔を見ていると、私の肌荒れが悪化しそうですの。どうか、私のような可愛げのない女は放っておいて、あちらでリルさんとでもお話しになってはいかが?」
これだ。
ヒロインを推し、婚約者を突き放す。
悪役令嬢の王道ムーブである。
「……そうか。君は僕の体調や、リル嬢の交友関係まで気にかけてくれているんだね。自分が美しくないと思い込むほど、僕の多忙を心配して、自分を後回しにしているのか……」
「……は?」
「わかったよ、サファリナ。君のその試練、甘んじて受けよう。君が誇れるような立派な王になるまで、僕はもっと努力するよ」
エリオットはサファリナの手をとり、熱烈な視線を送る。
(待って。今のどこに努力の要素があったの!?)
サファリナの計算によれば、これらの行動によって彼女は嫌われ、疎まれ、最終的には『あんな悪女、もう見ていられない!』と断罪されるはずだった。
卒業式の前夜。
サファリナは自室で、隣国へ亡命した後に使う予定の“平民用の中古の鍋“を磨きながら、勝利を確信して笑うのであった。
◇◆◇
卒業記念パーティーの会場は、きらびやかなシャンデリアの光に包まれていた。
サファリナは、壁際で扇をパタパタと動かしながら、その時を待っていた。
(そろそろ来るわ。エリオット殿下がリルさんの手を引いて中央へ歩み寄り、『サファリナ・ド・ラ・ヴィネット! 君との婚約を破棄する!』と叫ぶ運命の瞬間が!)
彼女は、自分が“いかに悪役として完成されているか“を再確認するように、周囲を見渡した。
しかし、どうも様子がおかしい。
いつもなら怯えて目を逸らすはずの令嬢たちが、なぜか熱っぽい視線を送ってくるのだ。
「……おかしいわね。ゲームではあちらから、もっと罵倒や蔑みの視線が飛んでくるはずなのに」
そこへ、本日の主役の一人、エリオット王子が歩み寄ってきた。
彼は給仕から受け取ったグラスを、優雅な仕草でサファリナに差し出す。
「サファリナ、喉が渇いていないかい? 君の好きなシャルトルーズの果実水を持ってきたよ。少し炭酸を強めにして、君の好みの喉越しにしておいた」
「……っ、殿下!?」
サファリナは反射的に、冷酷な仮面を被り直した。
「殿下、私に構う暇などありますの? あちらをご覧なさい。リルさんが殿下を待っているようですわよ。あんな弱々しい、守ってあげたくなるような野の花と、私のような刺のある薔薇……。どちらを選ぶべきか、賢明な殿下ならお分かりのはずですわ!」
これで、『私よりあの子を選べば?』という嫌味な挑発が完了だ。
エリオットが「君のような傲慢な女には愛想が尽きた!」と激昂すれば勝ちである。
ところが、エリオットは深く溜息をつき、ひどく愛しげな表情で彼女を見つめた。
「サファリナ……君はどこまで無欲なんだ。自分が悪役を引き受けることで、身分の低いリル嬢がこの会場で浮かないよう、あえて王太子の寵愛を争うライバルという立場を与えて守ってあげていたんだろう?」
「はあ!? 何を仰っているのですか!?」
「隠さなくていい。リルから聞いたよ。君が彼女に『殿下の隣に立ちたいなら、その程度のマナーで恥をかかないようにしなさい!』と、連日深夜まで王宮式儀礼を叩き込んでくれたことを。彼女、君のスパルタ指導のおかげで、今では公爵夫人も顔負けの所作を身につけている」
サファリナは絶句した。
確かに、リルのあまりに危うい歩き方を見て、「見ていられないわ! 転んで殿下に恥をかかせるつもり!? 足の角度はこうよ!」と厳しく叱り飛ばした記憶はある。
だが、それはあくまで“ヒロインを虐める高慢なお局様“を演出するためだった。
「あれは……! 私はただ、彼女をいたぶって楽しんでいただけですわ!」
