80話 スカー 結希 月子
80話です。
よろしくお願いいたします。
ダニエルは黒い粒子を操ると、手の中にナイフを生み出した。
ナイフは漆黒を彩っている。
「後悔というか、もうすぐ終わりだという感慨深さというか」
ナイフを手元でくるくると回転させながら、彼は言った。
「スカーともこれで最後かと思うと、少し寂しい」
ダニエルに見つめられているだけで、
スカーの皮膚がじりじりと痛んだ。
「最後に君とやれることが、少しだけ嬉しかったんだ。
それなのに、降伏するなんて・・・」
ダニエルは残念そうに眉を歪めた。
だが、ややあってから、得心のいった表情に変わる。
「まずは後ろにいる人達を殺そう。
その後なら、少しはやる気がでるかもしれない」
スカーは立ち上がって両手を広げた。
「待って!
ダニエルらしくない。何が目的なんだよ?」
ダニエルは不思議そうにスカーを見た。
「だから言ったでしょ?
呆気なさ過ぎて、これで終わりなのがつまらないんだ。
不思議と、そう思ってしまって」
彼は自分の感情に少し戸惑っているようだった。
直後やりとりは訪れる。
突如生まれた突風が、スカーの脇をすり抜けた。
突風は三毛と虎、そして銀を空中に吹き飛ばす。
<うんみゃー!!>
<なんにゃこにゃー!?>
叫んでいる葵の従者達は嘘みたいに飛んで行き、
そのままビルの谷間に消えていった。
「な・・・」
ダニエルに風を操る力はなかったはずだ。
スカーは姿勢を低く構えたまま、ダニエルを見た。
「動物達を殺す趣味はないからね」
彼は起き抜けの中年みたく、肩を上下させて首を左右に振った。
すると、空中に現れた黒い粒子が、
瞬く間に刃渡り10メートルほどの薄いナイフに変化する。
「伏せろ!!」
視認することが敵わないスピードで、ナイフは上下左右に回転した。
ナイフの行方を遮るため、スカーは咄嗟に『ポータル』を広げた。
『ポータル』の範囲が及ばない、背の高い植物や、
テントの屋根を細切れにすると、
嵐のように回転していたナイフは静止した。
仲間達の生死を確認する間もなく、
黒い粒子が足元のコンクリートを突き破って隆起した。
「う」
この攻撃は『ポータル』で防ぎようがない。
スカーは足場ごと持ち上げられて、空中に投げ出された。
やはりダニエルは、此処に来る前に
たくさんの罠を仕掛け終えている。
防戦一方にならざるを得ない。
「みんなを守っていては、自分は殺せない」
スカーは、眼下にいる清十郎達へ向かって、
細い針の雨が飛来するのを見た。
雨は様々な角度から放たれているため、
全てを『ポータル』で防ぐのは至難の業だろう。
スカーは見当をつけて、素早く『ポータル』を展開した。
瞬間、腹を殴打されてスカーは息を詰まらせた。
ダニエル自身も空中へ飛んできて、こちらへ直接蹴りを放ったのだ。
スカーは地面にしたたかに叩きつけられ、視界を揺らした。
「あぐっ・・・」
みんなを守るために必死で、
ダニエルが間近に迫っているのに気付けなかった。
このままではまずい。
「スカー。
もう連中のことは見捨てるんだ」
ダニエルはスカーの上から覆いかぶさるようにすると、
上から体重を乗せた拳を振り下ろしてきた。
鈍い打撃音が頭の中で響き、意識が遠のく。
「スカーを叩かないで!」
ソーニャの叫び声で、スカーは何とか意識を手元に引き寄せた。
「動いたらダメだ!!」とスカーは必死で叫んだ。
「余所見をしている余裕があるのか?」
ダニエルに襟を掴まれ、ぐいっと引き起こされると、
横面に思い切り平手打ちを食らった。
その間にも、ダニエルは仲間達に針の筵を飛ばした。
『ポータル』を操作して、針を亜空間に飲み込ませていく。
ダニエルが腹に膝を押し付けてきた。
「うがっ」
息が詰まって、『ポータル』の操作に集中できない。
「そんな調子で、守り続ける気なのか?」
ダニエルは次々に黒い粒子で仲間を襲い、
同時にスカーを痛めつけた。
暴力を受けるたび、視界が揺れ、息が詰まり、
スカーは追い詰められていった。
対応に追われるばかりで、打開するチャンスがない。
「強情だな。
それなら、スカーが一番守りたいものを殺そうか」
ダニエルの言に、スカーは氷柱の切っ先を
押し当てられるがごとくに青ざめた。
「彼だよね?」
ダニエルが清十郎を指さした。
「クソ野郎・・・っ!!」
叫んだスカーの首を、ダニエルが上から押さえつけた。
「もう君は自分のことだけを考えろ」
◇
結希は拘束している人達の腫瘍の位置を慎重に探っていき、
ようやく特定した。
「・・・そんな」
しかし、そこはよりによって、心臓と同じ場所だった。
今までの腫瘍は、身体の外側に張り付くようにして
存在していたが、彼らは違う。
腫瘍は人間の最も重要な臓器に、癒着していたのだ。
「くそ」
彼らの腫瘍を破壊するということは、
イコール心臓を破壊することに繫がる。
心臓が破壊されれば、絶対に人は死んでしまう。
