86話 結希 ダニエル
86話です。
よろしくお願いいたします。
おそらく『困難を与えられる程に強くなる肉体』のおかげだろう、
体のいたるところを槍に貫かれてなお、結希は生きていた。
結希の視界にはダニエルのブーツしか映っていないが、
代わりにたくさんの音が聞こえた。
三毛と虎の鳴き声。
銀の吠える声。
地面を蹴る音、戦う音。
途中で陽子の悪態も響いてきた。
三毛と虎の声が聞こえなくなった。
やがて銀の声も、ある瞬間からぷっつりと途切れた。
結希は『雷獣』を使って脱出を試みたが、
雷は発生すると同時に槍を伝って地面に流れてしまい、
為す術がなかった。
静寂が訪れる。
「・・・」
何かが引き摺られてくる。
集中した結希の聴覚は、今にも途切れそうな息遣いを捉えた。
ブーツが動いたことでひらけた視界の中に、
顔面から夥しい血を流している葵が倒れ込んできた。
「う・・・っ」
結希は必死で彼女に触れようとしたが、
槍に縫い止められた手は届かない。
「すぐには死なさないから」
陽子が高らかに笑っていると
「陽子」ダニエルが遮る。
「何?」返事は鋭かった。
「殺す前に、
少しだけ彼らに話があるんだ。
その後は、好きにしていいから」
「・・・わかった」
不満そうに目を細めると、
陽子は葵の頭部に唾を吐くと、結希の視界から消えた。
体を縫い止めていた槍が、ひとりでに浮かび上がり、
結希は体を持ち上げられて空中に制止した。
となりを見ると、葵の方も何かの力に持ち上げられていた。
陽子が刀を使って、葵の顎を無理矢理持ち上げる。
一瞬だけ、彼女の顔が見えた。
血と土でまみれた顏からは、表情が失われている。
「結希と葵。
ロックから話は聞いている」
ダニエルは左足にかけた体重を右足に変えながら、
ゆっくりと腕を組んだ。
「君達は、女神から力を与えられている特別な人だ。
それなのになぜか、他の人を助けていた。
どうしてなのか教えてくれないか」
彼の目は、虫の観察をする5歳児のように好奇心に満ちていた。
今後に及んでダニエルが持つ狂気の理由を探す結希は、
ただの人でしかなく、ただの人である結希は、
ダニエルに心底恐怖するしかなかった。
「早く答えて」
陽子はすぐにでも葵の喉を切り裂いてしまいそうだ。
結希は血霧を吐きながら答える以外にない。
「困ってる人がいたから・・・助けた」
さぞ期待外れだったのだろう、
ダニエルが左右に首を振った。
「嘘だ。
行動に移す前に、何か感情や思想が浮かんだはず」
結希は観念したように目を閉じる。
「わ、わからない・・・」
実質の敗北宣言だったように思う。
「あ・・・あああう」
声が聞こえた。
葵の片目が恐怖に見開いて、ひたすら涙を流している。
その姿を後生だと思って、じっと見つめた。
彼女の瞳には青い空と、キーラのドローンが映っていた。
結希は、口の中に溜まった血を吐き捨てる。
「待ってくれ・・・。
死ぬ前に、いきさつを知りたいんだ」
「いきさつ?」
ダニエルと陽子が、不思議そうな表情で目を見合わせる。
「時間の無駄よ」
陽子を手で制して、ダニエルが結希へ視線を伸ばす。
「そんなことを聞いて、何になる?」
痛みで震える体に力を入れる。
「生きることって、束の間だ」
ダニエルが、意外そうな表情をしてから、
言いたかった何かを飲み込むように口を閉じる。
じりじりとした時間が経過すると、
「・・・それで?」
ダニエルは本格的に結希の話を聞く気になったようだった。
「生きるってことは、死ぬことと隣り合わせだ。
こんな世界になってしまってから、よくわかったんだ」
彼は直立不動であったが、時間のないサラリーマンのように、
指先をトントンと動かして神経質そうな仕草をする。
「で?」
「僕は、だから、あんたらの
いきさつを知りたいって」
「どういうことさ?」
こちらに向けた顔を背けると、ダニエルが空を仰いだ。
結希はうまく言葉にできない自分を呪った。
きっと清十郎だったら、
ダニエルのこころに響くような言葉が言えるのだろう。
「答えられないってこと?」
黙り込んだ結希に向かって、ダニエルは退屈そうに長息した。
腰に手を当てると、
「・・・まぁ、そうだろうね。
大体の人は、自分が何をしているのか、
一生わからないまま終えてしまうものだ」
彼はうんざりしたように言った。
「結希。
思いを言語化するのはとても大事なことだ」
陽子が静かな笑みとともに、結希の首を掴んだ。
