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51話 結希 月子

51話です。

よろしくお願いいたします。

結希は体を揺すられて目を覚ました。

「う・・・うーん。

どうしたの」

目を擦りながら体を起こすと、

涙を浮かべたソーニャがいた。

「ユキ。あのね。あのあの・・・。

おきて」

たどたどしい言葉の間に、しゃくりあげるような呼吸が挟まる。

結希はソーニャの体を抱いて、上体を起こした。

「うーん。

ソーニャか。どうしたの?」

ソーニャが首に抱きついて泣き始める。

「怖い夢でも見たのか」

ソーニャは首に押し付けた顔を左右に振った。

「ちがう。

アオイ、泣いてる」

それを聞いて、結希の頬筋が立った。

キーラとソーニャの時と同じだ。

「大丈夫。

一緒に行こう」

結希はソーニャを抱きかかえて、葵のベッドに向かった。

オドの光はいつもよりも明るく、

落ち着きなく天井付近を飛び回っていた。

少し前に気付いたが、オドの光はきっとソーニャの状態と関連している。

ソーニャが寝れば、動きがなくなり光が小さくなる。

逆に、楽しく遊んでいれば、動きは活発で光は強くなるのだ。

今のオドは、さながらソーニャの動揺を表しているのだろう。

ベッサイドにキーラが座っていた。

「キーラ。

起きてたのか」

葵の手を握って優しく擦っているキーラへ静かに近づき、

頭に手をのせた。

キーラは髪の間から覗いた青い目で、

結希をじっと見返してきた。

堅い表情だったが、結希が笑顔を見せると少し緩んだ気がする。

「ありがとう。

キーラ」

伝えると、キーラは涙を堪えるように、潤んだ瞳を閉じた。

ソーニャは腕から降りると、葵の横に寝て顔を寄せる。

「ううぅ・・・っ

ぐぐぐ・・・」

夢にうなされ声を漏らしている葵に、3人はこころを痛めた。

キーラに、タオルを濡らしてきて欲しいとお願いする。

役に立てるのが嬉しいのか、キーラは何度も頷いてから、

3段ボックスからタオルを取り出すと、噴水まで走っていった。

葵が辛そうに泣き始める。

もしかしたら、以前双子を助けたときと同じように、

誰かの辛い体験を見せられているのかもしれない。

結希は奥歯を噛み締めた。

女神はなぜ、葵にこんな役回りをさせているのだろうか。

冷えた頬に触れると、葵は結希の手に縋るように顔を寄せた。

「ソーニャもー」

「わかった。

ソーニャは頭を撫でてあげる係ね」

「うんっ」

キーラが濡れタオルを持って戻ってきた。

涙と汗で濡れた顔を丁寧に拭っていると、呼吸が荒くなった。

悲鳴を上げたソーニャがパニックになりそうだったので、

すぐに抱えてやる。

「大丈夫。

大丈夫だよ」

キーラを見ると、無言のまま胸の前で手を握りしめていた。

2人とも葵のことが心配なのだ。

「あんまり苦しそうだから、起こしてあげよう。

その方が落ち着くと思うから」

フォルトゥーナに夢を見せられている最中であろうが、

辛そうな葵を放っておくことはできない。

双子が頷くと、結希は葵を揺さぶった。

「葵。

あおい」

「やだっ。やだ!!」

葵が手を振り回し、結希の首を引っ搔いた。

「いやっ!」

構わず結希は体を持ち上げて抱きしめた。

目を開けると、葵は涙を流しながら、結希にしがみついてきた。

「結希・・・結希ぃ・・・」

「大丈夫だよ。もう、大丈夫」

「うあああああああ・・・・・あああああああ」

泣き声を聞いていると、胸が何を突き立てられたように痛んだ。

身じろぎする葵が落ちないように、しっかりと抱きしめてやる。

「えええ・・・ええええええん」

泣いている葵へキーラとソーニャが抱きついた。

2人とも泣いていた。

「ええええええ。えええええん」

3人の泣き声は、しばらくホール内に悲しく響いた。


   ◇


結希が注いできた水を葵は、しばし見つめた後少し飲んだ。

だんだんと落ち着いてきたようだ。

キーラとソーニャは泣き疲れて、葵の膝枕の上で目を閉じている。

葵はそれを見ながら

「私達が出会った場所、覚えていますか」

ひとりごとのように言った。

結希はすぐに女神の噴水を思い出した。

忘れる訳がないと意味を込めて、目顏でのみ肯定する。

満ち足りた笑顔の後、葵は口を開いた。

「あそこに、月子さんっていう女の人がいるんです」

身を寄せてきた葵の声が、結希の体内に響いてくる。

「女の人?」

「うん。

ずっと、その人の夢を見てた」

葵の声に涙が重なる。

「助けなきゃ・・・」

やはり、葵は女神に夢を見させられたのだ。

全てを悟った結希は、迷わず「助けましょう」と言った。

それを聞いた彼女は唖然とした顔をした。

「い、いいの?」

「はい。

必ず助けてきます」

結希は葵にキーラのことを教えてもらったとき、

反省をしたいと思った。

反省して、次に同じことがあった時には躊躇わないと決めていた。

自分なりに改善することができたのが、とても嬉しい。