「いたぶる? 冗談だろう。君は彼女が倒れないよう、特製の栄養剤(見た目は真っ黒で苦い)まで用意していたじゃないか。リルは『サファリナ様の愛のムチ、痺れます……!』と泣いていたよ」
「……リ、リルさん、変な性癖に目覚めてませんこと?」
サファリナの背中に冷や汗が流れる。
エリオットはさらに一歩踏み込み、彼女の耳元で囁いた。
「それに、僕の側近たちのことだ。カイルが言っていたよ。『サファリナ様にゴミを見るような目で見られた瞬間、疲れが吹き飛んで、もっと働かねばという使命感が湧きました』とね。君は、彼らの自己肯定感を高めるために、あえて厳しい『女王』を演じてくれている」
「ゴミを見るような目……。それは、言葉通りの意味ですわよ、殿下!」
「ふふ、照れなくていい。君の瞳の奥に宿る慈愛を、僕は見逃さない。君が僕を遠ざけたのも、僕が執務に集中できるようにという配慮だったんだろう? おかげで今期の国の税収は二割増だ。すべて君の献身的な『冷遇』のおかげだよ」
サファリナは頭を抱えたくなった。
二割増──その数字は、彼女が将来『重税に苦しむ民を救うために立ち上がる聖女』というリルの役割を奪わないよう、あえて王務に口出ししなかった結果……のはずだった。
「殿下、もう一度申し上げます。私は、性格が悪くて、傲慢で、殿下の愛をこれっぽっちも欲していない、最悪な女ですのよ!」
「ああ、知っているよ。君は『愛よりも義務を、甘えよりも成長を』選ぶ高潔な女性だ。そんな君だからこそ、僕は生涯をかけて愛し抜くと決めたんだ」
エリオットの目は、これ以上ないほどキラキラと輝いている。
絶望──。
サファリナは、完璧に作り上げてきた【悪役令嬢】という名の城が、エリオットの“超ポジティブ変換フィルター“によって、見るも無惨な【聖女の神殿】へと建て替えられていくのを感じた。
「……だ、断罪は? 婚約破棄の準備は、なされていないのですか?」
「断罪? 婚約破棄? なぜそんな悲しいことを言うんだい。むしろ逆だよ。僕は今日、全会衆の前で、君との婚約をさらに盤石なものにするある発表をしようと思っていたんだ」
「ある発表……?」
サファリナの嫌な予感は、最高潮に達した。
会場の中央では、騎士カイルやヒロインのリルが、何やら期待に満ちた表情でこちらを見守っている。
(嘘……。断罪イベントの代わりに、何が始まるっていうのよ……!)
逃げ出そうとしたサファリナの手を、エリオットが力強く、そして優しく握りしめた
◇◆◇
(もう、こうなったらヤケよ!)
サファリナは、エリオット王子の優しげな眼差しから逃れるように、その手を振り払った。
予定していた“淑やかな敗北“はもはや不可能。
ならば、自らマイク……ならぬ拡声魔法の魔導具を奪い取り、自らの罪を白日の下に晒すしかない。
彼女はドレスの裾を翻し、会場中央の演壇へと駆け上がった。
会場の貴族たちが、驚きに目を見開く。
「皆様、お聞きなさい! そして、私を軽蔑なさい!」
サファリナの声が、拡声魔法によってホール全体に響き渡った。
彼女はあえて、最も悪役らしい、冷酷で高慢な笑みを浮かべてみせる。
「私は! サファリナ・ド・ラ・ヴィネットは、これまで皆様を欺いて参りました! 私がこれまで行ってきた数々の振る舞い……あれはすべて、私自身の私欲のため! 公爵家の権威を振りかざし、皆様を跪かせることに悦びを感じていただけなのです!」
さあ、どうだ。
この救いようのない傲慢さ。
会場は静まり返っている。
(よし! ドン引きしているに違いない)