刀の先端を人体の弱点に押し付ける。
「言語化できない人の思いは、浅いんだ。
自分は頭の中で幾度も思いを言葉にしてきた。
だから、君よりも力があるんだよ」
「こ、こんなことをする、・・・正当な理由があるのか?」
「あるさ。
でも、言葉を持たない結希は、
知る権利を持たない」
死刑宣告を終えたダニエルは、数歩下がると陽子に目配せした。
「くだらない男」
陽子が呟くと、膝を落として体重移動をした。
その時だった。
◇
ダニエルが感じた最初の異変は、わずかなものだった。
結希の息遣いが妙に間延びしている。
周囲の時間が、ゆっくりと流れている気がする。
掌を見つめながら少し揺らした時、
時間がゆっくりと流れているのではなく、
自分が凄まじい集中力を発揮しているのだと気付く。
集中力は外界ではなく、内面にも作用した。
脳裏に浮かんできたのは、少年時代の記憶である。
走馬燈というやつかもしれない。
人は死ぬ直前になって、走馬燈を見るらしい。
死ぬ寸前の一瞬の間で、
今まで経験したことの全てを思い出すのだ。
だが、おかしい。
そうなるべきは、目の前で死にそうになっている結希であって、
自分ではない。
ダニエルに向かって滑空してきたドローンを、
火炎とともに飛び上がった陽子が両断する。
ドローンの残骸がすぐ傍の地面に落ちて、
2度バウンドした後動かなくなった。
ダニエルが「うむ」と声を出すと、
陽子はゆったりとした動作で太刀を肩に担いだ。
「ダニエル」
声をかけられる前から、陽子の目を見ていた。
サファイアのように赤い陽子の瞳は、喜々としている。
戦えるのが嬉しいように見える。
だが。
普段の苛烈で刹那的な行動からは想像できないかもしれないが、
本来の彼女は争いを好む性格ではない。
ドローンの襲撃を受けて、
彼女が少し不安な気持ちになっているだろうことを、
ダニエルだけが知っている。
「ダニエル」
何かを案じた陽子がもう一度繰り返す。
煤にまぎれて、彼女の髪の匂いがした。
2人に男女関係はない。
ダニエルが拒否をしたからだ。
あの日のことは、思い出したくない。
それなのに、ダニエルにとって重大なあの日を、
思い出さざるを得ないのだ。
『3人』のうち、一番多く殺したのはダニエルだ。
だが、一番残酷に殺したのは陽子である。
特に男を殺すとき、陽子は非情になった。
ダニエルは炎で男達をいたぶる陽子を見ていると、
なぜか彼女の美しい肢体が男達に犯されるのが思い浮かんだ。
だから、陽子が望む瞬間が訪れても、
ダニエルにはできなかったのだ。
陽子は聡い女性だから、
そんなダニエルの気持ちを察したのかもしれない。
泣き叫びながらダニエルを責める代わりに、
彼女はより多くの殺戮を求めるようになった。
「ダニエル」
語気を強めた彼女を見ながら、
ダニエルはそのずっと奥、ずっと遠くを見ていた。
遠くを見るということは、過去を見るということに他ならない。
だが、ダニエルの行為を邪魔をするように、
何かが起ころうとしている気配が、周囲に充満している。
嫌な予感がダニエルのうなじを何度も擦ってくる。
だのにダニエルは陽子から視線を外さなかった。
<ダニエル>
上の方からロックの声がした。
声は風に運ばれてきた花びらのように、ダニエルに届く。
過集中が呼んだ郷愁はとても乾いていた。
乾きは色彩を奪うが、代わりに鮮明さを際立てる。
この旅を始めた当初、ダニエルはロックと2人きりだった。
思えば、ダニエルはずっと自分の死を望んできた。
今日、死のう。
今日こそは、死のう。
その思いは常に、復讐心よりも大きかった。
今でもその気持ちは変わらない。
だが、ロックと過ごすうちに。
もうちょっと。
あと、ちょっと。
もうちょっと、続けてみよう。
そんなあとちょっと、を繰り返していくうち、
陽子に出会い、気付けば、もう終わりが見えてきた。
もともとは互いの狂気というきっかけで生まれた、
『3人』の友情―――友情と表現することが適切かは分からない
―――だが、それこそがダニエルをここまで生かしてくれたのかもしれない。
郷愁から身を起こすと、
ダニエルは顎を天に向け、ロックと視線を交わした。
直後、女神の噴水が吹き出した。
水柱は上空7~8メートルの高さがあり、
太陽の光に反射して3色の虹を作った。
<塩辛い>ロックが言った。<こりゃ海水だ>
「海水?」
何かの考えに至る間際、次の事態が引き起こされた。
