55話 清十郎
55話です。
よろしくお願いいたします。
「あそこです」
クロエを背負った結希が、左の方を指さした。
川向こうに、大きな建物が見える。
「あれが配送センターってやつ?」
「はい」
「結構でかいなぁ」
「そうですね」
「安全なのか」紫が訝気に訊くと、
「は、はい」と結希が自信なさそうに赤面して俯いた。
「本当に大丈夫かよ。
佐藤」
尚も鼻の穴を膨らませる紫に、
結希の背負われているクロエが笑顔を作った。
「まぁまぁ。
紫さん。きっと大丈夫よ」
クロエの言葉を聞いても、紫は眉間のしわを伸ばさなかった。
そこに、胸に手を置いた葵が言った。
「だ、大丈夫です。
私達は、ずっとそこで過ごしてきたんですから。
・・・絶対かどうかは、わかりませんけど」
前かがみになっている葵へ向けて、清十郎は頭を下げた。
「悪かった。
ただ、心配しているだけなんだ」
下げた頭を上げた時、葵と目が合った。
太陽の光に反射して、琥珀色に輝く瞳が見える。
何だか見透かされているような気がして、
思わず清十郎は視線を逸らした。
「こっちは助けてもらう側だ」
言うと、紫は舌打ちでもしそうな顔をしてそっぽを向いた。
清十郎はため息をつきながら、前方にある大きな橋を見た。
あれを渡って対岸に行くのだ。
「まだまだ距離あるなぁ」
紫を落ち着けるために、わざとのんびり言ってみる。
「ああ。
伊都子ちゃんが心配だ」
「息はしている。顔色も変化はない。
とりあえずは大丈夫だろ」
「月子ちゃんも心配だ」
紫が何かにもたれるように言った。
「そうだな」
清十郎は白い狼に背負われた月子に目をやった。
彼女は意識を失ったままだ。
「俺だって佐藤を責めたいわけじゃない」
「そうだな。
いきなりヒーローが現れたんじゃあ、まぁ妬くよなぁ」
茶化した清十郎に「そんなんじゃねぇよ」紫が舌打ちをした。
ここまでは順調だった。
だが、異変は橋を渡り始めた時に起こった。
◇
最初に気付いたのは、銀と呼ばれている白い狼だった。
耳を立てて後方を見ると、すぐに歯茎を見せ、
大気を震わせるような威嚇音を出す。
先頭にいた葵が、血相を変えてこちらに駆けて来た。
「みんな急いで」
「どうしたんだ」
「外敵が来ます。
配送センターまで行けば安全ですから。
急いで」
葵の隣に結希が来た。
「葵。
クロエさんをお願い。僕が足止めをするから」
葵が血相を変えて叫ぶ。
「駄目っ。
結希だって怪我してるんだからっ!!」
痙攣させるように首を振った葵の肩に、そっと結希は手を置く。
「大丈夫」
優しい口調だが、有無を言わせぬ言い方だった。
葵が何度首を振っても、結希は譲らない。
そうこうしている内に、後方から外敵達が現れた。
「うわっ。
本当に出た」
外敵は虎のように見えるが、体色が真っ青なやつらだった。
頭部に昆虫の角のようなものが見える。
あんな奇妙な生き物は見たことがない。
数えきれないほどの青い虎達は、踊るように飛び跳ねながら、
みるみる内に距離を詰めてくる。
「セイ。
ぼさっとするな!」
紫が声を荒げたので、清十郎は我に返った。
「あ・・・ああ」
突っ立っている場合ではない。
担架に乗せられた伊都子をなるべく揺らさないように、
紫と清十郎は走り出した。
だが、このペースではどう考えても追いつかれる。
清十郎はその場に残った2人を振り返った。
「あ、あいつらは」
「足止めするって」
「無茶だろっ」
問答を続けている2人のすぐ傍まで、虎が迫っている。
「くそ。
死ぬ気かよ!!」
清十郎が悪態をついた時、ようやく2人は動き出した。
葵がクロエを背負い、こちらに向かって走り出す。
結希は両手を広げて、虎の群れに向き直った。
瞬間、凄まじい雷鳴が轟いた。
直後、真っ白な光が周囲にまき散らされる。
雷が落ちたのだ。
あまりに驚いた清十郎は担架を取り落としそうになる。
走りながら振り返った清十郎は、
倒れた虎の死骸と、仁王立ちしている結希を認める。
「か、雷?」
状況はまったくつかめないが、どうやら無事のようだ。
結希は体を竦ませたまま硬直している清十郎を振り返ると、
配送センターの方向を指さした。
「早く逃げてください!」
ペースの落ちた紫と清十郎に、葵が追いついてきた。
彼女は何かに耐えるように、前方をじっと睨んでいる。
「大丈夫か?」
「はい。それより、急がないと」
清十郎達は黙ったまま走り、橋を渡り切った。
配送センターまで辿りつき、
クロエを座らせた葵はすぐに立ち上がった。
「はぁ・・・はぁ・・・
皆さん・・・なるべく・・・奥に入って下さい。
銀ちゃん・・・ここでみんなをお願い・・・はぁ」
汗だくの葵が引き返していく。
「お、おい!
