30 大人の身体《アダルティック・ボディ》
早朝の女子寮はまだ静まり返っていた。
人気も気配も物音もない。
「いませんね。来てください」
先を行くセレナがひそひそ声で促す。
俺の腕には気を失ったヴィオラの身体。
細い肩と軽い体重に、何度目かの驚きを覚える。
こんなにも華奢な身体でよく魔物と戦う勇気があると感心するほどだ。
彼女の蒼銀の髪が腕をくすぐりこそばゆい。
「なに変な顔してるんですか。変な奴の次は変な顔でも始めたんですか?」
「うるさい。はやく行くぞ」
こそこそと進み、セレナが立ち止まりドアノブを回した。
小さい背中の後を追い部屋に入ると、セレナが素早く扉を閉めて鍵をかける。
「ふぅ、セーフですね。誰にも見られてないと思います」
「だといいけどな」
女子寮は男子が入ることを禁じられている。
もしバレでもしたらどうなることやら。
教官に怒られるのはいいとして、生徒の視線が鬱陶しくなるのは勘弁である。
「ベッドにおろしてください。変な奴は椅子へ」
言われた通りヴィオラを寝かし、椅子に座って次を待つ。
さすがは付き人か、汗を拭いたりとテキパキと手を動かしている。
さてはてどうしたものかと部屋を見渡す。
四角い部屋の端に置かれた簡素なベッドと木の机。
壁際に並んでいるのは本棚と訓練用の木剣や魔導具の類。
奇麗だが質素な部屋。装飾品らしいものは何ひとつ見当たらない。
女子らしい。というのが俺にはわからないが、あまりにも殺風景だ。
俺の部屋と殆ど同じ。ただ寝るだけに使う部屋、といった印象。
「それでは。わたしは食堂で食べ物を見繕ってきます」
「俺を呼んだ理由は?」
「ヴィオラ様が起きた時、わたしと変な奴が明るく会話していた方が余計な不安を煽らなくていいと思いませんか?」
支配者の魔力を制御出来なかったヴィオラを想ってのことか。
セレナと明るく話し合えるか微妙なところだが。
「じゃあ待ってるよ」
長年連れ添っているセレナがそう判断したんだ。
起きた時、ヴィオラは落ち込んでいるんだろうな。
であればセレナに協力した方がいい。
落ち込んでいる人の相手はしたくないしな。
なんて声をかけていいかわからないし。
「話しが早くて助かります。……わたしがいないところでヴィオラ様に変な事しないでくださいね?」
「別にしねえよ」
「ヴィオラ様が、最近変な奴に厭らしい視線を向けられると言っていましたが」
「なんだそれ。記憶にないんだが」
えっ?うそ?そんなことしたっけ?
ヴィオラをそんな風に見たことはなかったと思うけど。
「そう思われてたなら、これから注意する」
「そうですか。ならいいですけどね。ふふっ。そうですか」
去り際、嬉しそうに微笑みながら部屋を出ていく。
「まさかヴィオラがそんな風に思ってたとは」
むしろヴィオラを女性として意識すると緊張するから、なるべく見ないようにしていたつもりだけど。
「気を付けないとな」
言いながら、しかし視線はヴィオラの方へ向かってしまう。
ベッドで眠るヴィオラは、呼吸は安定している。
細い眉、長い睫毛、薄く開いた唇。
普段は凛としている顔付きをしているが、今はその面影もない。
可愛い少女が静かに寝ている。
こんな子に支配者の力が宿っているとは思えない。
「貴族で、これだけの容姿を持って。本来だったらこんな学園に来なくても楽しく過ごせただろうに」
血筋か。難儀なもんだな。こればっかりは。
「持ってきました」
音もなく扉を開いたセレナがいきなり部屋に入ってくる。
「不意打ちだったんですが。変なことはしてなかったようですね」
「する暇もないぐらい早かったな」
「急ぎましたからね」
言いながらセレナは机の上に食堂にあったであろう保存食を並べる。
まだ料理人は来ていなかったようだ。
「さてと。それでは……。どうしましょうか?」
「どうするって」
ヴィオラが起きるまで、俺とセレナでなにするの?
……なにするの?えっ?あれ?困った。なにすればいいんだ?
「変な奴とこうして、向かい合って話すのは初めてですね」
「そう、だな」
そして流れる暫しの沈黙。
なんだ?なにを話せばいいんだ、こういう時は。
今までずっとひとりでいたからなにを話せばいいかわからない。
えっとね。うんとね……。こういう時は、そう!天気!天気の話しだ!
困ったら天気に頼った方がいい気がする!
「今日もいい天気になりそうだな」
「そうですね」
はい終わり。会話終了。どうすんのこれ?
これじゃあヴィオラが起きる前に気まず過ぎて俺が落ち込んじゃうんだけど。
向かい合って座ってるのに、沈黙が流れるのつれえ……。
気にし過ぎか?俺の気にしすぎなのか?こういう時は黙ってていいものなのか?
おいおいそもそもヴィオラが起きたとき楽しい雰囲気にしておけるのかよ、これ。
「ふふっ」
俺が気まず過ぎて困っている中、セレナが微笑む。
「なにがおかしい?」
「いえ。変な奴が気まずそうにしていたので。こういう雰囲気は苦手ですか?」
「そもそも人といるのが得意じゃない」
「いつもひとりですもんね」
「そうだよ。しかもこんな狭い空間に。落ち着かん」
思えばここは女子寮でセレナの部屋。そして横に寝ているのはヴィオラ。
落ち着くわけがない。
「意外に可愛いところもあるんですね」
「かっ……」
こ、このクソガキが!言うに事を欠いて俺の事を可愛いと言ったか!