立ち上がろうとすると、葵が腕を引っ張った。

「ごめんなさい。

私・・・」

予想通り、葵は謝ってきた。

でも、彼女は何も悪くない。

「いいんです。

僕がそうしたいんだから」

率直さは時に人を傷つける。

それでも、結希は真っすぐな言葉を葵に放った。

受け止めた葵が、唇を引き結ぶ。

「結希。

私も行く」

結希は白球を打ち返すように頷いた。

「わかりました。

ありがとうございます」

葵は双子に声をかけて、真剣な面持ちで話し始めた。

何かを言い聞かせているようだ。

その間に、結希は服と靴を履き替える。

終わった頃に、腫瘍を取り除き全快となって久しい

銀が悠然とホールに入って来た。

「銀ちゃんも行きます」

葵に撫でられている銀の体は、以前よりも一回り大きくなった。

銀の迫力に押されて、結希は軽く身震いした。

そんな銀だが、キーラとソーニャが傍に来ると、

家犬のように優しく甲斐甲斐しい姿を見せる。

今は毛にぶら下がるソーニャのために体を揺らしながら、

キーラの顔を舐めている。

虎と三毛もやってきた。

葵は3匹と少し話をすると、結希の方に駆けてきた。

「キーラとソーニャは留守番で、

念のために三毛と虎をおいていこうかと思うんですが」

「そうですね。

僕もそう思っていました」

何かあってもこの2匹なら、双子を守ってくれるだろう。

足早に外に出ると、三毛虎と双子が見送りに出てきた。

ソーニャは不安そうに泣いていた。

その頭を葵がぐりぐりと撫ぜると、その手を掴んで放さない。

「アオイー行かないでー」

「ごめんね。

少しだから留守番してて」

「やだー」

葵はソーニャの手を握りしめて引き寄せると、小さな体を抱いた。

ソーニャはわんわんと泣き始めた。

結希はキーラの前に立った。

キーラはズボンに指を食い込ませたまま、じっと結希の方を見ている。

「キーラ。

ソーニャのことお願いね」

ため息を吐くのみで、彼からの返事はない。

こころに小さな不安が影を落とし、心臓の辺りが少し痛くなった。

キーラには辛い体験があった。

2人がちゃんと話せるようになるまでには、

まだ時間がかかるのだ。

だから結希は笑顔でいると決めていた。

結希は前かがみになると、

キーラを驚かせないよう慎重に手を伸ばした。

葵のように彼の頭を撫ぜてやりたかった。

彼はきっと、不安を感じているはずだ。

祈るように伸ばされた手を前にして、キーラが身を強張らせる。

「・・・」

結希は悔恨とともに手を後ろへ引き、胸の前で握りしめた。

拒否されるのは、辛くないといえば嘘になる。

「じ、じゃあね」言うだけで精いっぱいだった。

ふと、葵と目が合う。

頼もしくあろうと選択した行為が失敗に終わり、

それを目撃された恥ずかしさと、情けなさが混じりあって苦笑いになる。

葵と結希は銀にまたがり、双子と三毛虎に手を振る。

泣いているソーニャと三毛虎は手を振り返してくれるが、

キーラはしなかった。

走り始めた銀の背で、結希は後ろ髪を引かれているような気がした。

振り返る。

すると。

キーラがこちらに走ってきていた。

彼は泣きながら何かを必死で叫んでいる。

「・・・っ!!」

結希は銀の背から飛び降りて、キーラに向かって走った。

「ユキ・・・ユキっ」

悲鳴のような自分を呼ぶ声の前で、結希は跪いた。

差し出された両手を握って、小さな体を引き寄せる。

泣きじゃくるキーラを抱きしめた結希は、

胸にこみ上げてくるものを大事に飲み込んだ。

「どうしたんだ。

キーラ」

こうやってちゃんと聞けば良かったんだ。

「い・・・い、いかない、でよ。

行かないで」

こんな僕でも、キーラは行かないで欲しいと、言ってくれるのか。

目尻に涙が溜まってくる。

「たたいて、ごめなさいっ・・・ううっぐ。

ごめんなさい・・・タクサン、たたいてごめんなさい」

キーラの真意に気付いて、結希は愕然とした。

彼が自分に対してそっけなかったのは、

出会った時に石で殴ったことを後悔していたから。

彼は結希を傷つけたことを、ずっと謝りたかったのだ。

「大丈夫。

僕の顔を見てごらん」

結希は体を少し離すと、キーラと顔を見合わせた。

「大丈夫。もう治った。

もう、気にしてない」

キーラが結希の顔に触れる。

「ごめんなさい。イタカッたのに」

「いいんだ。全然痛くないよ」

もう一度彼を抱きしめる。

「ユキ。オネガイ。かえってきて」

「うん。わかった。

絶対帰って来る」


   ◇


出発してしばらくの間、小鬼やセベクの姿はなかった。

だが、代わりに見たことのない四足獣が姿を見せる。

「なんだあれ」

結希が指をさすと、

葵が「たくさんいる!!」と悲鳴のように言った。

四足獣は、筋肉が剥き出しで血を多量に流しながら走っていた。

瞼のない虚ろな目が、疾走する銀の後を追ってくる。

「こ、この子達って・・・」

「どうしたの?」

「出しているオーラが、腫瘍持ちの子と同じです」

「あいつらと同じ?

