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87話 ダニエル

87話です。

よろしくお願いいたします。

「やー。

参ったな」

ダニエルは、頬を緩めて呟いた。

<まいったね>

闇に落ちた一言を、ロックが拾ってくれる。

手足を伸ばしてのんびりしてから、うっすらと笑みを浮かべる。

ダニエルは亜空間に閉じ込められた時にどうするべきか、

あらかじめ話し合っていた。

手筈通り、ロックは動いてくれた。

ロックは普段巨大な鳥の姿をしているが、

場合によっては指に止まるくらいの小さな鳥や狼や、

熊、犬、猫、人間の姿にもなることもできる。

また、ロックは今までに出会った生物や外敵を吸収し、

体内に数えきれないほどの命を抱えている。

その命はロックの意志によって形を変え、

僕として思うままに働かせることができた。

ロックは亜空間に閉じ込められた時、

その力を使って、ダニエルと陽子を体内に取り込んだ。

陽子とダニエルは、

ロックの体内にあるいくつもの命達の仲間入りを果たしたわけだ。

なぜロックが2人を吸収したかというと、

亜空間に生じている強力な斥力と引力が、

とうてい人間の体では耐えられるものではなかった為だ。

おそらくスカーは、亜空間内に斥力を生じさせ、

ダニエル達を押し潰そうと目論んでいたに違いない。

「あてが外れたな」

「そんなことよりここせまい」

ダニエルのすぐそばにいる陽子が、不満そうに唸った。

ともあれ、ダニエルと陽子はロックに喰われたものの、

彼の温情により、自我や体の一部を維持させてもらっている状態だ。

「まぁ、そう言わないで。

生きてるだけでも幸運だよ」

「そうかもしれないけど今の状況はちょっと特殊過ぎて

慣れないっていうか」

思い切り厄介な目に遭った、と言わんばかりに陽子。

此処では隙間なく大小さまざまな命が蠢いており、

陽子とダニエルは生暖かいその中で、

のんびり横になっているような感覚だった。

確かにこれは慣れないな、とダニエルも思う。

<外に出られた時は、すぐに元通りにするからね>

ライブ会場に近い、臨場感のあるロックの声が聞こえた。

「ロックには悪いけど早くそうしてくれると助かるわね」

ダニエルは響くロックの脈動に合わせて、

ゆっくりとしたペースで呼吸を繰り返した。

しばしの沈黙ののち、

「ちょっとごめんロック責めるつもりじゃなかった」

陽子がしんなりとして謝る。

<いいよー>とロックが柔らかく言った。

ダニエルはロックと陽子の他愛ない会話を聞くのが好きだったので、

黙っていることにした。

だが、2人の会話はあまり弾まない。

原因は、あまり仲間たちに言いたくないことを、

腹の中に入れたままのダニエルにあった。

2人がこちらが話をするのを待っているのを感じる。

ダニエルはさんざん迷ったあげくに、口を開いた。

「ロックに言いたいことがある。

これを聞いた陽子は・・・怒るかもしれないな」

「え何なに?なんの話?」

陽子がこちらに身を寄せてくる。

しばらくすると、目の前に小さなリスの姿をしたロックが現れた。

「えっかわいー」

陽子がリスを手の平にのせると、指先で撫ぜた。

「ロック。

陽子の機嫌を取ろうとしても駄目だぞ」

<ちぇー>

わざとらしく咳払いをすると、2人がこちらに向き直る。

「ロック。

日本に彼らがいることを知っていたんだろ?

もっと言うと、フォルトゥーナに力を与えられた彼らだけれど」

目を細めると、陽子の手にのっている

ロックが怯えたように身を震わせた。

<うん>

「ちょっとっ知っていたってどういうこと?!

