47 始まりの物語《プロローグ・アセント》
クラウスの反乱から数日が経ち、王都はすっかり日常を取り戻していた。
聖堂はまだ修復が終わっていないらしいが、民には関係のないことだ。
クラウスは罪人として地下牢に囚われたようだ。
死者を出し、王家を混乱に巻き込んだ重罪。
氷獄の支配者を使い世界征服を目論んだ大悪党。
本来なら死刑になってもおかしくない。
だが、あいつは第三王子。
死刑にまでは至らなかった。
巷では王が庇ったと囁かれているが、真相はわからない。
なんにせよ、呪具がないあいつはただの人だ。
今更なんの脅威にもならない。
大人しくしておいてもらうに越したことはないが。
そして、ヴィオラ。
彼女に宿っていた力は、クラウスが作り出した呪具の影響で発現したもの。彼女の力ではない。
そう王は発表した。
本来であればヴィオラも何かしらの罪に問われていたかも知れない。
或いはその力を国に利用されていたか。
だが、そのどちらもされなかった。
『キミがいなかったらこの国は……。いや、世界は再び氷獄に包まれていた。そんなキミとの約束だからな』
そう言っていた。
さらに。
『それに、彼女の使い……。セレナと言ったか。彼女にも命を助けられた。我々に、彼女に手を出す権利はないよ』
とも言っていた。
だからこそ、ヴィオラの力。氷獄の支配者の力はなかったことにされ。
ヴィオラは罪に問われることなく、約束通り無罪とされた。
それでいいと思う。
氷獄の支配者の力が失われた今、彼女がこれ以上理不尽に縛られることはない。
魔力の暴走を恐れて過ごす日々もなくなったわけだ。
魔力は普通の人よりだいぶ多いが、それはクリュノスの置き見上げか。
幼い頃から魔力制御を練習し続けていた彼女だからこそ使い熟せているもの。
見合った実力と言える。
「ヒルデ。いるか?」
学園長室の扉を開けると、ヒルデが書類と睨めっこしていた
していたのだが、普段から幼く見える容姿がさらに一回り幼くなっている。
ぶかぶかの服に埋もれるように椅子へ腰掛け、本を広げている姿はどう見ても子供。
もはや幼女と言ってもいいだろう。
「また仕事してるんですか?こんな時ぐらいゆっくり休めばいいのに」
「むむっ!その声は……。おやおやどうして、シュヴァルツ・クリーガーくんではないか!あーっはっはっは!いつの間にか、気付かぬうちにそんなに大きく成長してしまってからに!」
「俺が成長したんじゃなくて、ヒルデが小さくなったんですよ」
山になった書類の合間から、首を長くしてこちらを確認してくるヒルデ。
仕草まで板に付いて子供染みている。
「まだ元の姿に戻れなさそうですか?」
「魔力が回復すれば時期に戻るさ。この歳になると魔力の回復が衰えてしょうがない。全くもって、若々しいキミたちが羨ましいものだよ。そうは思わないかい?」
「そんな見た目で言われてもピンと来ませんよ」
「あっはっは!あーっはっはっは!これはどうして、キミがごもっともなことを言うとはさすがの私も驚きなのだよ、シュヴァルツ・クリーガーくん!」
態度や口調がそのまま過ぎて、幼い容姿を見ていると頭が痛くなってくる。
ヒルデが幼くなったのは、魔力を使い過ぎた結果だそうだ。
自分と言う存在を異次元世界そのものに変換するために、大量の魔力を使い。
その影響が今の姿という事だ。
そもそもヒルデが異次元世界になるというのが俺には全く理解できないが。
ヒルデだから、と割り切った方がいいと判断した。
詳しく聞いても難しい言葉を並べられて笑われるだけ。
そんな結果が目に見えていたから。
「それで、今日はなんのようだね?」
「王都の現状と、クラウスの処遇を改めて聞きたくてきたんだけど」
持ってきた食べ物を来客用の机に置きながら答える。
「またかね?王都は既に日常を取り戻し、クラウスは地下牢に囚われている。これ以上の進展は暫くないと思うが……。昨日もそう伝えたはずだよ?」
ヒルデは目を細め、じっと俺を観察するように見つめてきた。
まるで『要件はそれだけかね?』と言いたげだ。
その反応は、ごもっともなもの。
なにせ俺はヒルデの容姿が幼くなってから、毎日学園長室を訪れている。