校舎から、2人の子どもが走って来たのだ。
金とも銀ともとれる、薄い色の髪の毛をした子どもだ。
さながら天使のように手を取り合いながら、楽しそうに駆けてくる。
男の子が足を止めて、こちらを見た。
「おーい。
こっちにおいでよ!」
平和に育った男の子が言いそうな台詞だった。
男の子に追いつこうとして慌てた女の子が転んだのを見て、
陽子が声を上げた。
「あ」
無防備にも陽子が、女の子に駆け寄ろうと動いたのを見て、
ダニエルは仕方がないことだと思った。
自分の郷愁は、陽子が抱く酷烈な感情とシンクロしている。
彼女は絶対に油断してはいない。
ただ、そうなるしかなかったのだ。
ダニエルは一瞬だけ目を閉じた。
<ダニエル。
あれ見て>
ロックが見ている方向には、3人の大人が立っていた。
彼らは右手を空に向けたまま、直立不動になっている。
「あれは」
彼らが手を挙げている先には、いくつもの小さな光が飛んでいた。
どこかで見たことがある。
あれは、スカー達がいた場所にたくさん浮かんでいた光だ。
ダニエルは大人達と子ども達の位置が対角線上にあることに、
遅ればせながら気付く。
この位置関係は、おそらく意図したものである。
それなら次の仕掛けは違う方向から来るはずだ。
目まぐるしく首を振る中で、一瞬だけ結希と視線が交わる。
「狙っていたのか?」
訊いても結希が答えることは絶対にない。
<2人とも近くに来て。
離れると危険だ>
ダニエルは素早く陽子の腰を支えると、ロックの傍まで飛んだ。
警戒したダニエルとロックがいれば、
どんな攻撃を受けたとしても対応できる。
着地した瞬間、見覚えのある力を目にする。
スカーの『ポータル』だ。
巨大な鳥と化したロックを飲み込めるほどに、
大きく開かれた『ポータル』が、
自分達の前後を挟み込むように生じていた。
おそらくこのまま自分達を世界のどこかに送り込むか、
亜空間に閉じ込めようというのだろう。
だが、こちらが被弾する可能性はゼロに近い。
『ポータル』は強い力だが、かなり動きが遅いからだ。
しかし、彼女の『ポータル』はあまりにも速かった。
スカーが新たに力を向上させたのか、
何か他の力が働いたのかわからない。
<あぶない>
ロックがみんなを守るために、大きな翼で周りを覆った。
ロックの翼は不可侵の力を持っているため、
やられることはないが、
『ポータル』に飲み込まれることはどうしても避けられない。
暗い世界に閉じ込められる寸前、
こころのどこかでほっとしていることに気付き、
陽子を抱いたまま、薄い笑みを浮かべた。
郷愁はまだ胸から離れず、ダニエルを揺らしている。
彼の言葉の続きが聞きたい。
その時になって、自分が死を望むのか、それとも殺戮を望むのか、
試してみたい。
だがまずは、この郷愁をどうにかすることにした。
ありがとうございました。
私事ですが、ここ数日の間、帰省を致しました。
かなり時間があったので、読書をしていました。
面白かった本をご紹介させていただきます。
『向かい風で飛べ!』 乾ルカ
スキージャンプをテーマにした青春ものです。
ただの青春ものではなく、競技者としての苦悩も詳細に描かれている、とても素晴らしい作品でした。
『2005年のロケットボーイズ』 五十嵐貴久
はみだしものの高校生が集まって、「キューブサット」という特殊な機構を作るというお話です。
仲間達のやりとりや、苦難を乗り越えていく様が楽しかったです。
『階段途中のビッグ・ノイズ』 越谷オサム
バンドがテーマの王道青春ものです。私もこんな青春したかった。
読了した後、清々しい感覚に満たされました。
『武士道シックスティーン』 誉田哲也
女子剣道がテーマの青春ものです。剣道の説明も本格的で、興味深く読ませていただきました。
シナリオが秀逸で、気が付いたら読み終えていました。もっと読んでいたいと思わせる作品でした。
『ペンギン・ハイゥエイ』 森見登美彦
ジャンルはファンタジーでしょうか。
説明しにくいのですが、非常に賢い少年と、不思議なお姉さんのお話です。
森見先生は初めて読んだのですが、読者をひきつける魔力を感じます。
『キシャツー』 小路幸也
有名な作品なので、知っている方も多いかもしれません。
王道の青春ものですね。電車通学をする学生たちが、ふとしたきっかけで仲良くなっていくお話です。
読んだ後に、自然と笑顔になれました。
お目汚し失礼しました。
次回も近く更新いたします。