腫瘍はないの?」

葵は目を凝らして確認してから、

「は、はい。腫瘍はないみたいですけど、同じだわ」

結希は思わず舌打ちをした。

「厄介ですね。

振りきれますかね」

「ご、ごめんなさい。銀ちゃんは、

私達のせいでこれ以上早く走れないみたい」

「いや、まずいなぁ」

「確かに、このままだと、

噴水公園までついてきちゃうかも」

このタイミングで新しい敵が出現し、

しかも腫瘍持ちと同じオーラを持つというのは、

明らかに不穏である。

結希はため息をついて、空を仰ぐ。

上には曇天が広がっていた。

「あ、あれ!!」

葵の視線を追うと、3階建てのビルの上に影が見えた。

「次から次へと」

影は建物の上を移動しながら、こちらに並走してきている。

「結希。

なんか囲まれてるみたい」

銀が隣まで追いついてきた皮無しへ首を伸ばして、

喉を嚙み千切った。

結希は葵の体に覆い被さり、皮無しの飛び散る血飛沫から守ってやる。

「ありがと」

「いいえ」

頬に張り付いた血を袖で拭った時、

上から落下してくるいくつもの影が見えた。

影はいくつも銀の周囲に着地し、

その内のひとつが銀の顔面に激突した。

「うわ!!」

銀はたまらず転倒して、結希と葵は宙に放り出された。

結希は葵の腕を掴むと、空中で体勢を整える。

地面との距離を必死で測り、地面に足をぶつける。

葵を抱いたまま足や肘を地面に擦りつけて、地面を転がいく。

ようやく止まると、結希は顔を上げた。

「け、怪我はない?」

「大丈夫」

葵はしっかりと目を開けてこちらを見返して来た。

葵をひっぱりあげて起こし、結希は周囲を見渡した。

周りは皮なしの皮無しと、真っ黒な体毛の猿に取り囲まれていた。

「猿?」

「こいつも見たことないやつだ」

右手にトールの雷を滾らせて威嚇しつつ、

葵の手を引いて立ち上がらせる。

「銀ちゃん。

大丈夫?!」

葵が呼ぶと、少し離れたところに居た銀が立ち上がる。

口から血が出ているが、重症というわけではなさそうだ。

「銀さんと一緒に居てください」

葵が銀の背中に乗り込んだのを尻目に

結希は『麒麟』の準備を整える。

黒い猿が飛び掛かってくるのを避けつつ、

動きの早さ、手の長さ、膂力等を予想して、

回避と反撃の方法を『麒麟』に落とし込んでいく。

一通り準備ができると、結希は自ら猿の集団に飛び込んだ。

無数に伸びてくる猿の腕を、『麒麟』が余裕をもって躱していく。

きわどかった攻防だけを修正し、結希は速やかに離れた。

これでもう、相手がよっぽどこちらの予想を上回らなければ、

触れられることはない。

「よし。うまくいった」

猿の動きを見切った結希は、安全圏から次々と『トールの雷』を

叩きこんでいく。

残り数匹になった時、猿達が奇声を上げながら逃げ出した。

こちらは先を急ぐ身だ、あえて追い打ちをすることはない。

後ろを振り向くと、銀も皮無し達を始末し終えていた。

駆け寄ると、葵が銀から降りてくる。

「結希すごいっ」葵がすごい笑顔で迎えてくれる。

「あ、ありがと・・・。

今日は調子がいいみたい。

2人とも、怪我はないですか?」

「銀ちゃんは大丈夫。口の中を切ったみたいだけど」

2人を乗せた銀が走り出すと、葵が言った。

「あれは、やっぱり弟さんが仕掛けたんでしょうか」

葵が弟さんと言ったのは、

フォルトゥーナの弟神であるミーミルのことだ。

「そういえば、キーラとソーニャの時も、

邪魔しに来たよね」

結希は頷く。

「さっきの猿達は、どうでしたか?」

葵がしばし黙った後、遠慮がちに

「よくわからなかった」とだけ言った。

結希は言及せず、流れていく景色を見つめるだけにする。

ややあって、葵は夢で見た月子という女の子について、

詳しく話を始めた。

「そんなことがあったんですね」

「はい。見ている私も辛かったです」

じゃあ、助けないとね、葵の背を軽くたたく。

「はい。

絶対助けたい」

「うん」

言った後すぐに、結希は銀の走る背から飛び降りた。

