表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
89/135

85話 結希 葵

85話です。週末分を更新いたしました。

よろしくお願いいたします。

陽子が紅蓮の炎をこちらに差し向けた。

炎はまるで意志を持っているように、結希へ直進してくる。

「ぐっ」

見ているだけで眼球が焼けるような高熱に晒され、

結希はたまらず大きく後退した。

「あっちも結構楽しそうね」

戦っている葵達を指さして、陽子が愉快そうに言った。

刀から零れ落ちる紅いものが、

陽子の足元を蓮華の花のように彩った。

「あんたを殺した次はあのうるさい女だ」

彼女の口元は笑っているが、目は全く笑っていない。

結希は月子の姿を思い浮かべると、陽子と重ね合わせてみた。

2人の動きは、似ているようで全く違っていた。

結希は陽子の体格と速さ、刀の長さをもとに、

『麒麟』を再構築していく。

しかし、果たして効果があるのだろうか。

『麒麟』が陽子の動きに対応すればするほど、

結希は斬られることが増えている。

戦えば戦うほど、どんどん逃げ場を失っていっているのだ。

「ただ速いだけ?」

陽子は結希に問いかけながら、顎に人差し指を置く。

やがて彼女は、先程とは一転して目元の笑みだけを深くした。

「そっか速いんじゃない反応が速いのか動きを読んでいるのか」

狂人めいた表情が消えて、理知さが垣間見える。

「パターンを学習して勘で動いている

あらかじめ決まった動きを相手の合わせているでもその

速度が異常に早いそれがあんたの能力ね」

陽子が素早い突きを放ち、『麒麟』で躱す。

しかし、陽子の切っ先は半端な位置で止まっていた。

「っ!!」

陽子は素早く切っ先を引いてから、懐に入ってきた。

「やっぱりあらかじめ決めているだけか」

彼女は大きく左足を踏み込むと、強烈な回し蹴りを放った。

まだ回避行動の途中だった結希は、

蹴りをまともに食らって空中で一回転した。

悲鳴も上げられないまま、

空中に投げ出された結希の頭部に向けて、

陽子が鞘を振るう。

まるで5秒前からそうすると決めてあったかのような、

スムーズな身のこなしである。

致死の一撃は結希が闇雲に突き出した腕に当たり、

偶然防ぐことができた。

命拾いをした結希は、下に落ちる前に手をつくと、

地面を踵で蹴りつけて飛び退いた。

結希は鞘で叩かれた腕に触れる。

痺れるような痛みがあったが、幸運にも折れてはいない。

「大体わかったよ」

陽子は地面に立てた鞘の上に手をついて、

じっと結希を待っていた。

「・・・」

もし『麒麟』が看破されたのが初めてであったなら、

この時点で勝負は決していただろう。

だが、結希は数日前に、月子によって『麒麟』を破られている。

その経験が、結希に精神的な余地を作っていた。

まだ、戦いは終わっていない。

「あんた月姉と練習してるよね動きを見たらわかる」

雨で濡れた地面を歩くように、

陽子がそろそろと音もなく前進してくる。

戦うことを主眼にした足並みだが、

洗練された動きには優美さすら感じてしまう。

「でも私の方が強いよねそうでしょ?」

月子が『麒麟』を理解して対処できるようになったのは、

訓練を始めて数時間が経過した段階だった。

それに比べて、陽子は少し見ただけで完全に破ってみせた。

また、月子はいくつかのやりとりの中で、

少しずつ『麒麟』を追い詰めていたのに対し、

陽子はたった一度のやりとりで、『麒麟』の隙を突くことができている。

陽子は月子を越えた、まさに戦いの申し子であり、天才であるのだろう。

だが、あえて言った。


「君なんかよりも、月子さんの方が強い」


『麒麟』を破った時、月子は申し訳なさそうにしていた。

それでも、結希のためにこころを鬼にしてやってくれたのだ。

実力は陽子の方が高かったとしても、

月子は自分が傷つくことを厭わないこころの強さがある。

