58話 葵
58話です。
よろしくお願いいたします。
なぜ清十郎と紫は結希につっかかるのか。
葵は気に入らなかった。
しかも、葵が2人に何を言っても、
結希の方に向いてばかりで相手にしてくれない。
置いてきぼりにされているようで腹が立つ。
だが、清十郎と紫の身から染み出してくるオーラに悪意はない。
悪意がないことが、むしろ憤りを強くする。
葵は清十郎に注目していた。
彼は、何か大事なことを見据えて慎重に話しているようだった。
具体的には、見えないが、葵や結希を含めた
みんなのためにしていることらしい。
だから、黙って見ているしかなかった。
葵は「何か言い返してやりなさいよ」と思いながら結希の方を見る。
たくさんの困難を乗り越えて、
葵も結希も、前よりずっと逞しくなった。
だから、ほら、言ってやりなさい。バシッと。
葵の気持ちとは真逆に、金色のオーラがくすんでいく。
「え」
結希の輝きは、日に日に増している。
最近では、彼のオーラを見るだけで、
思わず目を細めてしまうくらい、眩しかった。
それが今、少しずつ輝きを失いつつある。
どうして。
時折、赤黒い火花が散ったように見える。
この色はよく覚えている。
あれは結希のこころを蝕んだ原因となる記憶が、
オーラとして漏れ出したものだ。
このままでは、まずい気がする。
葵は腰を浮かせた。これ以上続けるのは駄目だ。
どす黒い後悔が胸を満たす。
なぜ気付かなかった。
葵は銀に従者帯を巻きつけた時、自分の過去と決別した。
自分の怒りを抑え続けた日々に終わりを告げることができた。
だから、結希の過去に触れたあの日、
結希も自分と同じく、過去と決別出来たのだと思い込んでしまった。
人はそんなに簡単な生き物ではない。
三毛や虎や銀、クロエ、伊都子、羽生や植山、
優しかった幼少期の両親との思い出。
それらひとつひとつが支えてくれたからこそ、
葵は自分の問題を乗り越えることができた。
自分の場合は偶然、ただ、上手くいっただけなのだ。
人はみんな違う人生を歩んでいる。
「結希っ」
葵にあったものが、結希にあったとは限らない。
葵はただ恵まれていて、運が良かっただけなのかもしれない。
それなのに、結希の方も全部うまくいったなんて、
なんで思い込むことができたのだろう。
結希の元へ向かう。
手の甲がコップに当たってテーブルから転がり落ちた。
足が濡れる。
結希の額に白い汗がいくつも浮いている。
何て痛々しい。
自分の目は、こういう時にこそ役立つはずだったのに。
燃え滾る怒りの槍が、自らの心臓に突き刺さる。
罪悪という名の痛みが、全身を貫いた。
そのせいで足を踏み出すのが遅れた。
ようやく背に手をかけたと思ったら、
糸を切るように結希が倒れた
葵は必死で体を支えようとしたが、
力及ばず結希は背中を打ちつけた。
「結希っ!」
体を起こして、結希の顔を上に向けると真っ青な顔が見えた。
葵は項垂れ、頬の内側を潰すように噛み締めた。
◇
結希が倒れてからは大変だった。
動揺して泣き叫ぶソーニャをあやしながら、
彼を布団に寝かせて、食事の片づけや着替え、
皆に寝床の準備をして、時折結希の様子を見ながら、
双子を寝かしつけて、先程ようやく静かになったところだ。
一通りの用事を済ませ、一旦結希のベッドサイドに座ると、
葵はぐったりして動けなくなった。
幾度かクロエや伊都子がやってきた気がするが、
覚えていない。
そういえば、みんなの寝床を準備できていなかった。
動かないと。
しかし、眠っている結希の横顔を見ていると、
思考が波のように押し寄せてきて、
脳がフリーズしてしまう。
「葵ぃー」
ソーニャの声が聞こえて、葵は我に返った。
「は・・・な、なに?」
突然、ソーニャが膝の上にのってくる。
「わぁ・・・びっくりした。
ソーニャ。どうしたの?」
「遊びたいって」
視線を上げると、キーラが立っていた。
葵は息を抜いて笑顔を作ると、手を広げて2人を抱いた。
「駄目よ。
寝る時間でしょ」
言うと、ソーニャがうーんと唸り声を上げた。
「結希ぃ。
おきないー?」
ソーニャが目を擦っているのを見ると、胸がちくりと痛んだ。
「うん・・・起きないね」