前方には小鬼の群れがある。

着地した結希より先に、速度を上げた銀が群れに飛び込んだ。

銀はその勢いのまま、小鬼の首筋を噛み千切り、

次のやつに飛びついて後ろ足で突き飛ばす。

突き飛ばされた小鬼は電柱に激突し、頭部を割って絶命した。

鮮血が宙を舞い、それがアスファルトに落ちる前に、

銀の軌跡が通り過ぎていく。

続いて群れにたどり着いた結希は、

こちらに気付いて刃物を構えた小鬼を蹴りつける。

結希は『雷獣』を使用して、

小鬼に囲まれて足止めをくらっている銀の隣まで駆け抜ける。

指先へ極限まで凝縮させた雷を、

小鬼達のうなじへ針のように刺し込む。

この雷は死にはしないが、動きを封じるには十分な威力がある。

わずかな時間、小鬼達の体が硬直する。

その隙に銀が前方に抜け出した。

それを見届けた結希は、銀の背に向かって

槍を投げようとしている小鬼を認める。

『雷獣』の出力を上げ、体ごとぶつかって阻止する。

肘を突き出すと、顔面から血を流して目の前の小鬼が昏倒する。

結希は銀に追いつくために、『麒麟』と『雷獣』を

交互に使用しながら、小鬼達の群れから離脱する。

先へ進み物陰に隠れていた銀に追いつくと、

結希は膝に手を置いて息をついた。

「ふぅ・・・」

「結希。大丈夫?」

「大丈夫。

ただ、あいつら全部、腫瘍持ちだった」

その後、結希達は道の途中で3回の襲撃に遭った。

「絶対に邪魔されてるよね」

葵が呟いた。

「はい。

間違いないです」

「この先にも、きっと・・・」

もうすぐ噴水公園だ。

きっと、敵は準備してこちらを待ち受けているだろう。

「時間がなさそうな場合は、僕が突っ込みます。

葵さんと銀さんは、様子を見ながら動いてください」

「でも、結希が危ない」

「大丈夫です」

キーラがこころを開いてくれたことが、

自分に多大な精神的充実を与えている。

ありがとう。キーラ。

絶対に生きて戻るからね。

「今日の僕はかなりキレッキレなんで」

銀が豪と唸る。敵が近いのだ。

結希は目を凝らして前方を見ながら、神経を研ぎ澄ませる。

最初の関門は、結希と葵が間に合っているかどうかだった。

月子という人は生きているのか。

そして、現場はどういう状況なのか、

どんな外敵が待ち構えているのか。

様々な予想をしながら、結希達は公園の見える範囲に到達した。

「な、なんだ・・・あれ!」

目に入ったのは、身の丈3メートル以上はありそうな

人型の巨大だった。

体色は赤黒く、ヌメヌメとしておぞましい姿をしている。

周囲の気温が一気に下がったような錯覚に陥る。

「トロルよりでかい・・・っ」

巨人の周囲には、途中で出会ったのと同じ、

四足の皮無しが数体いた。

「結希っ。

足元!」

葵が叫んだ。

結希の目に、巨人の足元に倒れている人が飛び込んでくる。

「あれはっ」

巨人が足を持ち上げる。

踏み潰すつもりだ。

結希は銀から飛び降りながら、全身全霊の『雷獣』を身に纏った。

「やらせない」

結希の身体は銀を一瞬で抜き去り、一瞬で最高速度に達する。

足の筋肉と関節が、稼働限界を超えて奔る。

視界が滑るように滑空して、ガードレールを飛び越えた。

結希に気付いた皮無し達が、水の混ざったような咆哮を上げた。


怯むな。


いくつもの牙をかいくぐり、

公園の敷地内に入ると、結希は姿勢を下げて跳んだ。

体内では収まりきらなかった『雷獣』の余波が、

踏み込んだ石畳を焦がす。

頭が地面に付きそうな位の位置を、結希は疾走していく。

巨人が踏み下ろす足と地面の隙間へ、弾丸のように自らを叩きこむ。

「・・・っ!」

結希は低い姿勢のまま、倒れている人の背中に右手を滑りこませた。

腕の外側が摩擦で擦り切れる痛み、

抱えた人の重さ、風圧と雷鳴が、巨人の足と地面の間をすり抜けた。

よって巨人が踏み潰したのは、地面のみ。

まさに間一髪だった。

結希は勢いを止めるため、地面を蹴って一回転した。

しっかりと姿勢を低くして、着地を安定させる。

「ふぅ」