「いいですか!? 私は殿下の愛を拒み続けました! それは殿下が嫌いだったからではありません、殿下を困らせ、その苦しむ顔を見て楽しむためですわ! そしてリルさん! 彼女への指導と称した行為も、単なる私の支配欲の現れ! 彼女を私の人形にしたかっただけですのよ!」
サファリナは畳みかける。
「さらに言えば、私は将来、この国を飛び出し、隣国で贅沢三昧の暮らしをする計画を立てていました! 王妃としての責任など、これっぽっちも感じておりません! このような、国を裏切るような女……! さあ、今すぐ私を捕らえ、婚約を破棄し、国外へ追放なさい!!」
息を切らし、サファリナは言い切った。
これだけ言えば、いくらなんでも“慈愛“だの“教育“だのという勘違いは消え去るはずだ。
一秒──二秒。
沈黙が会場を支配する。
……と、その時だった。
「……おお…………おおおおおお!!!」
最前列にいた騎士カイルが、むせび泣きながら拳を突き上げた。
「なんと……! なんという、深い愛なんだ……!」
「えっ?」
サファリナが呆然とする中、今度は令嬢たちが次々と涙でハンカチを濡らし始めた。
「聞こえたかしら……? サファリナ様は、あえてご自身を『悪』に仕立て上げることで、我々が彼女に依存しすぎないよう突き放してくださったのよ……!」
「『私欲のため』だなんて、嘘に決まっていますわ! ご自身が倒れた後のことまで考えて、我々が独り立ちできるように、あえて憎まれ役を……!」
「隣国へ行く計画というのも、きっと我が国の外交ルートを秘密裏に開拓しようという、壮大な献身に違いありませんわ!」
「違いますわ!! 私はただ、美味しいパンを焼いてのんびり暮らしたかっただけ!!」
サファリナの叫びは、感動の渦にかき消された。
そこへ、ヒロインのリルが壇上まで駆け上がってきて、サファリナの両手をぎゅっと握りしめた。
その瞳には、大粒の涙が浮かんでいる。
「サファリナ様……! 私、わかっています! 貴女様がわざとあんな酷いことを仰っているのは、私が『王妃の座』を譲り受けることに罪悪感を感じないようにするための、最後の優しさなのですね!?」
「いいえ!? 全然違うから! 私はあなたから殿下を奪われないように虐めていた設定なのよ!?」
「いいえ! 私、一生サファリナ様の奴隷……いえ、一番弟子としてついていきます! サファリナ様が隣国へ行かれるなら、私も国を捨ててお供しますわ!」
「やめて! 聖女がついてきたら国外追放にならないじゃない!」
混乱を極める中、エリオット王子がゆっくりと壇上に上がり、サファリナの背後からその肩を抱いた。
彼は全会衆に向けて、朗々と宣言する。
「皆、聞いた通りだ! サファリナは、自分を犠牲にしてまでこの国を、そして僕たちを導こうとしてくれている! これほどまでに気高く、これほどまでに不器用な愛を持つ女性が、他にいるだろうか!」
「「「「異議なし!! サファリナ様万歳!! 我らが女神に栄光あれ!!」」」」
地鳴りのような歓声。
サファリナは、目の前が真っ暗になるのを感じた。
(どうして……どうしてこうなるのよ……)
完璧な“断罪イベント“を準備していたはずが、気づけばそれは、サファリナを神格化するための戴冠式へと変貌を遂げていた。
彼女の喉の奥から出かかった「助けて」という言葉は、大音量のサファリナ・コールに完全に飲み込まれていったのである。
◇◆◇
鳴り止まない喝采と、全校生徒からの崇拝の眼差し。
サファリナは、めまいに襲われながらも、最後の抵抗を試みた。
「ま、待ってください、殿下! 皆様も落ち着いて! 私がどれだけ恐ろしい計画を立てていたか、証拠をお見せしますわ!」
彼女はドレスの隠しポケットから、一枚のシワの寄った書状を取り出し、エリオットの鼻先に突きつけた。