さらに、患部に噴水の水を直接振りかけることができない以上、
すぐに治療することも不可能である。
「だめだ。くそ・・・っ」
この人達は、もう助けられない。
結希が自分の膝を思い切り殴った時、奇妙な声が聞こえた。
<ねぇねぇ>
子どものような声だった。
結希は素早く首を振り、周囲をくまなく確認した。
しかし、目立つものは何もない。
<ねぇ。
ここだって>
声のする方には、真っ黒なオイルにまみれた犬だった。
さっきまで、こんな犬は今まで見かけなかった。
<そうそう。
こっちこっち>
奇妙なその犬が、明らかにこちらを認めて頷いた。
「な・・・なんだ?」
犬は一度咆えると、飛沫を上げて噴水の中に飛び込む。
そして飛び込んだ場所から、今度は数羽のカラスが飛び立った。
「うわっ」
カラスは結希を嘲るように周囲を飛びまわり、
やがてすぐ傍に着地した。
数匹のカラスが、まったく同じタイミングで口を開いた。
<懐かしい匂いがする。
大好きな匂いだ>
何重にもなった子どもの声が、結希の頭に響いてくる。
結希はいつでも動けるように膝を立てた。
<結希>
自分の名前を呼ばれて、結希は全身が粟立った。
なぜ、カラスが自分の名前を呼ぶのだ。
<結希からは葵の匂いがたくさんする>
気持ちが悪くなってきて、結希は口を開いて息を吸った。
「おまえは、一体なんなんだ・・・?」
<カラスだよ。
見てわからないの?>
カラスは首を前に伸ばすと、その場でゆっくりと羽ばたいた。
すると、他のカラスの体が、タールのような液状と化してしまう。
結希は地面の黒い染みとなったカラスを、呆然と見つめた。
「・・・」
<ふふふ。
まぁ、カラスでも、犬でもあるし、
そこに転がっている人間の死体でもあるんだけどね>
黙っていた結希は、なぜか声を出して否定したくなる。
「彼らは、死体じゃない」
<死体さ。
もう死んでいるもの>
染みはみるみる範囲を拡大していき、
まるで生きもののように地面を覆っていく。
「なんだっ?」
結希は慌てて腫瘍持ちの3人の手を引いて、
噴水の縁の上にもち上げた。
黒い染みはどんどん嵩を上げていき、運動場の大半を満たした。
その刹那、液体から飛び出してきた巨大な鯱が、
結希に飛びかかって来た。
「!!」
鯱はあまりに巨大で、速さも『麒麟』の想定をはるかに超えていた。
左右に躱すことも、上に跳び上がることもできず、
目の前で回転した鯱の尾に叩かれて、結希は後方に吹き飛ばされた。
腫瘍持ちの人達から、手が離れてしまった。
粘り気のある液体から顔を出した結希は、
『雷獣』を使ってすぐさま上半身を起き上がらせたが、
思いのほかダメージは深かった。
「ぐぐぅ・・・っ」
内臓が痙攣して、中身を吐き出す。
<生きているなんてすごい。
さすが、女神から力をもらっただけはある>
気管に入った血でむせ込んでいる結希へ、
鯱は感心したように言った。
結希は膝を手で押しながら必死で立ち上がる。
その時、大口を開けた鯱が、
腫瘍持ちの女の子に食らいつき、上半身を飲み込んだ。
残った下半身も、一息で食ってしまう。
「やめ・・・ろっ!!」
鯱が、葵の友人である山崎の前で大口を開いた。
結希は自分の身体が傷ついていることを忘れて、
鯱に飛びかかった。
「うがあああああああ!!」
やみくもに雷をまき散らしながら突き出した腕に、
山崎ともう一人の女性が割り込んできた。
雷光が2人の身体を突き抜けて、反対側に飛び出した。
「や」
稲光が消えるとともに、2人の腫瘍持ちは力を失い、
崩れ落ちた。
「だ、ダメだっ」
2人の身体を支えようとするが、
先程のカラスのように液状化していき、
どんどん形を失っていく。
「そんな・・・」
失意に思わず膝をつく結希。
<だから言ったでしょ。
でも、止めを刺したのは君かもね>
呆然とする結希をあざ笑うように鯱が言う。
液体が次にかたどったのは、山﨑の姿だった。
「あの人達を・・・・返せ」
<返せないよ。
もう喰った後なんだから>
「返せよっ」
結希は全力の『トールの雷竜』を鯱へ向けて放った。
周囲の液体もろとも、鯱は雷鳴と共に一切の抵抗なく霧散していく。
<これが、結希がしてきたことなんだね>
愉快そうな声は、液体の中央部から聞こえてくるような気がした。
「ふざけるな・・・。
あの人達を、返せ」
<だから、返せないって。
見てごらん>
黒い液体が波紋を作ると、その辺りが波打ち、
盛り上がってきて質量を増やし、山崎の姿を象った。
「こ、これは・・・」
<山崎くんだよ>
「ふ、ふざけるなっ!!」
<もう全部、終わってたんだよ。
結希が腫瘍持ちって言ってるものは全部>
髪を振り乱して、大きく首を振る。
「違うっ。
前は救えたんだ!」
<ああー。
銀のことね。
フォルトゥーナが邪魔をするもんで、
あいつはまだ喰っている途中なんだ>
結希は音を立てて息を吸い込んだ。
「なんなんだお前は・・・。
なんで、そんなことまで知っているんだ」
<え?
