41 それぞれの物語《パラレル・フラグメント》
久し振りに実家に帰ることが、こんなに不安だと思わなかった。
体調不良で倒れたお母様のこと。
クラウス様との婚姻のこと。
そして、シュヴァのこと。
せめてセレナがいてくれれば心強かったけど、彼女はお留守番。
『学園でヴィオラが戻る場所を守っておきなさい』
とのことだけど、その真意はわからない。
玄関をくぐった瞬間、お父様が笑顔で迎えてくれる。
「おかえり、ヴィオラ!待っていたぞ!」
「ただいま。お父様」
両手を広げて迎え入れてくれるお父様。
久しぶりに見る笑顔に、胸の奥が少しだけあたたかくなる。
「心配してたんだぞ!なかなか帰ってこないものだから」
「それより、お母様の具合は?大丈夫なのですか?」
真っ先に尋ねると、お父様は一瞬だけ視線を逸らした。
「すぐに会える。まずは部屋に行こう」
促されて自室に入る。
久しぶりのはずなのに、どこか、妙に整えられすぎていて落ち着かない。
胸の奥に小さな不安が芽生える。
「お母様は?」
ベッドに目をやるが、そこには誰もいなかった。
「そんなことよりだ、ヴィオラ」
「えっ?」
振り返ったとき、お父様の目はもう、さっきの優しいものではなかった。
冷たい光が宿り、こちらを真っ直ぐに射抜いてくる。
「噂は聞いている。シュヴァルツとかいう変な奴と付き合っているそうだな」
「そ、それは……」
「クラウス様という人がいながらなにを現を抜かしている!縁談を忘れてしまったのではあるまいな?結婚はどうなっている?いつするんだ!」
まるで追い立てるような声音。
こんなに怒っているお父様は見たことがない。
普段は温厚で、物静かで。
私がクラウス様との婚姻に少しの拒否を見せた時は、真剣に取り合ってはくれなかったけれど、言葉は落ち着いていたのに。
「ま、待ってください!それより、お母様は」
「それよりではない!先にクラウス様との婚姻の説明をしなさい!」
冷たい瞳に鋭い言葉。
それにあてられて、胸の奥に冷たいものが広がっていく。
返答できずにいる私の前で、扉が静かに開く。
「ヴィオラ。久しぶりね」
そこに立っていたのは、元気そうな母様だった。
頬にほんのり色があり、声も力強い。
「お母様?具合が悪いって聞いていましたが」
思わず口からこぼれる。
お母様は困ったように笑って、私の手を握った。
「ごめんなさいね、ヴィオラ。あれは嘘なの。あなた、なかなか帰って来てくれなかったでしょ?だから、きちんとお話がしたいからしたことよ」
その言葉は、とても信じられるものじゃなかった。
胸の奥が、じりじりと焼けるように熱くなる。
「嘘だったの?体調が悪いって。長くはもたないかもしれないって」
「何度も連絡をしたのに、ヴィオラが帰ってこなかったからしたことよ。しょうがないじゃない」
「そうだ。我々だって娘を騙すなんてことしたくはなかった。だが、変な奴に現を抜かし、クラウス様との結婚に関しては全く進展がない。あろうことか呼び出しを無視して知らん男と遊びほうけるなんて」
「ち、違う。私は、遊びほうけてなんかない。それに、シュヴァは」
「その名前を口にするな!」
お父様の怒号に、体が震える。
「ヴィオラ。早くクラウス様と結婚なさい。あなたのためよ」
「そうだ。それがグレイシャ家のためでもある!」
「どうして!どうしてそんなことを言うの?私の気持ちはどうなるの!」
込み上げる怒りに、涙が滲む。
帰ってきてよかったなんて、一瞬でも思った自分が馬鹿みたいだ。
「……もういい。出ていきます」
そう言って立ち上がり、部屋を飛び出そうと扉を開けた。
その時。扉の向こうに立っていたのはクラウス様だった。
いつも浮かべている穏やかで、優しくて、不穏な笑み。
「おかえり、ヴィオラ」
心臓が一気に縮み上がる。呼吸が浅くなる。
足が勝手に後ずさり、声も出ない。
胸の奥に広がるのは、言いようのない恐怖だった。
クラウス様に手を掴まれる。
「さあ、戻ろう。ボクたちの大切なご両親が待っている」
その声は甘く柔らかくて、耳に絡みつくようだった。
抵抗しようとしても、ビクともしない。
抗おうとしても、それが無駄なことなんだって、すぐに気づいた。