子供みたいな外見してる癖に舐めくさりおってからに……。
「顔が赤いですよ?大丈夫ですか?」
「いらんこと言うなら帰るぞ」
「冗談ですよ、冗談です。ふふっ」
余裕の笑みなんざ浮かべやがって。
これがいわゆるアウェーってやつか。
闘技場だったら模擬戦ってことで相手してやれるのに、場所が悪い。
ヒルデが言っていた通り、やはり俺は口での戦いが得意じゃないらしい。
「変な奴も人間なんですね」
「どういう意味だよ」
「普段の態度と謎の強さのせいで不気味でしたが。人間らしいところもあるんだと少し安心しました」
「今まで通り不気味な奴って思っとけ」
「もう無理ですよ。変な奴」
頬杖をついてこちらをニマニマと見ているセレナ。
なんかいらん弱味を握られたみたいで非常に腹が立つ。
こんなことになるならヴィオラのこと放って朝活を続けてればよかった。
「ちゃんと接してみないと、わからないものですね」
「別にわからなくていいんだよ。俺の事なんて」
なぜか胸のあたりがムカムカする。
協力するのは訓練するときだけって決めておけばよかった。
こういうのは苦手な分野だ。俺に出来ることなんてない。
「んぅっ……」
か細い声とともにヴィオラがうっすらと目を開いた。
セレナと目が合い、無言でうなずき合う。
「このお肉。なかなか美味しいですね」
「悪くないな。栄養も申し分ない。朝活の訓練後に食すには最適か」
場の雰囲気を盛り上げるなら、こっちの喋り方のほうがいいだろう。
「セレナも十分に食べろよ?たくさん食べないと大きくなれないぞ?」
「喧嘩を売ってるんですか?」
「貴様とて大人の身体を諦めたわけではあるまい?運動し、食事をし、たくさん寝る。それらが出来ればまだ希望はある。……星の光を掴むほどの可能性だがな」
「わかりにくい言い回ししないでください!」
机の下で繰り出された蹴りを、見ずに足で受け止める。
「容易だな、その程度の攻撃をいなすのは。クリエイト。従事者の乙女セレナ。大人の身体!。き、きかない!こいつ、呪われているのか!」
「ぐっ……。強さだけは本物なのが変な奴の厄介なところですね……」
半眼で睨んでくるセレナ。
盛り上げるための冗談だったが、どうやら本気で怒らせてしまったようだ。
保存食を食べながら、恨めしそうにこちらを睨みつけている。
その喋り方やめて。ほんと頭が痛くなるから。
どうやってるの?それ。声帯が2個ついてるんか?こいつは。
「ふふっ。楽しそうにしてるのね」
半身を起こしたヴィオラに、すぐさまセレナが駆け寄る。
「ヴィオラ様。お身体は?」
「問題ないわ。少し身体が重いけど、魔力が尽きているようね」
身体を調子を確かめるように動かすヴィオラ。
「であれば食せ、冷徹の女帝」
放り投げた保存食をヴィオラが受け取る。
「シュヴァ……」
訓練の事に悪気を感じているのか、申し訳なさそうに視線を落とす彼女に。
「強くなるには体が資本。弱っている暇はないぞ。いつ奈落の深淵から終末機関が襲来するかわからんぜ?奴等の完全なる計画を打ち砕くためにも、今は食せ」
言いたいことが伝わったかわからない。
だが、ヴィオラはこちらをじっと見た後、保存食に被りついた。
「その意気だ。真実の目で創造したところ、これにより記憶の回想は変革を遂げたようだ。であれば応えるかよ?魔力の根源もそれを望んでいるように感じるぜ」
「スイッチが入ると凄いですね、変な奴は」
スイッチが入るととか言うな。
いやまあそれなりに意気込まないと言葉が出てこないのは事実だけど。
「それと、ひとつ確認させてもらうぞ」
立ち上がり、もぐもぐと頬を膨らませて食べているヴィオラ近付く。
貴族の食事マナーとは思えない頬の膨らませ方。
おもわす「リスかよ」と言いかけたが、それを抑えて。
「失礼するぞ」
ヴィオラのおでこに手を近づける。
ゆっくりと、淡い水色の瞳を見つめて近づける。
指先が触れる寸前でそれを止める。
「恐怖心はないようだな」
「ほういうほと?」
モグモグしながら喋るな。本当に貴族かこいつは。
「俺に殺されると思って支配者の力が解放されたわけだからな。怯えて拒む可能性も十分にあった」
「……冗談やめて」
ヴィオラは手に持っていた保存食を口に詰めてから、俺の手を取った。
「私を強くしてくれる人の手よ。それを拒む理由なんて、ひとつもないわ」
覚悟の決まった力強い瞳。
なるほどどうやら、少し彼女を見くびっていたようだ。
そこまでか弱い女子ではないか。
或いは、これもセレナの読み通りなのか。
「であればいい。……そろそろ生徒達が起きる時間か。俺は戻るぞ」
「そうした方がいいですね」
寮が騒がしくなってきている。
ここは窓から出ていった方が安全か。
カーテンの隙間から外を窺い、気配がないことを確認してから窓を開ける。
「シュヴァ。それとセレナ」
呼びかけに、振り返る。
ヴィオラは俺とセレナを交互に見た後。
「これからも、よろしくね」
どこか不安そうに、そういうヴィオラに。
「もちろんですよ、ヴィオラ様」
「十分に休めよ。次の朝活の訓練に備えてな」
そう言って縁に足を掛けて外に出る。
セレナが窓を閉めるために顔を出すと、眼があった。
何も言い合わずに頷き合う。
あとはセレナに任せてもいいだろう。
さて、俺は部屋に戻って汗を流してから学園にでも行くとしよう。