「もっとなにか私に言いたいことがあるんじゃないか?シュヴァルツ・クリーガーくん。なあに安心したまえ、私はキミのことを知り尽くしている理解者さ。余程の事を言われない限り驚きはしないし、狼狽えたりはしない。ましては引いたりなんてしないのだよ。さあさあ早く要件を済ませようじゃないか。私はこう見てて忙しいのでね」
忙しいのは見ててわかるが。
「なんでもない」
「そうか。ならいいのだがね」
目線を書類に落とし、仕事に戻るヒルデ。
だが、言った瞬間に自分でもわかる。声に迷いが混じっていたということに。
そして、胸にもやもやを感じていることに、気付いていた。
「ヒルデが心配だから、毎日様子を見にきてるんだよ」
「へあぁ?」
聞いたことがない、間抜けた声が聞こえてくる。
今の見た目には似合っているが、珍しく目を見開いてこちらを見ていた。
「ヒルデが魔力を使い果たして寝込むなんて想像つかなかったから。だから」
毎日こうして様子を見に来ている。
というのはあまりに顔が熱くなりすぎて言えなかった。
俺は少し視線を逸らし、椅子に深く腰を下ろした。
ヒルデは大きく瞬きをした後「ふっ」と笑い口元を緩ませる。
おちょくられる。そう思ったが。
「そうか。なら、お礼を言わないといけない。どうもありがとう、とね」
嬉しそうにそう伝えてくるヒルデの顔を、見返すことはできなかった。
「ふふっ。少しは大人になったようで私は嬉しいよ。シュヴァルツ・クリーガーくん」
小さく漏らしたその呟きは、俺に届いたかどうか。
聞かなかったふりをして、ただため息をついた。
――――――――――――――――
学園長室を後にし中庭を歩いていると、遠くで魔力を感じた。
身に覚えのある確かな魔力はセレナのものだ。
することもないので魔力を感じた訓練場に顔を出す。
彼女は背筋を伸ばして姿勢を正し、瞳は閉じられている。
「覗き見ですか?変な奴」
すぐに気付かれた。
「覗き見ってわけじゃないけど、魔力を感じたからな。もう身体は大丈夫なのか?」
セレナはクラウスとの戦いで負った傷を、治癒魔法に頼らず自然治療している。
『名誉の負傷なので』と言った時は正気か疑ったが、なんの意図があったのかは未だにわかっていない。
先日の模擬戦は休んでいたので万全になってないと思ったが。
「あまり動かないと訛るので。身体は動かせないですけどね」
「それで魔力制御の訓練をしてたのか」
「ええ。改めてやってみると奥が深いですね。無駄なく使うのは骨が折れます」
「俺が教えてやろうか?」
「結構です。変な奴に教わるぐらいならヴィオラ様に教わりますよ」
「ヴィオラの師匠が俺なんだけど」
「やれやれ。とんだ勘違いをしているのですね」
あきれた様子で首を振るセレナ。
「変な奴がヴィオラ様の師匠なわけないじゃないですか。自分の立場をわきまえてください」
「じゃあ俺はヴィオラのなんなんだよ」
「そんなの決まってるじゃないですか。あなたはヴィオラ様の」
セレナはじっとこちらを見つめ、その先の言葉を口にしなかった。
ふっ、と小さく笑って遠くを見つめる。
その先にあるのは時計塔だ。
ここからでは遠すぎて針も見えないが、彼女の瞳には何が映っているのか。
「変な奴は、お礼を言われて嬉しいですか?」
「なんだよ急に」
「いいから答えてください」
強くそう言われる。
お礼か。言われた時を思い返してみると、微妙なところだ。
されて悪い気はしないが、どう反応すればいいのかわからない。
言われなれてないせいか、『そういうのはいい』と感じてしまう。
「嬉しくはないですか?」
「そうだな。言われても少し困る」
「そうですか。そうだと思いました。だから、改めて伝えさせて頂きます」
彼女は胸の前で手を組み、真っ直ぐこちらを見据える。
「ありがとうございます。シュヴァルツさん。あなたのお陰で、助かりました」
真正面からのお礼。
「わたしも……。ヴィオラちゃんも。だから、改めて。ありがとうございます」
いつも軽口を叩き合っていた彼女の、心からの感謝の言葉。
「あ、ああ。そうだな……」
まともな返事が喉に引っかかって出てこない。
ただ視線を逸らし、耳が熱くなるのを誤魔化すのが精一杯だった。
セレナは俺の反応を見て、小さくクスクスと笑う。
「ふふっ。やっぱり照れるんですね。変な奴は意外と可愛いところがあります」
「う、うるさい」
ようやく絞り出した言葉は、それだけだった。