月子が陽子よりも弱いなんて、結希は思わない。


「なんだぁあああああああてめぇはあああ!!」


陽子は憎悪で顔を真っ赤にする。

優美な足取りは、破壊を求めるあまり酷烈な豪雨へと姿を変えた。

後方に赤を残して、陽子は真っすぐに襲いかかってくる。

結希は体内に蓄積しておいた『トールの雷竜』を手中に移動させた。

『雷竜』を操る舵が、あまりに重い。

雷が身体を巡る遅さを、出力の強さで無理矢理フォローする。

間合いに入る直前、陽子は足を使って身体を半回転させた。

最後の最後まで結果を見せない技術と、

常に最短距離を辿る腕と刀の動きは容易に致死を想像させる。


しかし、陽子の刀は寸前で停止した。


冷静さを欠き直線を思わせる憎悪の表情が

完全にブラフであったことの証明か、陽子が笑みを浮かべた。

ただ、結希の方も陽子の動きに反応してはいなかった。

結希はずいぶん前から『麒麟』を解いていたのだ。

通用しない『麒麟』に力を割くよりも、

確実に『雷竜』を放つことに注力した結果だった。

偶然の生み出された虚に、陽子の視線が戸惑いを帯びた直後、

『トールの雷竜』は放たれる。

陽子の停止した身体が再度動き出すには、わずかな時間が必要だ。

着弾は確実である。

しかしその時、漆黒の槍が『雷竜』の頭部を貫通し、

地面に深々と突き刺さった。

「っ!!」

雷の力が、みるみる地中に逃れていく。

本来の『雷竜』なら、多少力を削がれても前進して、

陽子に喰らいついただろう。

だが、結希がいくら願っても、体力を失った魚のように、

『雷竜』は動かなかった。

「・・・く、くそっ」

『雷竜』が消滅していく。

新たに力を溜めようとした時、上空から舞い降りて来た人影があった。

結希はその場から飛び退いて距離を取ると、

人影は豊潤な殺戮者の匂いを漂わせながらこちらを見た。

結希にはすぐにわかった。


彼がダニエルだ。


通用するかわからない『麒麟』を身に纏った時、

ダニエルが陽子の背に触れ、優しい手つきで体を支えた。

「陽子。

大丈夫か?」

声には大切な家族に向けるような慈愛があった。

「うーんぴかぴかちかちかして何も見えない」

目を瞬いている陽子を見て、ダニエルは安堵したように息を吐き出した。

「とりあえず、無事で良かったよ」

殺戮をし尽くしたというダニエルが、

たった一人の女を本気で案じている様子を見て、

大きな矛盾を抱えた頭が鈍い痛みを生じる。

「ダニエルどうしてここにきたのあっちは終わったの?」

陽子が肩を上下させて、大きく息をしている。

「うん。

それより陽子。

さっきのはちょっと危なかったよ。

少しは用心してよ」

「うん、ごめん」

火薬庫のように危うい陽子が、彼の指摘に素直に頷いた。

微笑みを浮かべると、ダニエルがこちらを目する。

「君は結希だよね?」

何気ない一言だったが、聞いた瞬間、

結希は地面の底が抜けたような錯覚に陥ってしまった。

ダニエルの後方が全て真っ黒に染まっていく。

本能が、逃げろ、と甲高い声を上げている。

警戒に身を硬直させた結希を認め、ダニエルが小首を傾げた。

「どうしたの?」

ダニエルの言に、結希は注意された生徒のように

背すじをピンと反らしたが、結局は何も言えなかった。

完全に圧倒されていたのだ。

「結希達が住んでいた場所は、

すべて壊したよ」

ダニエルが飄々とした声に景色がぐらりと揺れる。

怖くなるほどの静寂が、辺りを包み込んだ。

凄まじい重圧の中で、結希はただ倒れないだけで精いっぱいだった。

「こ・・・こわした?」

やっとのことで出した声は殺伐としていたが、

それを聞いてもなお、ダニエルは薄く笑みを浮かべたままだった。

「うん。壊した」

言い方には、呆気なさと純粋さがあった。

彼は事実を述べている。

結希はそれが実感できたからこそ、深く絶望した。


みんなが死んだ。


今までの人間の歴史上には、何人もの大量虐殺者が存在している。

