8話 結希
8話目です。これからも頑張ります。
翌日、結希は強烈な筋肉痛になった。
たくさん歩いたのが原因だろう。
一番ひどかったのは、すねの外側にある筋肉だ。
ネットで調べたところ、前脛骨筋というらしい。
つま先を上げようとするだけで激痛が走るので、
リビング内を歩くのだけでも一苦労だ。
「あたたた・・・」
やっとの思いで水を一杯コップに注ぐ。
足を軽くマッサージしながら、痛みにうんざりしてため息をつく。
もともと、運動をする方ではなかった。
高校生の間は、まだ体育の授業があったが、
大学生なってからの4年間は運動らしい運動をした記憶はない。
社会人になってからは、それに拍車がかかり、
なかなか外にも出なくなったように思う。
それでこのありさまだ。
結希は自分の不摂生を痛感せざるを得なかった。
水を一口飲むと、頬の内側と舌の付け根が沁みた。
痛む箇所に舌を這わせると口内炎が出来ているのが分かった。
結希は生まれてこのかた、口内炎には欠かさず罹患している。
今は2つだが、悪いときは4つ5つになることもある。
育った家では、食事が準備されていないのが当たり前だった。
一日まったく食べないことも、結希にとって珍しいことではない。
だから、生まれてからこれまで、食事に頓着したことがなかった。
一人暮らしをするようになってからは、
朝食は菓子パンで、昼食はコンビニ弁当、
夕食にポテチとコーラというのは、定番メニューだった。
口内炎をネットで調べると、体力の低下、ストレス、
ビタミンB群や葉酸、鉄分などの栄養素不足が原因とあった。
体力低下はもう自覚しているが、
栄養素不足というのはあまり納得できない。
コンビニ弁当や、菓子パンにも栄養素は入っているはずだ。
さっそく食べているものの中に、どんな栄養素が入っているか、
調べてみることにした。しばらくネットで、探して回る。
結希は、食品名を入れると、それに含まれる
栄養素が分かるという、便利なサイトを見つけた。
すかさず、ブックマークをして、今後も調べられるようにする。
「・・・・」
出た栄養を見て、結希は憮然とした表情になる。
菓子パン、コンビニ弁当、ポテチとコーラには、
残念ながら、まったくと言っていいほど、
栄養素が入っていない。
得ているのは脂質と糖質と塩分ばかりだった。
「え~・・・」
たくさんの情報を一度に得たので、
頭も感情も整理できない。
物事が整理できないときは、書面にするのが一番だ。
結希は大学の時に使っていたA4用紙を、
押し入れから引っ張り出す。
職場に使い慣れたペンを捨ててきてしまったので、
今持っているのは100均で買った細いボールペンだ。
地上が過酷な状態になるなら、
今の結希の体力、体調では生き残れない。
まずは食事をして、次に運動だ。
トール神は山谷を走り回って体を鍛えた。
同じ力を持つ結希が成長するためには、
運動をするのがきっと正解だ。
方向性を定めたところで、ネットで調べ物をしながら、
今後の計画を立てたり、改善した食事メニューの
ための買い出しをしたりと、とにかく準備が忙しかった。
1日は、それだけで終わってしまう。
「だぁー・・・疲れた」
結希はソファーに倒れ込んだ。
足の筋肉痛に加えて、腰がかなり痛くなってきた気がする。
なんてだらしのない体だろうか。
あまりの体力のなさにため息が出る。
結希はきゅうけいしながら、テレビの電源をつける。
先日ニュースを見てからというもの、
外の様子を知るためによくテレビを見るようになった。
世界がどう変化しているか把握するために、テレビは良い情報源だ。
一通りニュース番組に目を通し、
日中は風が強いこと、近所で通り魔事件があったことが分かった。
大きな変化はまだ起こっていないようだ。
結希は立ち上がり、昼間に買いこんできた、
プロテインの味見をすることにした。
