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ポニーテールの約束

7月12日(金)はれ

 球技大会なんてこの世からなくなってしまえ


 *


 七月十二日金曜日。

 空は快晴、気温は適温、体調良好。さあついに迎えてしまった、球技大会。

 気分は今日の青空が皮肉に感じるほどとっても憂鬱です。


 可奈と三日間特訓したとはいえ、果たしてたった三日で何か変わるのでしょうか。

 わたしたちの結論では意識のみタイムリープしているので、体は一度目の七月十二日の状態である。つまり、捕球が体に染みついてないし体力も筋肉もついていない。いくら特訓したところで、結局はわたしの感覚だよりになるということ。


「感覚があるのとないのとでは全然違うから、きっと何かが変わるよ!」とは可奈のお言葉で、彼女に倣ってポジティブに考えることができなくもないけど、その感覚を信じられるほど自分を信じていないから、結果的に前回の七月十二日と変わらない久保愛で今日を迎えている。


 そして、前回の今日よりも気分は最悪だ。

 前回は、スポーツするのやだなと思う程度だったけれど、今はそれにプラスしてトラウマアルバムを抱えている。ぺらりとページをめくるように、簡単にトラウマの映像が思い浮かぶ仕様だ。


 そんなわたしの心情とは裏腹に、朝の校舎は行事特有の浮つきを見せている。

 中にはわたしのようにスポーツに対する陰鬱を抱えている人もいるだろうけれど、たとえ苦手な運動だとしても一日授業がないことへの悦びがそれを打ち消しているらしい。

 みーんな、楽しそっ。


 競技は八時五十分から始まる。スマホで時間を確認すると、現在八時四十一分。第一試合を見ようとみんなが移動を開始している時間帯だ。

 うちのクラスはどの種目も初戦が第二試合以降なので、時間には余裕がある。寝坊して髪を結べなかったからトイレで結ぼうかな、と教室を出てきたけれど、この混雑ならもうちょっと遅く出てこればよかった。

 戻るのも面倒くさいので、空いていそうな二階のトイレへ向かう。


 階を一つ下りただけで生徒の入りが違う。まったく人がいないわけではないけれど、職員室や印刷室があって普通教室がない二階は人気が少なかった。

 これならトイレも空いているだろうと賭けに勝った気分で歩いているとき、


「あっ! 愛ちゃん!」


 前から三人組の女子が歩いてきた。和田さんとちえるさんと、それから可奈だ。

 可奈もわたしに気づいて、大きな声で名前を呼び、駆け寄ってくる。


「おはよ!」

 と、距離感を間違えているとしか思えない大声で挨拶してきた。

「おはよう。相変わらず元気だね」


 体を除いて不調のわたしと違って、可奈は見るからに絶好調そうだ。

 いつものポニーテールに、いつものインディゴ色のリボン。

 いつもの明るい声。いつもの全開の笑顔。


 体育祭のときに作った見慣れないクラスTシャツと首元にぶら下がる笛を除けば、そこにいるのはいつも通りの宮島可奈で、それにやる気が加わるのだから絶好調でしかない。


「もっちろん! 愛ちゃんは? 調子どう?」

「まあまあかな」

「そっか。でも、愛ちゃんが今日来てくれてよかったよ。休んでないかなってあとで確認しに行こうと思ってたんだ」


 それはまあ……フォローのリクエストを許可した後にあんな鬼電と鬼メッセが来たら、来ないわけにはいかないよね。とりあえず、そのことのお礼は言っておこう。


「電話くれてありがとう。遅刻するところだったよ」

「おー、それはよかったよかった。あ、じゃあ髪結んでないのもそのせい? 愛ちゃん、運動するときはいつも結ぶもんね」


 いつもってわけではないけれど、可奈と特訓したこの三日間はずっとローの位置で一つに結んでいた。


「これからトイレで結ぼうと思って」

「そーなんだ。……あ! いいこと思いついた」


 パチン、と指を鳴らす可奈。

 可奈が何かを思い立ったとき、それは大抵わたしにとってあまりよろしくない提案だ。


「せっかくだからおそろいの髪型にしよーよ。ほら、友達同士でおそろにするの流行ってるじゃん」


 やっぱりね。ろくな提案じゃない。

 流行っているかはともかく、体育祭や球技大会になるとなぜかいつもと違うことをやりたがる人たちが現れる。その最たる例が、おそろいのヘア。


 編み込みを入れたり、ポニーテールで合わせてアクセサリーをつけたり。友達やクラスメイトとおそろいの髪型にするだけだけど、クラスごとに作ったTシャツと体操服のパンツを着ているので同じ髪型にするだけでおそろいコーデっぽくなる。それが団結感を生むらしく、球技大会をそうやって楽しむ人たちが一定数いる。

 どこかのクラスでは女子全員でお団子ヘアにしているらしい。


 わたしは大体それを、おもしろいことを考える人がいたもんだなあ、と端から眺めるだけ。もしクラスの女子でお団子ヘアにしようと誘われたら、自分には似合わないからどうにかして回避する道を探るだろう。

