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宇宙のピース

 可奈の雰囲気が変わった。声のトーンは変わらないのに、雰囲気だけが急に変わった。雰囲気と表現するのが曖昧ならば、顔つきが変わったと言えばいいのだろうか。目も眉も定位置に収まったまま、口角だけがわずかにつり上がっている。

 わたしは不思議な空気を醸す可奈に見つめられて、言葉を絡め取られたみたいに口を噤む。


「可奈、愛ちゃんに話してなかったことがあるんだ」


 そう、まるで良くない話をする前振りのような行間を置いてから話し始めた。


「愛ちゃんに無責任なこと言ったけど、言った言葉は本心だよ。卒業しても楽しいことなんてない。この先、大学に行って社会に出ても、待ってるのはつまらない人生だよ」


 可奈が今を楽しんでいるのは知っているけれど、だからといって未来を全否定しなくても。ネガティブな可奈はなんだか可奈らしくないような……ううん、違和感はそれだけではない。なんだか……。


 まるで、人生二周目みたいな言い方――。

「可奈ね、人生二回目なんだ」


 あくまで穏やかに可奈が語ったのは、この星々が一斉に降りかかってくるような話だった。

 少なくとも、わたしにとっては。


「いわゆる、前世ってやつだね。名前は憶えてないし、日本のどこで暮らしてたかも憶えてない。西暦も全然憶えてないなあ。でもね、なぜか高校のときが一番楽しかったってのは憶えてるんだよね。ちゃんと恋もしてたし。


 そうそう可奈ね、前世を含めても一度も彼氏ができたことがないんだ。今は茂手木にずっと片想いしてるでしょ? 前世では高校の時の恋をずっと引きずって、大学でも、社会人になっても、彼氏どころか好きな人すらできなかったんだよ。やばいよね。うぶうぶちゃんすぎて、いっそ心配になるよ。自分で言うなって話だけどさ。


 大学はそれなりに楽しかったよ。サークルに入ってたし、お酒もそれなりに飲めたし、交際費のためにバイトもしてた。他にも友達とヒーヒー言いながらレポート頑張ったり、将来に希望を持って就活したりして。


 あっ、言っとくけどこれ、ふつーのキャンパスライフ。ふつーのことをふつーにやってただけ。だから、それなりにエンジョイしてた。


 でも、新卒で入った会社は最悪だったなあ。なんていうんだろうね。働くことをボランティアか何かだと勘違いしてる会社。楽しければなんでもいいだろ、みたいな? 今でいう、やりがいの搾取ってやつだね。


 労基とかふつーに引っかかりまくりの労働形態だったし……って言ってもむずかしーか。休みなく働けって感じかな。仕事が楽しければむしろ働くのが休みだろっていう風潮が、社内全体に広がっててさ。怖いよ。みんな体育会系みたいなノリでずっと笑ってんの。もう一種の洗脳だよね。


 それが二年続いて……正直、死ぬ前のことは憶えてない。なんで死んだのかもわからない。で、目が覚めたらびっくり! 七月十九日の保健室にいたの」


「えっ……。保健室って」


 わたしは可奈の話を黙ってずっと聞いていた。可奈はジャングルジムの棒を掴んだり、彷徨うようにその辺を歩いたり、時折わたしの方をちらっと見たり、時には虚ろな眼差しを見せたり、落ち着かない様子でゆっくりと話を紡いだ。

 わたしはそれをひと言も漏らさないよう耳を傾けていたけれど、憶えのある話に不意をつかれて口を挟んでしまった。


「そっ。愛ちゃんとぶつかった後!」


 と、可奈はジャングルジムに飛び乗った。飛び乗っただけでよじ登ろうとはしない。

 可奈は一度死んだ。死んだはずなのに、目が覚めたらあの日の保健室にいた――ということ?


「タイムスリップしたわけじゃないよ。転生、ていうのかな? それまではふつーに宮島可奈として生きてたんだけど、愛ちゃんとぶつかって保健室に運ばれて、寝てるときに前世を思い出したんだよね」


 再びジャングルジムから降りた可奈。「それに」と話を続ける。


「そのとき思い出したのは前世のことだけじゃないよ。七月二十日のことも思い出した」


 もったいぶるような溜めを作った後、真実を口にした。


「愛ちゃんは七月二十日が来る前にタイムリープしたと思ってるみたいだけど、本当は、夏休みは来てたんだよ」


 七月十九日の終業式後にタイムリープしていると気づいたわたしが憶えている最後の記憶は、七月十九日のもの。金曜日のドラマを見たのが最新の記憶だ。わたしの中では七月二十日は迎えていない――正確に言えば、ドラマを見ている最中に午前〇時になったから日付が変わったのは知っているけれど、七月二十日の朝は迎えていないと解釈していた。


 でも、本当は七月二十日の朝を迎えていた?

