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77話 葵 月子 清十郎 結希

77話です。

よろしくお願いいたします。

挿絵(By みてみん)

階段を下りると、葵と月子は教室の中を

ひとつずつ確認しながら進んでいった。

無事な人はいないのか。

羽生は。

植山は。

他の先生達は。

同級生は。

見慣れた場所のはずなのに、

真っ黒な絵の具をぶちまけたような異質なオーラが

あるせいで、景色全てが地獄のように見える。

ぐるぐると眩暈のする状況の只中で、

恐怖と不安と戦いながら進んでいく。

吐きそうなほどの重圧が見せた幻影か、

葵は廊下の先に、すずの姿を見た気がした。

「すず・・・ちゃん?」

声に出した瞬間、プールに落とされた時の

光景がフラッシュバックする。

息ができなくて苦しいのに、水から上がるのが怖かった。

泣いている葵を見下ろす、つまらなそうにしている平野の顔。

山﨑君が葵を見つけて、目を見開いたあの表情。

「う・・・」

動けなくなった葵の肩に、誰かが手をのせた。

隣にいる月子の存在に気付いて安堵する。

月子の清流のようなオーラを見つめると、

少しだけ気分が楽になる。

「つ、月子さん・・・ごめんなさい。

もう大丈夫」

月子が窓の外を指さした。

そちらを見ると、キーラのドローンが飛んでいるのが見えた。

「キーラのドローン・・・。

・・・ああ、そうだ」

自分は独りではない、今はみんながいる。

葵は肩にのせられた月子の手を握って頷く。

2人はさらに先に進んでいき、

黒いオーラが蓄積されている場所に辿りついた。

そこは職員室の隣にある用具倉庫だった。

「こ、こんなところに」

だが、ここには何かがいる。

葵は先行する月子の腕を掴んで、注意を促す。

月子は力強く頷いて、倉庫に入って行く。

その部屋の端に、すずと平野はいた。


   ◇


『真実を見通す目』を持つ葵は、

辺りから異様な気配を感じているようだった。

月子には『目』はないものの、

目の前にある倉庫からただならぬ気配を感じる。

間違いなく、ここには何かがいる。

一縷の油断すら作らぬ所作で、月子は中へにじり寄った。

薄暗い倉庫に、生存者はいた。

片方は腫瘍持ちで、片方はただの女に見える。

腫瘍持ちの方が、こちらに気付いて顔を上げた。

月子は素早く、鞘に納めたままの返陽月を構えた。

まだ間合いの外にいる腫瘍持ちが、鼓動一つ分の間さえあれば、

こちらの命を奪える速さを持つことを見抜いたからだ。

しかし腫瘍持ちは、生存者である女を嬲る方に関心があるのか、

こちらに襲い掛かって来ることはない。

「すずちゃん・・・平野、さん」

後ろから、枯葉が落ちるような声が聞こえた。

2人ともまた知り合いなのか。月子は葵の運命を呪った。

もう一度、葵が2人に声をかけた。

すると、平野と呼ばれた腫瘍持ちが立ち上がり、

先程とは明らかに違う様子で声を上げた。

「きききききききききー」

錆びついた車輪のような悲鳴が、耳朶を叩きつけてくる。

平野が極限まで引き絞られた弓のように撓り、飛びかかって来た。

「っ」

恐ろしい膂力で突き出された手を躱すと、

至近距離で膝蹴り、肘の打ち下ろしを与える。

態勢を崩したところへ更に、返陽月で腰を打ち据えた。

常人なら昏倒して、一日は目を覚まさない手順だ。

平野が動かなくなったのをしっかり確認すると、

すずちゃんと呼ばれた女子のもとへ向かった。

「すずちゃんっ・・・」

葵がすずを抱きしめると、彼女がわずかに目を開いた。

生きている。

月子はすずの視線が背後に流れるのを見て、

急遽振り返った。

平野に腕を掴まれた月子は、

