星空のジャングルジム
わたしたちは、そこから歩いて三分くらいのところにある公園にやってきた。
わりと広い公園で、ブランコや滑り台、ジャングルジム、鉄棒など遊具も多い。昼間は子どもで賑わう公園、夕方になって子どもが帰ると学校帰りの学生が寄り道で使う。たまにキッチンカーが停まっているからだ。
ただ、夕食時を過ぎた今、公園には誰の姿もなかった。
高い位置で見ようという可奈の発案で、わたしたちはジャングルジムに登る。
可奈はショート丈のインナーにシースルーのシャツを羽織り、下はジーンズの短パンを穿いているからいいけれど、わたしは制服。上はまだしも下はスカートだから、パンツが見えないかと心配だ。
スカートの中を気にしながらジャングルジムを登りきった。
ジャングルジムに登るのなんて何年ぶりだろう。屋上に比べたら高さはないけれど、地面から見るより空が近くなって眺めやすい。
「さっきのカップル、仲直りできたかな」
わたしは、公園に来るまでの道中で教えてもらった話の続きを促した。
どうして怒って帰っていったはずの彼氏が、急に態度を変えたように彼女のあとを追ったのか。それにはどうやら可奈が一枚噛んでいるらしい。
というより、そもそもさっきのカップルが可奈の知り合いらしい。あそこで会ったのは偶然だけど、二人が喧嘩別れした後に彼氏――高ちゃんを引き止めて話をし、可奈の説得で高ちゃんが思い直して引き返したのが事の真相だった。
「高ちゃんとれなぴね。大丈夫だよ。険悪なムードにはなるけど、数日で仲直りするから」
そうか。タイムリープしているから、あの二人がこの後どうなるのか可奈は知っているんだ。
「一度目のときも可奈が仲介したの?」
そう尋ねると、可奈は微苦笑しながら「してないしてない」と手を振った。
「一度目は可奈、わーぴーたちと一緒にいたし。今日は一人で散歩しててたまたま、たかれなと会ったんだ」
たかれな――つまり高ちゃんとれなぴは、本当だったら喧嘩したまま別れたということになる。そのまま数日間の険悪ムードに突入した二人は、結局は仲直りするけれど、星を見ることは叶わなかったのではないだろうか?
「じゃあ、今日仲直りしたら一緒に星を見れるんだ」
何気なくそう呟くと、可奈はこの世の真理に気がついたみたいに目をガン開いた。
「そーだね、そーいうことになるね! てことは可奈、ちょー大手柄じゃない? だって――」
大げさに腕を広げ、空を見て言う。
「こんなきれいな星空を好きな人と見ることができるんだもん!」
可奈の動作におびき寄せられるように、わたしも空を見上げた。
不思議だった。さっきまで曇って見えていた星空が、今はとても晴れやかに見える。一つ一つの星が丁寧に輝いて、ここにいるよとでも言うかのように主張している。
一度目に見たときよりもずっと、星が心に落ちてくるようだった。
「可奈、ごめん。わたし、可奈に酷いこと言った」
視線を隣に落として、可奈の目を見てもう一度、「ごめん」と謝る。可奈は「ううん」と首を軽く振った。
「可奈も、無責任なこと言っちゃった。ごめんね」
お互いに謝った後、一瞬、場がシーンと静まり返った。その唐突な沈黙が恥ずかしくなって、わたしたちは頬を緩ませるようにして笑い合った。
言ったことは取り消せない。一度口に出してしまった言葉はなかったことにできない。それでも、相手を傷つけてしまったと少しでも後悔があるなら、しっかり謝らないと。可奈がわたしと「これからも友達でいたい」と言ってくれたように、わたしも可奈とこれからも一緒にいたいから。
可奈は微笑んだ後、「そういえば」と前置きした。
「愛ちゃんは、どうして怒ってたの?」
そう尋ねてきて、すぐさま言葉を付け足す。
「あっ、可奈が愛ちゃんを怒らせるような態度をとっちゃったのはわかってるんだけど」
自分のせいだと可奈に思わせてしまったことに、わたしの心が痛んだ。すぐに誤解を解く。
「可奈は何も悪くない。それに、怒ってたわけじゃない。わたしが勝手に……嫉妬して、イライラしてたの」
「嫉妬?」
ちゃんと誤解を解こうとするとどうしても話さないといけないのだけど、いくら可奈でもそれを口にしないといけないと思うと気が引ける。言った瞬間、敗北者の烙印を押されるような、そんな気がしてしまう。
でも、言わないという選択肢はなかった。
「清沢先生ね、結婚するんだって」
惨めに思われないようなんとか声を明るく弾ませるつもりが、慣れない振る舞いをしようとしたせいで、声が震えて逆に動揺しているみたいになってしまった。
「え!?」と、短く大きな声が届く。隣では、どんぐり眼がこれでもかというほど開いている。笑っちゃうくらい、わかりやすいなあ……。
わたしは、そんな可奈から視線を外しながらも話を紡いだ。
