最悪の運命共同体?
本の中でしか見聞きしないようなワード。生活の中で耳にする機会があったとしたら、「もしタイムスリップするなら過去に行きたい? 未来に行きたい?」の質問くらいだろう。
興味があるかと訊かれたら「ない」と答える。天文科学部に所属しているからといって科学全般に興味があるわけではないし、その用語自体が科学ではなくファンタジーに分類されるならそれこそその手の小説を読む機会もない。
趣味の一環としての興味はない。
ただ、今この瞬間だけはどうしようもなく心惹かれる。もし今、辞書を引いたらそのワードだけが目に留まるだろうってくらい興味を引かれる自信がある。
時ならず答えを得た気分だった。
「どうしてそんなこと訊くの?」
あると素直に答えればいいのに、宮島さんを試そうとしているわたしは天の邪鬼かもしれない。疑問を解く鍵が本当に宮島さんにあるのか、彼女の口から絞り出そうとしている。
宮島さんはそんなわたしのずるい策略を読み取ろうとはせず、テーブルの上で手を組んでじっと見つめ返してきた。
「もし可奈がタイムスリップしたって言ったら、久保さんは信じてくれる?」
思わず息を呑んだ。膝の上に置く右手が小刻みに震えているのに気づいて、左で包み隠す。
繋がった。記憶と同じ一日を過ごしている中でどうして宮島さんだけが記憶にない行動をとっているのか、彼女の縋るような問いかけでわかった。
つまり、宮島さんもわたしと同じ体験をしている。一度過ごしたことのある日を、もう一度過ごしている。彼女の言葉を借りるなら、わたしたちはいつかの未来から今日の朝に「タイムスリップ」したわけだ。
すべてが繋がったわけではないけれど、これで一つ、疑問が解けた。
「信じるよ」
「ほんとに?」
「うん」
「……よかったあ~~」
宮島さんは気を張っていたらしく、肩の力を抜いて大きく安堵の息を漏らした。
「誰かに言いたくて言いたくて仕方なかったのお。でもこんな話、相手を選ぶでしょ? だから誰にも言えなくて、もうストレスで死んじゃいそーだったよ。やっぱり科学部だから信じてくれるの?」
どんぐり眼を輝かせる宮島さん。
どうやら、わたしが天文科学部だから信じたのだと思っているらしい。
かなり勘違いしていらっしゃる。むしろ科学オタクは、状況説明を求めて慎重に立証し疑いの余地なしと認めてから、ようやく信じる生き物だと思う。朴田なんかまさしく面倒くさいタイプのオタク。あの男に話していたら、鼻で嗤われていたかもしれない。
わたしは、宮島さんからの問いに首を振って答えた。
「ううん、そういうわけじゃない」
「違うの? あ、もともとタイムスリップを信じてるとか?」
再度、首を横に振る。
「信じてなかった」
「え……」
笑顔だった宮島さんの表情が困惑を作った。
「信じてなかったし、あまり興味もなかった。でも、今は信じてる。というか、信じるしかない。わたしも宮島さんと一緒で、タイムスリップしたみたいだから」
「そーなん……ぅえ?」
宮島さんのたおやかな口から素っ頓狂な声が漏れ出た。予想だにしていなかったようで、目はぱちくり口はあんぐり開けている。
その口を二回ほど閉じたり開いたりさせた後、椅子を倒すほどの勢いで立ち上がった。
「キャー! すっごーい! ほんと? マジ!?」
「う、うん……」
「ええ!? なんかそれってすごくない? 可奈一人だけだと思ってたら久保さんもタイムスリップしてたなんて! すごすぎっ!」
キャッキャと飛び跳ねてひと回りする。宮島さんの心が躍る一方で、わたしは自分の心が急速に落ち着きを取り戻していくのを感じた。興奮している人を見ると逆に冷静になれるって本当かもしれない。
わたしの怪訝な視線に気づいた宮島さんは、てへへと照れ笑いを浮かべながら倒れた椅子を戻して座り直した。
「ごめんね。ちょっと興奮しちゃった」
ちょっとどころか宝くじを当てたほどの騒ぎだったよ、というツッコミはさておき。他にも訊きたいことが山ほどある。
けれど、先に宮島さんが興に乗ったように芝居がかった言葉で尋ねてきた。
「まさか久保さんもタイムスリップしたなんて思わなかったなあ。久保さんはどの時代からやってきた人なの?」
「時代ってほど時間は超えてない。たぶん、一日。今日一日をやり直してるって感じかな。宮島さんは?」
「それ訊いちゃう? 実は可奈」咳払いを一つ。「百年後の未来からやってきたんでーす!」
両手を広げて、大したことない発表をさも重大かのように演出する。
わたしは表情を変えずに無言で宮島さんを見つめた。
「いやいや、反応してよ! 可奈、未来から来たんだよ?」
「うん……」
「あれ、この冗談ダメだった?」