だが、ダニエルは一国を滅ぼしても飽き足らず、

世界中の国々を滅ぼしてきた殺戮者だという。

まさに人類未踏の存在が目の前にいるというわけだ。

ダニエルを前にした結希は、高らかな波に翻弄される一匹の虫だった。

結希は後方へ回避行動をとった。

それは『麒麟』が攻撃を受けたときにする、

基本的な行動であったのだが、

実際に結希は何らかの攻撃を受けたのではなかった。

彼を前にしたことで、『麒麟』が誤作動を起こしたのだ。


そんな馬鹿な。


「ロックから聞いたよ。

結希は強いってね。

でも、自分の相手にはならない」

離れた間合いを埋めるように、ダニエルが踵を鳴らした。

「まってダニエルこいつは私がやりたい」

陽子がダニエルの腕を掴んで引っ張った。

「陽子と結希は相性が悪い。

自分がやる」

彼は恋人にするように、陽子の頬にそっと触れる。

彼女についた煤をそっと拭ったのだ。

ダニエルは陽子の汚れが取れると、満足そうに微笑んだ。

「でもっ」

陽子は追いすがる陽子にダニエルは目を細めると、

月子と葵のいる方向を指さす。

「わかった。

結希は君のために生かしておく。

だから、先にあっちの2人を殺してきてよ」

ダニエルはあっさりと、

現実感を根こそぎ奪うような台詞を口にした。

彼はまごうことなき殺戮者だ。

そのおかげで結希は腹に力を入れることができる。

「・・・いい加減にしろ」

胸中に生じた嫌悪を隠さず口にする。

ダニエル立ち向かう勇気が湧いてきたわけでも、

感情の発露が何らかの奇跡的な力を生み出したわけでもない。

そんなのは夢物語だ。

ただ結希は、消える前の蝋燭が火を強くするような、

夕焼けが一層美しさを増すような、消え際に放つ光を抱いていた。

巨大な敵に抗う時には、『雷獣』しかない。

ダニエルという存在に怯え切っていた結希は、

一切の手加減をしなかった。

『トールの雷竜』にして数発分の力を込めた凄まじい暴力を、

たった一人の人に向けることに躊躇はなかった。

足だけではなく、両手でも地面を掻きながら、

弾丸のごとくダニエルへ突っ込んでいく。

「ぐあああああああああああっ!!」

手足が千切れようと構わない。

現在出せる結希の最大スピードと、最大威力を持つ突進だ。

このまま衝突すれば、ダニエルはもちろん結希もただでは済まない。

強烈な打撃が全身に加わるのを覚悟して、歯を食い縛る。

しかし、予想していた衝撃は訪れなかった。

「っ!」

一瞬目の前が黒く染まったと思ったら、

凄まじい勢いで視界が回転して、

気付いた時には、結希は遥か眼下に校庭を見下ろしていた。

「結希はすごいな。

こんなに高く上がったのは初めてだ」

コートをはためかせているダニエルが、結希の手を掴んでいた。

「な・・・なにを」

何をされたのか、結希にはまったくわからなかった。

「滑走路を作ったんだ。

結希の力を逃がすためにね」

ダニエルが指さす方向に、螺旋を描く機構がある。

あれが、結希の力を逃がしたのだ。

結希は空中で体勢を整えると、震える手でダニエルの胸元を掴んだ。

残り僅かな力で雷撃を生み出す。

だが、ダニエルの方が速かった。

結希はいくつもの槍に体を貫かれて落下した。


   ◇


巨大な鳥と化したロックは埃を払うように羽ばたくと、

口からタールのような黒い液体とともに、

何体もの腫瘍持ちを吐き出した。

のろのろと立ち上がった腫瘍持ちは、

獣であったり、小鬼であったり、強力な大鬼やセベクでもあった。

全部で30体余りはいる。

なぜロックが腫瘍持ちを産み落とすのか。

葵がどこか他人事のように考えている間に、

腫瘍持ちは更に数を増やしていった。

銀が背中の毛を逆立てて、恐ろしい唸り声を上げている。

彼が凄まじい嫌悪感を抱いているのがわかる。

「あなたが・・・腫瘍持ちを生み出したの?」

銀の毛を指の間に絡ませて思い切り握りしめると、

祈るようにロックに問うた。

<腫瘍持ち? 

