94話 葵
94話です。
よろしくお願いします。
闇の深さから、深夜に目覚めたのだとわかった。
ひどく重たい体を無理矢理起こすと、
隣にはソーニャと伊都子が眠っていた。
「どうして・・・?」
曖昧な記憶のピントを合わせるために四苦八苦していると、
伊都子が目を覚ました。
「葵ちゃん。
ああ、良かったぁ」
握られた手が温かい、確かに自分は生きている。
「伊都子さん。
それより、一体どうなったの?」
喜ぶ彼女を押し留めると、葵は全ての経緯を聞いた。
得たものはなく、失ったものだけが目の前に羅列されていく。
何も考えられなかった。
気が付いたら部屋を出て、屋上にいた。
途中誰かに声をかけられた気がするが、気のせいかもしれない。
眠ったかもしれないが、ずっとこのままだった気もする。
星が綺麗で、風からはしっとりとした草の匂いがした。
星空も空気も澄み渡っているくせに、
何度か遠雷が響いたのが不思議だった。
傍には三毛と虎が張り付いている。
少し離れたところに、銀の気配もあるような気がする。
幸運なことに、従者達は葵に何かを言うことはなく、
ただ息を殺しているようだった。
朝になる。
美しい朝日は、なんら感慨をもたらさない。
階下から足音が近付いてきた。
足音はドアの前で止まり、しばらく沈黙した。
苛立ちを覚えた葵は、立ち上がり足早に背後のドアへ向かった。
乱暴に開いたドアの向こうには、すずが立っていた。
「あ」
嬉しさがこみ上げてきたが、それ以上の暗雲が胸中にはあった。
2人は目を合わせたまま、立ち尽くす。
「あの、葵。
2人が目を覚ましたから、すぐに保健室に来てって」
すずの言葉を受けた途端、こころが鬱屈した。
鬱屈は葵の表情を濁し、結果すずを脅かした。
黙っている間、すずは猛獣と一緒の檻に入れられた
羊のように静かにしていた。
その様子を見て、なぜか無性に苛立った。
怒りが体の内部からせり上がってくる。
「あ、あの・・・」
沈黙に耐えられなかったのか、すずが口を開く。
口角には、わずかな歪みがあった。
それを葵は真剣さに欠けると捉えた。
ひどく直情的な判断だったのはいうまでもない。
だが、この瞬間と、この場では、
葵は火傷をするような切実さと真剣さを求めていた。
返事をせず、すずを見た。睨みつけたといってもいい。
「私を助けて、くれたんだよね?」
あの時、確かに葵はすずを抱きしめていた。
だが、助けたのとは違う。
「聞いたんだ。外人の子から」
「外人・・・?」
キーラかソーニャのことだろう。
舌を噛んだ。
すずが何を言っても、怒りが湧いてくる。
彼女の脇を通り抜けて、鉄製のドアに向かった。
◇
保健室には、スカー以外の全員が集まっていた。
ソーニャとキーラがこちらに近づいてきたが、
葵は一切反応しなかった。
沈黙という拒絶を示すことで、みんなと距離を取った。
その態度は、自らに斧を振り下ろすような行為だったが、
他にどうすることもできなかった。
黒と赤が練り混ざったオーラが部屋の中心に見えた。
結希だ。
神々しいまでの黄金のオーラは、今はひっそり色を消している。
激しい戦いの後遺症か、両手は紅く亀裂のような傷跡が残っていた。
悲壮感漂う彼だけが、自分の気持ちを理解してくれるのではないかと思う。
だが、
<山﨑くんを殺したのは、結希だよ>
思いは、その声に押し潰された。
葵は返陽月を胸に抱いて、彫像のようにじっとしている月子を見た。
目の下に、涙の通った痕が見える。
彼女の片腕は肘の辺りから無くなっており、
見る者に痛々しいのを通り越して、虚無を与えた。
彼女の首すじから白いオーラが霧のように立ち昇っている。
白いオーラは初めて見た。
見てはいけないものを見たような気持になって、あわてて視線を逸す。
あれは自分が触れていいものではない。
ああ、結局自分は独りなのだ、と葵は沈んだ。
「みんな。
ちょっといい?」
伊都子はぴんと張り詰めた顔を、ひとりひとりに向けた。
葵はどうしても伊都子と目を合せられなかった。
「まずは、今の状況を理解して、
これからどうしたらいいのかを、考えたいの」
すずとは違い、伊都子の声には切実さと真剣さがあった。
それなのに、葵は吹き出すのを止められない。
「ぷっ、くくっ・・・」
なぜ自分は笑っているのだろう。
わからない。
伊都子の不安そうな視線がこちらに向いたので、
すばやく顔を両手で覆い隠した。
「ぷ・・・くくく・・・くしししし」
笑いは大きくなっていく。
自分はおかしくなってしまったのだろうか。
「あ、あの・・・。