それは彼女が数年かけて練り上げた“国外追放後の生活設計図“だ。
「これをご覧なさい! 私が夜な夜な書き溜めていたものです。ここには『贅沢な公爵令嬢を辞め、身分を隠して隣国で労働に従事する』と、はっきり書いてありますわ! 王家への忠誠心など微塵もありません!」
エリオットはその紙を手に取り、じっくりと目を走らせた。
数秒の沈黙の後、彼の瞳に、これまで以上の熱い感動が宿った。
「……信じられない。サファリナ、君という人は……!」
「そうでしょう!? 逃亡計画ですわよ!」
「いや、違う。これは……【万が一、我が国が飢饉や戦火に見舞われ、王家が没落した際でも、民と共に泥にまみれて国を再建するためのサバイバル・マニュアル】じゃないか!」
「はぁ!?」
エリオットは震える指で、設計図の一節を指し示した。
「見てくれ、カイル! ここにある『肉じゃがの効率的な作り方』。これは限られた食材で最大限の栄養を摂取するための軍糧食の研究だろう? それにこの『安価な石鹸の製法』。不衛生な環境下での疫病を防ぐための、公衆衛生対策だ。君は、自分が王妃として君臨する未来だけでなく、最悪の事態に民を救う方法まで一人で考えていたのか……!」
「……っ、それはただ、隣国で安く生活するための節約術で……!」
「なんて謙虚なんだ! 自分の功績を『節約』だなんて言葉で隠すなんて。カイル、すぐにこの資料を内務省に回せ。これは国家の至宝だ!」
「御意! サファリナ様、このカイル、一生貴女の足跡を追いかけます!」
「返して! 私の人生設計図を返してちょうだい!」
サファリナが叫ぶ中、エリオットは彼女の両肩をがっしりと掴んだ。
逃げ場を塞ぐような、情熱的な、だが有無を言わせぬ王子の顔だ。
「サファリナ。君は『愛よりも実利を重んじる悪女』を演じてきた。だが、その実体はどうだ? 君が隠し持っていた『平民の服』も、僕の密偵が報告してくれたよ。君はそれを着て、夜な夜な街の炊き出しを手伝いに行こうとしていたんだろう?」
「違います! 追放された日の夜、野宿しても目立たないように試着していただけですわ!」
「お忍びでの民情視察……。君ほど、民の痛みを知ろうとする王妃候補が他にいるだろうか。いや、いない」
エリオットの声が、一段と低く、甘く響く。
「君を国外追放にする? そんな愚行を犯す王がいるとしたら、そいつは正真正銘の無能だ。君を失うことは、この国から太陽を奪うのと同じだ」
「殿下……、お願いです、目を覚ましてください。私は、皆様が思うような聖女ではありませんの。私はただ、自分の自由が欲しくて、予定通りに断罪されたかっただけの……」
「わかっている。君は『自由』を愛している。だからこそ、僕は決めたんだ」
エリオットは懐から、眩いばかりの光を放つ指輪を取り出した。
サファリナの瞳と同じ、深い紫のダイヤモンドが中央に鎮座している。
「僕との結婚は、君を縛る鎖じゃない。君がその自由な発想で、この国を導くための翼になってほしいんだ。サファリナ・ド・ラ・ヴィネット。……いや、未来のサファリナ・ド・ラ・オーバイン王妃殿下。僕と共に、この国を最高の形に変えていかないか?」
「……っ」
「婚約破棄を望んでいた君への、僕からの精一杯の回答だ。……受け取ってくれるね?」
会場からは「お受けください!」「サファリナ様!」という地鳴りのような合唱が巻き起こる。
その中心で、リルが「おめでとうございます、お姉様!」と花束を抱えて待機していた。
サファリナは天を仰いだ。
(完璧だった……私の演技も、準備も、性格の悪さも、全部完璧だったはずなのに……!)
