3 冷徹の女帝≪エンプレス・オブ・ザ・サイレント・グレイシャ≫
昼休み。今日も俺はひとり、屋上の縁に立ち立っている。
周囲には誰もいない。風だけが静かに俺の心に安らぎ与えてくれる。
孤独とは静か。それが真理。
「狂人の運命を背負いし孤高の常闇・闇に生きる存在に謁見を願うわ」
安らぎを破壊したのはどこか芝居がかった声だった。
振り返ると、昨日と同じく薄い蒼銀の髪を揺らす少女。
ヴィオラ・グレイシャが、まっすぐ俺を見つめていた。
「また来たのか。偽りの誓約は断ったはずだ、氷結の嬢王」
いきなり声を掛けられて何を言われたかわからなかったが、とりあず突き放す。
しかし、彼女はそれに動じず堂々としていた。
「なにを言っているのかしら?我が真名は冷徹の女帝。氷の静寂に君臨するただ一人の女帝。それを知りなさい!」
自信満々にそう名乗る彼女は、凛とした佇まいで腕を組む。
蒼銀の髪は短く整えられ、光を受けてきらきらと輝く。
まるで降り注ぐ新雪のように清らかで、どこか幻想的ですらある。
が、幻想的すぎてもう何を言っているか理解できなかった。
はぁ?いまなんて?
「聞こえんな」
「我が真名は冷徹の女帝。氷の静寂に君臨する、ただ一人の女帝って言ったのよ!」
屋上に大声が響き渡る。
怒号のようなそれに心がざわめく。
「どういうつもりだ?」
「あなたの言語に合わせたまでよ?さあ、始めましょうか。延々の討論会を、ね」
澄みきった淡く透き通った水色の瞳をこちらに向けている彼女。
俺はその自信満々な態度に思わず怖気づいてしまう。
こ、こいつ……。いや、まさか、ありえない……。
ありえないが、俺の口調を真似ることでどうにかしようとしている!
恐ろしい。恐ろし過ぎるぜ、この女……。
と心の中では大騒ぎだが、決してそれを表に出してはいけない。
あくまで冷静沈着に。冷静に考えれば俺の口調を真似ているだけ。
落ち着いて対応すればいい。
しかし、覚悟しなければならない。
まさかこういう形で来るとは思わなかった。
ここまで本気で来るとは思っていなかった。
ヴィオラ・グレイシャ……。
いや、ここは敬意を払い冷徹の女帝と呼ばせてもらおうか。
恐ろしい奴である。
「我が身は氷結。名家グレイシャの呪われし娘。婚姻という名の呪縛より逃れし自由を渇望する者。故に貴殿に臨む。私の誓約者として偽りの誓約を結びなさい!」
上品さを保ったまま、彼女は大げさにジェスチャーを繰り返し凛と宣言する。
言葉だけじゃない。どうやら身振りまで俺に合わせようとしてるようだ。
昨日の今日でこれが出来るか?こんな恥ずかしいことが出来るのか?
否。それは否である。1日で俺のクオリティ超えてて凄い。なんなら尊敬する。
普通の人間だったらこれを出来るようになるまで数年かかるはず。
ちなみに練習途中で恥ずかし過ぎて死ぬ恐れがある。
それをたった数時間で乗り越えるとは……。
さてはこいつ、潜在的に"変な奴"だな?
「なにか?」
「……ふっ。いい目をしているな」
ギロリと睨みつけられてしまった。こいつの目つき怖いから辞めて欲しい。
にしても、こうも本気を見せられてはそれなりの対応をしないといけない。
これで『嫌でーす!そんな喋り方の人と関わりたくありませーん!』はさすがに可哀そうが過ぎる。
っていうか下手すると殺される。
なぜなら彼女は平然な表情を装っているが、耳まで顔が真っ赤だから。
俺に合わせようと頑張ってるんだろうけど、魂の羞恥は消せていない。
つまり潜在的に変な奴なだけじゃなくて、ただの努力家だったということ。
こんな健気な少女を適当に扱ったらさすがに天罰が下るというもの。
それで、えっと、なんだっけ。
『我が身は氷結。名家グレイシャの呪われし娘。婚姻という名の呪縛より逃れし自由を渇望する者。故に貴殿に臨む。私の誓約者として偽りの誓約を結びなさい!』だっけ。翻訳すると……。
わかんねえや。マジでこいつ上級者すぎる。
1日で俺を超えるなよ。どんだけ努力家なんだよ。
俺の代わりに狂人の運命の称号を背負って欲しいわ。
頑張って!冷徹の女帝!
特にやることもないけどね!
なんて現実逃避している場合じゃない。
わかりそうなところだけ切り取って質問するしかないな。
「呪われし娘?そうは思えん。お前は貴族のお嬢様。それだけで選ばれた人間であることが確定的なのは明らか」
「グレイシャの名は既に地に落ちているわ。故にこの世を生きるため政略結婚をするのは道理。けれど私はそんな明日を認めない」
んー、なるほど。
ようはグレイシャ家が落ちぶれたから政略結婚をさせられそうになっている。
それが嫌だと言っているわけだ。
しかし、可哀そうだがよくある話。貴族とはそういうものだと聞いている。
そうやって落ちぶれないよう政略結婚をし続けて、大したこともせず民に大きな顔をする。
「なにを拒む?貴族とはそういう生き物だろう?」
「そう、ね。そうよ。私も納得してた。父の立場を守るため、そして家の安泰のために。自分にそう言い聞かせて……。でも、納得できない理由が出来たの」
ヴィオラ・グレイシャの言葉からセリフめいた言い回しが消える。
「父も母も立場を守ることに目がくらんで私の声なんて聞いてくれない。ここにいられるのは『最後のお願い』をしたから。騎士養成学園に在学する3年間は、私……。いえ、グレイシャ家に残された最後の時間」
静かながらも、はっきりとした口調。
「でも、婚約者がそのことを知って強引に話しを進めてきた。だからこれは時間稼ぎ。あなたと付き合ったところでいまさら婚約破棄できると思ってない。けど、それでも」
ヴィオラ・グレイシャ。
氷のように気高い令嬢は、淡い水色の瞳をまっすぐに向けている。
「せめて最後まで抗いたいの、グレイシャ家を守るために。だからあなたに頼みたい。いえ、あなたにしか頼めないの。最強の力を持ちながら、騎士養成学園で孤独を装っているあなたにしか」
氷のように凛とした声が、かすかに震えていた。
それでも彼女は、口元を真っすぐに引き結んでいた。
「この申し出がどれほど非常識かはわかっている。あなたに迷惑をかけることも……。でも、それでも私は……。シュヴァルツ・クリーガー、私と付き合う振り、偽りの誓約を結んでください!」
彼女は深く頭を下げた。
たたの生徒である『変な奴』に頭を下げるなど、貴族からは考えられないことだ。
それでも、震える身体を必死に堪えて頭を下げている。
「残念だが」
断る。俺はそんなことをする人間じゃない。
悪いとは思うが――。
「カミキ・ミナト」
その呼び名に、俺の思考が完全に停止した。




