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70話 スカー 清十郎

70話です。

よろしくお願いいたします。

建物の隙間から、日の入りが見える。

冬が近づいて来ている時期だというのに、ここはずいぶん暖かい。

遠く。

光と影の間に、巨大な何かが飛んでいるのが見えた。

細長いそれはまるで竜のようだ。

竜はうっすらと現れた月の方へ伸びていく。

何かの物語で、竜の故郷は月だとあった。

もしかしたら、あれは故郷へと戻るのかもしれない。

「きれい・・・」

本日最後となる陽光をたくさん浴びるために、袖を捲った。

これは小さい頃からの癖だ。

「きれい、だなんて。

あたしらしくないな」

ゆっくりだが、大きく首を振ったとき、

「こんなところで何をしてるんだ?」

不意に声が響いた。

「わ」

驚いて振り向くと、所在なく立っている清十郎が目に飛び込んでくる。

彼を見た瞬間頭に血が上り、体がぐらりと傾いた。

手すりを掴んで、何とか引き留める。

「日の入りを見てたの」

見ていた景色を指さすと、彼がゆっくりと歩み、

自分の隣までやってきた。

サウナに入ったみたいに、体中が熱くなる。

「黄昏時だな」

「たそがれ・・・そんな言い方があるのね」

清十郎が頷く。

「誰ぞ彼、が語源らしいよ。

この時間は、人の顔が見えにくくなるから」

博識さを鼻にかけない、

恥ずかしそうに俯く彼のしぐさが気に入った。

「イケてる」

スカーはそう言うと、微笑みを浮かべる。

「そうだね。

スカウトさんは、黄昏時だけに、たそがれていたのか」

しばしの沈黙を作ってから、眉を寄せる。

「ねぇ。

今のって、もしかしてジャパニーズジョークなの?」

「いや。親父ギャグ」

「オヤジギャグ。

日本ではジョークはおじさんが使うんだな」

「基本はそうかもね」

「清十郎は、おじさんなの?

