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50話 月子

50話です。

よろしくお願いいたします。

最初は間延びしたサイレンのように聞こえた。

「・・・」

月子は目を閉じて、聴覚に全神経を集中させた。

これは、サイレンではない。

いくつもの断末摩を重ね合わせたような、あの巨人の叫びだ。

恐怖を根源と下身震いが、波のように押し寄せてくる。

自らの匂いを消すため、そして生き残るため、

月子は皮無しの遺体を抉り、身に浴びてここまで逃れてきた。

その甲斐虚しく、嗅ぎつけられてしまったのだ。

クロエ、伊都子、紫、清十郎を順番に見る。

みんな自分を助けてくれた。

それなのに、自分は目覚めてすぐにここを離れなかった。

優しい人達に甘えることを止められなかった。

巻き込んでしまう危険性はあったのに、

自分はとんでもない愚か者だ。

また、巨人の声が聞こえた。

少しずつ近くなっている。

すぐに逃げなくては。

しかし。

此処には非力なクロエや伊都子がいる。

足の速い皮無しから逃げるのはどう考えても無理だ。

大切な人はみんな、自分のせいで死んでしまった。

それなのに自分は結局、同じことを繰り返している。

月子は返陽月の鍔を叩いた。

巨人がビルの影から、呪いのような姿を現した。

前よりも大きくなっている。

巨人に気付いた伊都子が悲鳴を上げる。

「なんだ・・・あれは」紫が後ずさりをする。

巨人の足元をすり抜けて、皮無し達が走って来た。

此処が囲まれるのも時間の問題だ。

月子は、早く逃げて、と叫んだ。

だが、声が出ない。

舗装された道路の上で、巨人がゆっくりと歩を進める。

あまりに絶望的な光景に、頭が横に傾きそうになる。

慌てて清十郎の元に駆け寄ると、

巨人を指さしてここから逃げるように身振り手振りで伝える。

「あれを知っているのか?」

知っているなんてものではない。

月子は何度も頷いた。

「月子さんが逃げようって」

どこか放心したように清十郎が言うと、

紫が体をよろめかせて応えた。

「い、いや、でもどこに?」

「逃げない方がいいんじゃあ。ここは外敵も入れないし」

「た、確かに。大丈夫かもしれない。

動くとかえってまずい可能性もある」

まるで自分を納得させるように、紫が言った。

だめだ。

話している間に、数体の皮無しが噴水公園の両脇に陣取った。

それを見て清十郎が言った。

「ほ、ほら。あいつらはここには入れないんだ」

「ああ、良かった」

もうここから誰も逃げられない、月子はそう思った。

こうなれば、みんなが生き残る方法は一つだけだ。

月子が奴らと戦いながらここから離れ、

引きつけた後どこかで殺されれば良い。

それですべてが終わる。

月子はそう決めた。

噴水公園から出ようとすると、クロエに腕を掴まれた。

「だめよ。

ここに居たら安全なんだから、出て行っちゃ」

その優しい手を月子はなかなか振り解けない。

もう、誰かが自分のせいで傷つくのは見たくないんです。

ごめんなさい。

声にならない言葉をクロエに向けると、

月子は頭を下げて手をそっと拭った。

「ああ。

だめよ」

声を背に受けても、月子は振り返らず走った。


   ◇


巨大な鉈を背負うように構えて、攻撃の準備に入っている。

月子はわざと巨人の間合いに入ってから、すぐさま飛び退いた。

つま先で蹴ったばかりの地面へ、大きな一撃が振り下ろされる。

地響きのような音を立て、アスファルトが大きくえぐれて砕け散った。

背後で伊都子の悲鳴が聞こえる。

ここで戦っては駄目だ、公園から敵を引き離さなくては。

巨人の一撃をきっかけにして、

皮無し達が月子の周りに集まって来た。

いいぞ、全部こちらに来い。

月子へ向けて、巨人より追撃が放たれる。

鉈を躱した月子の背中に、何かがぶち当たる。

月子は宙に血の華が咲くのを見た。

あのワイヤーか。

軋むような痛みが体の芯を痺れさせる。

牙を剥いてきた皮無しが目の前にいる。