プロテインは運動後に必要なたんぱく質を
補充するために作られた、栄養補助食品だ。
タンパク質の他に、ビタミン、ミネラルなど
バランスよく摂ることができる。
あまりに完璧な食品の為、これだけを摂取すればいいのではないか、
と邪な考えが浮かんだが、
やはりこれだけではなく、いろいろな食品を食べる方が良いようだ。
プロテインは粉状に加工してあり、専用のスプーン3杯を
シェイカーに入れて牛乳を注いでいく。
プロテインはシェイカーを数度振ると、
不思議なくらいよく溶けて混ざった。
「おお。うまいなこれ」
やや甘いが、粉っぽくなくて飲みやすい。
一日の疲れが癒される気がした。
全て一気に飲み干し、ひとつ大きなため息をすると、
沸かしておいた風呂に入る。
今まではシャワーで手短に済ませていたが、いろいろ調べて、
湯船に浸かった方良いということがわかったので、
試すことにしたのだ。
カビの生えたバスタブは昼の内に掃除してあり、
気持ちよく浸かれる。
「あーーーー」
あまりの気持ちよさに、思わず声が出る。
体が芯から癒されている気がする。
体が癒されて気持ちいいと、こころも気持ちがいい。
結希は、今まで本当に自分の体に
頓着してこなかったのかもしれない。
湯船につかると、ほどよく体が温まり、
上がったあと布団に入ると、スムーズに入眠できた。
翌朝の朝食は、キャベツ、キュウリ、ニンジンなどの野菜、
ゆでて火を通した鶏肉と、バナナ1本、目玉焼き、パン2枚にした。
日常的に運動をする人は、このくらいは食べないと栄養が足りないらしい。
「ううーこりゃ食べ過ぎた・・・」
胃がパンパンになって気分が悪かった。
次は身体を動かしていく。まずは体操。
そして筋トレだ。
昨日のうちに、購入した5キロのダンベルは、とても重かった。
基礎的な動きを10回したあたりで、
腕の筋肉が限界になった。
腕立てや腹筋、背筋もやってみたが、似たようなもので、
10回くらいが限界だった。
スクワットは、筋トレの王様!という記事を
ネットで見たので、試しにやってみる。
10回くらいから、急速に筋肉が張ってきて、2
0回くらいで、太ももが燃えるように痛くなった。
呼吸が苦しくなって、座り込んでしまう。
体の酸素が足りないのか、頭がぼんやりする。
「僕は・・・んなに、ひ、ひ弱、だった、のかー・・・」
運動後にプロテインを飲むと、とても効果が
上がると本に書いてあったので、
いくつかのサプリメントと一緒に飲んだ。
運動をもう一巡行い、結希は床に倒れ込んだ。
頭が振動する。
この振動も、慣れてしまえばどうということはない。
「でも、頭が震えるのって、なんでだろうなぁ・・・」
呟いたものの、体中が酸素不足で何も考えられない。
午前中のノルマを達成したので、
プロテインと野菜とバナナを食べると、
すこし食べ過ぎてしまったのか、少し吐きそうになる。
最初から飛ばし過ぎたのかもしれない。
30分くらい横になって休むと、不思議と体は楽になっていた。
「困難を与えらえるほどに・・・って、こういうことなんだ」
あまりに体が軽いので、結希は
スーパーに売っていた安いジャージに着替えて外に出た。
天気は良くて、良い散歩日和だ。
近くの駐車場で、人目が無いか確認してから、
ラジオ体操をしてみる。
首に痺れるような感覚があり、肩が燃えるように熱かった。
ラジオ体操の動きには、肩まわりをほぐす動きが多い。
運動不足で、凝り固まっている結希の肩には、
大きな負担がかかったようだった。
「ううー。ラジオ体操つらい」
首と肩の痛みが取れるまで休み、ウォーキングを始める。
昨日ほど足腰に痛みはないため、しばらく歩いても大丈夫そうだ。
歩いていると、汗が止まらなくなった。
頭の毛穴という毛穴から汗が噴き出してきて、
額をつたって首元に落ちてくるのを感じる。
なんとも言い難い開放感がある。