月姉のことも知ってたの?」

陽子がリスを丸のみにする勢いで大きく口を開いた。

<う、うん>

「理由は、葵だろう?」

<・・・うん>

ロックが慌てた様子で首をくるくると動かした。

「確かにロックはあの子を殺したくなさそうだった」

苛立っている陽子に目を向けると、

ダニエルはゆっくりと言った。

「ロックは葵を大切に思っているように見えた。

生前に彼女に会っていたんじゃないのか?」

陽子は興味を無くしたように目を閉じた。

<陽子。

怒らないの?>

戸惑うロックに陽子は息を吹きかけた。

「怒らないだってロックは

いつもダニエルの言いなりだったんだから

少しくらい良いわよ好きにやったって

私なんてずっと好きにやってんだから」

陽子がダニエルに視線を移す。

「私は怒らないけどダニエルは?」

「自分も怒らない」

<え。

そうなの?>

「うん。

ずっとアジアから遠ざけようとしているのを知っていたし」

<それなのに、黙っていてくれたの?>

「ロックがそうしているのには、

何か理由があるのだと思っていた」

<ごめんね。

2人とも、黙っていて>

ロックが陽子の頬に触れた。

「じゃあ理由教えてよ」

「確かに。

ここまで来たら、知りたいね」

<それが、まだちゃんと思い出せないんだ。

葵の顔だけは、しっかりわかるんだけど>

「ふーんあっそう」


<陽子は葵が嫌いなの?>

「そうね自分が偽善者であることに気付かないで

なおかつ自分のやることに酔っているようなやつは嫌い」

毒舌を発揮する陽子にロックは鼻白んだ様子で、

<すごい言い草だなぁ>という。

ロックの反応に陽子は気を良くしたのか、

「知らないわよ別にどうでもいいどうせ殺すしさ」

なぜか得意げに言った。

「まぁ。

陽子の本命は、お姉さんだから」

「そうそ最後に月姉を殺せるのは本当にボーナス」

声色は純粋な少女のようだった。

<・・・まぁ、陽子に怒られなくて本当に良かったよ。

もしそうなってたらと思うと怖い>

ダニエルは脳裏に火の海となった街を浮かべると、

ロックに同意した。

「そこはお姉さんのおかげだな」

ロックが笑った。

<ふふふ。そうだね。

月子がいてくれて本当に良かった>

「・・・そうだロック。

外の様子はどう?」

鼻歌を歌っていた陽子が、

並べた教科書のように真面目な顔で言った。

<亜空間は、不思議な場所だ。

色がない。時間の流れもない。

でも、空気はある。

その辺は、もとの世界とはあんまり変わらないみたい>

「じゃあ、外に出ても大丈夫なの?」

陽子が訊いた。

<いや。無理。

さっきも言ったけど、すごい力で押さえつけられて

身体が自由に動かないんだ。

2人は外に出たら、すぐに死んじゃうよ>

「えー」

心底残念そうに陽子が喚く。

「このままの状態を維持できそうか」

<それは全然問題ないよ。

2人ともゆっくりしててね>

「ゆっくりってこのままでどうしたらいいの?」

「どうするかは、少し休んでから考えよう」

ダニエルが言うと、陽子があきれたように呟いた。

「あんたはのんびりしすぎなんだよばーか」

陽子が鼻先に触れそうなほど顔を近付けてきた。

無防備な表情に、血液が逆流しそうになる。

ダニエルはあくまで平静を装い、

「それはわるかったね。

でも、次で必ず終わりにするから」

「ちゃんと殺させてね」

不満そうに唇を窄めた陽子が、頭を差し出してきた。

ひどく乾いた髪を、手の甲で優しく撫でてやる。

「わかった。陽子のためだもの」

「絶対よ」

「うん。ぜったい」

「絶対の絶対」

「はいはい。ぜったいのぜったいな」

同じような問答を繰り返して宥めていくうちに、

彼女はやっと溜飲を下げた。


   ◇


ダニエルの故郷は、黒人差別の厳しい場所だった。

父によると、以前は近所にKKKの事務所があったらしい。

事務所は解体されて久しいが、

それでも根強い差別は地域に残っていた。

3ブロック離れたところに住んでいた従妹は、

散歩をしていた時に白人達に追いかけ回されて殺された。

その上、不起訴だった。

こんな事件など、自分達の世界では珍しくない。

基本的に黒人は外を散歩できなかった。

そんな街で父は母と出会い、ダニエルと妹のビサが生まれた。

家族はひっそりと暮らしていたのだが、突然母が病気で亡くなった。

母が亡くなり、下りた保険金で父は小さなドライブスルーを始めた。

貨物用トラックや農業用のトラック、観光客が少し、