どうやら、彼女の計算には一つだけ、決定的なミスがあったらしい。
それは、この世界の住人たちが、あまりにも彼女を──サファリナを愛しすぎていた、ということだった。
「……もう、勝手にしなさいな……!」
半ば投げやりな、そして諦めの入り混じった彼女の返答を、エリオットは“最高に照れ隠しな愛の承諾“と受け取り、力強く彼女を抱きしめた。
この瞬間、サファリナの【平民ライフ計画】は、永久に塵となって消え去ったのである。
◇◆◇
あの伝説の卒業パーティーから数年。
サファリナ・ド・ラ・オーバイン王妃は、今日も王宮の執務室で山のような書類に囲まれていた。
「──ですから! この軍事費の予備費、あまりに無計画ですわ! 兵士たちに高級な肉を振る舞う暇があるなら、まずは国境付近の街道を整備して、物流の効率を上げるべきでしょう!」
バン! と机を叩く音が響く。
サファリナの背後には、以前よりもさらに鋭くなった“悪女のオーラ“が渦巻いている。
「……はぁ、サファリナ。今日も君の叱咤は、早朝の冷たい泉のように僕の脳を刺激してくれる。素晴らしい指摘だ。物流の改善は、巡り巡って民の生活を豊かにし、将来的な税収増に繋がる……。君の先見の明には、相変わらず敵わないな」
隣のデスクで、国王となったエリオットが、恍惚とした表情でペンを走らせている。
「喜んでいないで手を動かしなさいと言っているのです! 陛下がそうやってヘラヘラしている間に、私はまた新しい悪行……いえ、予算削減案を考えなければならないんですから!」
「ああ、もちろんだよ。君が厳しくすればするほど、国庫が潤い、汚職官吏が震え上がる。まさに理想の王妃だ。カイル、君もそう思うだろう?」
部屋の隅で控えていた近衛騎士団長のカイルが、深く頷いた。
「もちろんです、陛下。先ほどもサファリナ様が新人騎士たちに『あなたたちのような軟弱者に、この国の平和を預けるなど悪夢ですわ! 走り込みを百周追加なさい!』と仰ったおかげで、騎士団の士気は過去最高に高まっております」
「……ただの八つ当たりですわよ。私の昼食のデザートが、予算削減のせいでゼリーになった怒りをぶつけただけですわ」
「『自ら率先して贅沢を断ち、その不満をエネルギーに変えて部下を鍛え上げる』……。流石です、サファリナ様! 騎士たちは『王妃様のムチが飛ぶなら千周でも走れる』と泣いて喜んでおりました!」
「あの方々、一回病院に連れて行った方がよくてよ……」
サファリナは頭を抱えた。
数年前、あれほど切望した“追放“という名の自由は、今や遥か彼方の幻だ。
そこへ、軽やかな足取りで一人の女性が入ってきた。
王国の外交官……というより、サファリナの“右腕“として王宮内を飛び回っている聖女、リルである。
「サファリナ様! 今日の『炊き出しという名の秘密査察』の準備が整いました! 今日はサファリナ様が考案された『悪の隠れ蓑スープ(具沢山の豚汁)』を振る舞う予定です!」
「リル、何度も言いますが、あれは単に余った食材を煮込んだだけの、ただの手抜き料理……」
「わかっております! “余剰資源の有効活用による、貧困層への直接的な栄養供給スキーム“ですね! サファリナ様が冷たく『ほら、食べなさい。残したら承知しませんわよ』と仰るだけで、民草は『王妃様に見守られている』と感動の涙を流すのです!」
「……もう好きになさい」
サファリナは、深いため息をついて椅子に深く背を預けた。
かつて磨いていた【平民用の鍋】は、今や王宮の厨房で【王妃直伝の魔法の鍋】として家宝のごとく扱われている。
ふと窓の外を見ると、城下町では彼女の肖像画が【勝利と厳格の女神】として飾られ、子供たちが『僕もサファリナ様みたいにかっこいい悪役(?)になるんだ!』とはしゃいでいる姿が見えた。
「……ねえ、エリオット」
「なんだい、我が愛しき冷酷な王妃?」
「私、今からでも国外追放になれませんこと? 今なら一人でパン屋を経営する自信がありますのよ」
エリオットは椅子から立ち上がると、背後からサファリナを優しく抱きしめ、その首筋に顔を埋めた。
「ダメだよ。君が国外へ行くときは、僕も、リルも、カイルも、そしてこの国の国民全員がついていく。それはもはや『追放』ではなく『遷都』と言うんだ」
「……独裁者ね、陛下」
「君という最高の『悪女』に相応しい王になるには、これくらいの独占欲は必要だろう?」
サファリナは、口元を扇で隠しながら、ふっと不敵な笑みを浮かべた。
望んでいた結末とは正反対だが、この自分を全肯定してくる狂信者たちに囲まれた騒がしい日々も、悪役令嬢としての役作りよりは、いくらかマシかもしれない。
「……いいでしょう。ならば、この国を世界で一番『恐ろしく、厳格で、豊かな』国にして差し上げますわ。覚悟なさい、皆様?」
その紫水晶の瞳が、かつてのゲームのエンディングよりもずっと明るい光を宿して輝く。
サファリナ・ド・ラ・オーバイン。
完璧に悪役を演じきった彼女は、今日もその圧倒的な『悪(という名の愛)』で、国中の人々を跪かせるのであった。
おしまい
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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