『雷獣』がじゃりじゃりと結希を讃えるように鳴く。

すかさず雷の出力を下げながら、抱きかかえた女性を見下ろす。

酷い大けがをしているが、生きている。

「・・・良かった」

痛む右手を見ると、小指が外側にねじ曲がり、

人差し指の爪が半ばまではがれて折れていた。

太腿とふくらはぎが痙攣し、足首と膝にも痛みがある。

腱が切れたり、骨が折れたりはしていないようだが、

もうしばらく『雷獣』は使用できない。

だが、その甲斐あって助けることができた。

「いてて・・・」

遅れてきた痛みに耐えていると、跳びかかってきた皮無しを、

追いついてきた銀が踏みつけにして、齧りついた。

「結希。

大丈夫?!」

「大丈夫。この通り」

右手を上げると、手の怪我を見て葵が小さく悲鳴を上げた。

「ゆ、ゆ、ゆ結希、ゆび」

「ああ、これか。

大丈夫だよー」

思いっきりの笑顔を葵に向け、

結希は元気いっぱいに言った。

「結希。

その人、月子さんっ」

「ああ。そうだったんだ。

大丈夫。生きてる」

銀が葵の指示を待たずに疾走する。

いつの間に迫っていた皮なしの皮無し達5体が、

銀の牙によって紙屑のように屠られる。

周囲から、さらなる皮無しの援軍が集まって来る。

「そっちは任せた!!」

結希は葵に向かって叫ぶと、

こちらへ一歩踏み出した巨人を仰ぎ見る。

巨人は喜々としたように鳴き、鉈を振り上げる。

よく見ると、巨人には皮膚がなく筋肉がむき出しになっており、

腹部も内臓が飛び出て地面を引き摺っていた。

「グロい・・・」

ただよってくる酷い匂いに顔を顰めながらも、

結希は巨人の体格から動きを精査し『麒麟』の準備を進めていた。

巨人の斜めからの打ち下ろしが来ると、

結希の体が重力に任せて沈んだ。

沈み込んだ全身が、今度は側面に傾けて伸びる。

たったそれだけで結希の体は巨人の攻撃をたやすく躱していた。

間髪入れず、凄まじい風切り音が背後に聞こえる。

視界の端に捕らえた脅威に反応して、『麒麟』が自動発動する。

寸前で体を折って躱し、顔を上げる。

後頭部に何かが刺さったような痛みがあった。

『麒麟』ですら、躱しきれなかったのだ。

なんだ、今のは。

額に汗しながら、結希は顔を歪ませる。

巨人を見ると、肩に杭が数本刺さっていて、

杭に繋がったワイヤーが数本ぶら下がっているのが見えた。

鉈を振り回した体の動きに合わせて、

ワイヤーが遅れてこちらに向かってきたのだ。

巨人が意図しているようには思えないが、

無駄にも見える大きな動きがワイヤーを利用した

二重攻撃を可能にしているのだろう。

結希は予想できるワイヤーの動きを

『麒麟』に組み込んでいく。

巨人の重撃が来るが、結希は余裕を持って横に躱す。

一瞬遅れてきた2本のワイヤーに『麒麟』が対応する。

今度は完璧に躱せた。

「よし」

結希がつぶやくと、腕の中で息を飲む音が聞こえた。

結希は抱えた月子を一瞥すると言った。

「大丈夫です。

何とかします」

『雷獣』で足腰にダメージがあるので無理はできないが、

このまま『麒麟』を最適化し、スタミナの消費を最小限にして動けば、

その間に倒す方法を見つけられるかもしれない。

巨人に注意を払いながら、銀と葵の方を見た。

一瞬だけ葵と目が合い、2人は頷き合う。

そしてすぐに、油断なく視線を巨人に戻した。


   ◇


光に目が眩んだと思った直後、月子は青年に抱かれていた。

触れられている場所が熱い。

何かがじんわりと体に流れ込んできているのを感じる。

その不思議な力が、青年の腕と月子の背骨を繋いで

固定しているように感じられた。

巨人と皮無しに囲まれた状況にあって、

青年の腕の中は、まるでゆりかごのような安心感があった。

この人は、いったい。

巨人を前にして、一竦みもしない青年を見上げ月子は思った。

月子は青年から目を離せない。

青年が月子を見下ろすと、複雑そうな顔をした。

瞬間、青年は巨人の鉈を躱すために、動くべき方向へ動いた。

月子は準備する間もなく、額を青年の胸にぶつけてしまう。