 どういうことかと説明を求めようとしたけれど、尋ねるより先に可奈がくるりと向きを変えた。わたしに背中を見せたまま話を加える。


「だけどその日、可奈思っちゃったんだよね。夏休みに入って学校が休みになって、卒業まであとどのくらい学校に通えるんだろうって。このまま大人になるのかな、嫌だな、この時がずっと続けばいいのにな、って思っちゃったの。それで気づいたら、七月十九日に時間が逆戻りしてた」


 そう語る可奈が果たしてどんな表情なのか、こっちを向いてくれないので読み取れなかった。でも、「思っちゃった」という言い方からして、可奈は後悔や心苦しさを感じているのではないだろうか。

 背中を見せていた可奈が振り返ったことで答え合わせができた。


「だからたぶん、このタイムリープは可奈が望んだから引き起こったんだと思う」


 可奈は、どこか困ったように笑っていた。


「そうだったんだ……」


 なんて答えたらいいのかわからなくて、とりあえず相槌を打った。

 この「時間の魔法」がすべて可奈の心によって引き起こされたのなら、いくらわたしがタイムリープを終わらせたいと願っても意味がなかったということになる。すべては可奈が生みだした世界。可奈こそが神様なのだ。


 すると……。

 ここで疑問が生まれた。


「どうしてわたしもタイムリープしたんだろう」


 可奈の願いによって時間が巻き戻っているとして、わたしはどうしてそれに巻き込まれたのだろう。可奈が答えを知っているとは限らない。それでも訊かずにはいられなくて、可奈は考えながら答えてくれた。


「うーん、たぶんだけど。本当はみんなタイムリープしてるんじゃないかな。世界中の人、みんな。でも気づかなくて、階段から落ちたのをきっかけに可奈は思い出して、巻き込まれた愛ちゃんも気づいた」


 なるほど。どうしてわたしと可奈だけ、と狭い世界で考えていたけれど、時間逆行なんて大層な出来事、狭く考えるよりも世界規模で考えたほうが納得できる。

 可奈は、でも、と話を続けた。


「でも、可奈はそれだけじゃないと思う。階段でぶつかったのが愛ちゃんなのは運命だったんだよ。可奈とはまったく反対の考えを持つ愛ちゃんじゃないといけなかったんだよ、きっと」

「反対の考え?」

「うん。可奈は卒業したくない、このままでいたいって思ってる。愛ちゃんは早く卒業したいって思ってた。まったく反対の考えじゃん」

「たしかにそうだけど」

「まったく同じ考えの人といてもつまんないし。愛ちゃんが一緒にタイムリープしてくれたからもっと楽しくなった。だから、愛ちゃんは可奈のタイムリープに必要な存在だったんだよ」


 つまり、このタイムリープは可奈の現実逃避で、わたしはピースの一つに過ぎないというわけか。


「内的よーいん? と、 外的よーいん? 的なのが合わさった結果じゃないかな」


 できれば外的要因説のみを提唱したいところ、だけど。


「知能は戻らないんだ……」

「ね~酷いよねえ。記憶だけ戻ってもって感じ」


 苦笑を浮かべながら可奈はジャングルジムを登って、わたしの隣に落ち着いた。


 紺青の空に白く煌めく星々。天の川は内側から見た銀河系の姿らしい。

 その天の川を真ん中にして左右に一際輝く星、ベガとアルタイルがある。和名だと織姫星と彦星。そして、天の川を流れているように存在する明るい恒星、デネブ。この三つを繋げると、夏の夜空に大三角形ができる。


 七夕の時期になるとどうしてもその三つの星と天の川に注目してしまうけれど、そもそも三つの星はそれぞれ星座を形成する星の一つで、他にも星座が空に浮かんでいる。

 わたしが科学に興味を持ったのは、そんな「星」を調べたのがはじまりだった。


 昔、まだ母の実家で二世帯同居していた頃、飼っていたラフ・コリーのリゲルが老衰で亡くなった。一人っ子のわたしは特にリゲルに懐いていて、はじめは死というものが理解できなかったけれど、死んだら二度と会えないとわかると泣きじゃくった。


 そんなわたしをおばあちゃんが「リゲルは星になったんだよ。星になって、空から愛ちゃんのことを見守ってくれているよ」とあやしてくれた。


『じゃあ、リゲルには夜しか会えないの?』

『星は見えないだけで、いつでも空にあるんだよ』

『そうなんだ』


 リゲルは星になった。星は見えないだけで、いつも空にある。

 そうしてわたしは星に興味を持って、科学の入り口に立った。


 今となっては、星は天体でしかないとわかるけれど、もしかしたらリゲルはこの宇宙のどこかで天体となって存在しているかもしれない。そんな想いは高校生になった今でも持っている。わたしにとって星は、ある意味で生命の枕詞になっている。


 だからふと、というか、気になっていたのになんとなく口にするのをためらっていたことを声に出してみた。


「可奈、一度死んだんだよね」


 自分で言っておいて身震いがした。話を聞いたときも衝撃だったけれど、改めて口にすると恐怖心が一気にのしかかってきた。

 なのに、可奈は平然と頷いた。


「怖かった?」

「言ったじゃん。憶えてないって」と笑う。

「保健室で全部を思い出したときは?」

「うーん。そのときはちょっと怖かったかも。死が思ったよりも身近にあってびっくりした」


 可奈は明るい調子を声に乗せながらも、途方に暮れた先で思わず笑ってしまうような笑みを浮かべた。


 この世界は可奈を中心に時間が動いている。わたしがいくらタイムリープを終わらせたいと願ったところで、誰にも届かない無意味な願いだった。

 だとしても、わたしも一緒にタイムリープしたことは無意味だった、とは思わない。


 ――愛ちゃんが一緒にタイムリープしてくれたからもっと楽しくなった。


 前世で悲しい結末を迎えた可奈に生まれ変わった後の世界で幸福を感じてもらう、その一端にわたしがなれているなら、タイムリープはとても価値があるものだったと思える。ピースの一つに過ぎなかったとしても、パズルを完成させる残り一つのピースになれたのならこれも必要なことだったんだ。

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