戻ったら危ないんじゃ」
紫が言うが、葵は無視して駆け出していく。
「なんなんだ。
あの子は・・・」
清十郎と紫は、葵に言われた通り屋内駐車場の奥までに入った。
伊都子をゆっくりと地面に横たえると、
銀が近くにやって来て月子を乱暴に下ろすと、
出入り口付近に向かって走って行った。
「さっき、雷が落ちたよな」
汗を拭いつつ、みんなの状態を確認していると、
紫がつぶやいた。
「ああ。
落ちたな」
「わけわかんねぇよ」
紫は何度も顔を擦ると、立ち上がった。
「どこに行くんだ?」
「見てくる」
「あっちは危ない。
やべぇのがたくさんいただろ」
「わかってるっ!」
非常時でも冷静だった紫が、青筋を立てて何かに怒っていた。
清十郎は嫌な予感がした。
「ちょっと待てって」
清十郎は伊都子と月子の呼吸を確認すると、
立ち上がって紫について行った。
屋内駐車場から顔を出すと、すぐ傍に銀が鎮座していた。
「うわ。
びっくりした」
銀はこちらを一瞥したが、
興味なさそうに橋の方へ顎を向けた。
「噛みつかないよな・・・?」
「あまり急に動かない方が良い」
紫と清十郎は恐る恐る道路に出ると、橋の方を見渡した。
「いた。あそこだ」
結希は橋を渡り切った辺りで、赤い虎達と向き合っていた。
遠くてよく見えないが、腹を押さえて具合悪そうにしている。
少し後ろに葵がいた。
「あの、葵って子もいる」
「危ないぞ」
数度に渡り虎が大口を開けて牙を剥き、
結希が葵を庇いながら後ろに下がっていく。
防戦一方なのが素人目でも分かった。
「なんでさっきのやつをやらないんだ」
「え」
「爆発させたやつだ。
サキも見ただろうが。
佐藤は何か武器を持ってる」
確かに、先程あった雷が結希の力なら、
今の状況で使わない手はない。
「確かに。
なんで使わないんだ」
「多分、使えないんだ」
言外に悔しさを滲ませて、紫が吐き捨てるように言った。
「どうしてだよ」
「わからん。
あの子が近くにいるからかもしれねぇ」
紫が自らの拳と掌を叩きつけたその時、
2人の脇から何者かが道路へ跳び出していった。
「ぎゃあ!!」
清十郎が情けない悲鳴をあげて仰け反っている内に、
跳び出した影が2つ、地面を滑るように駆けていく。
「なんだあれ!」
「毛むくじゃらだった。
犬か猫か」
紫の言う通り、犬か猫のようにも見えるが、
それにしてはサイズが大きい。
「一体何なんだ。
わけわからん」
さらに、清十郎と紫の脇から跳び出してきたものがいた。
「うぎゃあっ」
清十郎2度目の悲鳴を前に現れたのは、少女だった。
薄い金色の長い髪を揺らして、紫と清十郎の前に躍り出る。
「うわ。
なんだこの子」
「どっから出て来た!」
少女がこちらを見て、満面の笑みを浮かべる。
清十郎は笑顔の純粋さに鳥肌が立った。
「△→→↑□○!!」
少女が何かを言った。
どこかで聞いたことのあるような気がする外国語だ。
「こ、この子。
外国人だ」
紫が目の前でくるくると回って見せる少女を
指さして、呆然と呟く。
しばし女の子を見ていると、やがて清十郎は
狼の前足にくっついて、もぞもぞと動いている何かに気付いた。
「うぎゃあっ」
それは少年だった。
少女と同じく、白に見紛う金色の前髪が見える。
「む、紫、男の子が・・・」
「わ・・・ほんとだ」
今までの怒りをどこかに置いてきたみたいに、紫は茫然と呟いた。
「□□×××○!」
女の子が何かを叫んで橋の方角を指さした。
「お、おい」
先程跳び出した2匹の獣が、
丸い鍋のようなものと、細くて長い棒のようなものを振り回し、
赤い虎達を、次々に撃退している。
「すごいな」
「ああ・・・でも、2人は無事か?」
葵と結希は小さな獣が動き回る中心で小さく蹲っている。
「あいつらは・・・2人を守ってるのか?」
虎達が獣に怖気づいたのか、散り散りに逃げ始めた。
逃げた虎の1体が、こちらに向かって来る。
「や、やばい
こっちにくる!!」
清十郎は男の子抱え、紫は女の子を抱えて逃げ始める。
「中へ入れ。
急げ!!」
紫は清十郎の背を押して、中へ送り出そうとした時、
それまで静止していた狼が腰を持ち上げてから、
音もなく跳んだ。
狼はひと息で、虎の上空に位置する。
空中で1度回ると、虎の顔面を前足で踏みつけにした。
柔らかいものを押し潰すような音が響く。
首の骨を折られたのか、赤い虎は完全に動きを止めた。
「あ・・・」
狼は大きなあくびをしてから、
赤い虎の首を噛むと、恐ろしい膂力で川に放った。
紫と清十郎は、子ども達を抱いたまま、
愕然とその様子を見ていた。
「・・・たすかったのか」
「ああ・・・た、たすかった・・・」
少年は、腰を抜かした清十郎の腕から出ると、
結希と葵の方に向かって走り出した。
見ると、少女の方も紫から離れて走っている。
「あ、おい」
紫と清十郎は茫然と、2人を見送った。
葵と結希は、先程の奇妙な獣と共に歩いてきており、
ややあって少年と少女と合流した。
結希は少年と少女と手を繋ぐと、笑顔になった。
みんな彼と知り合いだったのだ。
こんな世界で、結希は幼い子どもを守りながら生き抜いてきたのだ。
仲良さそうに歩いて来る4人と2匹を見ながら、
清十郎は絶句していた。
「む、紫・・・」
「なんだよ・・・」
「なんなんだよ。これ・・・」
「俺が聞きたいくらいだ」
「自分が見ているものが、信じられない」
「俺だって、ずっと信じられねぇよ」
紫の顔が真っ白になっている。
きっと自分もそんな顔色をしているのだろう、と清十郎は思った。
ありがとうございました。
次話もすぐに更新いたします。