崩れた体勢を戻しながら、月子は居合い斬りを見舞う。

空間を真横に断つような巨人の鉈が、

皮無し数体を巻き込んで月子を狙った。

月子は地面を転がりながら、何とか躱した。

すぐさま体を起こし、垂直に立てた返陽月にワイヤーの先端がぶつかった。

見えた訳ではない。ただ運が良かっただけだ。

ワイヤーに対応できていない以上、長期戦は無理だ。

巨人が視線を上げ、噴水公園の方を見ているのに気付く。

そっちはだめだ。

こっちを見ろ。

巨人に向かって走ろうとした矢先、

突如飛び込んできた皮無しの体当たりに阻まれる。

背骨のきしむ音の後に、自分の背中が地面を擦る音が聞える。

衝撃に視界が回転するのに構わず、月子は無理矢理立ち上がった。

呼吸が止まっている。

顔面が張り裂けそうな程、頭に血が上っている。

それでも月子は、駆けて来た2体の左足と右足を両断してのけた。

手は出させない。

こっちを見ろ。

全身全霊の気迫で走り出し、巨人の足を斬りつけた。

斬撃は、巨人へわずかな傷を与えたのみだったが、

視線をこちらへ戻させる役目を果たした。

その代わり、月子は真上からの踏みつけの危険に晒された。

無我夢中で回避して、転がりながら巨人の間合いから出る。

体の内部から強烈な圧力を感じた月子は、

今まで呼吸を止めていたことに気付く。

呼吸を整えようとした拍子で、皮無しが襲ってきた。

何とか皮無しの牙を受け止めたが、

力が入らずに押し倒されてしまう。

顏の前で歯と歯がぶつかる必死の音を聞きながら、

意識が遠のきそうになる。

その時、鈴の音が聞えてきた。

天から振り下ろす糸雨が、月子の顔を濡らす。

糸雨が月子中心に渦巻き、皮無しの体を押し返す。

返陽月を振ると、軌跡に沿って糸雨が流れ、

胴体を切断した。

月子は弥次郎兵衛のように反動をつけて、立ち上がった。

顔を上げると、巨人はまた噴水公園の方を向いていた。

なぜ、彼らは自分を狙わなくなったのか。

鉈が天を突くように振り上げられた。

月子は声ならぬ声で叫んでいた。

これは斬撃ではなく、投擲だ。

クロエ達が危ない。

月子の身長ほどもある巨大な鉈が、

4人のいる噴水に向かって放たれた。

いち早く反応した紫と清十郎が噴水の陰に隠れる。

遅れたクロエの上に、伊都子が庇うように被さった。

直後、耳をふさぎたくなるような轟音とともに、

噴水の周囲に施された意匠が破壊される。

瓦礫となった像が倒れ、その先には倒れたクロエと伊都子がいた。

動揺している月子を見て、

好機と思ったのか、皮無し達が追いすがるように攻めてくる。

2人はどうなった。

月子は激しく動揺しながらも、糸雨を使って皮無し達を屠っていく。

巨人は一転して、月子に襲い掛かって来た。

クロエと伊都子の安否を確認する余裕はなかった。

雑に振られる鉈は読みやすいものの、

ワイヤーとの複合攻撃の為、月子は一縷の油断も許されなかった。

ひゅんひゅんと、夢に出てきそうな不快な音を立てて、

ワイヤーが月子に襲い来る。

月子は近くにあった電柱に身を隠して凌いだ。

対人を中心に練習をしてきた月子にとって、

巨人との戦いはまるで手慣れぬものだった。

間合いも、力も、獲物も、大きさも規格外すぎる。

月子は一切の反撃を許されないまま、体力を削られ続けた。

巨人が大きく踏み込んで、鉈を振り回した。

月子は鉈の軌道に入らないように素早く移動したが、

どうみても鉈はこちらを狙っているように見えなかった。

しまった。

鉈が電柱を捉え、半ばまで粉砕すると、

砕かれたその破片が月子目がけて飛来した。

何とか腕で頭部を庇ったが、破片は月子の腹や足、

こめかみを掠める。

想像を絶する大打撃を受けて、月子は血を吐いた。

前に体が倒れるのを、なんとか両手で止めると、

歪んで見える石畳に、大量の血が滴り落ちた。

新手の皮無しが1体、月子の脇をすり抜けて、

噴水公園に入っていくのがわかった。

だめだ。

月子は止めようとしたが、

痺れて感覚のない手足ではどうにもならなかった。