清十郎さんから、スカウトさんのことを教えてもらいたいんだけど」
「わかった」
葵は顔を隠したまま、清十郎の声を聞いた。
「率直にいうと、『3人』を閉じ込めておける時間は短い」
清十郎の言に、「もうちょっと説明しろ」
と紫が神経質そうに言った。
清十郎はため息をつくと、
さも言いたくなさそうな声色で次の言葉を発した。
「スカーは今、眠らずにダニエル達を閉じ込めている。
眠ってしまうと『ポータル』が解除されるからだ」
「スカーはほとんど疲れないって」
キーラが慌てた様子で言った。
「そうだな。
それは、スカーが今の状況まで考えていなかったことが原因だ」
「どういうこと?」
戸惑うキーラに清十郎は刻むように頷いた。
「スカーは多分、あいつらを殺すつもりだった」
「え?」
「『ポータル』であいつらを挟み潰せば、
拘束する時間なんて考える必要ないだろ」
「そんな」
子どものキーラにとっては、思いもよらぬ意見だったのだろう、
瞳が小刻みに揺れていた。
「なるほど」
紫が顎を引いてため息をつく。
そこには木枯らしが浮いているようだった。
「そう。
だから、今ダニエルを拘束しているのは、
スカーにとっては思いもよらないことだった」
清十郎がスカーへの思いを胸中に抱き、眉間を寄せる。
「あと、何日保てるの?」
おそるおそる伊都子が訊いた。
「スカーは7日と言っている。
みんなには好きに過ごして欲しいって」
清十郎の声は重かった。
長い間、人は休まずにいられない。
もしかしたら、今すぐにでも『3人』が出てくるかもしれない。
そうなったらまた戦いが始まる。
乾いた口の中から空気を抜いて、歯を食い縛った。
ロックに与えられた恐怖は、葵の胸に根づいている。
怖くてこわくて仕方がない。もう、彼には二度と会いたくない。
絶望のおかげで表情が消えたので、手を除けて視線を彷徨わせた。
視線が定まった先は、やはり結希だった。
<山﨑くんを殺したのは、結希だよ>
差し出そうとした手足が、ふれられたナメクジのように引っ込む。
「何か方法がないか考えてみる」
キーラのオーラは、スープのように濁っていた。
清十郎が苦渋の表情を浮かべつつも、
これからどうすべきか、という建設的な方向へ話を進めた。
清十郎は悲しくないのか。
矛盾を感じて、どんどん殺伐とした気持ちになっていく。
「葵ちゃん。
何か意見があったら、教えてね」
隣に来た伊都子が、葵の肩に手を触れた。
彼女に抱きしめられたい衝動と、振り払いたい激情が交差する。
感情が爆発してしまいそうになって、伊都子から一歩退く。
「いや・・・わたしっ」
そのまま背後に呼ぶ声を残して、保健室を飛び出した。
校庭を真っ直ぐ突っ切って、自分の肩の高さがある校門を飛び越えた。
着地をした直後、ひっくり返りそうな酷い眩暈がして、
葵は柵に寄りかかる。
「う・・・」
前髪を鷲掴みにして痛みに耐えていると、
片目にガーゼが貼ってあるのに気付く。
あの時『呪視』は自分を裏切って暴走した。
もう、力を貸してくれることはないだろう。
この目も、完全に潰されてしまったのかもしれない。
もう一生見えないかも、と、どこか他人事のように思った。
「・・・どうでもいいよ」
示し合わせたように、三毛虎と銀が校門の外で待っていた。
<葵さま>三毛が慎重に声を出す。
返事の代わりに、盛大に顔をしかめて見せる。
こんな反応でもないよりマシなのか、三毛が安堵のため息をついた。
彼らの方へ歩きすれ違うと、従者達はついてきた。
「葵」
結希の声がした。
遅々として振り向いた目に、心配そうな彼の顔が入ってくる。
その背後で、テニス部の横断幕が大きくはためいた。
あんなもの、まだ引っかかっていたのか。
結希が自分を追って来てくれたのだという感動が、
泥のように醜いこころによって塗りつぶされていく。
<山﨑くんを殺したのは>
何も面白くないはずなのに、葵はまた吹き出した。
笑いも収まらないうちから、
「なにか用なの」限りなく拒絶に近い声色で喚いた。
結希は何か大切なものを落としたような表情になった。
「葵・・・どこに行くの?」
彼はまるで幼児をあやすように言った。
そうするのも無理もない。
ここに立っているのは、世界でも指折りの愚か者だ。
「ここじゃないところ」
天地を憎むかのごとく歪めた目で彼を見る。
「・・・ど、どうして?」
結希の発した言葉が感情を点火させる。
しかし、葵は一旦大きく息を吸い込んだ。
思いきり怨嗟をぶつけるためだった。
「どうして・・・っ?!
なんで、そんなこと聞くのよ!!!
ばかなのっ?!