「顔、赤いですよ?」
セレナはさらに追撃を加えてくる。
俺が黙り込むと、ますます楽しそうに笑い、満足げに肩をすくめた。
どうやら完全に弄ばれているらしい。
それでも、その笑顔を見ていると……悪くない、と思えてしまう自分がいた。
――――――――――――――――
セレナと別れ、ふと彼女が見つめていた時計塔へと足を向けた。
階段を上りきり、重い扉を押し開けると――そこにいた。
夕陽に照らされた時計塔の手すり。
ヴィオラはそこから赤く染まる地平線を見つめていた。
風に揺れる薄い蒼銀の髪が、静かに彼女の横顔を撫でていく。
「なにしてるんだ?こんなところで」
彼女の隣に立って、同じように遠くを見つける。
「どうしてここに?」
「たまに来るって。俺がヴィオラに教えてやった場所だろ?」
「そういえばそうだったわね」
初めて2人で出かけた日。それを懐かしむようにヴィオラは微笑む。
「懐かしい……。シュヴァと過ごすようになってから、まだ期間は短いけれど。かなり濃い思い出がたくさんできたわ」
「俺もだよ」
「大変だったんだから。あなたと偽装恋人を始めて」
「俺のセリフだ。いきなりヴィオラが無茶苦茶なこと言い出して。大変だったんだからな」
「あら?そうだったかしら」
ふふっ、とヴィオラが笑う。
いま思い返しても頭が痛くなる出来事だ。
知りもしない貴族からいきなり偽装恋人になってくれと告白されて。
「私は冷徹の女帝。氷の静寂に君臨する、ただ一人の女帝。だから、しょうがないわね」
「そうそう。まさかその感じでこられるとは思ってなかった。完全に一本とられたよ」
「意外とやってみると楽しいのよね、これ。癖になりそう」
「勘弁してくれ。やられてみるとわかるがなに言ってるから全然わからん」
「シュヴァでもそうなの?」
「むしろ、俺の言うことを理解できる奴がたまにいるからビビるわ」
ただ人を遠ざけるために使っていた口調は、思惑通り厄介だったわけで。
まさかそれを自分に向けられるとは思ってなかったけどな。
「食堂でご飯を食べさせあったり」
「あったな、そんなことも」
「初めてデートしたりして」
「それもあった」
「キスしたこともあったわね」
「……なんならそれが始まりだ」
短い期間。だが、本当に色々あった。
まさかこんな思い出が、俺にできるとは。
学園に入った当時では考えられなかったな。
ヴィオラもだろう、これまでのことを振り返り、暫く沈黙が流れる。
だが、そんな空気も嫌いじゃなかった。
「ねえ、シュヴァ」
「どうした」
「偽装恋人偽りの誓約を終わりにしよう」
その言葉に、俺は少しだけ目を細めた。
冗談めかして言ったのではない。
彼女の声は決意を帯びていた。
だが、突然のことではない。
もうクラウスとの婚約は完全に破棄された。
となれば、俺とヴィオラが偽装恋人を続ける必要はない。
むしろ、俺たちを縛る鎖にしかならない。
「そうだな。もう続ける必要はない」
ヴィオラの瞳がわずかに揺れた。
「俺とヴィオラはもう……」
続きの言葉は、出てこなかった。
偽装恋人を止め、俺とヴィオラの関係はどうなるのか?
答えを探すが見つからない。
これまでひとりでいた俺には少し難しい問題か。
「ありがとう、シュヴァ。たくさん迷惑をかけたわね」
「ああ。ヴィオラもお疲れ様。これで自由に生きれるってもんだな」
「そうね」
安堵と名残惜しさが混じった声だった。
しばし沈黙。
風が塔の上を吹き抜け、彼女の髪を揺らす。
その横顔を見ていると、不思議と目を逸らせなかった。
やがて、ヴィオラが俺の方へ向き直る。
胸の奥に秘めた何かを押し出すように、ぎゅっと拳を握りしめていた。
「ねえシュヴァ。偽装恋人は終わったけど。これからは本当に私と」
――ゴォォォォン。
その瞬間、時計塔の鐘が、王都に響き渡った。
その言葉は鐘の音にかき消される。
統計塔の鐘が空気を震わせ、暫くの沈黙が訪れた。
それでも俺とヴィオラの視線は重なったままだった。
鐘が鳴りやむ。
余韻の中、ヴィオラは一拍遅れてくすりと笑う。
涙とも笑顔ともつかないその表情に、俺の胸も少しだけ温かくなった。
街はいつもの喧騒を取り戻す。
同じように、俺もヴィオラもようやく前へ歩みを進められる。
そんな予感がした。