 いかにもな青春イベントはわたしには無縁の話だから、唯々諾々と受け入れるわけにいかない。


「おそろいって……可奈がわたしに合わせてくれるの?」

「違うよー。愛ちゃんがポニテにするの! それで可奈と同じリボンを結べばおそろになるじゃん。可奈、替えのリボン持ってるし!」


 持ってるんだ……。

 可奈のリボンは包装に使うようなどこにでもあるものだけど、同じ物を使っている人はまずこの学校を探してもいない。だから、珍しくないけど特別ではある。

 それをつけただけで可奈とおそろいだとわかるだろう。


「いいよ、わたしの長さだとポニーテールにできないし」

「できるよ! 可奈がやってあげる」


 わたしのみっともないダサダサポニーテールも、可奈がやってくれたらいくらかはおしゃれになるのかな。慣れている人のほうがきれいに結べるだろうし。

 可奈とおそろいかあ……。

 いや、けっこう難易度高くないか?


「え、ダメ?」と、可奈が覗き込んでくる。

「ダメっていうか……」


 このわずかな時間に想像しただけでも違和感がすごい。

 学校の有名人と陰で生きる一般人のおそろいは、下手したら一般人が有名人を真似ていると受け取られかねない。そして、イタがられる。うーん……。

 返答に困っていると、可奈の名前が呼ばれた。


「可奈あ、試合に遅れるよ」


 わーぴーこと和田さんだ。最初に見たときは廊下の向こうにいたのに、可奈と話している間にわたしの後方にある階段まで移動していた。


「あ、そうだった!」


 呼ばれた可奈は、わかりやすくはっとした。途端、早口になって、


「可奈、これからバレーの審判補佐をしないといけないんだ。とりあえず一試合だけだから。それが終わったら時間あるから可奈のクラスに来て! 結んであげる」


 そう言い残しながら駆けていった。

 シーンと静まり返る廊下。気づいたら人の姿がなくなっている。


 可奈は日向みたいな人だけど、実際に関わると嵐のような人だとも言える。

 騒がしくて常に全力で、突っ走ることしか知らない。

 だけど、嵐よりも厄介で……。

 過ぎ去ると、嵐は晴れ間を見せてくれるのに対し、可奈は一人でいるときよりも虚しい静寂を残していく。

 嵐の前の静けさに巻き戻った気分にさせられる。


「……仕方ないよね」


 わたしは半ば諦めのように呟いて、来た道を引き返すことにした。



 バレーボールの一試合目が終わった頃合いを見計らって、三年五組の教室に向かった。二組の教室から行くと廊下を曲がらないといけないけど、同じ階にあるので大した労力じゃない。

 しかし、五組の教室に可奈はいなかった。それどころか、クーラーはついているのに教室の電気が消えていて、人っ子一人見当たらなかった。


 一人もいないとなると、別の種目で試合があってそのまま応援に出ているのかな?

 それなら連絡を入れて出直したほうがいいかもしれない、と踵を返そうとしたときだった。教室の出入り口から中を覗いていたわたしはくるりと方向転換し、誰かにぶつかった。


「わっ! すいません」

 盛大に顔面をぶつけながら咄嗟に謝る。

「ごめん。大丈夫?」

 ぶつかったのは茂手木くんだった。

「うん大丈夫」

 鼻を押さえてそう答えつつも鼻先に熱を感じる。


 どうやら茂手木くんの鎖骨辺りにぶつかったらしい。茂手木くんはサッカー部の中でも目立つ高身長で、わたしとは二〇センチ近く身長差がある。怪我させずに済んでよかったけれど、その代わり、トラウマがストロボのように蘇った。

 球技大会の日に鼻をぶつけるなんて不吉すぎる。


「ほんとに大丈夫?」


 不吉な予感に、わたしは顔面を青白くさせていたらしい。茂手木くんが心配して顔を覗き込んできたので、手を下ろして「大丈夫」とすぐに笑顔を繕った。

 痛いのは鼻ではなく心なので。


「そっか、よかった。ところで、うちのクラスの前でどうしたの?」


 茂手木くんは安心したように微笑んだ後、そう尋ねてきた。


「可奈……」じゃなくて「宮島さんを探してて」

「宮島ならバレーの審判して、そのままクラスの試合の応援に行くと思うよ。この後、男子バスケの試合があるから」

「あ、そうなんだ」


 それで教室に誰もいなかったんだ。たぶん可奈は、そのことを忘れて「時間がある」と約束してしまったのだろう。合点がいけばもうここに用はない。


「何か伝言があるなら伝えようか。俺もこれから応援に戻るから」

「いいの。大したことじゃないし、また来るから」


 教室の出入り口を塞いでいたわたしは退いた。茂手木くんが教室に入る。

 さて、戻ろうか。約束を勝手に取りつけてきたほうがいないのだから破棄ということで。

 しかし、三歩ほど歩いたところで足を止めることになる。

「あっ」と、忘れ物に気づいたような小さな声が後ろから聞こえてきたから。

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