組み倒されぬよう腹に力を入れて全力で押し返した。

しかし、平野の力は強い。

力では負けると悟り、大外刈りで倒すと、

上から踵を叩き落とした。

二度三度、腹と胸を蹴りつけると、

平野が口から血を吐いて動きを鈍くした。

かなりの重傷だが、すぐに死ぬことはない。

その隙に、月子はすずの脇を抱え、倉庫から連れ出した。

「っ!」

信じられないことに、平野がのろのろと起き上がって来た。

すずを葵に任せると、平野の鳩尾に強烈な後ろ回し蹴りを見舞った。

平野はもんどりうって後ろに倒れた。

月子はロッカーから2本モップを掴み、

急ぎ倉庫から出るとドアを固定した。

彼女は一旦ここに閉じ込めておいて、後で助けに戻って来よう。

「すずちゃん・・・すずちゃん」

葵がぐったりとして動かないすずに声をかけていた。

月子はすずの脈と呼吸を確認すると、

一度彼女の視界に入り、目を合わせた。

すずちゃんは大丈夫。

急いで運動場に連れていきましょう。

「う、うん」

月子はすずを背負い、葵の腕を掴まえると、

校庭にある女神の噴水に急いだ。


   ◇


腫瘍持ちへと変貌した平野が、閉じられたドアを叩く。

「わ」

身をふるわせた葵の手を引くと、

大丈夫よ、と月子が微笑む。

月子が助けてくれなかったら、今頃葵はどうなっていたことか。

「ごめんなさい。

私ってば、ぼうっとして」

校庭へ向かう途中で、おずおずとすずを見た。

どんな花も跪く美しい頬は痩せて色味を失い、

陶器のように滑らかな肌は、不明な沈着物に侵されている。

艶を失った髪の毛からは、吸えば吐き気を催す悪臭が放たれていた。

酷いありさまだが、彼女には腫瘍がない。

他の腫瘍持ちになった者とは違い、

女神の噴水で癒すことができる。

葵はたった一つの僥倖を手放したくなかった。

「月子さん。こっち」

校庭までの最短距離を示した瞬間、

葵は体中を蟻が這うような不快感に見舞われた。

「ぎゃ」

違う、これは不快感ではなく、度を越えた危機感だ。

辺り一帯が血のように赤いオーラに染まっている。

オーラは執拗な蛇のように、葵に纏わりついてきた。

「これは・・・こんなオーラ・・・」

尋常ならざる殺意と失意が、この辺りに渦巻いている。

古い建物が強い風に体を軋ませるように、

葵の見ている景色も大きな音を立てて傾いだ。

「つ・・・つき、こ・・・・さん」

葵はがたがたと震える手で、月子の肩を掴んだ。

「だめだ・・・違う」

葵は目を閉じて、両手で頭を抱えた。

それでも無理矢理、

オーラの片鱗がここで起きた悲劇を語り始める。

「やめて、知りたくない」

現実であって欲しくない。

瞬間、隣の壁が崩壊して、巨大な何かが姿を現した。


   ◇


突如、葵と月子を追っていたドローンの映像が途絶えた。

キーラはすぐに他のドローンで2人を追う。

葵と月子のいた場所から、大きな煙が上がっているのを見て、

キーラは大きく仰け反った。

「爆発だ!」

キーラの叫びを聞いて、後ろから清十郎が肩に手を置いてくる。

「落ち着け、キーラ。

予備のドローンをちょっと引き気味で待機させろ」

「わかった」

現場に直行させていたドローンを止めて、上空に待機させる。

「どうするの?」

振り向くと、スカーがチェス盤を見るように冷静な眼をしていた。

「状況を見る。

土煙が引くのを待つ」

彼女の端的な言に、ようやく落ち着きを取り戻したキーラは頷く。

「結希は?」

清十郎と一緒に、結希の映像を確認した。

爆発があった方を気にしているようだったが、

賢明にも彼は腫瘍持ちを捕らえたまま動かないでいた。

「冷静じゃんか。割とやる」

スカーが感心したように呟いた。

「でも、2人は大丈夫でしょうか?