「・・・っ!!」

月子は驚いた。

人が動き始めるには予備動作がある。

相手が何をしてくるかまでは分からないまでも、

剣士同士の戦いであれば、予備動作を見て、

何かを仕掛けてくる前兆がわかるものだ。

だが、青年にはその予備動作が全く無かった。

だから、月子はまったく青年の動きについていけなかったのだ。

視線も呼吸も平素の通りにしながら、

瞬時に予備動作なく動くなんて信じられない。

ぶつけた額は、月子の意志とは関係なく、

青年の胸に張り付いて離れなくなる。

「?」

その時、恐ろしいほどの風切り音が月子のうなじの

すぐそばを通り抜けた。

あのワイヤーだ。

あぶない、月子は声なき叫びを上げた。

必死の一撃が青年の背中に向かって来るのが、

手に取るようにわかった。

だが、ワイヤーは青年に当たらなかった。

ワイヤーは猛烈な速さで旋回して、

獲物を逃がした憤りを叫ぶように、近くの地面に当たって音を上げた。

青年がそっと月子の頭に触れると、くっついていた額が離れた。

月子が息を吐くと、青年は頷いてから走った。

粉砕された噴水の隣に倒れていたクロエ達のところへ駆け寄ると、

青年は月子を丁寧に下ろした。

「く、クロエさん?」

クロエを見た青年が、まるで子どものようなあどけない声を出した。

青年がまるで普通の人のように話したのに、月子は拍子抜けする。

よく顏を見ると、歳も月子と変わらなそうに見える。

「あんたら、知り合い?」

月子の隣に屈んだ紫が言った。

青年は緊張している様子で、短く返事をする。

「葵。

ここを中心にして」

青年が大きな声を出すと、一同の前に巨大な銀色の狼が着地した。

狼は、前にした者を震え上がらせるような

迫力を湛えていた。

清十郎と紫が驚いて「うわぁ!」と叫び声を上げる。

その狼の背から、少女がひょっこりと顔を出す。

「はい」

葵と呼ばれた少女が巨人を指さす。

「結希。

あそこと、あそこです!」

葵が言うと、結希と呼ばれた青年が「わかりました」

と返事をした。

まさか、彼は巨人を倒すつもりなのか。

「気をつけて」

葵に声に頷くと、

結希と呼ばれた青年が、巨人に向かって悠々と歩いていく。

その歩き方を見た月子は、ああ、なんて恐ろしい、と思った。

結希の足取りは恐ろしく不器用だったのだ。

あんな運動音痴は見たことがない。

足運びがまるでなっていない。左右のバランスも最悪だ。

彼は全くの素人だったのだ。

それなのに。

なぜ、結希は踏み潰されそうな月子を抱えて逃れることができたのか。

なぜ、結希は人を抱えたまま巨人の鉈を躱し続けられたのか。

なぜ、先読みするように、ワイヤーを躱すことが出来たのか。

それらの疑問に、月子は1つの答えを出した。

彼は、自ら敷いた針の筵を裸足で踏み超えてきた人なのだ。

月子以上に孤独で、誰にも教えてもられず、独学で。

絶望的な状況で、それでも弛まぬ鍛錬を積んで来た人なのだ。

それがどれだけ凄まじいことか。

足元から湧き立つ感動に全身の毛が逆立つ。

こんな人が、世にいるのか。

月子は身体の感覚を総動員して、結希を見ていた。

2体の皮無しが、結希の左右から

挟み込むようにして向かってくる。

「危ない!!」

清十郎が叫んだ。

結希は身を屈めると、右から来た噛みつきを躱し、

右手で皮無しの顎を跳ね上げた。

左から来た体当たりは、そのまま体を回転させて受け流す。

受け流しながら、横顏に肘をぶつける。

2体は空中で死に体となり、そのまま地面を転がった。

結希の打撃は、皮無しを無力化する程重いものには見えなかった。

一体どうやって殺したのだ。

霞む目に、括目せよ、といいきかせる。

結希の動きをもっと見なくては。見て、理解しなければ。

結希がすぐに飛び退いた。

直前まで立っていた場所に、数トンはあろうかという

鉈の一撃が落ちてくる。

地面が大きく割れて、瓦礫が周囲に飛散する。

巨人は今までよりも大きく膂力が増しているようだった。