葵達はみんなをそう呼んでいるんだね>

「あなたも、たくさんの人を殺してきたの?」

答えは『真実を見通す目』で見えていたが、信じられなかった。

葵は自身の『目』ではなく、ロックに答えを求めてしまっている

ことに恐怖している。

もうわけがわからなかった。

<そうだよ。

ダニエルと陽子と一緒にね>

剥き出しで無防備となった葵のこころを傷つけないように、

ロックはなるべく穏やかな口調で言っているようだった。

葵は戸惑いと痛みの渦中で、

色の濃い追想を始めたロックをじっと見つめた。

「・・・あなたは、一体何なの?」

<ロックだ>

ロックが葵を慈しむように、ゆっくりと瞬きをする。

彼からは、陽子のような敵意や悪意を感じない。

「ロックは、なんでこんなことをするの?」

意を決して聞いた。

出会った当初にするべき、当然の問いだった。

<ダニエルと陽子が望んでいるから>

葵はその台詞にはっとする。

ロックにとって大量虐殺は他者の意志に基づく行動なのだ。

矛盾の少なさは彼のオーラで読み取れた。

「あ、あなたは?

望んでいなかったの?」

巨大な鳥となったロックは、はぐらかすように首を振った。

<ずっと前からやってることなんだし。

あんまり気にならないかな>

「でも」

ロックは嘴をこちらに向けて動かした。

「見てごらん。

銀はずっと戦いたがってる>

ロックの小鳥のような鳴き声が、銀の逆鱗に触れる。

「ちょっとまって・・・っ」

葵の制止を跳ね除けて銀が突っ走った。

腫瘍持ちの大群が銀を挟み込もうと左右から押し寄せてくる。

三毛と虎が、銀の進行を阻んでくる腫瘍持ちを処理していく。

銀も目の前の敵を排除するが、

あまりにも敵が多くて進行が止まってしまう。

葵は掴んだ毛を引っ張り、後ろに引かせようとしたが、

銀は一向に言うことを聞いてくれない。

三毛と虎が開いた空間を、徐々に腫瘍持ち達が狭めていく。

ついに銀の足に腫瘍持ちが噛みついた。

このままでは、囲まれてなぶり殺しにされる。

葵は『呪視』に呼びかけた。

彼は以前と同じ、黒い円柱にたくさんの瞼を蓄えた姿で現れる。

「『呪視』・・・力を貸して」

『呪視』の瞼がひとつ開くと、葵を射貫いた。

彼の迫力に耐えるには胆力が必要だが、今の葵には足りそうにない。

それを見抜いてか、『呪視』が瞼を閉じた。

「まって。

私はどうなってもいい」

投げやりに発された言葉は、

罪深い自分を断ずる為だったのかもしれない。

『呪視』の力が瞳に入り込んでくるのを感じる。

力を貸してくれたのだ。

葵はその力でもって、周囲を取り巻く腫瘍持ちに

強力な拘束を浴びせかける。

腫瘍持ちの動きが止まると同時に、視界が揺らぐほどの激痛が走った。

「うううううぅぅぅぅ・・・」

まるで眼球の根元に紐を巻かれて、思い切り引っ張られているようだ。

一度に止めるには相手があまりに多すぎる。

「お願い」

血を流す葵の目と、銀の目がひたと合う。

銀は怒りをこらえるように瞬きをすると、三毛と虎を咥えて踵を返した。

髙音の太鼓を叩くような音を立てて跳び上がり、

腫瘍持ちの輪から外に出る。

<助かりました>

<危なかったにゃあー>

三毛と虎は少し怪我をしているが、重傷ではないようだ。

銀は着地後さらに跳び、校庭の中央まで逃げのびた。

<葵さま。もう大丈夫です。

はやく『呪視』の力を解いて下さい!>

銀の口から下りた三毛が、厳しい表情で合図する。

「う・・・うん」

葵は目を閉じて『呪視』の力を解こうとした。

「え・・・」

だが、うまくいかない。

『呪視』の力が強すぎて、

どうしても瞼を閉じることができないのだ。

葵は力を遮断するために手で両目を押さえたが、

眼球から発せられる不可思議な力に弾かれる。

「ぎゃ」

さらに、骨まで押し潰すような強い力で、

葵の両腕が拘束されてしまった。

これは『呪視』の力だ。

「な、なんで・・・?」

思わぬ反逆を受けた葵は、驚愕のまなざしで『呪視』を見た。

『呪視』は今までになく大きな円柱となって、

大木のように枝葉を伸ばしている。

『呪視』の目のひとつひとつが、校舎の方にいる腫瘍持ちではなく、