歩くペースを上げていくと、息が切れ始める。
ふくらはぎや腰、脛の筋肉が悲鳴を上げている。
それでも止まらないで、どんどん歩く。
歩くペースはどんどん上がっていき、
走りたいという衝動に駆られる。
「こ・・・このまま」
思うままに軽く走ってみる。
すぐに呼吸が苦しくなって死にそうになった。
息が続かないのだ。
だが、止まりたくなかった。
限界までいくんだ。
苦しさに比例するほど、スピードは上がっていない。
首も肩も、腕もパンパンで力が入らず、うまく動かない。
50メートル先に小さな交差点が見える。
あそこまで、止まりたくない。
「はぁーーーーーーはぁーーーーー」
手足の動きがバラバラで、
結希が走っている様は、きっと見られたものではないだろう。
結希は交差点まで辿りつくことができず、
足が動かなくなって立ち止まり、そのまま膝をついた。
もう、息をするだけで精いっぱいだ。
口が開きっぱなしになっているせいか、
顎の筋肉が死ぬほど痛い。
頭が振動したせいで、ふらりと体が横に倒れそうになった。
「くそぅ・・・」
交差点の信号機を睨みつける。
今度は倒す。
結希は反逆を誓って、アパートの部屋にもどった。
シャワーを浴び、プロテインと一緒に昼食を摂る。
その時、結希は身体の異変に気付いた。
箸が震えて、食べ物が掴めない。
こんなに箸が重たいと思ったのは、生まれて初めてだ。
とても新鮮な体験だったので、思わず笑みがこぼれる。
「情けないけど、よく頑張ったかも」
結希自身に大した変化はないものの、
情けなさと同時に充足感が胸中に落ちてくる。
足掻くって、こういうことかも。
結希は昼休みをたっぷり取ってから、念入りにストレッチをした。
「ん?」
以前は一日寝ていても疲れが取れなかったのに、
今日は運動をしたにも関わらず、全快になっている。
明らかに異常だった。
「『困難を与えられるほどに、強くなる肉体』・・・
本当に、困難を与えられて強くなる。トールみたいに」
結希は手を握ってみた。
以前よりも少し力強くなっているような気がする。
それなら、トールのように雷も振らせることができるのだろうか。
現実では考えられない。結希は頭を振った。
人間が発生させられる電気があるとしたら、
静電気くらいのものだ。
結希は目の前に指を一本立てて、
指先に電気を発生させてみようとする。
「ぬぬぬぬ・・・・」
思いっきり力んでみたが、電気らしきものは発生しない。
もしかしたら、トールのようにできるのかと期待したが、
やっぱり無理だったようだ。
「手から電気が発生するなんて、やっぱ無理だよね」
恥ずかしくて、思わず声に出してしまう。
ふと結希は、物語の中でトールが両手を擦り合わせて
いたことを思い出した。
「えーと」
確かこんな感じだったと、試してみる。
それがどんなに危険なことか考えもせずに。
大きな破裂音がした。
肘から先がしびれて、感覚がなくなる。
全身が硬直して、結希は後ろにひっくり返った。
一息遅れて、掌に激痛が走る。
「いてぇー!!痛ぁ!!」
目の前に白煙が立ち上り、肉が焦げる匂いがした。
涙目で両手を見ると、高熱であぶられたような、ひどい火傷をしていた。
掌から、腕にかけてひび割れたような赤い線が何本も入っている。
「う・・・」
血管内を毒虫でも這い回ったような傷を見て、結希は嗚咽した
ややあってから、すぐに体の異変に気づく。
肘から先だけではなく、身体中が痛み、
あらゆる筋肉は不規則に痙攣して、うまく動かない。
立ち上がることも、呼吸することも満足に出来ない。
少しずつ、呼吸が浅くなっているのを感じる。
声にならない声を上げて、結希は意識を失った。
この話を書くにあたり、自分でランニングをしてみました。
日ごろの運動不足のせいもあって、体中筋肉痛になりました。
次回は来週に更新いたします。