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病的なデジャブ

7月19日(金)はれ

 今日は終業式

 1学期が終わった

 すごいニュースがあった

 なんと(みやび)先生が結婚するんだそう!

 でも、結婚と同時に退職するんだって

 2学期には学校やめて海外に行くらしい…寂しいな…


 *


 吹き口から生まれたシャボン玉が、ふわふわと上昇していって、なんの前触れもなく割れるかのように目が覚めた。


「……っ」


 息が詰まる感じがした。怖い夢から覚めたような感覚だ。


 大して荒くもない呼吸を整えていると、薬品の匂いが鼻を刺激した。ごわついたタオルケットが体にかけられていて、ホテルを思わすサイズの大きい枕に頭が沈んでいる。特徴的な薄橙色のカーテン。ここは保健室だ。


 ああ、やっぱり……。

 せっかく怖い夢から覚めたと思ったのに、目覚めた世界こそ悪夢だった。


 しばらくわたしはそこを動かなかった。微動だにせず、唇を噛み締めることでこの現実から目を背けようとした。


 けれど、何もしなければ何も変わらない。なぜか部屋に響く二つの声に向き合うことにして、保健室のベッドで寝るに至った訳を思い返してみることにした。




「デジャブくらい誰にでもあるでしょ」


 朴田(ほのきだ)が言った。

「そりゃあね」体育館の木目をなぞりながらわたしは答える。


「来たことないはずの道に見覚えがあったり、知らないはずのドラマの展開を知ってる気がしたり。そのくらいならわたしだって、何度も経験したよ。でもね、そういうのとは明らか違うんだって」

「何が」

「なんていうか、もっと、こう……夢より現実的っていうの? 写実的な」


 たとえば……と、頭を起こして壇上に立つハゲ頭こと校長先生を見やる。落ち武者のような頭がトレードマークの校長先生は現在、まもなく突入する夏休みの注意事項を読み上げていて、ねっとりした喋り方で生徒たちの眠気を誘っている最中だ。


 この光景自体はデジャブではない。高校三年にもなると、体育館の壇上に立つ校長先生とその前に軍隊のように並ぶ生徒の、ある意味で異常なこの光景は見慣れるものだ。むしろ、この光景をあと何回見られるかカウントダウンが入るところまできた。

 これをデジャブと言いたいのではない。


「さっき、うさぎの話をしてたでしょ。昨日、飼育小屋から逃げ出したっていううさぎ」

「それを捕まえたって話ね」

「そうそう。それ、わたし話を聞く前からその話されるの知ってたんだよね」

「予知能力者じゃん」


 朴田は変わらない低いトーンでわたしの話に受け答えする。さては信じてないな。もしくは人の夢の話ほど興味が湧かないものはないと、ベルトコンベアの自動作業的に耳から耳に流しているな。


 朴田は、黒いサラサラヘアをマッシュルームの形に整えるクラスメイトの男子。一見すると童顔気味で中学生と間違えそうになる容姿だが、その顔に潜る表情はこの世のすべてに絶望し悟りを開いた僧侶のよう。

 わたしとは小五からの知り合いであり、志望大学が被っているのでこのままいくと大学まで同じの腐れ縁になる予定である。


 さらに同じクラブの仲間でもあるが、その実、距離感は隣の隣に住む知人並み。こうして一学期を締めくくる終業式の真っ最中に並んで話をすることはあっても、家に帰ってメッセージを送り合ったりすることはない、関係を言い表すのに困る仲だ。


 デジャブとは既視感のことで、既視感とは違和感のこと。わたしは今朝方からデジャブという名の違和感に悩まされている。病的、と言ってもいい。ある意味、病気。それほどまでに見覚え、聞き覚えのある現実を送っている。

 終業式が暇すぎてそのことを朴田に相談してみたけれど、ご覧の通り、為になる回答は得られなかった。


「わたし、ついに能力者になっちゃったか。予知ってどの程度の立ち位置。ラスボス級?」

「足手まといのヒロインってところじゃないか」


 冗談を言えば冗談が返ってくる。


「それにしても、理系の申し子に文学の才があったとはね。その理を生かして小説でも書いてみたら?」

「誰が理系の申し子よ」

久保(くぼ)のこと」


 朴田が皮肉めいて言う。

 久保とはわたしのことだ。本名を久保(あい)といい、理系クラスに所属している。

 さては、この前の期末テストでわたしに大好きな化学で一点負けたのをまだ根に持っているな。意外に粘着質な男だ。


「あのさあ、こっちは真剣に訊いてるんだけど。この前のテストより真剣だよ?」

「あっそ。じゃあ真剣に答えるけど、終業式中にする話じゃないだろうよ」


 校長先生を見据えたまま答える朴田。この男のこういう冷淡なところは小学生の頃から変わってないにしても、もう少し親身になって考えてくれても……。

 まあ、基本属性が淡白な朴田に温情を求めるのも野暮かもね。


『姿勢を正して! 礼!』


 気がつけば校長先生の話が終わっていて、教頭先生が号令をかけた。さっさと次のプログラムに移る。


『続きまして、国語科の花井(はない)先生のお話です』


 司会進行の教頭先生の口から唐突に花井雅先生の名前が出て、生徒たちからどよめきが生まれる。生徒指導に携わるような立場ではない一教師がわざわざ終業式の場で話をするのは、まったくないわけではないけれど稀だからだ。