「それ聞いて、わたしショックで……。そのことを知った後に可奈と茂手木くんを見かけたから、幸せそうな二人を見て羨ましくなっちゃったんだ。それで……」
それでわたしは、あんな酷い態度をとってしまった。
視界の片隅で可奈が俯いたのがわかった。珍しく考え込んでいるように思える。呆れられてしまっただろうかと少し不安になる間を置いた後、呟くように訊いてきた。
「……いつ?」
結婚がいつかと訊きたいのだろう。わたしは、可奈がこっちを見ていないとわかりながらもかぶりを振った。
「まだ婚約らしい、から独身ではあるね。けど、もう間に合わない。わたしが卒業するまでに結婚する。タイムリープしてなくても、結局、間に合わなかったんだよ」
言葉にすると、現実として受け止めざるを得なくなる。
最初から、無意味な恋だったんだと――。
目頭が熱くなるのがわかって唇を噛んだ。また間が生まれる。可奈はなんと反応すればいいのか迷っているようで、何も言ってこない。もしくは、単にわたしの話の続きを待っているだけなのか。
わたしは、結んだ唇を解いて想いを語る。
「世の中には不倫のニュースが溢れててさ、離婚のニュースも溢れててさ、結婚の価値観って軽く感じるよね。むしろ愛のある略奪だったら許されそうな雰囲気すらあるよね。なんかそれっぽい理由を並べとけばいけそうな雰囲気ある。でも、わたしは無理。地獄に墜ちる覚悟があったとしても、先生が他人の人生を預かる覚悟を持った時点でわたしは諦める。自分一人が良い思いをするために人の幸せは壊せないよ……。まあ、そもそも見向きもされないだろうけど」
たとえば、もうすでにわたしが先生の人生の一端にいて、のっぴきならない理由で引き離されそうになっているなら考えも違ったかもしれない。それこそ、略奪も視野に入れたかもしれない。
けれど、実際は一方通行の想い。見向きもされないが自虐にならない現実だ。そりゃ無理だよ。自分を押し通すことなんてできるわけがない。
「結婚する前に略奪するのじゃダメなの?」
黙って聞いていた可奈が口を開いた。なんとも自信なさそうな質問だった。まるで最善策でないとわかっていながら、何か言わなきゃいけないと無理に提案しているような言い方。わたしは毅然と答える。
「清沢先生は絶対に生徒に手を出さない。見た目で誤解されがちだけど、そういう先生なんだよ。ていうか、そういう先生だから好きになったってのもあるし」
昔――二年生になったばかりの頃だったかな。いや、まだなっていなかったかもしれない。清沢先生が女子の先輩たちと談笑しているそばを偶然通りがかったことがある。
『生徒に告白されたことある?』
話し相手は見るからにギャルな三人組の先輩たちで、会話を聞いたのはそこから。どういった流れでそういう話題になったのかわからないけれど、つい耳を傾けたくなる内容だったから悪いと思いつつも足を止めてしまった。
『ノーコメント』
『あー! あるんだ、その反応! え、付き合った?』
『ねえよ。仮にも教師だぞ? 生徒に手出すわけねえだろ』
『えーでも、女子高生だよ? ラッキーとか思わない、ふつー』
『普通は思わねえよ。漫画の見すぎだ』
『じゃあ、どうしたら先生と付き合える?』
『え、由香、先生のこと狙ってんの?』
『キープしとくには良い男じゃん、清沢先生って』
『卒業した後、そういう腐った考えを持つ大人にならずまっとうに生きてたら、一人の大人として見てやるよ』
『マジ!?』
『いや由香、喜ぶなよ。間接的に腐ってるって言われてんだよ』
そのときからだ。早く卒業したいと思うようになったのは。
早く卒業して早く一人の大人として見てもらいたい──そう思った。
「愛ちゃんはそれでいいの?」
可奈が顔を覗かせながら訊いてきた。
「うん、いい。もういい。卒業までは抱え続けるかもしれないけど、どうせ卒業したら会わなくなって忘れるよ。一生の恋ってわけじゃないし、また人を好きになったら上書きできるんじゃないかな」
話しているうちに、声が震えることも言葉にするのにためらうこともなくなって、すんなり気持ちを声に乗せられるようになっていた。これがわたしの本当の想いなのか、それとも虚勢を張ってごまかしているだけなのかわからない。わからないけれど、「もういい」という言葉は意外にも都合が良かった。
もう先生のことで悩まなくていい。そう思うと、心が楽になるような気さえする。
「そっか、そーだね。恋は恋で上書きできるもんね」
明るい調子で言うと、可奈はジャングルジムから飛び降りた。それなりに高さがあるのに、軽々と地面に着地してみせる。さすがは運動バケモン。
しかし、振り返ると、こちらを見上げる表情がきつく結ばれて真面目腐った。
「……でもね、愛ちゃん。その恋心、上書きできなかったらどーするの? 時間は解決してくれないよ」