白人が寄ることはあまりなく、地元の黒人がよく集まった。

母がいなくなって寂しかったのだろう、

父は失った愛を埋めるためによく働いた。

妹は学校に行かず、家の仕事を手伝った。

ダニエルは学校に通い、陸上でハイスクールに推薦されたが、

それを蹴って父の手伝いをすることにした。

父は反対したが、ダニエルはどうしても家族のために働きたかった。

商売はすこぶるうまくいった。

父は小さなドライブスルーを2度改装してから、

40ブロック離れたところに新たな店を作ると、

父はいつの間にか、地元の仲間達から

名士のような扱いを受けるようになった。

ダニエルが推薦を蹴ったことを

父が責めなくなった頃、妹が結婚をした。

妹は兄であるダニエルがいうのもおかしいが、

器量良しで、幼い頃から男達に人気があった。

結婚式は新しい店を使って盛大に行われた。

この時が、ダニエルの人生の最盛期だったといえるだろう。

だが、上がった後は当然、下りが待っているものだ。

昼前、店の仕込みをしていると、電話がかかってきた。

受話器からは、「お前の父親が殺された」という言葉が聞こえた。

誰にやられたのか訊くと「警察」という返事が返って来た。


ダニエルの世界が暗転した。


家を出る前。

父は「野菜を買って来る」と言った。

その他にも、何かを言っていたかもしれない。

だが、ダニエルは仕込みの手順に気を取られて覚えていなかった。

父が何といっていたのか、思い出せない自分が忌々しい。

父の乗っている車には、野菜しか載っていなかった。

そんな父を、警察は薬物中毒者だと決めつけた。

警察は、無実の父に上から体重をかけて腕を折り、

首を捩じり上げて息の根を止めたのだという。


悲劇を前にして、

しかし、

ダニエルは冷静だった。


以前。


母がいなくなって苦しくないかと、父に訊いたことがある。

父は笑って、「今は亡くなったお前の母親と、

お前たちの尊厳のために、頑張っている」と言った。


尊厳。


父のいう、目には見えない、尊厳とやらのために。

まだ生きている妹と家族のために。


ダニエルは冷静でいることを決めた。


ダニエルは、店の前に集まって

煽るように質問を投げかけてくるマスコミに冷静に対処した。

しかし、こころの底でダニエルは、必死で自分の怒りと戦っていた。

父を殺した警察官はほんの軽い処分で終わった。

父の命がどれほどの価値だったのか、

値札を見せつけられた気分だった。

父の命には、一握りの尊厳すら与えられなかった。

落胆は大きかった。

何もかも壊して消し去ってしまいたい衝動に駆られる。

しかし、ダニエルは父の言葉を思い出す。

自分が壊れてしまえば、父の尊厳が破壊される。

ダニエルは必死で自分の憎しみと戦った。

疲弊は凄まじく、身体中の体液という体液が外に吹きだそうとした。

己の憎しみとの戦いは、まさに命を削って行うべきものだった。

何度、アタマの中であの警官を殺したかわからない。

ダニエルは頭の中で警官を殺しながら、

仲間達が暴動を起こそうとするのを止め続けた。

憎しみと尊厳。

2つの相反するものが、自分のこころを分割していく。

正気を失わなかったのは奇跡と言っていいだろう。


だが、2度あることは3度ある。


もしかしたら4度でも5度でも、

黒人と白人がこの世にいる限りあり続けるのかもしれない。


妹家族が白人の集団に殺された。


親族を集め、庭でバーベキューをして、

姪っ子のバースデーを祝った翌日だった。

偶然通りかかった白人の車が、バースデーパーティーを目撃し、

不快に思ったことが原因だという。

罪が発覚し、犯人も特定されたのに、まだ警察は動かない。

分割されたこころの片方が、もう片方を覆い尽くした。

だから銃を持って走り出した。


   ◇


ダニエルは、泥沼のような夢から、

引っこ抜かれるように目を覚ました。

とても長い夢だった。

ダニエルはなぜこの夢を見たのか分かった気がした。

結希を前にした時に感じた郷愁だ。

自分は原点に帰る必要があったのだ。

ダニエルは胸に手を当て、鼓動と血潮とこころを感じてみた。

こころが、未だ憎しみに厚く覆われている。

あれから、一体どれほどの人を殺しただろう。

どれだけ殺しても、こころはわずかな晴れ間すら迎えなかった。

小さな矛盾が生じた。

父が言った、尊厳という言葉も、汗とともに浮かんできた。

呪いのようなそれらを

