22 迷える子羊≪ベイビードール・シープ≫
突如として現れたダークウルフは2体として処理された。
だが、実際には4体。
俺が殺した2体と、ヴィオラが氷漬けにした2体。
ヴィオラがダークウルフを倒したことは公にはなっていない。
凍りついていた魔物は俺がその場を離れる前に粉々に砕いておいたからだ。
あの時ヴィオラから感じた魔力、常識の枠から外れた冷気。
そして、黄色い瞳と、普段の姿からは考えられない圧倒的な殺気。
誰かに知られれば騒ぎになるのは間違いない。
高い魔力耐性を持つ毛皮で覆われたダークウルフを凍結させる。
それも内臓を破壊していない特殊変異種をだ。
ダークウルフの痕跡さえ残さなければ目撃者がいても信じてもらえないほどの事実。
一端の騎士候補の生徒がそんなことをするなんて有りえない話し。
ヴィオラがダークウルフから逃がした生徒は2人。
彼女達は『2体のダークウルフに襲われたところをヴィオラ様に助けられた!』と訴えたが、ヴィオラが『別の魔物でダークウルフではなかった』と証言したようだ。
ヴィオラを抱きかかえて集合場所に現れた俺に『ダークウルフはどうしたの!』と聞かれたが、そんなこともあろうかと。
『ついに奈落の深淵が可視化したか。こうも早いとは思っていなかったが、延々の討論会が終焉したとすれば納得もいく。神の宣告が下されるのも時間の問題か?果たしてキミたちは選ばれた人間になれるのか、迷える子羊』
『うざっ!』
『きもっ!』
と言った具合に誤魔化しておいたのが功を奏したようでなにより。
目の前で思い切り罵倒されるとさすがに傷つくが、目的は果たせたので良しとした。
そう、功を奏したのならなにより。なによりなのである……ぐすんっ。
かくして森に現れたのは特殊変異種は2体ということになった。
公にされたのはそこまで。
現在、なぜあんなところにダークウルフが出現したのか調査が進められている。
ホワイトウルフの特殊変異種であるダークウルフが現れるのはもっと深い場所。
訓練で立ち入る入口付近に出現するなどあり得ない。
あれがただの偶然、自然発生だったとはとても思えない。
誰かの意思があの森に獣を放った。
或いは異常事態が発生しているのかだ。
「早いのね」
夜の屋外訓練場。静まり返っていたそこに声が響く。
「俺は女を待たせない主義でな」
訓練場の片隅に、月光を浴びた蒼銀の髪が揺れていた。
制服姿で凛と立つその姿は、どこか物語のヒロインのようだ。
さすがは貴族か、こういう時に品格が現れる。
「意外と紳士なんだ?」
「笑わせるな。俺は闇に生きる存在。残虐非道の極悪人。勘違いしない方がいい。女など容易に捨て置くぜ?」
「そういえばデートの時も私より早く来てたものね」
「話しを聞け」
「咄嗟にダークウルフから生徒を助けたり。本当に意外だけど、優しいところもあるのよね」
「おーい。話しを聞けって」
こちらを言葉を無視して、そっと距離を詰めてくる。
訓練場の中心に立っていた俺の目の前で立ち止まる。
「ありがとう」
「なんの礼だ?」
「ここに来てくれたこと。それと、森で私を助けてくれたことと、私の秘密が広まらないように気を回してくれたこと」
「偽りの誓約を結び、偽装とは言え恋人を演じている身だ。観測者から逃れるためにも、ああした方がいいと第六感が囁いた結果さ」
「へー、そうなんだ。優しいのね」
ぐいっ、と顔を近づけてきたので、手を彼女と俺の間に割り込ませる。
どういうつもりだこいつ、風呂上がりの甘い香りを漂わせおってからに。
あとあまり褒めてくるな、反応に困るんだよ。
はい優しいです!なんて言えるわけないんだから言わんでいい。
「こんな夜分に。そんなことを言いにきたのか?」
「ダメだった?」
「本当にそうなのかよ……」
真如な面持ちで時間と場所を指定されたので何かと思ったが、緊張して損した。
この風情に響く新しい言語を幾つも用意したというのに。
どうやら日の目を浴びるのは今日ではないようだ。
「用事が済んだなら行くが?」
「ま、待って」
帰ろうとすると、手を掴まれた。
剣の稽古で手のひらが固くなった、見た目の綺麗さとは反した感触。
だが、あまりに小さく、力を込めれば潰れてしまいそうなほど華奢だ。
「なんだ?もう礼ならいらんぞ」
「そ、そうじゃなくて……」
一歩、ゆっくりと前に出る。
手を回せば背中にも届く距離。甘い香りがふんわりと漂う。
「ちゃんと、聞いて欲しいんだけど」
上目遣いに赤い頬。涙が滲む瞳は、それでも真っ直ぐこちらを見ている。
これは……。このパターンなまさか、偽装恋人の終わり?