強引に両親の前に連れ戻された瞬間、クラウス様は微笑みを浮かべて言った。
「お父上、お母上。ご安心ください。五日後に式を挙げます」
お父様とお母様が抱き合って破顔する。
「よかった!やっと!」
「これでヴィオラも幸せになれるわ!」
その喜びに満ちた声が、私の耳には濁った音にしか聞こえなかった。
嫌。そんなの、嫌なのに、喉が固まって、声にならない。
そんな私の耳元に、クラウスが顔を寄せてきた。
吐息がかかるほどの距離で、そっと囁かれる。
「大丈夫。怖がらなくてもいい」
「……っ」
「キミはもうボクのモノだ。絶対に離さない」
さらに、低く甘やかな声が続く。
同時に、支配者の力が溢れてきた。
ここで暴走するわけにはいかない。
シュヴァと行った訓練を思い出しながら、必死に魔力を制御する。
「頑張っても無駄だよ。その力はボクに反応しているんだから」
ふと、溢れそうになる魔力が収まった。
見上げると、クラウス様はこちらを見下ろして、向けていた掌から魔力を放った。
まった支配者の魔力が一気に膨れ上がる。
「だっ。だめっ……!」
必死に制御をしようとするが、次から次へと魔力が溢れ出てくる。
「無駄だよ。キミたちの訓練なんて、ボクの力の前では無意味だったんだ」
クラウス様が魔力を止めると、支配者の魔力もあっという間に収まった。
脳裏によぎる。
私たちのしたことは無駄だったのかも知れない。
全て、この人の掌の上で転がされていただけなのかも知れない。
「それと、邪魔者は排除したから」
心臓が止まるかと思った。
浮かんだのは――シュヴァの顔。
「そんな、わけ、ない。彼が、誰かに、負ける、なんて」
必死に声を出した。それだけで瞳に溜まった涙が溢れ出た。
それでも。それだけは否定しなければいけなかった。
だって。
今の私に残っているのは。彼とセレナだけだから。
「キミにプレゼントをあげるよ」
しゃがみ込んだ私に、クラウス様は懐から取り出した銀の腕輪を床に落とす。
「うそっ……」
頭が真っ白になった。
呼吸ができない。
胸が締めつけられて、視界が歪む。
だけど、それでも見間違うはずがない。
シュヴァが腕に付けていた腕輪。
「こんなの、作りものよ……」
否定をしても、私にはそれを、縋るように拾う事しかできなかった。
――感じてしまった。彼の魔力を。彼しか持たない神の魔力を。
「わかったかい?もうキミはボクのものだ。誰もキミに手を差し伸べない」
その響きが耳から離れない。
信じたくない。
けれど、「シュヴァはもういないんだ」と囁く声がする。
胸の奥の灯火が、ふっと吹き消されたようになくなる。
無駄だったんだ。
セレナと一緒に魔力制御の練習をしたことも。
騎士養成学園へ行くために両親を説得したことも。
偽装恋人を始めて結婚を先延ばしにしたことも。
シュヴァと共にした、魔力制御の訓練も。
その思い出も。
抵抗する意味がなくなった。
彼がいないなら。
「さあヴィオラ。今日からはボクと一緒に過ごすんだ」
叫ぶことも、泣くことも、もう無駄だとわからされた。
「……わかり、ました」
気づけば私は、俯いたままそう答えていた。
自分の声とは思えないほど小さく、弱々しい声。
クラウス様の笑みが深まる。
お父様もお母様も、それを見て安心したように頷いている。
私はもう何もできない。
「ヴィオラ」
名前を呼ばれる。
肩に触れる手は温かいのに、そこから伝わるものは氷のように冷たかった。
「5日後、必ずキミを幸せにするよ」
幸せ。
その言葉が、こんなにも恐ろしいものだなんて思いもしなかった。
私はただ、うなずいた。
それしかできなかった。
何もかもを諦めて、従うしかなかった。
シュヴァ……。
心の中で名前を呼んだ瞬間、胸が締め付けられる。
もう2度と会えないのだと思うと、涙すら出てこなかった。
せめてと腕輪を胸の中で強く抱きしめる。
「ネズミが入り込んでいたようだな。必ず殺せ」
「承知」
音が聞こえたが、それを理解できる余裕はなかった。
私はただ、クラウス様の足元でうずくまることしかできなかった。
まるで、操られているのを持つ壊れた人形のように。
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セレナ視点