「結希は、大丈夫なの?」
言ったキーラが目を真っ赤にさせている。
彼の背で、埃のように頼りないオーラが揺れた。
キーラも結希が心配で泣いていたのかもしれない。
「そうね。心配ね。
ちょっと待ってなさい」
言うと、葵は何とか立ち上がり、
自分の布団を持ってきて結希の横に敷いた。
「ほら。
2人とも入って」
半ば強引に双子を布団に押し込む。
「葵はー?」
眠そうな眼を必死で開けようとしながら、ソーニャが言う。
「私は結希の布団で一緒に寝るの。
いいでしょ?」
もちろん、恥ずかしくてそんなことはできない。
「えー葵だけずるいんだー」
言ったソーニャは納得したように目を閉じた。
双子の髪に交互に触れる。
猫のように細くて、触り心地のよい髪だ。
葵に視線を送っていたキーラが、口を開いた。
「結希。
あいつらにいじめられた。
葵も」
彼の額に、憂いのオーラが光っている。
「いじめられていたわけじゃない。
結希も私も大丈夫。
だから寝なさい」
葵は言ってから、いつまでも目を閉じないキーラの目元に手を被せた。
すると、彼は素直に目を閉じて、寝息をつきはじめる。
ほっと息を吐き出して、葵は結希のベッドサイドに額をついた。
布団の中に手を伸ばして、彼の手を握る。
「・・・ごめんなさい。
私」
寒気がするほどの疼きを感じて、思わず胸を鷲掴みにする。
結希が倒れたのは、自分のせいだ。
清十郎達には、昼間に無理をし過ぎたからだと説明をしたが、
本当は違う。
自分がことを楽観して、結希に任せてしまったからだ。
全部、自分の責任だ。
いつも支えてもらっている癖に、
肝心な時に、なぜ守ってあげられなかったのか。
結希に繊細なところがあるのは、
過去に様々な苦労があったのは、
出会った頃から感じていたはずだ。
負の色を持つ思考の波が、幾度も葵に押し寄せて、
表皮を削って去っていく。
油断すると涙が出そうになるので、葵は息を止めた。
「葵は悪くない」
その声は、スンと鼻を啜った音のあとから聞こえた。
葵は目を開けて、顔を上げた。
「キーラ?」
彼の声だったような気がする。
キーラは寝返りをうって、
向こう側を向いてしまっているので定かにならない。
だがおかげで、少しだけ自分に向けた怒りが軽くなった。
◇
全身に強烈な苦痛を感じて、葵は目を覚ました。
正座をしたまま結希のベッドにもたれるように眠ったせいで、
下半身が痺れてしまっていた。
「いでー。
いててて・・・」
体を横に倒すと、葵は床を転がった。
その時、すぐ傍で誰かが笑う声が聞こえた。
葵は必死の思いで体勢を立て直そうとするが、
固まった下半身が上を向いたまま、もがくのが精いっぱいだった。
「うがー・・・」
膝と腿と腰が強烈に痛い。
「葵、大丈夫?」今一番聞きたい声だった。
視界の端に結希の顔が見えたと思ったら、
葵は身体をひょいと抱えられて、布団の上に降ろされた。
しかし、座位を保てずに、葵はその場を転がった。
「うががー」
「痛い?」
「うん」
結希が転がったままもがいている葵の体に、
毛布を掛けてくれる。
葵は首を動かして、すぐ傍に座っている結希の膝に頭をのせた。
体が少しだけ楽になる。
「ゆ、結希・・・いてて」
葵が痛みに耐えながらようやく口に出すと、
結希は優しく微笑んだ。
「少しの間、じっとしていなさい」
結希の優しい声にうっとりした葵だが、
次第に足に強烈な痺れが訪れ、それどころではなくなった。
「うがー・・・・無理無理ムリ。
いだーーーい。
うが・・・いーーーたーーーいーーー」
言いながら結希の手を握りしめる。
「ひどいことになってるね。
でも、噴水でもそれは治らないから・・・」
もがいていると、遠くから声が聞こえた。
「おお。熱いね。2人とも」紫の声だ。
「うるさいおっさん!!」イライラして葵は叫んだ。
「すごい体勢だったもんなー」
言った紫の気配が、すぐに離れて行く。
「2度と来るなよ・・・」
悪態をつく葵の額に、結希が手をのせた。
「起きたら、本当に、すごい格好だったんだ。
葵ったら」
彼が笑いを隠そうと口を引き結んでいる。
笑いたかったら、笑ってもいいのよ、結希。
「どんな格好だったの?」
「土下座っていうの?