あたし、そーゆー年増のジョークたくさん聞きたい」

スカーが歌うように言うと、彼が驚いた顏をした。

「どうしたの?」

「いや。

思ったより、その。人間っぽいんだな」

清十郎が視線を逸らして呟く。

じんとくる。

「そう。

あたしは感情的。

腹に穴が開いたら死んでしまう正真正銘の人間」

彼が鼻を鳴らして笑った。

その笑い方が、笑うよりも嘆くことを選んできた人がする、

手慣れていない笑い方だとスカーは感じる。

恋に落ちる、という表現があるがあれは嘘だ、と思う。

恋は過去や未来を置き去りにしなければ耐えられない程に、

深々と突き刺さり、胸に痛みを伴うものだ。

その痛みが原因で、とうに気が狂ったスカーはもう、

彼に出会う前の自分には戻れない。

「スカウトさんは、頭がいいんだな」

清十郎の視線は、夕焼けを背負って黒ずんでいるのに、

じわりと涙が浮かぶような温かさがあった。

「そんなことない。学校は落第したし」

褒められて喜ぶような従順さと純粋さは、幼い頃に捨てた。

彼にそんな自分を知って欲しい。

「あたしね。

ボーリョクテキな女なの」

「こういう御時世だから仕方ないな」

少しの間を置いてから、「違う」と頭を振る。

殺伐とした記憶を面に表さないよう気を付ける。

「そういう意味じゃない。

小さな頃から、そうだった。

少しでも気に入らないことがあったら、あたしはキレまくってた」

「へぇ。意外だな」

「え」

彼が自分にどんな第一印象を持ったのか気になる。


「でも、それは小さい頃の話ね。

大人になってからは、相手を選んでキレまくってたけど」

スカーが大げさに言うと、清十郎が気の抜けたように笑った。

作った笑いにはタイムラグがある。

でも、彼の笑いは率直でわかりやすくスカーの胸を突き刺す。

「その笑い方好き」

思ったことが口に出た。

まるで自分が子どもになったみたいで恥ずかしい。

清十郎は笑みを消すと、口を左右に引き結んだ。

しばらくしてから、

「あんたは、アメリカで売れた歌手で、

神様に愛されて、自由だ。

しかも、ゆっきーや月子さんを手玉に取るほど強い。

それなのに、なんで俺なんか気にするんだ?」

言い終えると、清十郎が2つ並んだ三日月を見上げた。

スカーも一緒になって月を見る。

「・・・わからない」

そう言うと、清十郎が視線を下ろしてこちらを見た。

彼の瞳が黄昏を宿していた。

「あたし、育ちがめちゃくちゃ悪いのよ。

親の愛はほとんど知らない。

なんなら親自体いらないと思ってる。

・・・でも」

続けようとして喉が痛くて声が出なくなる。

目頭が熱くなる。

まずいと思った時には、涙が頬を伝っていた。

寒いわけでもないのに、身体が震えた。

両手で体を抱いたら、やっと声が出せた。

「ああ・・・。

やっぱりよくわからないんだけど。

あたし、死ぬほど馬鹿だから、うまく言葉にできない」

見える景色と同じタイミングで揺れる呼吸を、何とか整える。

「どっかで・・・。

愛する人が、欲しいって思っていたのかも」

歪んだ視界の奥で、清十郎が狼狽えている。

だから無理矢理微笑んで見せた。

「誰も愛してくれなかった。

みんな、金と知名度があるあたしが必要なだけ。

ほんとのあたしを見てくれる人はいなかった。

親父でさえ、そうだったし」

作ってみせた微笑みが、すぐに涙に溺れていく。

スカーは必死で言葉を探した。

見つからないので、いつもの癖で自分以外の誰かのせいにする。

「ああ、そうだわ。

清十郎のせいよ。

清十郎があんな風に煙草を取り上げなかったら」

スカーが結論から逃げたのを清十郎は咎めない。

「煙草?」

「そうっ。

あたしの煙草、取ったでしょ?」

スカーは清十郎に詰め寄った。

理屈のおかしい追い詰められ方をされたにも関わらず、

清十郎は頭を下げた。

「・・・あれは、悪かった。

貴重品だったんだろ?」

「な、なんで清十郎が謝るんだよ?」

煙草を取り上げられた時、スカーはまるで自分が、

清十郎に大事にされているとすら感じてしまった。

「誰にでもあんな風にするの?」

「いや。

なんのことだか・・・」

狼狽えている彼の姿を見て、スカーは合点が入った。

「そっか。

・・・わからないだろ?

