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理科の清沢先生

「あ、だるまさんってのは飼ってる猫の名前ね。けっこうマジな引っ掻き傷つけられちゃってさあ、バンソーコーじゃ収まりきらないくらいおっきな。なのに、今はなんの傷跡もないでしょ? てことはつまり、体はだるまさんに引っ掻かれる前の状態なんだよ」


 この推理どうよ、とでも言いたげな笑顔で締めくくると、宮島さんはスカートを下ろして座った。顔を覆っていたわたしの手は、宮島さんが話しているうちに気づけば落ちていた。


 宮島さんの話が本当ならわたしも昨日の体ということになる。手、腕、胸元、お腹、膝、脚。自分の体をざっと見まわしてみるけど違いは見当たらない。


 無理もなかった。たった一日で見て取れる変化ならダイエットに苦労しない。

 つまり、宮島さんの推論を前提に考えるしかないということになる。


「ループ、か……」


 ハンドルを閉めているはずの蛇口から水が滴るように、ぽたりと言葉が落ちた。


「ん?」

「もしループが()()()()って意味通りだったらどうしよう」


 たった一度のリセットで終わるならいいけど、もし明日が来ないまま延々と今日が繰り返されたらどうしよう。そんな不安が、心の底から湧き上がってくる。


「繰り返したくないの?」

「普通、嫌じゃない? 同じ日を繰り返すなんて」

「んー、まあそーだね。でも、可奈は学校が大好きだから学校に来れると思ったら嬉しいよ」

「わたしは……嫌だな。早く卒業したい」

「ええ、なんで?」

「それは……」


 結局のところ、この不安は焦燥感から来るもの。早く卒業したい、早く大人になりたい、という焦りから悲観的になっている。

 進路ばかり考えさせられるこの時期にそう思うのは、わりと珍しい意見なのかもしれない。


 わたしだって、受験のことを考えないといけない、と思うと億劫になる。どんな大学や学部があって自分に何が合っているのか、受験科目はなんなのか、自分のレベルを知るために模試を受けたり講習を受講したり。


 きっとこれから悩みがどんどん出てくる。うまくいかなくて落ち込むこともあるかもしれない。なら、いっそこのまま高校生で居続けられたらどんなにいいか。


 だけど、それでも早く卒業したい。

 早く卒業して大人になりたい。

 でないと、いつまでも隣に立てない――。


「遅くなってごめんなさいね。担任の先生がなかなか見つからなくて」


 言葉に詰まったタイミングで、保健室の先生が担任の先生を連れて戻ってきた。ほっとしたのも束の間。


「お、宮島発見」


 担任の先生から少し遅れるようにしてなぜかもう一人、白衣を羽織る先生が姿を見せる。


「やっほー、清沢(きよさわ)センセー。どしたの?」


 無造作な黒髪に重い前髪、鋭い目、笑顔のない表情は教育者とは思えないくらい怠そう。加えて一八〇を超える高身長だから、第一印象で怖いという印象を抱かせる。それが理科の清沢先生。わたしにとっては天文科学部の顧問だ。


 清沢先生は、先生としての貫禄はないけれど、生徒からの人気は実は高め。良い先生ランキングだとランク外でも、好きな先生ランキングだったら国語科の花井雅先生に次いでランクインすると思う。「先生らしくないところがむしろ、ちょっと悪そうでいい」らしい。憧れの感情に近いのかもしれない。


 そんな清沢先生がどうして保健室に来たのか。一度目にはなかった状況だから、表情にこそ出さないけれど動悸がして目が眩みそうになった。


「どうしたって、あのなあ。昨日、プリントなくしたっつってただろ」

「プリント?……ああ!」

「どういうこと!?」


 わたしは、合点がいっている宮島さんにヒソヒソ話をするときの音量で強めに尋ねた。


「可奈、化学のプリントなくしちゃってセンセーに相談してたんだ。それで今日の放課後、取りに来るよう言われてたんだけど……忘れてた」


 てへっと舌を出す宮島さん。清沢先生が来た理由はその説明でわかったけれど、


「でも、一度目のときは清沢先生、保健室に来なかったよ?」

「ああそれは、一度目のときは可奈が取りに行ったからだよ。でもそこでセンセーに捕まっちゃってさあ、個別授業が始まったんだよね。ちょうど今頃の時間だったかな? そーだった、久保さんに謝り損ねたのはそのせいでもあったんだよ」


 清沢先生が保健室に来るというイレギュラーが起こったのは、宮島さんの行動のせいだった。わたしたちが一度目と違う行動をとれば、周りの人にも影響を与えるらしい。


「そういや、宮島の下敷きになったんだってな。大丈夫か?」


 宮島さんとヒソヒソ話していると、清沢先生が顔を覗き込んできた。

 わたしは反射的に距離を取ろうと体を反らした。ガタン。椅子が大きく音を立てる。


「久保さん?」


 宮島さんと清沢先生、それから保健室の先生と担任の先生も不思議そうにわたしを見る。まずい、あからさまに動揺してしまった。


「あ、いや……だいじょうぶです。ほんと、大丈夫です……」


 椅子を直しながら至って冷静であることを装う。上手な切り抜け方が思いつかなくて情けなくなってくるけど、とにかくみんなの意識をわたしの外に背けたくて必死。……みんな、わたしを見ないで!


 願いが通じたのか、担任の先生が「そうだ。久保さん、ホームルームでした話なんだけど」と話題を提供してくれたおかげで、なんとか居たたまれない場をやり過ごすことができた。


 その後、担任の先生がホームルームでクラスメイトにしたであろう話をわざわざ説明し直してくれて、最後に通知表を渡され解散となった。

 わたしは誰にも気づかれないよう安堵の息を吐いた。


 こうやって自分の気持ちを隠すのは慣れっこだけど、得意ではない。アドリブに弱くて咄嗟の状況に対処できない。でも、たぶんわたしの気持ちは気づかれていない。気づかれてはいけないんだ。卒業するその日まで、隠し続ける。


 こんな心の内を晒す話、宮島さんにはできない。あのタイミングで保健室の先生が戻ってきてくれて助かった。もし宮島さんに問い詰められていたら、うまくかわせなかったかもしれない。

 まあその代わり、ループの話をし損ねてしまったけれど。


 お互い自転車通学なので自転車を走らせる帰り道でも、わたしたちは話の続きをしなかった。そのまま分かれ道に差しかかって、宮島さんの提案で連絡先を交換し何事もなかったかのように別れた。


 要するに、これがわたしたちの答え。

 この後どうすればいいかなんていくら話し合ったところでわかりっこない。本当にループしているかも怪しい。このまま普通に明日を迎えられたら良し。もしまた同じ日の朝になっていたら、「ループしている」と決めつけてそのときに考えればいい。


 今やれることはない。

 せめて「明日を無事に迎えられますように」と強く願うしかない。


 そうして一度目のときより早めに布団に入ったわたしは、翌日、明日でも今日でもない朝を迎えることになる。


 *


7月18日(木)はれ

 今日は校内清掃日

 午前中で学校が終わって、午後は部活

 掃除中にうさぎが逃げ出したらしくて先生たちが追いかけてた

 そのせいで部活のスタートが遅れたのが残念

 1学期ラストの部活は談笑で終わったけど、最後にみんなで写真を撮れてよかった

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