本当に分かってないの?
君達と一緒だからだよ?>
一緒ということは、こいつは。
「お前・・・まさか」
<そう。
やっと分かってくれた>
校庭を満たしていた液体が、山﨑を中心に渦を巻いた。
彼の元へ、集まってきているのだ。
山﨑は全ての液体を吸収すると、奈落のごとき口を開いた。
<ミーミルに力をもらったんだ>
◇
光焔とともに現れた一本の太刀が、
いくつもある『あれ』の首をやすやすと刈り取った。
目の前で膨れ上がった炎が、逆戻り再生のように、
太刀のもとへと収束していく。
「・・・」
月子は構えるのも忘れて、太刀を持った剣士を見た。
太刀筋は、鮮やかの一言だった。
足さばき、体捌きは芸術の域に達しており、
その滑らかな動きに月子は見惚れていた。
剣士は飛ぶように走り、『あれ』の四肢を断ち切っていく。
いや、燃やしたと言った方が正確かもしれない。
手足を炭に変えられ、動きを完全に封じられた『あれ』が、
初めて人間のような悲鳴を上げた。
怖気の立つような音と景色の中、
「死ね」
何か大事なものと決別するように、剣士は言う。
すると、凄まじい勢いで『あれ』の体に炎が生じた。
あまりの熱さに、月子は葵の体を庇いながら後ろに下がった。
剣士は下段に構えると、近くにいた平野の胴を真っ二つにした。
一瞬遅れて、太刀筋を火が辿る。
あまりにも速い。
業火を背にした剣士の、動きの初動作が早すぎるせいで、
どうやって斬ったのか、月子には捉えられなかった。
「平野さん!
先生っ・・・!!」
葵は炎に巻かれた平野と『あれ』に手を伸ばして、悲鳴を上げた。
彼女が前に飛び出さないように抱きしめながら、
月子は剣士を見つめた。
炎の作る上昇気流で舞い上がった木の葉が、
剣士の頬に触れた瞬間塵と化した。
業火の垣間に顏が見える。
まさか。
はじめに訪れた異変は、腹だった。
腹が痙攣している。
震えは背中へ、そして肩へ、全身へ広がっていく。
返陽月の柄を握った手が、機能を失う寸前まで追い詰められた。
月子は今や、刀を取り落とさないでいるのが精一杯だ。
「・・・・う・・・・ぐ・・・あ・・・・あああ」
月子の苦痛は、筆舌しがたいものだった。
心臓は砕け散った。
肺は破裂して、胸を突き破り、辺りに散らばった。
毒を盛られ、全身の血は固形物となり、血管を滞らせる。
死したあとも、魂は数百年の忘却の時を経て、
帰る場所がないことを悟らせる。
頭が、記憶が、今までの何もかもが、月子を責めるように叩いた。
罪悪の波に月子を飲み込んでいく。
剣士が肩についた埃を払うような所作をすると、
目の前にある大きな火が霞のように消えた。
そこには、骨も残されなかった。
命を焼き斬り滅した剣士が、紅蓮に燃える太刀を鞘に納める。
すべての火が消えて、辺りには静寂が訪れる。
どれだけの時間が経過しただろう。
瞬き一回分だろうか、それとも一昼夜だろうか。
欺かれたような時を過ごした月子は、やがてその声を聞いた。
「月姉ぇひさしぶり」
その声は、月子の脳を貫いた。
ありがとうございました。
次回は来週末に更新を致します。