清十郎とあたしは、住む世界が違う。

あたしがあたしとして生きている以上、

絶対に会えるはずのない人が、清十郎なんだ。

それが、世界がぐちゃぐちゃになるって奇跡のおかげで

偶然出会えた。

だから、つい浮かれてしまった。

今もそう。

清十郎の前で、あたしは浮かれている。

あんたみたいな人が、いるんだなぁって。

好きだなぁって思って」

一気に言うと、スカーは息を吸ってから

「でも、もういいの」と呟いた。

清十郎が怪訝そうな顔をする。

「あの日、突然、邪魔をしてごめんなさい。

みんなの住む場所を荒らしてごめんなさい。

一緒に食事をして、ごめんなさい。

・・・キスをしてごめんなさい。」

涙がとめどなく溢れてくる。

スカーは自らの肩を抱いて思った。

できそこないだった自分が、まるで人間になったように感じる。

清十郎のおかげで。

もう、これ以上は求められない。

「もう、来ないから」


   ◇


自分のことを好きだと言った女が、そっぽを向いた。

まるで手すりの先に道があるかのように、一歩進む。

「ちょっと待って」

声を上げた瞬間、手すりの前にぽっかりと

夕闇よりも暗い裂け目が現れた。

スカーの『ポータル』だ。

こちらを一瞥したスカーの目が

あまりにも痛々しくて、清十郎は思わず手を掴んでいた。

引き寄せた体はあまりに軽かった。

「なに?」

スカーは気丈に言ったが、手首は細かく震えていた。

彼女は胸に手をあてて、深く呼吸をした。

この時、清十郎の右足は『ポータル』の内部に入りかけていた。

それをわずかに引こうとして、手すりの下部に引っかかる。

「わ」

スカーが倒れそうな清十郎の腕を掴む。

清十郎はスカーの頭部を手で抱えて、そのまま前に倒れた。

肘をしたたかに打ち付けた。だが、そこまで痛くはない。

「だ、大丈夫?」

体を持ち上げると、自分の下敷きになっているスカーと目が合った。

「あ・・・あの」

スカーの頬がみるみる赤く染まっていく。

抱えた小さな頭を離そうとすると、

スカーが清十郎のシャツを握った。

「離れないで。取り残されたら大変だから」

清十郎は横目で辺りを見た。

砂浜と海が見えた。

さっきまで屋上に居たはずなのに、どうして海があるんだ。

それに、何かおかしい。

視線を戻すと、間近にいるスカーが顔を背けた。

「見ないで。

ぐちゃぐちゃだから」

清十郎はスカーの指示のもと、互いの体を抱えたまま、

ゆっくりと身を起こした。

「ここはどこなんだ」

「あたしの隠れ家。

あのままだったら下に落ちていたから、

ここに移動したの」

清十郎は違和感の原因に気付いた。

「波が動いてない。風も、臭いもない。それに、色もない」

スカーが知人を紹介するように景色を指さした。

「そうよ。

ここは亜空間だから、色も、時間の流れもないんだ」

「ゆっきーが、スカウトさんの動きが速いって言ってたけど、

時間を操れるからだったのか」

「時間が操れる・・・?

