26 魔力の根源《オリジナル・マギア》
夜の学園は相変わらず静まり返っていた。
窓から差し込む月の光を頼りに、俺は足音を立てずに歩く。
暗闇に包まれた学園の廊下に、突然、明かりが漏れた。
まるで俺を招き入れるかのように、学園長室の扉が音もなく開く。
覗き込むと、 窓辺の大きな椅子に座る小さな影。
ヒルデは俺が来るのを知っていたように、こちらを一瞥し、紅茶を口に運ぶ。
「ふっ。今日も今日とて紅茶が美味い。そうは思わないかい?シュヴァルツ・クリーガーくん」
俺が窓際に歩み寄ると、ヒルデはティーを置いてこちらを見上げた。
「要件は?」
「ヴィオラを鍛えることにしました」
「ほぅ。キミが誰かを鍛えると?人との接触を拒んでいたキミが?いやはやどうして理由を聞きたいところだが……。相手が恋人となればそれは野暮かな?」
俺とヴィオラが偽装恋人だと知っておいて、よくこんなことを言う。
この人が俺をからかうのはいつものことだけど。
ヒルデのペースに合わせていたらいつまで経っても話しが進まない。
ここは無視して続けよう。
「氷獄の支配者のことは知ってますか?」
「伝承の話しかい?『王の起源』だったかな?読んだことはあるよ」
「ヴィオラにその支配者が封印されています」
ヒルデは暫く押し黙る。目を合わせたまま沈黙が流れ。
「なるほど。貴族と庶民のロマンティックな愛の育む夢物語に脳が焼かれたと。やれやれ。障害が第三王子ということもあって、随分とぶっ飛んだ話しをしに来たもんだね」
「本当の話しです」
「嘘だよ」
「本当なんです」
「……はぁ」
ヒルデは呆れたように溜息を吐いて、椅子に深く腰掛けた。
「もう一度だけ言おう。氷獄の支配者はヴィオラ嬢に封印はされてはいないよ」
「ですが」
「封印されていない」
「なら彼女のあの力はなんだって言うんですか?」
「あの力は氷獄の支配者の子孫だからさ得ているものさ」
「でも本当にヴィオラは……」
って、ん?いまなんて言った?
「封印などされてはないない。氷獄の支配者はとうの昔に消滅している。ただ、血に宿っているのだよ、支配者の記憶、支配者の意志がね。だからヴィオラ嬢は支配者と同じ性質の魔力を持っている。黄色い瞳になるのも同じ理由さ。血とは……。魔力の根源だからねえ」
「ま、待ってください。ヒルデはヴィオラが氷獄の支配者の力を使えるってことを知ってるんですか?」
「そもそも魔力とは血に宿る記憶の奔流なのだよ、シュヴァルツ・クリーガーくん。この世界において血はただの肉体を流れる液体ではない。それは先祖から受け継がれてきた力の記録。ある先祖が氷を操れば、それは氷を使った過去が血に刻まれてきたからという因果がさ。長い時を経て、様々な因果が複雑に絡み合い、我々に流れている。故に血とは魔力の根源であり源泉。ヴィオラ嬢には色濃く流れてしまっているようだね、氷獄の支配者の血が」
も、物凄い早口で情報量が多いことを話されても頭が付いてがないぞ。
つまり……。どういうことだ?
ヴィオラの事情をヒルデが知っていたってことだけわかれば大丈夫そう?
「ふふっ。あっはっは!あーっはっはっは!キミには少し難しい話しだったかな?シュヴァルツ・クリーガーくん!」
呆気に取られていたことを感じとったのか、ヒルデが高らかに笑う。
「わかってて言ったんですか?」
「それはどちらのことを指しているのかね?ヴィオラ嬢が氷獄の支配者と関りがあること?それとも血の説明をキミにしても理解出来ないとこ?正解はどちらもなのだが、過ぎたことさ。気にせず生きて行く方が幸せということもある」
そう言って、ヒルデは紅茶をひとすすり。
どうやら俺はヒルデに遊ばれていたらしい。
ヒルデはヴィオラの事情も知っていたし、血や魔力の説明をしても俺が理解できないことを知っていた。
なんならヴィオラの件に関しては、俺より詳しい知識があるらしい。
あまり俺をバカにするなよ、ヒルデ。
ようは血を受け継いでいて魔力の根源で源泉が奔流の因果が宿してるのね。
なるほどわからん。
「それにしても、キミがヴィオラ嬢の面倒を見ることになるとはねえ」
「面倒を見るわけじゃないです。鍛えるだけなんで」
「同じことだと思うがね。彼女は周りが思っている以上に普通の女の子さ。ただ、氷獄の支配者の子孫であるだけのね。故にケアしなければいけないところは沢山ある。それがキミに出来るかどうか……」
ヒルデが確認するようにこちらを見つめ。
「頼りない。と言ったら、覚悟を決めたキミには失礼かな?」
「今までの俺を見てきてるヒルデなら、そう思って当たり前ですよ」
ヒルデに出会ってから、誰とも関わらずに生きて来た。
当然、誰かに何かを指導したことなんてない。
ましては相手はヴィオラだ。
