52話 清十郎
52話です。
よろしくお願いいたします。
阿多 清十郎は、
額から落ちてくる白い汗をそのままに、荒い息を吐いた。
にわかには信じられない光景が、目の前にあった。
身の丈3メートルにもなろうかという怪物が、
突如姿を現したひとりの青年によって斃されたのだ。
息をするのも忘れて、清十郎は唖然と青年を見つめた。
青年の傍には、銀色の狼と
どこか既視感のある少女が座っている。
2人は何かを話しているようだったが、
内容までは聞こえなかった。
青年と少女は、互いを、結希、葵と呼び合っていた。
「本当に人間か?」
2人には、互いを思いやる所作が見えた。
人間だろう。きっと。
やがて葵が狼の方を見て何かを言った。
狼は清十郎達の方を一瞥すると、噴水公園から出て行った。
「出て行ったぞ」
「仲間なのかな?」
「ど、どうする?」
紫と清十郎は体を動かさないように注意しながら、
小さな声で話し合った。
助けてくれたように見えて、実は違うという可能性もある。
油断はできない。
「それより、伊都子ちゃんだ」
紫の声で清十郎ははっと我に返り、クロエを庇った伊都子が、
瓦礫で頭を打って出血していたのを思い出した。
ぼうっとしている場合ではなかった。
清十郎は半ば滑るようにして、伊都子の傍らに膝をついた。
「伊都子ちゃん」
紫が伊都子の体に触れようとするのと慌てて制止する。
「な、なるべく動かさないで。
頭から血が出ているから。
まずは出血を止めないと。クロエさんは大丈夫?」
清十郎は伊都子の状態を確認しながら、
意識のあるクロエに声をかける。
「ええ。
私は足が痛いだけだから」
足の怪我は深そうだが、クロエの声ははっきりしている。
出血もないので、とりあえず命に別状はないだろう。
清十郎は横になっている月子へ視線をずらした。
「彼女、かなりやばいと思う。
身体中怪我しているから動かせない」
ばらばらになった荷物を急いでまとめ、
紫にお湯を沸かすように指示を出す。
清十郎は走り、怪我をしている3人の体が冷えないように、
テントから持ってきた毛布をかけてやった。
伊都子と月子は、もしかしたら助からないかもしれない。
心配そうに作業を続けている紫には言えなかった。
奥歯を噛み締める。
近くに病院でもあれば、なんとかなるかもしれないのに。
「おいっ」
急に紫が立ち上がって、皆を庇うようにして手を広げた。
どうしたのかと視線を上げると、前には結希と葵が立っていた。
「紫」
清十郎は素早く立ち上がり、紫の肩に手を置いた。
「助けてくれたんだ。
この人達は」
気の立っている様子の紫が、
ほんのわずかに体の力を抜いたのを確認してから、
清十郎は結希へ視線をやった。
「ありがとな」
本音をいうと、この時点では、
清十郎はまだ2人を信用していなかった。
礼を伝えた時の葵と結希の反応がいかほどか、見極めようとする。
結希と葵は息を吐くと、ほっとしたような顔をした。
それを見て、よかった、と清十郎の方こそ安堵した。
「本当にありがとう。
来てくれなかったら、こっちは全滅だった」
結希と葵が両手を前に出して左右に振った。
「いいえっ。
そんな大したことは・・・」
戦っている時は人間離れしているように見えたが、
話してみると、普通の子達だ。
「悪いけど、この人達が怪我をしてて、
こっちも余裕がない」
清十郎が怪我人を指すと、葵が血相を変えた。
「み、見せてください」
紫が思わずといった様子で、葵の腕を掴んだ。
「お、おい。大けがなんだぞ」
「わかっています。
お願い。見せて下さい」
強引に前へ出ようとする葵と、
強引に引き留めようとする紫が拮抗した時、
清十郎は間に入った。
「ちょっと落ち着いて」
声を出した瞬間、清十郎の体が硬直した。
「う」
紫の手も、葵を止めた状態のまま硬直している。
「うおお・・・なんだこれ」
葵は紫の手を逃れて、伊都子とクロエの前に膝をついた。
「どうなっているんだ?」
「わ、分からん。急に体が動かなくなった」
清十郎は事態を一旦端に置いておき、葵に声をかけた。
「無理に触ったら駄目だ」
清十郎が言うと、葵の大きな瞳に、
じっと睨みつけられる。
「わかっています。触らないわ。
見るだけです」
清十郎は、得体の知れない圧力を感じて押し黙った。
しばらくして葵は息を吐くと、表情を和らげて言った。
「お医者さんなんですか?」
「いや。
看護師。外科には詳しくない」
葵が目を閉じて押し黙る。
すると、体が動くようになった。
「うおっ」
急に解放された紫と清十郎は、思わずその場で転んだ。
「月子さんは、かなりひどい」
葵が苦しそうにしている月子を見た。
「・・・。
あんた、なんで名前を」
「知ってるんです、私。
だから助けに来たの」
「そうか。
わけがわからん」
清十郎は頭を抱えた。
「これは、あまり持ちそうにありません・・・」
「あんた医者か?