ちょっと違うけど、でも・・・そういう考え方もあるんだね」

スカーは顔を袖で拭うと、

清十郎の手を掴んだまま、ゆっくりと立ち上がった。

「清十郎は飲み込みが早い。

あたしは、理解するのにもっとかかったわ」

「そうかな」

「うん」

スカーと清十郎の前に、亜空間の裂け目が出来る。

「出ましょう。手を放さないで」

スカーに導かれて、清十郎は亜空間の外に出た。

香ばしい潮の匂いと、青い波の音が顔面にぶつかってくる。

「本当に海だ・・・ここは外国?」

海を前に、清十郎は茫然と立ち尽くしてしまう。

「正解。

いろいろ旅行をした中で、ここが一番好きなんだ」

「スカウトさんの他に、誰かいるの?」

「いない。

来た時はみんな死んでいた。外敵にやられて。

その外敵は、全部あたしが殺したけど」

スカーが慣れた様子で砂浜を歩き始める。

清十郎は戸惑いながらも、

あまりに上手な鼻歌についていくことにした。

スカーは近くのコテージに入ったかと思うと、

すぐにコーラの瓶を2つ持って出て来た。

「常温だけど、飲む?」

「うん」

スカーは最初少女のように機嫌良く、

後から戸惑ったように、コーラを手渡してくれる。

彼女の表情は、短い時間の間で、何度も移り変わる。

「あんまり見るなよ。

目が腫れて恥ずかしいから」

スカーはコーラの中身が飛び出すのも構わず、

清十郎の前から逃げ出した。

あわてて追いかける。

スカーが突然振り返って、「飲んだら?」と言った。

言われるままに、コーラを口にする。

「炭酸なんて、久しぶりに飲んだよ」

「日本には自販機がないの?」

「あるよ」

「壊して出せばいいじゃない」

「思いつかなかったな」

「嘘」

スカーはまた走り出した。

だが、彼女の足は遅くてすぐに追いつける。

一気飲みしたコーラの空瓶を浜に差し込むと、

スカーは足元の波を蹴った。

水しぶきが宙で弾けて、粉々に飛び散る。

よく見たら、浜辺にはいくつもの瓶が落ちていた。

きっと彼女の仕業だろう。

彼女は瓶の本数以上に、孤独な時間を重ねてきたのだ。

「あのさ」言うと「帰る?」

振り返ったスカーが明るく言って、清十郎の近くにやってきた。

自分には母親と紫がいた。

でも、彼女には。

清十郎が黙ってその場に座り込むと、

スカーが隣に腰を下ろした。

壊れたパラソルが波間を漂っている。

「すぐには、帰らない」

「・・・どうして?」

砂を掴んでからゆっくり力を抜くと、

指の間から徐々にこぼれ落ちていく。

「俺の父親は、ギャンブル依存症だった」

聞いたスカーは膝の上に顎を置いたまま、微動だにしない。

「よく生活費を使い込んだ。

だから家には食べる物がなかった」

「そう」

しゃがれた返事に、水平線を見つめながら頷く。

「そう。

で、最後には小さい頃に俺と母親をおいて、どっかにいった」

これが結論ではないのに、

全てが決まったような言い方になってしまう。

「それからは知らない」

父親が家から居なくなったあの瞬間、

自分は解放されたような気持ちでいた。

でも、少し違うような気がする。

自分もきっと、母親と同じように。

「うん」

声に出すこと、できればそれを聞いてもらうこと、

それが過去の出来事に意味と洞察をもたらす。

「今思えば父親なりに、俺達のことを考えて

離れたのかもしれない」

「そう」

「そうじゃないかもだけど」

「うん」

スカーの息を吐くような返事があった直後に、

風が穏やかになった。

「実際、生活は楽になった。

でも、あんな父親でも、母親にとっては好きな人だったんだ。

すごく寂しがるようになって。だんだん元気がなくなって。

俺が看護師になる頃、死んだ」

スカーの汗ばんだ手が、清十郎の手に重ねられる。

女性の手って、小さくて柔らかい。

「親孝行も、大してできなかった。

死ぬほど苦しんでいたのに、何もしてやれなかった」

会って間もないスカーに、なぜこんな話をしているのだろう。

「やろうと思えば、父親を捜して、

会わせてやることだってできたのに」

「うん」

「職場であったいじめにも、立ち向かうことができなかった。

陰でコソコソするしかない、勇気のない男だ」

「そうか」

「今でも。

スカウトさんのことが、怖くて仕方ない。

本当の俺を知ったら、きっと幻滅する。

だって。

俺は童貞で、女性と付き合ったこともない」

うなじの辺りが痺れた。

きっと、スカーは自分に呆れたことだろう。

隣で砂煙が上がったかと思うと、すぐ傍に彼女の顔があった。

「じゃあ、私のことが嫌いじゃないってこと?」

暗闇に佇む光明のような声が響く。

そういえば、彼女は歌手だった。

「そりゃそうだ。俺みたいな男が、

あんたみたいな綺麗な女を嫌いなわけないだろ」

スカーが突然立ち上がり、

清十郎の体を跨いで、腕に体重をかけて押し倒した。

「わ」

起き上がろうとしたが、体重をかけられているので敵わない。

スカーがじっと清十郎を見下ろす。

「さっきの話で、あたしが幻滅すると思ったのかよ?」

「そ、そりゃそうだろ」

スカーが形容しがたい凶暴な笑みを浮かべた。

「あたしは、清十郎のこと、

もぉぉぉぉっとイイと思った」

スカーが仰け反って上着を脱いで放り投げた。

彼女の手は、次にシャツをめくり上げようと素早く動く。

「え。ちょっ」

清十郎は思わず、めくり上がったシャツを掴む。

スカーがまじまじとこちらを見た。

「なんで止めるのさ?」

真っ白な腹部が眩しくて、清十郎は目を細める。

「だ、だだ。

だって、その、服を脱ごうとしてるからっ!」

「脱ぐわよ。そりゃあ」

「何でだよ」

スカーの手が上へ清十郎の手が下へ向かうことで、

互いの力が拮抗する。

「するのよ今から」

「はぁ?!」

スカーは口をへの字にして、あからさまに不機嫌そうな顔をした。

「あたしのこと、綺麗な女って言った」

「それとこれとは。

だって、俺は何も知らないし」

「童貞だから自信がないんだろ?