正座して、両手を前に出して寝てたの」
「うわー」
「すごかったよ。
・・・心配かけてごめんね」
葵は片目だけ開けて、結希の頬を見た。
不甲斐ない自らを責める悲痛な色のオーラが、
細い糸のようにして放出され、葵に向かって伸びていた。
オーラに実態はないのに、葵は手を伸ばして触れようとする。
結希のオーラだったら、どれだけ悲しい色をしていても、
どんな形であっても、掴み取って飲み込んでしまいたい。
そうして、自分の腹の中で温めてやりたい。
彼が楽になることなら、なんでもしてあげたい。
「私も、ごめんなさい。
結希に辛い思いをさせて・・・
いでで~」
痛みのせいで思わず声が上ずってしまうと、結希が笑った。
「すごく痛そう」
「痛いわよ。やってみる?」
「しないよ」
キーラとソーニャが駆ける音。
その後を、三毛と虎が追う音。
見なくても何が起こっているか想像のつく、お馴染みの音だ。
「そうだ。
三毛と虎の紹介をしてなかった」
「ああ。すぐに外に出していたんだよね。
みんなが怖がらないように」
「うん。
でも、戻ってきちゃったのね」
「大丈夫だったみたいだよ。
ほら」
結希の手が額から離れて、ホールの中央を指さした。
キーラとソーニャと、三毛虎を見守っているクロエと伊都子が見えた。
「もう馴染んでるでしょ?」
「ああ。本当だ」
「紹介したよ。葵のしもべだって」
「しもべじゃないわ。従者だってば。
銀ちゃんは?」
「あれから帰って来てない」
「それは好都合。きっとみんな怖がるから」
葵は心臓に手を当てた。元気そうな銀の鼓動が聞こえてくる。
「銀ちゃんが帰ってきたら、みんなに紹介しなきゃ」
「そうだね」
「みんなはどうしてるの?」
「葵が起きてから、みんなで食事をしようって
クロエさんが言ってくれて。
今、伊都子さんと、月子さんが準備をしてくれているところ」
「伊都子さんと、月子さん?」
葵は結希が2人を名前で呼ぶのが気になった。
否、そういえば、会った時から葵は下の名前で呼ばれていたっけ。
葵はひとりで勝手に嫉妬して、勝手に溜飲を下げた。
「うん。清十郎さんと紫さんは、ソーニャの
家庭菜園を拡張するって言ってくれて。準備してる」
「あの2人さ、
結局ここにいるってことにしたわけ?」
「うん。
さっき来て話してくれた。謝ってくれたよ。
疲れているのに悪かったって」
「私は怒ってる」
それ以上に自分に。
結希の長い睫毛が辛そうに下を向く。
「清十郎さんと紫さんが言っていたこと。
僕は間違ってないと思う。
こんな大人数になったら、生活を維持するのはきっと大変だし、
キーラとソーニャもいるし
責任もってみんなを守って行けるのかっていうことを、
聞きたかったんだよ」
「そんなこと、やってみなきゃ、
できるかなんてわかんないよ」
話している内、足の痛みがじわじわと楽になっていく。
「うん。だから僕もさっき、わからないって言った」
「それで納得したの?」
「いや。しなかったみたい」
「駄目じゃん・・・」
「だからさ。
今までの自分のこと、全部話したよ。
ずいぶん時間がかかった」
「土下座した私の前でね・・・。
てか、今何時?」
「もう昼前だよ」
「ええ?」
葵は身体を起こしかけたが、腰の痛みがひどくて再度倒れた。
「ああ~しまった。洗濯できなかった・・・」
「1日くらい良いよ」
「ばか。私達は良いけど、
キーラとソーニャの教育に悪いっての」
「真面目だなぁ」結希が掠れた声で笑った。
葵は病み上がりの結希に言い過ぎたなと思って、
すぐに後悔する。
「ごめん。言い過ぎた」
「・・・何だか今日は素直モードだね」
「うるさい」
結希のオーラが、柔らかな日差しのような色になったので、
葵はつい見惚れた。
ああ、よかった元に戻って。
「葵。あのさ」
微笑みを浮かべた結希が口を開く。
「うん」
葵は結希の言葉に頷く。
彼の言うことに何度でも頷きたい気分だった。
誰かが彼を否定するなら、自分が全てを肯定していこう。
長い時間、2人は視線を交わす。
葵は赤くなりながら、結希の言葉を待った。
ありがとうございました。
次話はすぐに更新いたします。