そして正式な恋人の始まりなのでは?
……ありえる。ありえるぞ、ここでの告白!
冷静に考えれば今日の立ち回りは完璧すぎた。
焦って戦うヴィオラを冷静にフォローして助け、強敵であるダークウルフを生徒を守りつつ屠る。暴走気味のヴィオラを鎮めて、それを周囲に悟られないよう咄嗟に言い訳をした。
それに対する夜の呼び出し、お礼、感謝。
そして、この近距離での照れた上目遣い!
好きなんだ……。こいつ、俺のことが好きなんだ!そうに違いない!
人とあまりコミュニケーションを取ってこなかったが故に空気が読めない俺でもわかる!この流れ、このパターンは真の告白!
「あのね、シュヴァ。私と……。私と、戦って欲しいの!」
「断る!って、ん?」
「だから、私と戦って欲しいの。ダメ?」
た、戦う?この期に及んで?なんで俺とヴィオラが戦うの?
俺なんかしちゃいました?
別に怒らせるようなことをした記憶はない。
むしろ感謝感激雨あられ状態じゃないの?
えっ?俺ここでヴィオラに殺される?なんで?
「り、理由を聞いておこうか?」
どもりながら、なんとか質問を返す。
「あなたの力を改めて認識するために」
「俺を試すと?」
「そういうわけじゃないけど」
「……ふっ。随分と上から目線じゃないか。これだから貴族は」
本来だったら相手にしない。
ここにいる生徒の実力なんてたかが知れてる。
戦ったところで結果は目に見えているし、得られるものなんてない。
だが、今は違う。
「全力で捻り潰してもよろしいか?」
俺に……。俺に恥ずかしい思いをさせたなヴィオラ・グレイシャ!
てっきり俺に惚れて告白するのかと思ったのに、戦いを挑むだと?
いい度胸じゃないか。なんで喧嘩を売られたのか知らんが、買ってやろう。
そして完膚なきまでにへし折ってやる。
俺が告白されると勘違いしてへし折られた心の何かのように。
お前の強さを支えるプライドをズタズタに引き裂いてる!
「ええ。全力でお願い」
「飲み込めんぜ?一度吐いた唾はよ……」
その決意に満ちた瞳、気に喰わん!
せいぜい生き生きとしていろ。元気にしていられるのは今だけだからな!
許さん。絶対に許さんぞ!俺の勘違いによる逆恨みだけど絶対に許さん!
俺の怒りは有頂天!絶対に許してやらん!