なら、やっちゃおうぜ。

全部あたしが教えてやるから」

「ひ、ひええ・・・」

スカーがにやにやしながらシャツをめくり上げた時、

何かの音が聞こえた。


   ◇


清十郎は「綺麗な女」と言った。

清十郎が自分と距離を置いていたのは、

嫌いだからではなく、自信がなかったからだという。

ならば、2人は離れる必要はない。

もう、絶対に離れない。

語れば語るだけ、触れ合えば触れ合うだけ、

清十郎への愛が強くなる。

女との関係で自信を持てない清十郎のために、

自分の女としての全てを使ってあげたい。

そうしているうちに、自分への愛に目覚めてくれたら尚更良い。

しかし至高の瞬間は、何者かに遮られてしまう。

「あぶない!」

清十郎が叫んで、スカーの腕を引っ張った。

勢い余って砂浜に頭がぶつかる。

砂の中で目を開けたスカーはすぐさま振り返り、

先程まで自分達の頭部があった場所に、

黒い軌跡が残っているのを見た。

「あの黒いのは」

スカーは『ポータル』を2人の頭上に傘のように開いた。

直後、降り注いできた千の針が、『ポータル』内に飲み込まれていく。

「いったいっ、なんだ?!」混乱した清十郎が叫んだ。

「・・・」

スカーは降り注ぐ針の中、軽いショック状態に陥っていた。

ショックの原因は、攻撃を受けたことでも、

清十郎との時間を邪魔されたことでもない。

「くそ・・・ちくしょう」

彼の姿を、『3人』に見られしまった。

清十郎は一目で東洋人だと分かる風貌だ。

そのせいで、日本が狙われる可能性は飛躍的に上がってしまった。

「清十郎。

前に話した、人を殺して回っている連中だ」

スカーは『ポータル』を閉じると、すぐさま立ち上がった。

周囲に手のひらサイズの『ポータル』を10ほど、

自分達の周囲へ浮かべる。

浮かべたもののうち4つは防御重視で、

清十郎のまわりに浮遊させる。

残りの6つは防御と攻撃を半分ずつ担当させながら、

スカーの近くに配置させる。

『ポータル』を複数扱うことは、かなりの神経を使う。

よっぽどのことがなければ、スカーはそんなことはしないが、

今はよっぽどの状況だ。

目を上げた時、20メートル先の浜辺に

黒い外套を纏った男が降り立つ。

「あの人は・・・」

「ダニエル」

10の『ポータル』を同時に動かすために、

思考力をほとんど使っているスカーは、ごく短く言った。

ダニエルの周りにある砂が、黒く染まっている。

正確には染まっているのではなく、

黒い粒がどこからともなく集まってくるのだ。

すかさず『ポータル』を動かして、黒い粒を吸いこませるが、

ダニエルが避けたため、全てを排除することはできない。

「ち」

黒い粒が集まり凝縮し、ナイフのように鋭い刃物に変化した。

ナイフが息をつかせぬ速さで飛来してくる。

狙いは清十郎。

スカーはナイフを『ポータル』で吸い込み、すぐさま閉じた。

「姿勢を低くしろっ」

ダニエルは黒い物体を自在に操り、四方八方から攻めてくる。

手数の多い彼の能力は、スカーにとって天敵といってもいいだろう。

ダニエルは砂浜に、黒い粒子を紛れ込ませていた。

地面からいくつもの槍がスカーに迫ってくる。

周到なことに、ダニエルは同時に清十郎も狙っていた。

「ちっ」

6つの『ポータル』を動員してようやく防ぐが、

直後に波状攻撃が待っていた。