まさか、これまでは本気ではなかったのか。

巨人は割れた瓦礫に手を伸ばし、細かく握りつぶすと、

結希に向かって投げつけた。

月子は石礫を受けた時を思い出す。

だめだ。あれは防ぎようがない。

しかし、結希はそれをわずかな動きで避けると、

追撃のワイヤーも余裕を持って躱した。

そんな馬鹿な。

結希は素早く体を反転させてワイヤーを握ると、

体重をかけて引っ張った。

それが癇に障ったのか、巨人が断末魔のような悲鳴を上げた。

大きく振りかぶって、鉈を力任せに叩きつける。

結希は鉈が体に到達する寸前まで動かなかった。

すると、巨人の手から鉈がすっぽ抜けて、公園の外に飛んでいった。

鉈は弧を描くようにして、

道路を挟んだ反対側のビルの窓を割って消えた。

「・・・?」

巨人は見えない何かに体を拘束されたように、

身動ぎしながら、声を上げ続けている

何が起こっているのかわからないが、

おそらく結希が巨人に何かを仕掛けている。

不意に巨人の腹部から、多量の出血が生じた。

「届かないな・・・」

眉を寄せた結希は呟くと、ワイヤーから手を放した。

見えない拘束から解き放たれた巨人が、

腕を振り回して暴れ始めた。

次々と繰り出される大砲のような拳を、結希は躱し始める。

間合いの外に出れば良いのに、なぜそれをしないのだろう。

疑問に思っていた月子は、

結希の足が震えているのを発見した。

もしかしたら、先程のやりとりでかなりの消耗をしたのかもしれない。

どうにかして助ける手はないものか。

月子は足に力を入れたが、股関節に激痛が走った。

「っ・・・!」

腱か骨が完全に破壊されていて、立ち上がるのはどうあっても無理だ。

月子は歯噛みしながら、

すぐそばに立っている銀狼と、背に乗った葵を見た。

あの狼なら、結希を助けられるのではないか。

なぜ、葵と銀狼は結希を見ているだけなのか。


   ◇


「届かない・・・だめか」

眩暈に似た疲労を感じて、結希は深い息を吐いた。

ワイヤー通して『トールの雷』を流し込む作戦は失敗に終わった。

葵の言う通り、巨人の体内には腫瘍があった。

その一点を狙って雷を放ったのだが、

周りに点在する小さな腫瘍のせいで、

強い力を送り込むことが出来なかったのだ。

雷を出す分には、まだまだ余力が残っている。

しかし、月子を助けるために使用した『雷獣』のせいで、

肉体はボロボロだった。

そこに巨人の猛攻が迫って来る。

結希はなるべく体と雷を使わないように配慮しながら、

『麒麟』で動きに対応していった。

省エネと安全の両立は困難を極めたが、

それでも結希はやり遂げた。

生きて帰ると約束したから。

回避ばかりだった『麒麟』に、雷撃での反撃を組み込んでいく。

しかし、リスクの少ない反撃では攻撃力が足りない。

巨人のスタミナは無尽蔵で、

さらにやみくもに手数を増やしてきた。

大きな体をどうしてこんなに動かし続けられるのだろうか。

「はぁ・・・はぁ・・・」

結希は効率的に反撃できるパターンを探して、

随時『麒麟』を変更し、巨人に応戦していった。

身体に疲労という熱が篭っていくのと比例して、

集中が高まりつつある。不要な情報は、脳から剥ぎ取られていく。

焼け焦げた返り血で視界が赤く染まろうとも、

怯むことはない。

巨人が一度拳を振り下ろす度に、

結希は最大5発の雷撃を見舞った。

たまらず巨人がよろめいた。

そうだ。

相手が体勢を崩した時に、

たたみかけるパターンも準備しなければ。

動きから無駄が省かれていく。

巨人の背にある腫瘍が、雷に耐えられず破裂した。

残るはあと1つ。

突如、巨人の右腕が根元まで裂けて3本に分かれた。

3本の腕は出血していたが、やがて止まり

昆虫のような細い腕に姿を変えた。

信じがたい光景だったが、結希はすでに細い腕に対応するため、

『麒麟』を改編しつつあった。

3本の腕の先には爪が伸びるように鋭利な鎌が現れ、

すさまじい速さで襲いかかってくる

全てを避けることはできなかった。