「クリエイト。アイス・ソード」
距離を取り、ヴィオラが氷の剣を作り出し、構える。
細く、鋭く、氷晶そのもののような美しさをもった刃。
「クリエイト。アイス・ソード」
俺も全く同じ詠唱をして氷の剣を作り出す。
見た目はヴィオラが持つモノと変わらない。
並べて見ても違いはわからないだろう。
「っ!同じ生成魔法とは思えない魔力ね」
だが、込められた魔力の量が絶対的に違う。
ヴィオラが気付くように、それなりの量を込めて作った。
「そんな玩具で俺の業物と斬りあうなど笑止千万。身の程を知れよ?迷える子羊」
同じ土俵に立ったうえで、ボコボコにして、プライドをへし折ってやる。
「当たり前のように複数の属性魔法を使っているけど。どういう訓練しているの?」
「くだらん問答は止めろ。もはや俺とお前は敵同士。どちらかの命が燃え尽きるまで存分に死合おうぞ」
「全力って言ったけどそこまで本気じゃ」
「もはや止まらんこの怒り!お前の全てを見せてみろ!ヴィオラ・グレイシャ!」
剣を下げてゆっくりとヴィオラに近付いていく。
構えてはいるが、どうやら攻めてこないらしい。
突っ込んで来たらその身を切り裂いてやろうと思ったが。
「であれば一発」
一歩、踏み込み距離を縮めて剣を振り下ろした。
防ごうとヴィオラは受けるが――パリィン!と甲高い音が響いて氷が弾ける。
「なっ!クリエイト・アイス・ソード!」
ヴィオラは咄嗟に飛び引いて、再び剣を生成する。
「簡単に私の剣が砕けた?」
「ん?ああ?」
わざとらしく頭部をぽりぽり描いて。
「いま、なにか触れたか?」
挑発するように蔑むと、今度はヴィオラが踏み込んできた。
地を滑るような足さばき。迷わず突き刺される氷の剣。
俺はそれに自分の剣をぶつける。
パリィン!と再びヴィオラの剣が弾け飛ぶ。
「クリエイト・アイス・ソード!」
新たな剣が手の中に形を取り、再び構え直す。
だが、次の交差でまたしてもパキンッ!と弾ける。
「なんで!」
「わからんか?わからんかよ?実力ってやつの差が」
三度目、四度目――ヴィオラは繰り返し氷剣を生成する。
だが、そのたびに刃は触れるだけで砕け、粉々に散っていく。
「魔法の質が違いすぎる……」
ヴィオラの額に汗がにじむ。
「いい表情だ。自分の愚かさにお気づきか?誰に挑んだか後悔して羞恥に耐え切れずもがき苦しむといい……」
そう、告白されると勘違いしたこの俺のようにな!
まだだ、まだ許せん!
そんな苦しむ顔を見ただけじゃ、勝手に勘違いした俺の気持ちが収まらん!
「いくわよシュヴァ!」
ヴィオラが後ろに飛び引いて距離を取る。
叫びと共に、訓練場の空気が一変した。
「氷獄の結界!」
気温が一気に下がり、白銀の霧が立ち込める。
地を這うように広がった冷気が一面を凍らせ、氷の花が舞い上がっていく。
「聞いたことがない詠唱だ」
「これが私のとっておき」
俺の息が白いのに、ヴィオラの息は白くなっていない。
魔力の高まりを見るに、自分の氷魔法を強化する広域魔法か。
そのうえ、肌を撫でる冷気はこちらの感覚を鈍らせる。
「これでも私に氷魔法で挑むつもり?」
「挑む?違うな。挑まれているのは常に俺の方。自惚れるなと言っただろ?赤子が」
ヴィオラが手をこちらに突き出して詠唱を始める。
膨れ上がる魔力。どうやらこれで終わりにするらしい。
「行くわよシュヴァ!氷悪の怒号!」
幾つもの氷柱が生成され、一斉にこちらに飛び出した。
「小癪。氷の槍、で十分だ」
氷属性では下級魔法。
だが、それで十分。目の前に作り出された一本の氷の槍は、音もなく突き進む。
すれ違う氷柱は槍の冷気に触れて動きを止めると、その場で消滅していく。
「そんなっ!」
必死に魔力を込めて氷柱を生成し続けるが無駄なこと。
氷の槍はヴィオラの頬を掠めて蒼銀の髪を揺らす。
後方に飛び去ったところで、空中で弾け飛んだ。
「フレイム・ウィンド」
熱気を帯びた風が吹くと、白く染まった世界に緑が戻る。
氷の花は瞬時に溶けて水となった。
もはやこの場にヴィオラの魔力は感じない。
「完勝。これにて終焉」
「……火ノ息吹でもないのね」
むっ、なんでヴィオラがその魔法を知っている?