清十郎を亜空間に逃がさなければ、防戦一方になってしまう。

しかし、逃げようとした瞬間、

スカーはダニエルの猛攻に遭うだろう。

逃げるにはまず、どうにかしてダニエルに

隙を作らなくてはならない。

不意打ちを受けて、今や黒い物体に取り囲まれたスカーに、

そんなことができるだろうか。

「クソっ」

あの方法しかない。

とっておきだったのでダニエルには見せたくなかったが、

この際仕方ない。

「清十郎。

何があっても、絶対に動かないで」

スカーがいくつかの『ポータル』を閉じると、

こちらが何かを仕掛けてくることを警戒したのだろう。

ダニエルは用心深く距離を取った。

亜空間がどのような場所か分かっていないダニエルにとって、

スカーの『ポータルは』は警戒するべき能力である。

だが、これからする方法は

ダニエルへの攻勢ではなく、防御である。

「そのまま攻めていた方がよかったのに、

慎重な性格が仇になったな」

清十郎の足が徐々に『ポータル』に覆われ始めた。

少しずつ下から上へ、清十郎の体に沿って『ポータル』を

広げているのだ。

こうすれば、『ポータル』に駆け込むという無防備な

動作無しに、清十郎を亜空間に入れることができる。

その間、スカーがダニエルの攻撃を防ぎながら行えば、

隙も生まれない。

「・・・」

しかし、この方法にはリスクがある。

この方法はあくまで自分を逃がすために用意したものなので、

それを清十郎に使っている以上、スカーが無防備になるのだ。

ダニエルの攻撃が激しさを増す。

スカーは何とか清十郎を亜空間に送ることに成功した。

「よし」

早く自分も亜空間へ入らなくては、清十郎の身が危ない。

亜空間の中にはスカーにしか見えないうねりがある。

清十郎がうねりに飲み込まれてしまったら、

スカーであっても見つけることは困難だ。

すかさず眼前に『ポータル』を開くが、

ダニエルがその隙を見逃すはずはなかった。

『ポータル』に入るよりも、まず防御に徹するべきだったが、

清十郎を案じるあまりおざなりにしてしまう。

『ポータル』に入って閉じるまでの間に2回、

スカーは尖った黒いナイフ受けた。

「うぐ」

興奮状態であまり痛みはない。

それよりも、清十郎だ。

スカーが入ったすぐの場所に、清十郎は居た。

スカーは思わず清十郎に抱きついて、ため息を吐く。

「よかった・・・清十郎」

相手の身体にもたれると、張り詰めた糸が切れて、

膝をついてしまう。

「スカウトさんっ!! 

血が出てる!」

清十郎が肩を優しく抱いて、

スカーの体が倒れないようにしてくれる。

その優しさに感謝する。

「大したことはないわ。

それより、あたしから手を放さないで」

スカーはいくつかの隠れ家のうち、

一番小さくて目立たない場所へ向かった。

すぐに、廃墟となった建物内に移動が完了する。

ここには最低限の物資しか置いていないが、

島とはかなりの距離があるため、ダニエルに見つかる可能性は低い。

スカーは清十郎の手を借りて、ベッドに座らせてもらった。

「ありがとう」

「怪我をみせてくれ」

「大丈夫よ。

このくらい」

「出血が酷い。

配送センターに帰れないのか?」

「うん。出来るけど、

前にダニエルに追跡されたことがあって。

少し時間をおきたいの」

「でも、その怪我じゃあ。

この辺りに女神の噴水はないのか」

「あの傷が治る泉のこと?