こくり頷く。
「んー、そっか。ウケると思ったんだけどなあ。ちょっと嘘っぽすぎたかな」
こういう冗談を言われて咄嗟に上手な切り返しが思い浮かばない。「百年後の未来ってどんな感じ?」と冗談に乗ってあげればよかった?……わからない。だから苦手なんだ、宮島さんのような常に大喜利の世界で生きている人と関わるの。
吐息を零して気を取り直し、話を進める。
「とりあえず、宮島さんも今日をやり直してるって捉えていいんだよね?」
「うんそーだね」
「いつタイムスリップに気づいたの?」
「さっきだよ。階段から落ちて保健室で寝てるとき、夢を見てさ。それで起きて、『可奈、タイムスリップしてるじゃん!』ってなったんだ。いやあ、おかしーなとは思ったんだよね。なんか憶えがある会話してるなとか、この光景見たことあるなとか」
わたしと同じだ。タイムスリップしていると気づかないまま今日を過ごしていて、階段でぶつかって意識を失ったタイミングで思い出した。つまり、ぶつかったのが想起のきっかけとなった。
「わたしもぶつかったときに思い出した。すると、タイムスリップしたタイミングも一緒なのかな。わたしは夜寝るまでは憶えてるけど、宮島さんは?」
「可奈も!」
「じゃあ昨日の夜……というか、今日の夜? 寝る前にタイムスリップの原因になりそうなことをした憶えはある?」
「原因? あ、死んだらリセットされる、みたいな? ないない。ふつーにいつも通りユーチューブ見ながら寝たよ。寝てる最中の死ならわかんないけど、可奈の知るかぎりでは引き金を引いた憶えはないね!」
親指を立ててグーサインを送ってくる宮島さん。ついでに、練習しているのかと勘ぐってしまうほどきれいなウインク付き。
まさか今の質問から死んでリセットの発想に飛躍するとは思わなかった。
たしかに寝ている間になんらかの原因で死んでタイムスリップした可能性はある。どうして二人してタイムスリップしたのか、どうして急に思い出したのか。
原因は突き詰めようと思えば、どうとでも考えられる。
どうにでも理由がつけられるならこれ以上考えても仕方ない。
ふう、と息を吐いて目線を宮島さんに戻したとき、彼女がこっちをじっと見ているのにようやく気づいた。
「久保さん」
「え? なに? ごめん。何か話してた?」
宮島さんはかぶりを振った。
よかった。無視してしまったのかと思った。
「一つ、超重要なこと言ってもいい?」
人差し指を天井に向けるようにして立てて、宮島さんが言う。
この期に及んで何かと続く言葉を待てば、彼女が口にしたのは本当に重要なことだった。
「これ、タイムスリップじゃなくてループってやつなんじゃない?」
わたしは自分の瞼がつり上がるのを感じた。
そして、すぐに「どういうこと?」と眉を顰める。
「可奈のタイムスリップのイメージって、こう……体ごと時間を移動するみたいな? 記憶も体もその人ごと移動するのがタイムスリップだと思ってるのね。でも、今の可奈の体は、たぶん昨日の状態なんだよね。えーっと、つまりなんていうのかな……過去の可奈に今の可奈が乗り移ってる状態っていうか」
自分でも何を言っているかわからないのか、時折首を捻りながら話す。
言いたいことは理解できた。肉体はそのままに精神だけがタイムスリップしたと言いたいのだろう……けど。
「それがどうしてループになるの?」
「あ、いや繰り返しって意味じゃないよ? うまい言葉が見つからないだけで。ループはリセットの意味合いもあるでしょ。だから、記憶だけ残して今日がリセットしたんじゃないかなって」
そこまで言うからには何か根拠があるのかもしれない。尋ねてみると、宮島さんは頷いて立ち上がった。椅子に片足を乗せ、何を思ったかスカートをたくし上げ始めた。
「は? え、ちょっ……」
見てはいけないと咄嗟に防衛機能が働いて、目元を手で覆う。
信じられない。恥じらいとかないの?
「わお、珍しい反応。大丈夫だよ、短パン穿いてるし!」
いやそういう問題じゃ……。
「ていうか、見てほしいの」
そう言われたら仕方ない。指の隙間から縫うようにして宮島さんの脚を見た。
アスリートらしい筋肉のついたきれいな脚。根元には日焼けの線が入っていて、どれだけ炎天下の中で練習してきたかがわかる。宮島さんが言う通りスカートの下に黒色のショートパンツを穿いているけれど、それさえも裾をまくり上げているから若干水色の布が見えてしまっている。
宮島さんは「ここ」と言って、ちょうど日焼けの境目部分を人差し指で示した。特に変わったところはないように見える。
「昨日……というか、今日の夜? ここを『だるまさん』に引っ掻かれたんだよね」
……だるまさん?