 わたしは声を出さず表情も変えず、舞台の階段を上る雅先生をじっと見つめる。

 雅先生は中央の演台の前に立ち、マイクを手にした。


『おはよっ……おはようございます』


 校長先生が話し終わりにスイッチを切ったらしく、一度目のおはようがマイクに乗らなくて照れ笑いを浮かべる雅先生。


『突然、ごめんなさい。夏休み前に皆さんにお話したいことがあって、時間をとっていただきました』


 雅先生の面持ちにそこはかとない緊張が帯びている。

 花井雅先生は二年四組を担当する国語科の教師。歳は三十……二十九だったかな。いつも笑顔で明るくて生徒人気が抜群の先生だ。


 授業担当になったことがないのであまり話した憶えがないのだけれど、朗らかな容姿に反して肝っ玉の据わった女性というイメージがある。急に来賓の外国人の相手をしないといけなくなったとき、わたしたちレベルの英語力でさも自信ありげに応対していたのは記憶に新しい。


『私事ではあるのですが、このたび、すてきな縁に恵まれまして結婚することになりました』


 雅先生が柔和に紡いだのは、結婚発表だった。伝えられた瞬間、体育館中に「ええぇぇ!?」と驚愕の声が響き渡る。この前、電撃結婚を発表した俳優並みの衝撃だ。


 しかし、わたしはそれでも無反応を示す。


 なんでだろう。雅先生が結婚することは今初めて知った新事実。みんなのこの驚きようから察するに誰にも漏らしていなかったと思う。なのに、前に聞いた憶えがあるような気がする。

 春一番ならぬ夏一番の強いデジャブだった。


 雅先生は、生徒たちの喚声が一旦冷めるのを待ってから話の続きを紡いだ。


『そして、結婚相手の海外転勤に伴い、八月をもちまして退職することにしました』


 再び轟く「え」の音。今度は驚愕というより阿鼻叫喚の大悲鳴。体育館が割れるよう。


『クラスを受け持っているのに年度の途中で退職するのはとても心苦しいのですが、相談に乗ってくださった先生方の後押しもありこのような決断に至りました。二学期からは副担任の福田(ふくだ)先生が二年四組を担当してくださいます。……急な話でごめんね』


 啜り泣く生徒を見つけて、雅先生の口調がやんわり軽くなった。


『でも、八月末まではできるかぎりみんなの力になりたいし、先生方へのご恩も返していきたいから毎日学校に来るつもりだよ。いつでも会いに来て。こんな私を慕ってくれてありがとう』


 そうして雅先生は、最後は聖母のような微笑みで話を締めくくった。


 雅先生の結婚発表を、果たしてわたしは初めて聞いただろうか。

 雅先生が結婚し退職する、しかも海外に移住すると初めて知っただろうか。

 ──いいや、発表される前からなぜか知っていた気がする。


 今朝起きてからこれまで、わたしはこういった、なんか聞いた憶えがあるような、なんか見た憶えがあるような、といった違和感に悩まされている。


 いつもはつけないチャンネルの星座占いでおとめ座が十二位になるところを目撃してしまったり、登校途中に寄ったコンビニで前に並んでいたバンギャル系のお姉さんのイヤホンから漏れる音がロックではなく哀愁漂う失恋ソングだったり。朴田にはそのことを話したのだけど、デジャブと言われたらそれまでの小さな出来事ばかりだった。


 しかし、雅先生の結婚&退職という衝撃的ニュースはこれまでと違う大きなデジャブ。果たして、デジャブで片づけていい出来事なのだろうか。


 と、疑問が吹き口から顔を出すシャボン玉のようにぷくりと膨らんだところで、極めつけの事件が起きた。

 それは、終業式が終わって教室へ戻る途中のこと。わたしはもう一度、状況を整理しようとうわの空で階段を上がっていた。


「危ない!」


 その声が飛び込んできたのは顔を上げるより前か後か忘れたけど、とにかくわたしは顔を上げた。すると、青い背中が降ってくるではないか。チェックのスカートに青色のシャツを合わせる我が校伝統の夏服を着た女子の背中が、わたしに向かって迫ってこようとするのだ。


 ずいぶん、ゆっくりと迫ってくる。

 スロー再生してるのかってくらい、ゆっくりと。

 実際は刹那的な出来事だったのだろうけど、わたしには目の前の光景がそう見えた。


 落ちてくる背中を前に、わたしはその場を退こうとはしなかった。そこがおまえの守備範囲だから死んでも守れと命じられたラグビー選手のごとく立ち止まったまま、華奢な背中をじっと見つめる。


 視界のすべてが青い背中に侵され、ふんわりと柑橘系の匂いが鼻腔を掠めた直後、お尻から後頭部にかけて言いようのない衝撃が走った。


 薄れゆく意識の中、わたしが思ったことは一つ。


 ──これは、デジャブじゃない。


 ただそれだけだった。

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