ないわ。出来た端からダニエル達が壊してしまったから」

「そうか」

「ごめんなさい。

傷を治してくれるなんて知っていたら、

いくつか確保できたかもしれないのに・・・」

スカーが俯くと、清十郎が肩に手を置いた。

「責めているわけじゃないよ。

スカウトさんは出血がひどいから、

しばらくここにいるなら、傷をどうにかしないとね」


   ◇


スカーの傷は太い血管を逸れていたので

とりあえず縫って包帯を巻くだけで良かった。

細菌が入るのが怖いので、包帯と糸と針を煮沸してから治療したが、

そのせいで止血が遅れた。

スカーの体力はすっかり奪われ、顔色が土器色になっている。

まともな寝具がないことと、血を失ったせいで、

スカーは奥歯を鳴らして寒がった。

清十郎はスカーの体を暖めてやりながら、

何度も配送センターへ戻ろうと言ったが、

彼女は断固として認めなかった。

数日が経過したある日。

「清十郎」

何度か呼ぶ声が聞こえたので、清十郎は食事の準備を放り出して

スカーのいる部屋に戻った。

「どうしたっ?」

駆け寄るとスカー首と額に多量の汗が浮き出ていた。

また熱が出たのかもしれない。

清十郎が濡れたタオルで拭いてやると、

スカーはようやく強張った全身の力を抜いた。

しばらくすると、彼女は目を開けた。

「清十郎・・・いたの?」

か細い声だ。

「ああ。

呼ばれたからな」

「夢みた」

「夢だったのか。うなされていたぞ」

「あたし。

最初ダニエルに会った時、話しかけたことがある」

「そうなのか。

よく無事だったな」

「あたしがすぐに殺されなかったのは、

力が便利だったから。利用したかったんだと思う」

「話したのか」

「うん。全部話しちゃった。

あたしとダニエル同じだから、嬉しくて」

清十郎はなぜか不快になった。

「あいつと君の何が同じだっていうんだ」

その不快感を、スカーに知られないよう噛み潰して飲み込む。

スカーは涙の溜まった目で言った。

「わからない。

何だかとても、寂しそうで」

熱い呼吸が頬にあたる。

「あいつと君は違うよ。

出会った時、君はみんなを傷つけなかった」

真剣に言うことで、不快感を拭いたかった。

「ダニエルは強くて、頭が良くて、イカれてる。

あたしじゃあ敵わない」

「イカれてるのは、正解だと思う」

清十郎は皮肉たっぷりに言うと、スカーが笑った。

辛い時でも、彼女はよく笑う。

寝込んでいる間も、つまらないジョークを言っては

ひとりで笑っていた。

「あたしは止めようとした。

何度も説得しようとした。

でも、無理。

ダニエルには話が通じない。狂気に支配されているから」

「確かに、あんな格好をして人を襲ってるってのは、狂気だな。

・・・そういえば、そいつには仲間がいるんだよな」

「ああ。あの日は居なかったけど」

スカーは遠い目をして、窓ガラスの向こう側を見た。

そこには、すべてが焼け落ちて、

黒ずみのように変わり果てた街が広がっている。

「本当に怖いやつらだった。

1人はダニエルより壊れてる」

スカーが清十郎の手を握り、恥ずかしそうな笑顔を向けてきた。

「あたしは、あいつらが怖い」

「俺も。怖かったよ。おしっこちびりそうだった」

清十郎が言うと、スカーは満足したように頷いた。

「清十郎は、今まで会った男とは違う」

「な、なんの話だよ」

清十郎は立ち上がって、窓際に向かう。

顏が真っ赤になっているのをスカーに見られたくなかったのだ。

「清十郎達が殺される夢を見た」

清十郎は思わず振り向いた。スカーの目に涙が溜まっている。

「ダニエルは清十郎の顔を見た。

東洋人だと気付いた」

清十郎は愕然としたが、表情を控えた。

「日本だとわかったわけじゃないだろ」

気安めだと分かっていても、そう言ってしまう。

「ダニエルはなぜかアメリカとロシアを目の敵にしていた。

だから後回しだったけど、今回のことで、日本にも手が伸びる」

清十郎とスカーはため息をついた。

スカーでさえ手に負えず、

恐怖の対象になっている『3人』が攻めてくるのだ。

「話し合いはできないのか」

「それだけは絶対に無理」

「どうすればいい」

清十郎は途方に暮れた。

「みんなが強くなるしかない。

ダニエル達よりも」

「・・・」

スカーが沈黙を作り、

数えきれないほどの呼吸を重ねた後にようやく口を開いた。

「私は・・・清十郎を失いたくない。

だから、一緒に帰るから」

スカーが清十郎をひたと見つめる。

髪はしっとりとして顔面は蒼白、

いかにも重症患者だが、強い決意に満ちた眼光は健在だった。

「わかった。一緒に帰ろう」

ありがとうございました。

次話は、すぐに更新いたします。

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