ヒルデが言っていた通り、彼女は年相応の女の子。
それは、今日まで偽装彼女の関係を続けたことでわかった。
貴族であり、クラウスの許嫁であり、氷獄の支配者の子孫。
それでも、ご飯を食べさせ合えば照れるし、デートすればはしゃぐ。
キスをすれば顔を真っ赤にするし、焦って魔物に隙を見せる。
そんな彼女を鍛えようというのだから、面倒を見る、というのは言い得て妙か。
その通りなのかも知れない。
「それでも。ヒルデが俺に魔力制御の仕方を教えてくれたように。俺もヴィオラに教えようと思う。自分の意志じゃないのに、誰かを傷つけるのは辛いから」
「ほぅ。なるほど」
ヒルデは微笑を浮かべる。
「人と関りを持とうとしないからどんな風に育つと思ったが……。なかなかどうして根は優しく育っているようだ。或いは、過去の自分に姿を重ねて、過去の自分を助けようとしているのかな?」
「難しいことは考えてませんよ。俺がヴィオラを鍛えたいと思っただけ。それだけです」
「ふふっ。時にはそうやって感情に身を任せるのもありかもしれないねえ。若さの特権、といったところか……。そうそう、確かにその通りかもしれない。自分がやりたいと思ったことをする。なるほどどうして、歳をとるとそんな簡単なことが出来なくなってくる。それが良いのか悪いのか。私は今でもわからないけれどね」
そう言って、ヴィオラは再び紅茶に口をつけた。
「もしもの時の覚悟は出来ているのだろうね?」
その問い。その覚悟は、ヴィオラを殺すという覚悟。
「……そんなことがないようにする」
「その甘さはキミを殺すよ」
「それでも今は、考えたくない」
ヒルデが俺を鍛えてくれた。そして、ようやく俺はここまで来たんだ。
ヴィオラを俺が鍛えて上手く行かなかったら。その時は、俺が俺を許さない。
「甘いな、甘いよ、シュヴァルツ・クリーガーくん。甘すぎてこの紅茶が苦く感じるほどさ。私のティータイムを邪魔することはいささかもって遺憾ではあるが、しかしたまにはそんなスパイスも悪くない。不思議なものだね、人の機嫌というものは」
「ヒルデから見て俺は、そんなに頼りないですか」
「愚問だよ。自身ですら気付いているのだから、私が心配に思うのは当然のことさ」
ヒルデが、少し嬉しそうに笑う。
「だがそれもまたキミの物語。あれこれ言うのは私の理念に反するというもの。いつだって選択は自分で決めることさ。私はそこに、それこそちょっとしたスパイスを加えることしか望まない。それすら良しとしない自分もいるがね」
「そうですか」
正直なところ、いまいちヒルデが何を言っているか。
何を伝えようとしているかはわからない。だが、それはいつものことだ。
重要なことは、わかりやすくちゃんと伝えてくれる。
つまりこの言い回しをするということは、半分は独り言として聞いていればいい。
「ふっ、そうだね。言ってしまえば、私はいつだってキミの成長を願っている。出来る限りの手助けはするさ」
「はい」
こういう風に、伝えてくれる。
「なにか。アドバイスはありますか?」
「キミにアドバイスを求められる日が来るとはね。長生きもしてみるものか」
ヒルデは一考するように瞳を閉じた後。
「キミが私にやられて嫌だったことはやらない。やられて嬉しかったことをする。あとは、して欲しかったことを彼女にしてあげれば上手く行くのかもしれないね」
俺がヒルデに魔力の制御を教えてもらっていた時のことを活かして。
「人は思いのほか繊細で、思いのほか脆くて、そして物凄くちょろいのさ」
「……思い出しながらやってみます」
「そうするといい。それと、闘技場の魔法壁を改造しておいた。練習するならそこでするといい。もう彼女の冷気も貫通しないから」
これは果たして、今後の事を考えて改良したのか。
或いは俺がヴィオラを鍛えると言うことを見越していたのか。
どちらかはわからないが、ヒルデの仕事が早いと言うことはわかる。
未知の性質を持つ氷獄の支配者の魔力をこうも素早く対応するとは。
そもそもヒルデはヴィオラが暴走した時、一度もその場に立ち会っていないはず。
それなのに、なんで魔法壁の改造が出来たのか?
「おやおやどうやらキミの疑問は尽きないようだが、そろそろお暇してくれるかな?私は寝なければならない」
「朝活は大切ですからね」
「その通り。理解がはやくて助かるよ」
俺も帰ってひと眠りしなければいけない。
ヒルデに教えられた通り、朝活は重要なことだから。
「それでは」
「よい夢を、シュヴァルツ・クリーガーくん」
返事をして、俺は踵を返す。
「因果なものか。なかなかどうして、輪廻というのは奥深い……」
背後でヒルデが呟いた。
その言葉の意味はわからない。
ただ、今はそれでもいい気がした。