あのさっ。
結希ってば、なんで私を責めないのさっ?!」
彼の口が壊れた自動ドアのように、幾度も開閉する。
「あ、葵・・・」
潰れた方の目から、痛みと血が流れ出た。
痛みと血は、深いところで自身の怒りと繫がっている。
「おかしいじゃんみんな!!
私が言い出したことで怪我をして、
クロエさんだって、死んだ!!」
叫んだら今度は可笑しくなってきて、葵はまたくすくすと笑った。
軽薄な笑い声が、喉から零れ落ちていくのが止まらない。
笑い続ける葵を、結希は蒼白な顔で見ていた。
「でも、クロエさんは・・・」
彼のオーラは枯れた草のような色をしている。
そうさせているのは、きっと自分だ。
「知らないわよっ」
断ずる一言は、吐き捨てるように放つ。
彼から背を向けた。
「私は行く。ついてこないで」
歩き出すと後ろ手を掴まれた。
「触らないで」
彼の鍛え抜かれた腕は、『呪視』でも使わない限り、
ふりほどけそうにない。
もう自分のことなんかどうでもいい。つかってやろうか。
凶悪な思考が首をもたげる。
だがそれだけは、残りカスのような理性で踏みとどまる。
代わりに葵は―――それはある意味、最も残酷な行為でもある
―――三毛と虎に視線を合わせた。
「三毛。虎」
目顏で結希を排除しろと指示を出す。
その内容が信じられないのか、2匹は戸惑い始める。
「三毛」
<葵さま・・・それは>
項垂れる三毛から視線を外し、虎を呼んだ。
「虎」
<ボクは、結希を傷つけるにゃんて・・・>
虎が緊張したように背筋を伸ばすが、結局は動かない。
2匹とも、自らに爪を立てて命令に背いていた。
無理もない。2匹とも、結希が大好きなのだから。
唇を戦慄かせ、
「あんたら2匹は、肝心な時に役立たずだっ!」
三毛と虎がびくりと体を震わせた。
「葵。
ごめん。僕は・・・」
結希はひどく落胆した様子で言った。
そうだよね。
私がこんなことになって、がっかりだよね。
「なんで、結希が謝るの?」
ぎりぎりと唇を噛みしめると、血が出てきた。
「葵。
僕は、葵と話さないと」
「何を話すっての?
私はみんなを傷つけた。クロエさんを殺してしまった」
「葵が殺したんじゃないよ。僕が弱かったんだ」
ただ反射的に答えたような台詞に苛立ちが募る。
「結希が言いたいことって、そんなこと・・・?
あんたのせいじゃない。
私よ。
もとはと言えば、私が言い出したんだから。
月子さんがああなったのも、
羽生先生と植山先生が死んだのも、みんな私のせい!!」
「ち、違うよ・・・」
「何が違うって言うの?
結希に何がわかるの?」
葵の言に、沈黙が横たわる。
自分が望む答えを、優しすぎる結希が答えられるはずもない。
「何の考えもないくせに、感情だけで否定しないでよ!!!」
「葵、僕は・・・」
手を振り上げて、思い切り結希の顔を叩いた。
『麒麟』を使わずとも避けられるだろう手を、彼は一切避けなかった。
キーラの時と同じ、彼はそういう人だから。
叩けばたたくほど、葵の中でごっそりと抜け落ちるものがあった。
だが、感情に任せて怒鳴りつける。
「何で結希が謝るんだよ!
あたしを責めてよ!!」
頬に爪を立てると、赤い切れ目が彼の顔に生じた。
結希の瞳に悲痛が浮かび、頬に朱がさした。
葵の手が掴まれて、微動だにしなくなる。
「僕は・・・みんなを助けたかったんだ」
「それなら・・・っ」
両手を封じられた葵は、額を思い切り結希にぶつけた。
「それならさぁ・・・っ!!
助けてくれたら良かったじゃない!!!
羽生先生も、植山先生も、クロエさんも!!
あんたがスーパーマンみたいに、全部全部っ
助けてくれたら良かったんだ!!」
彼の手が焼けた炭に触れたように離れた。
葵はなおも言いつのった。
「手も足も出ずに、死にかけたくせに!!」
思い切り意地悪そうに、結希を傷つけるような言い方をした。
勢いは止まらない。
「山﨑くんを殺したくせに!」
手で口を塞ごうとしたが、完全に遅かった。
「あ・・・」
言い過ぎた。
言い過ぎた。
言い過ぎたよ。
駄目だよ。
駄目だ。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめん。
一番許せないのは、私。
結希に背を向けると、とたんに涙が吹き出してきた。
罪悪感に頭が沸騰しそうだった。
葵は、三毛と虎の手を借りなければ、立っていることすら困難だった。
何とか銀の背に乗ると、逃げるようにその場を離れた。
ありがとうございました。
次回も近く更新いたします。