爆発の近くにいたんでしょう?」

心配そうに伊都子が言う。

「うん。

丁度あの辺にいた。

きっと爆発に巻き込まれたと思う」

近くを飛んでいたドローンが吹き飛ばされる程の衝撃だ。

考えたくもないが、きっと無事ではすまないだろう。

「でも、月子も葵も強いから大丈夫だよー!」

ソーニャが確信めいた言い方をしたので、

清十郎はその頭を撫でた。

「そうだな。

きっと大丈夫だ」

「ソーニャはいっつも呑気ばかりだ」

辟易して言うが、姉の言葉に勇気づけられたのも事実だった。

煙が風に飛ばされて行き校舎に大きく開いた穴と、

墜落したドローンが見えた。

穴から数メートルの場所で、また爆発が起こる。

「また爆発だ!」

カメラにまで小さな石が飛んでくる。

だが言われた通り、引き気味で待機していたおかげで、

ドローンは被害に遭わずにすんだ。

「すごい爆発だな」

爆発の後、土煙と一緒に何かが飛び出してきた。

月子と、葵と、背負われている、もうひとり。

「出てきた!

みんな無事だっ」

紅潮させた笑みで紫が言う。

「ああ、よかった」

キーラは安堵のため息をついた。

「あの爆発を避けたのか。

すごいな」

「じゃあ、ちょっくら助けに行ってくる」

軽く飛び跳ねるようにスカーが言うのを、

「まて」と清十郎が止めた。

「穴の中に、何かいる」

清十郎が指したモニターの中で、月子が葵の背を押した。

逃げるように指示を出しているのだ。

だが、葵は月子を置いて逃げることを拒んでいるようだった。

問答を続ける月子と葵の前に、「何か」が姿を現した。

「な、なに・・・あれ」

慄いた伊都子がモニターから一歩離れる。

「信じられない」

キーラは恐怖を言葉にした。


   ◇


衝撃に次ぐ衝撃。

被打に次ぐ、被打。


葵は無我夢中で、

ひたすら引かれる手を頼りに逃げ回った。


埃を吸い込んでむせこんだ時、

どうやってここまで来たのか記憶がないことに気付く。


大きな音に何度も鼓膜を叩かれた結果、

聴覚は機能を麻痺させていた。


地響きが足元をぐらりと揺らして、

葵は背負ったすず共々横倒れになってしまう。


恐慌状態となった葵は、それでもすずの腕を引っ張って起こそうとする。

だが、うまくいかない。

どうしたらいいのかわからないのだ。


駆け寄って来た月子が、

信じられない力強さですずを抱え起こしてくれる。


彼女はすずを葵の背中に被せるように乗せると、

埃まみれの顔をまっすぐこちらに向けた。


湧き水の青さを湛えた瞳。

その瞳の持つ決意が、葵の『目』に飛び込んでくる。


友達を連れて逃げて。

『あれ』は、私が絶対に止める。


月子を置いて、自分だけが逃げてもいいのか。

葵は『あれ』に目を向けた。


『あれ』は腫瘍持ちになった人々の

肉が溶け、融合して、1つの大きな化け物になったものだ。

葵から見える『あれ』は、まさに憎しみと失意の化身である。


生存本能を押し潰すかのごとく、後悔がのしかかってきた。

助けに来るのが遅すぎた。


どれだけ寂しかっただろう。

痛かっただろう。辛かっただろう。


動けないでいる葵の肩を、月子が大きく揺らした。

次の瞬間、平手打ちが葵の顔面を左右に振った。

放心した葵は、青い瞳を呆然と見つめた。


しっかりして。友達を守るの。

あなたが動かなくては、彼女は助からない。

私と、彼女を助けて。


叩かれた頬は濡れていた。


そうだった。

葵は『あれ』から逃れるために、足に力を入れた。


葵はみんなを助けに来た。

すぐに動かなくては。


見上げた瞬間、葵はたくさんのものが空から振ってきたように見えた。

だが、実際は一羽の黒い鳥である。