また繰り返すのか。

それだけは許さない。

りーん。りーん。

鈴の音が糸雨を呼び、糸雨が返陽月に浮力を与える。

そのおかげで月子は何とか立ち上がれた。

巨人の鉈を紙一重で躱し、一歩踏み込むと、

月子の胴程もある腕に一太刀浴びせた。

糸雨の力をもってしても、巨人の腕は硬かった。

刀を引いて走り出す。クロエ達を助けなくては。

体が斜めに傾く。

傾きながら走り抜け、追いついた皮無しを撫で切りにする。

視界の端で気を失ったまま倒れている伊都子と、

著しく動きの鈍いクロエの姿が見えた。

2人ともどこか怪我をしているようだ。

「月子ちゃん。大丈夫か」

クロエと伊都子を守ろうと、

クーラーボックスを盾にして構えていた紫が顔を出した。

月子は頷き、少し下がるように身振りで指示してから、

噴水公園内に入ってきた皮無し達と対峙する。

「伊都子さんとクロエさんを運ぼう」

清十郎の声がした。みんな生きている。

月子は自らを鼓舞し、最後までみんなの盾になると誓う。

巨人が大きく一歩、敷地内に踏み込んできた。

息を深く吸うと、視界が広がり、少しだけ体が楽になった。

正眼に構えたまま、切っ先で皮無し達を牽制しながら考える。

みんなを守りながら、皮無しを捌きながら、巨人と戦う。

時間を稼いで、それから。

巨人は鉈をまっすぐ大きく振りかぶり、

月子に向かって一直線に叩きつけてきた。

右に一歩躱して軌道を外れると、

すぐ近くで、足も竦むような強烈な打撃音がする。

周りの音が聞こえなくなる。

音のない世界で、鈴の音だけが響いている。

月子は巨人の動きを確認しながら、

暇を縫うように皮無し達を斬り殺していった。

糸雨は小川となり、月子の刀と足を促した。

月のような美しい弧を描くと、

返陽月の重さが霞のように消えた。

水と鈴と、産土流が次にどうすればいいのかを教えてくれる。

幾千と繰り返した刀の振り方などは、月子には間違えようがない。

潰れそうなほど高鳴った鼓動と、

後ろにいる4人の息遣いが聞こえた。

失われていた音がようやく戻ってきた。

鈴の音はもう聞こえない。

糸雨も止んでいた。

戦う力を使い果たしたのだ。

「お、おい。月子ちゃんの邪魔だ。

もっと下がろう。セイ。クロエさん抱えて」

「わかった」

紫と清十郎の声が響く。

巨人が体を振り、その動きにワイヤーが唸り声を上げた。

ワイヤーだけで仕掛けてくるとは思わず、

月子は虚を突かれる形になる。

刀を突き出してワイヤーの軌道をずらそうとしたが、

そんなことは無理な話だった。

腕から脇腹に弾けるような衝撃を受ける。

体は激痛に倒れ、地面をのたうち回った。

痛みが収まらぬうちに、巨人の腕に体を掴まれる。

さながらライオンに首を絞められた獲物のように、

月子は身動き一つ取れなくなった。

体のどこかが折れる音がした。

カメラのレンズを絞るようにして、視界が狭くなっていく。

獲物が死に体になったのを理解してか、

巨人はゴミを捨てるように月子を放り投げた。

身体中を骨折した月子に、

抗う力はもう残されていなかった。

仰向けになったまま、巨人がゆっくりと足を上げているのが見た。

踏み潰す気なのだろう。

死ぬのか。

生き返ってからずっと、月子のこころは解放を望んでいた。

だが、本当にそうか。

自分が戦っていたのは惰性だったのだろうか。

自分の剣術は、なんのためにあったのだろうか。

陽子ちゃん、私はどうしたらよかったの。

月子は空虚な気持ちのまま、

巨人の真っ黒な足裏に向かって、右腕を持ち上げた。

こんな折れ曲がった手で、何ができるの。

もうあきらめて、みんなのところに行こうよ。

無意識に歯を食い縛る。


ああ、でも、私は。


眼前に迫る闇が月子を飲み込もうとした時、

何もかもを両断するような、凄まじい雷鳴が轟いた。

ありがとうございました。

次話はすぐに更新いたします。

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