信じられない光景を見てしまった。
クラウス様とご当主、それに奥様まで。
あれでは、ヴィオラ様は浮かばれない。
怒りで我を失い、あの場に飛び出すことは簡単だった。
でも、それじゃダメ
わたしはわたしの実力を理解してる。
わたしじゃ、クラウス様……。
クラウスの護衛達に勝てない。
すぐに捕まって、いいように使われて終わり。
「学園に戻らなきゃ」
森の中を駆け抜けた。
夜の風が頬を切り裂くように冷たい。
それでも足を止めるわけにはいかない。
わたしの居場所はグレイス家。
頼れる人なんてそこにしかいない。
それでも……。唯一、ただひとり、気兼ねなく頼れる人がいる。
ヴィオラ様は気が動転している状態で腕輪を見せられたから騙された。
けど、あれは偽物だ。
わたしにはわかる。
神の力に触れたわたしになら。
変な奴は、そんな簡単に死ぬほど弱い男じゃない。
「どこへ行くつもりだ?」
冷たい声と共に、黒衣の刺客たちが木々の影から現れる。
十、いや二十か。
月明かりを背に刃が鈍く光る。
「気付かれていたのですね」
細剣を抜き、片目を細める。
感じるのは確かな殺意。
迷っている暇はない。
「クラウス様の命令だ。ここで消えてもらうぞ」
瞬間、矢が飛ぶ。
反射的に剣を振り抜き、一本を叩き落とす。
続く二本目を身をひねって躱し、突進してきた男の喉を深く斬る。
刺客のひとりが呻き声を上げて倒れる。
「……っ!」
後ろから振り下ろされる刃を、半身を返して受け流す。
続けて迫る刃を受け止めると火花が散った。
横腹が抉られて身体が吹き飛ぶ。
視界が揺れ、口の中に血が溢れる。
蹴り飛ばされたと理解して、宙で身体を整えながら地面に着地する。
血をすぐさま吐き出した。
数が多い。それも手練れ。相手にしても勝ち目は薄い。
ここは、突破する。
「電気火花!」
申し訳程度の雷魔法。
しかしそれは黒衣に弾かれ霧散する。
あれはダークウルフの体毛。
全員がそれを着ているとなれば、魔法は頼りにならない。
腹部に痛みを感じながら、暗闇の森を突き進む。
一人、また一人と道を塞ぐ敵を斬り捨てる。
だが、数が多すぎる。
傷を負った者も、まだ刃を向けてくる。
全身に鋭い痛み。血が滲み出る。
「ぐっ……!」
吐き気が込み上げる。
それでも足を止めない。
森を抜けた瞬間――崖の縁。
背後に谷底が広がる。
「ここまでだな」
残った刺客たちがじりじりと迫る。
荒い息を吐きながら、血に濡れた剣を構え直した。
「そうですね……。ここまでですか」
刺客たちを睨みつけ、口元に薄い笑みを浮かべた。
次の瞬間、刃を大きく振るい迫ってきた二人を斬り伏せる。
その勢いのまま、私は踵を返し――後ろの空へ身を投げた。
「なっ!馬鹿な!」
「自ら死を選んだか!」
驚愕の声が、背中越しに聞こえる。
だが、もう耳に届かない。
あいつらにいたぶられ、殺されるぐらいなら、自ら死を選ぶ。
中途半端に生かされて、ヴィオラちゃんの足手まといになるぐらいなら。
こうした方が、幸せだから。
夜空が反転し耳元で風が唸りを上げる。
落下しているとき、これまでの思い出が走馬灯のように脳裏に流れる。
そのほとんどがヴィオラちゃんと過ごした日々で。
そのほんの少しが。
「頼みましたよ。変な奴……」
轟音と共に冷たい水が身体を打ち据える。
全身が衝撃に包まれ、意識が遠のいていく。
骨と言う骨。様々な内臓が破裂した鈍い音が鼓膜を揺らす。
身体は重く沈むばかり。
手足に力が入らず、視界が暗く揺らいで。
水に流され、意識が途切れた。
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その頃――深い崖の下。
川がすぐ傍に流れる、崖に不自然に備わる古びた扉が轟音と共に弾け飛んだ。
「だあもう!魔物も多し出口わかんないし!鬱陶しいんだよ!
地の底での戦いを終え、地上へと戻ってきていた男。
黒衣の裾をはためかせ、険しい眼差しで辺りを見渡す。
「地上に出たってことでいいか?おっ、川だ。ようやく一息つける」
その男。
シュヴァルツは嬉しそうに川に近付き、嬉しそうに水を飲んでいるのであった。