何か理屈をつけて封じ込めてしまうよりも、

あるがままにした方が良いとダニエルは決めた。

<起きた?>

ロックは陽子を起こさないよう、小さな声で言う。

「うん」

<ダニエルの夢。

見えたよ>

ダニエルは眉間にしわを寄せたが、すぐに頷いた。

ロックの一部であるから、そういうこともあるのだろう。

「そうか。

まぁこれで、ロックに隠すものはなくなったな」

<そうかもね。

でも、どうするの?>

ダニエルの過去を知ったロックの問いは、

様々な意味を内包しているため、一言で答えることはできなかった。

だが、ダニエルはどうしても一言で応じたくなった。

唇を丸めて温めてから、「どうもしなくていい」と言ってみる。

しばらくすると、それこそがふさわしい一言だと気付く。

<何もしなくていいの?>

「うん。

あとは、少し待つだけで良い」

ダニエルにはそれが手に取るように理解できている。

<どういうこと?>

「スカーはこの状態を作るのにかなり苦労している。

だから、今はじっと待てばいい」

<なんでそんなことがわかるのかわからないけど、

ダニエルが言うなら>

ロックはダニエルをすぐに信じる。

それは今までダニエルが言ったことがすべて正解だったからではない。

きっと何を言っても盲目的に信じることに決めているのだ。

<あのさ。

ダニエル>

「うん」

<いまさ、葵のこと少し思い出したよ>

「どんなことを思い出したんだ?」

かつて歳の離れた妹にしたように、ダニエルは問うた。

<うん。

きっと僕が僕になる前だと思うんだけど>

「ミーミルに会う前?」

<うん。

優しい子だったんだ>

ロックの声音を聞いて、

ダニエルはロックが滅びを望んでいるのかと疑った。

だから、「そっか」と極力短く返事をする。

<葵のこと、とても気になってるんだ>

「わかった。

でも、陽子もいるし。

いざとなったら、すぐに終わってしまうと思う」

慎重に言葉を作ると、ロックはしししと笑う。

<そうかもね>

いざとなったら、自分がロックの代わりに全員殺す。

ダニエルは思い出す。

結希と葵、陽子の妹である月子。

あの3人は全然駄目だった。

ダニエルや陽子と比べて、意志の力が著しく弱かった。

殺し合いというのは、意志と意志のぶつかり合いだ。

強い力がある者同士であれば、最終的には強い意志のある方が勝つ。

あの3人全員分の意志を使っても、ダニエル1人の憎しみには勝てない。

<でもさ、ちょっとくらい話す時間あるよね?>

「相手次第だ」短く応じる。<だったら>

ロックはあらかじめ決められた原稿を読むように言った。

<ダニエルと結希は話すべきだと思う>

言葉はダニエルのこころに深く染み込んでいった。

「そうかもね」

語尾が、ほんの少しだけ後ろめたい気持ちへ振れた。

ダニエルは、ロックにだけは申し訳ない気持ちになれる。

自らに残された人間性の一部が、

ロックの存在によって維持されているという証拠かもしれない。

<できればで良いから>

ロックの口調は真摯だった。

ダニエルはロックの気配がする方を見た。

そこにはすべてがあるが、逆に何もない。

「最後かぁ・・・長いようで短かった」

<ふふ。

その口ぶりは、外に出られることを確信してるみたい>

「みたいじゃない。

確信している」

かつて妹が兄にしてくれたように、ロックは笑ってくれた。

<それなら、陽子も安心するだろうね>

ダニエルは、腕の中で眠っている陽子を見下ろす。

「安心する・・・のかなぁ・・・?」

<そりゃあそうさ>


自分のことはいい。

だが、この子は。


<陽子のこと。

心配なんでしょ?>

こころを見透かされたダニエルは、

しずかに寝息を立てている顔に触れる。

「陽子は、自分になんか心配されたくないだろうね」

<確かに>

優しく、だがきっぱりとロックが言った。

<陽子に最初から迷いはなかった。

でも、ダニエルはいいの?>

答えずただ堰き止められた何かを放つように、鼻から息を出す。

これから訪れるのは、ふさわしい最後だろう。

ふと、ダニエルは空気を塩辛く感じた。

ここから解き放たれた時、自分は全てを滅するだろう。

それも、凄まじい速さで。

だから、凶悪な思いで結希に願った。

彼の持つ力が、少しでも鋭利になりますように。

ありがとうございました。

次回も近日中に更新いたします。

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