黒い鳥には、横並びにいくつもの目があった。

どこかで見たような気がする。


そうだ、配送センターの屋上で見たのだ。

鳥がゆっくりと羽ばたいて着陸する。


鳥のオーラは底知れない質量を持っていた。

まるで、世界中の生き物を内包しているように見える。


あの鳥を見ていたら駄目だ。

目を背けた時、聞こえてきた。


やっと、出会えた。


葵の首が何かの力で締め上げられた。

息ができない。


力は葵の顔を無理やり『あれ』に向けさせた。

あえぎながら、葵は『あれ』の上部を凝視する。


そこには、いくつもの人間の頭部が集まっていた。


葵は発狂した。

見たことのある顔があったのだ。


羽生と植山。


   ◇


『あれ』は言葉で表すには悍まし過ぎた。

その姿は、黒く塗りつぶして輪郭だけを取れば、

巨大な亀のような形をしていた。

だが、その内部や外観には、

幾人ものの手足や内臓、骨や肉が混ざりあって

ひとつの生物となっている。

その成り方は、関節や足の部分はとても繊細に形作られているが、

背中や尾はひどく適当であった。

適当な部分には、人の臓物が上から積み上げられ山となっている。

『あれ』には、残虐と残酷という言葉がよく似合った。

ひとつ矛盾があるとすれば、ちゃんと生きていることだろう。

『あれ』の放つ悪臭が風に乗って月子に届いた。

「・・・がはっ」

月子は勢いよく胃の中を出した。

結希から、腫瘍持ちは生き物に取りついて

支配するものだと聞いたが、

これでは支配の域を完全に超えている。

恐怖で膝が震えた。

目の前にいるものは、腫瘍持ちですらない。

きっと元には戻らない。

だから、戦って殺すしかない。

『あれ』のどこに声帯があるのだろう、

千の蛙が集まったような鳴き声が響いた。

ああ、なんて悍ましい。

丹田に力を集めながら、ゆっくりと返陽月を抜いた。

手になじんだ刀は、ひどく頼りない。

月子は棒立ちになっている葵の視界に入ると、

結希の居る校庭の方を指さした。

早く逃げて。

しかし彼女はまったく動こうとしない。

ただ滂沱の涙を流すのみだ。

無理もない。

彼女は此処に来てから、必死で絶望と戦ってきたのだから。

何があっても成し遂げると決めて、此処にきた。

月子は自分を律した。

正眼に構えると、恐怖で震える膝をぴたりと静止させる。


今こそ、受けた恩を返す時。


   ◇


モニターに映る月子は、『あれ』を前に一歩も引かず

返陽月を抜いた。

紫がいきなり息を吸い込んだ。

「あんなでかいのと、戦う気なのか!」

「無茶だ。

逃げないとっ」

続くキーラが感情を露わにする。

「スカーっ!

すぐ助けに行ってやってくれ」

隣にいたスカーに声をかけると、彼女がするりと立ち上がった。

視界の隅で、何か堅いものをぐっと飲み干す彼女の喉が見える。

「・・・清十郎。

動くな。動いたら死ぬ」

「はぁ?」

突然ふざけたことを言い始めたスカーに向かって、

清十郎は戸惑いの視線を向けた。

「ソーニャも、キーラも、動いたらダメだ。

みんなも、絶対に動くな」

いつもの冗談だろうか。

だが、ただ一点を見つめるスカーの目は笑っていない。

「スカー。

どうしたの?」

ソーニャはスカーの異変に気付いたようだった。

「おい。

スカー。どうしたんだ」

清十郎はスカー警告を無視して、顔を上げた。


そこには、ダニエルが立っていた。


人が描く究極の結果は死だ。

それが今、自分達の傍らにあった。

ありがとうございました。

次話は、来週末に更新予定です。

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