可能性があるとしたら、森でヴィオラの冷えた身体を温めた時か。
「意識があったのか?」
「少しだけね」
そう呟いて、ヴィオラは黙り込む。
生成した剣を砕かれ続け、広域魔法を使った上で魔法も容易に押し返されて、最後には得意な魔法ではなく、ただの下級汎用魔法で氷獄の結界を解除された。
俯いたまま、言葉ひとつ発しない。細い肩が、わずかに震えている気がした。
ふっふっふ……。あっはっは!あーっはっはっは!
圧倒的ではないが我が力は!
伊達に朝活で訓練し続けているわけではない!
この強さがあれば告白されると勘違いしていたことなんて気にしない!
全然、恥ずかしくない!なぜなら俺は最強だからだ!
あーっはっはっは!はっはっは……はっは……はっ……。
「ヴぃ、ヴィオラ。大丈夫?」
問いかけに返事がない。俯いたまま黙り続けている。
……まずい。まずいですよこれは。もしかしてやり過ぎた?
いや、いやいやいや。俺の恥ずかしかに比べたらこんなの屁もないよね?
だって俺なんて告白されると勘違いさせられたんだよ?
偽装恋人もちかけられてる相手から夜に呼び出されていい雰囲気かもし出されてるんだよ?
上目遣いで瞳うるうるで頬赤らめられてるんだよ?
誰だって告白されるって思うじゃん!
ただの勘違い野郎って言われればそうかも知れないけどさ!
でもさあ!だってさあ!告白されると思ったらさあ!違くてさあ!
ごめんて!謝るから許してって!
あれだな。せめて氷魔法じゃなくて炎魔法で対抗した方がよかったかもな。
フレイム・ウィンドじゃなくて火ノ息吹でもよかったね、うん。
俺がちょっと意地悪しちゃったかな?ごめんね。
なんて、口に出して言えればいいが、そんな勇気が俺にはない。
くぅ。これがクラウスとかだったら言いたい放題なのに。
関係性が出来上がると下手に発言できなくなるから困る。
これで機嫌を損なって呼び名を言いふらされたり過去を探られたりしたら面倒だ。
なんとかなれ!
「どうして、そんなに強いの?」
祈りが届いた!
強い理由?強い理由ね。えーっと、うーんと。
努力したからだとか。才能だとか。理由なんてないとか。
以前、クラウスに問われた時はなんて言ったっけ?
『強さとは。まず観測者に一瞥をもらってから考えるべきこと。むやみやたらと鍛えたところで成果は出ない。闇に生きる存在になりたければ相応の手向けが必要となる。神の選択が微笑んだとしても、欲する強さには届かない。それすなわち選ばれた人間の始まりってわけだ。んー……正義執行!これが世界の理だ』
……こんなこと今のヴィオラにはさすがに言えない。
人の心が無さすぎるってことは俺にもわかる。
もうちょっと気を利かせないとさすがに罪悪感が沸く。
これをクラウスに言ったのも凄いと思うけど。
過去の自分に驚愕するよ。もう過去は振り返らないようにしよう。そうしよう。
「ヴィオラから見たら俺は強く見えるか?」
「ええ。今まで見た来た誰よりも」
「そうか。だが、俺はまだまだ強くなる必要がある」
俺は一歩、彼女に近付く。
「強くならないといけない理由がある。だから俺は強くなる。そのために訓練をし続ける。シンプルだけど、それだけだ」
ヴィオラが、ゆっくりと顔を上げた。
その淡い水色の瞳が、まっすぐ俺を見据える。
理由にはなっているが、彼女の望む答えにはなっていない。
そんなことはわかっている。だけど、今の俺にはこれしか言えない。
俺みたいな人間が、気の利いたことなんて言えるはずがない。
そんなのは自覚している。
「理由って……」
言いかけた言葉が途中で止まる。
彼女は俺に聞けないことがある。
偽りの誓約を結んだ時にした約束。
過去を詮索しない。それを察し、律儀にそれを守ったのだろう。
「夜も更けてきたな。そろそろ戻るか」
もうこれ以上はいいだろう。
察し、約束を守り、聞いてこないのであれば、俺から言うことはない。
そう切り出して背を向けると。
「シュヴァ。私を鍛えてくれない?」
不意な問いかけ、俺は足を止める。
「鍛える?」
窺い見ると、ヴィオラは静かに頷いた。