そうは見えないけど」
葵に問いかけると、戻って来た結希が言った。
「葵。
噴水の水は使えない。
やっぱり、みんなを連れて戻るしかない」
葵が頷くと、結希がこちらに向きなおった。
「みんなを連れて移動します。
早くしないと間に合わない」
「ま、待て待て!!」紫が叫ぶ。
「移動って。どうすんだ。2人は下手に動かしたらダメだ」
清十郎は動揺を抑えようと必死だった。
月子と伊都子を見ていた葵が立ち上がる。
「抱えていきます」
「おまえ、馬鹿だろ」
紫が青筋を立て、そのあたりの不良なら
血相を変えて逃げるような圧力を葵に叩きこんだ。
だが、彼女は全くひるまない。
寧ろ立ち向かうように紫へ一歩を踏み出した。
清十郎がにらみ合う紫と葵の間に入る。
「ちょっと待って。伊都子さんは頭を打ってるんだ。
下手に動かすと後遺症が出るかもしれない」
「動かしても大丈夫です。
それより、早く運ばないと手遅れになります」
「・・・・なんだって?」
動かすのは大丈夫だが、早くしないと手遅れになるなんて、
なぜ見ただけで分かるのだろうか。
「なんでそんなこと分かる?
さっきも言ったが、君は医者には見えない」
清十郎が訊くと、葵が途方に暮れた表情をして結希を見た。
「ゆ、結希。どうしよう。
ジャシを使って無理にでも」
「だめだ」
断ずるように結希が首を振った。
清十郎は結希に向き直った。
「時間がないのは分かるけど、教えて欲しい。
移動したら、みんなは助かる?
移動させても大丈夫な根拠は?」
清十郎が言葉を選ぶと、結希が頷いた。
「確かに。
信じられないかもしれませんが、大丈夫だと思います」
「根拠を教えて欲しいんだけど」
清十郎はあえて、ため息交じりに言った。
実を言うと、涙を浮かべて必死な態度である葵と、
あれだけ強いのに腕力を行使しない結希を見ていて、
清十郎は手放しに2人を信じてみようかと
思い始めていた。
とっくの昔に人に絶望していたのに、今さら
信じてみようだなんて何故思うのだ、と自分自身に問いかける。
「教えてよ」
余裕のあるふりをしながら、自分の声がわずかに震えたのがわかる。
みんなの運命を決める次の言葉を待つ間、
清十郎はなぜかわくわくした。
「聞いても信じられないかもしれません」
「信じられない?」
清十郎は周囲を見回して肩を竦めた。
「とっくに済ませたよ。
今の日本が、その信じられない状態真っ只中だろ」
結希は納得した様子で小刻みに数度頷いた。
◇
清十郎はテントを崩して作った担架の端を持ち直した。
振り返ると、担架に横たわった伊都子と、
もう片側を持って歩いている紫の憮然とした顔が見える。
「おい。セイ」
紫に呼ばれて、「うん」と目を逸らしながら清十郎は答えた。
「信じられるか。
あの話」
清十郎は返事が出来なかった。
あの時結希から聞いた話は、にわかには信じられない内容だったのだ。
「女神に会っただとか、力をもらっただとか、
あの噴水の水が怪我を治すだとか。他にも噴水があるから、
そこに行かないと駄目だとか」
紫がわざとらしくため息をついた。
「完全にイカれてるな」清十郎が言うと、
先導している葵がこちらを振り向いた。
しばらくの間葵はじっとこちらを見ていたが、
結希に声をかけられると視線を逸らした。
紫はため息をつくと
「おいおい。
それなら、なんでOKしたんだよ。
伊都子ちゃんはまだ目を覚まさないし、首の骨が折れてたら」
早口で言った。
「なるべく固定はした」
担架の上で横になっている伊都子を見る。
大事なテントの骨組みと、所持していた包帯を全て使って、
出来るだけの処置はした。
「くそ。伊都子ちゃんが死んだら、
あいつらぶん殴ってやる」
興奮した紫の腕が前後に揺れる。
「ちょっ。揺らすなって馬鹿」
「しかも、あいつら詳しく話さねぇし」
「俺達の質問に答えている時間はなかった」
「さっきから何なんだよ。いちいち言い返しやがって。
セイはあいつら信じたんかよ」
紫が駄々をこねるような言い方をする。
そのうち道端に唾でも吐き始めるかもしれない。
「今だって、どこに向かっているのか分からねぇし」
「配送センターだって言ってたな」
清十郎は上向いて空を見た。
「だから、本当にそこが安全地帯かわかんねぇだろ。
セイ。お前冷静じゃないよ」
紫の言う通りかもしれない。
自分は結希と葵に出会ってから、冷静さを欠いている気がする。
あんな話を信じて、おめおめついて行くなんて、
昔の自分ならありえない。
どうして清十郎は、結希の言うことが
本当のことだと思ったのだろう。
それは、直感、としか思えなかった。
2人のことを信じても良い、と清十郎は思った。
これには清十郎の過去が関係している。
ありがとうございました。
次話もすぐに更新いたします。