葵の方を向いていた。

『呪視』の力はさらに増し、葵の全身を硬直させるに到る。

<葵さまっ>

<葵!>

バランスを崩して銀の背から落ちた葵を、

すかさず三毛と虎が受け止めてくれた。

身体を支えられながら、葵は『呪視』が体全体をくねらせて、

目からたくさんの血を流しているのを見た。

『呪視』が苦しんでいる。

『呪視』が苦しむ度、葵の目も痛みを増した。

駄目だ。

これ以上は、耐えられない。


<しょうがない>


その時、耳元で何かを断ち切る音が聞えた。

切られた両端が遠く離れて行く気配とともに、

目の痛みが軽くなり、視界がひらけた。

「・・・あ」

目の前に銀の顎があった。

銀は何かを咀嚼すると、足元に何かを吐き出した。

それは何かの残骸のようにも見えたが、すぐに消えてなくなってしまう。

<葵さまっ。

大丈夫ですか?>

虎に手を引かれるままに、体を起こした。

「あ・・・え・・・」

血の気が引いて、目の前が白くけぶる。

力を使い果たした葵は、三毛に背中を押してもらっていなくては、

座位を保てそうになかった。

<虎。

葵さまをお守りするのだ>

<にゃあ>

流れる血涙をそのままに周囲を見ると、

葵達はすっかり腫瘍持ちの軍勢に囲まれていた。

<葵の力はすごいんだねえ>

追いついてきたロックがよく通る声で言うと、

大きな翼を折りたたんだ。

<葵。

もう『呪視』は使っちゃだめだにゃ。

今度こそ死んじゃうにゃ>

背中ごしの虎の声をぼんやりと聞き、小さく頷いた。

言われなくても、もう力は少しも残ってはいない。

<ああ。

ダニエルが来たね>

葵は脱力した口元からよだれをたらしながら、

ロックの黒ずんだ目の先を追った。

そこには、いくつもの槍で体を貫かれた結希と、

黒い服を着た男の姿があった。

「ゆき・・・っ!」

叫んだ瞬間、葵は横面に強烈な打撃を受けた。

視界の半分が、電源を落としたように黒く潰される。

希望を失った人間すべからくそうなるように、身体が倒れていく。

音声が切られた世界へ、ゆっくりと落ちていく。

星のような数々の光と、視界を染める赤が見切れて、

体の墜落する感覚だけが残された。

葵の身体は永遠に落ちていくようだった。

しかし、やがて葵は着地し、今度は地面と平行になった視界が、

シーソーのように揺れはじめた。

手足はもぎ取られたように一切の感覚を失い、

微動だにできなかった。

毛むくじゃらの足と赤色が見えた。

戦いはまだ続いている。

温かいものが顔にかかった。

三毛か、虎か、もしかしたら銀の血かもしれない。

挿絵(By みてみん)

音が消えたのは、強烈な耳鳴りのせいだった。

葵は耳鳴りに負けないくらい大声で叫んだ。

「ぐが・・・あああっ!」

叫んだのは、曲がった肘を伸ばすためだった。

命を削るような作業を終えると、

血を流して倒れている三毛と虎を発見した。

「みけ・・・とら・・・」

鼓動はかなり小さくなっているが、2匹はまだ生きている。

「頑丈ね思い切り殴ったのに」

陽子の声がすぐそばで聞こえたと思った瞬間、

せっかく伸ばした腕が変な方向に捻り上げられていき、

やがて体内で鈍い破裂音が響かせた。

「ぎゃああああああああ!!」

<陽子。

葵を殺さないで>

「うるさい」

叫び続けている葵の腹を、陽子が蹴りつけた。

内臓が痙攣して呼吸ができなくなる。

手をブラブラさせながらのたうちまわっているうちに、

腹から血を出して横たわっている銀を目にした。

葵は憎悪の言葉を陽子ぶつけようとしたが、

体の中に叫ぶだけの空気がなかった。

陽子は葵の襟を鷲掴みにすると、強い力で引っ張った。

土の上を引き摺られ続け、やがて放り出された葵は、

まるで罪人のように地面に伏した。

身体が痙攣を起こしているせいで、

意図しない声が口から漏れるのは、とても気持ちが悪い。

無理矢理体を起こされ、青い空を見た。

空はどこまでも高い。

すごい。

ありがとうございました。

明日、もう一話更新する予定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