肩口に鎌が突き刺さり、

皮膚がびりびりと真横に切り裂かれる。

態勢を崩した眼前に、鎌が絶え間なく行き来して、

結希を細切れにしようと迫りきた。

「・・・」

かいくぐって攻撃するのは至難の業だろう。

結希は振られる鎌の動きをじっと観察した。

よく見ると、一番上についた腕は、

常に結希の動きを追うように反応している。

対して、残りの2本はこちらの攻めをけん制するような動きをしている。

試しに踏み込むと、2本が両脇から

挟み込むようにして振り回された。

細い腕は思った以上にリーチが長くて、

後ろに下がっても躱しきれなかった。

眼前で交差した爪が、結希の胸板を切り裂いた。

「うっ」

鮮血が宙を舞い、石畳に花を咲かせる。

体勢を整えた時、巨人の残った1本が結希の頭上に達していた。

背に回り込んでうなじを突くように爪が放たれる。

爪が防御した結希の腕を削いでいく。

地面を蹴ってそのまま前方へ転がると、

結希はすぐさま巨人から距離を取った。

「ふぅ・・・ふぅ・・・」

すかさず目にした細い腕の動きから、冷静に『麒麟』を組み上げる。

しかし、受けた傷は思ったよりも深い。

もう自分には時間がない。

結希は巨人の腹部を見た。

はらわたが溢れ出そうになっているあの腹の奥に、

大きな腫瘍が1つ残っている。

巨人の腕が斜め下から、そして斜め上から、左右からと

様々な方向から強襲してきた。

「これ・・・と。

これ・・・と。次は・・・っ!」

計10度の攻撃を躱した直後、結希は一歩踏み込んだ。

予想通り、上下左右から腕が結希へ向かって鞭のように撓った。

結希はさらに一歩大きく踏み込むことで、それらを躱した。

真下から串刺しにしようと、1本の腕が突き上げられてくる。

それを足で踏みつけにして、さらに一歩踏み込んで跳んだ。

目の前には血みどろのはらわたがある。

突き出した腕が、内臓と内臓の間に滑り込んでいく。

ぬるりとした感触と、熱いほどの体温を感じる。

指先から鼓動が伝わってくる。

ここから先に腫瘍があり、さらに奥には心臓があるのだ。

結希は覚悟を決めた。

これを出し切った後は、もう、まともには動けないだろう。

結希に残された血潮を、すべて雷に変える。

渾身の雷撃を、巨人の内部に向けて押し出した。

自らの内部をも焦がすような雷が、

巨人の腫瘍を一挙に破壊して突き進む。

目の前が幾度も発光する。

致死の雷を受けて、巨人はたまらず膝をつき、

太い方の腕で、なんとか体重を支えた。

巨人はそのまま、雷を耐えるつもりのようだ。

今を耐えさえすれば、巨人が力尽きた結希を殺すのはたやすいだろう。

だが、絶対にさせない。

大きく息を吸って、残りの力を絞り出す。

「ぐううううううう・・・・ああああああ!!」

大気が震えるような、苛烈な響きが辺りを包む。

瞬間、雷に対する抵抗がなくなった。

結希の雷は腫瘍を破壊して、

敵の隅々まで行き渡り、細胞を燃やし尽くしていく。

心臓を取り囲んだ雷が、結希の合図で爆竹のように炸裂した。

巨人の身体が、痙攣しながら力なく沈んでいく。

「やった・・・」

そう思った矢先、巨人の体が前のめりに倒れてきた。

しかし、完全に限界を超えてしまった結希の体は動かない。

巨人の死体に押し潰されそうになった時、

結希の襟が強い力で後ろに引っ張られた。

「ぐえ」

首が締まって声を上げた結希は、

そのまま後ろに放り出された。

「いてて・・・」

顔を上げると、顔面蒼白になった葵の顔があった。

唇を噛みしめた彼女は、結希の胸に顔を押し付けた。

「心配かけてっ!」

結希は躊躇いながらも、血で汚れた腕を回す。

「何度も、心臓が、止まりそうだった」

震える肩が、自分がどれだけ心配をかけたのか教えてくれる。

「ごめん」

視野の外で巨人が消えていく。

戦いが終わった。

ありがとうございました。

次回更新は、来週末に致します。

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