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46話 月子

46話です。

よろしくお願いいたします。

月子は真っ白な部屋の真ん中で横になっていた。

胸に刺したはずの脇差がない。

戸惑いつつ体を起こすと、近くで声がした。

視線の先には、銀髪の美しい女性が立っていた。

あまりに美しいので、後光が差しているように錯覚する。

<驚かせてすみません。

月子さん>

頭の中に直接響くような、不思議な声だった。

誰。

こころの中で尋ねると、女性はフォルトゥーナと名乗った。

月子の声にならない声が、フォルトゥーナには聞こえている。

<あら。あなたは>

フォルトゥーナが近づいて来て、月子へ手を伸ばした。

<ここでは現世の傷は消えるはず。

よほどの未練が残っていたのでしょうね>

星々を宿した指先が触れたのは、陽子に噛まれた場所だった。

月子自身もその傷に触れながら、フォルトゥーナに問うてみた。

あなたは、人ではないの。

<はい>

ここはどこですか。

<輪廻の境目です>

私は死んだのですか。

<はい。

しかし、あなたには戻ってもらいます>

死んだのに戻るとは、どういうことですか。

<あなたは不幸にして亡くなった

1000兆人から数えて10番目の子です>

1000兆10番目。きりがよかったのね。

<そう>人ではない女性は三度頷く。

あなたは神様。

<そうです。多分。

そうそう。先に亡くなったあなたの妹もいますよ>

陽子ちゃんはどこ。会いたい。

<陽子さんは私の弟に見込まれて、神になる勉強をしています>

陽子はどんな様子ですか。苦しんでいませんか。

<大丈夫だと思います。

勉強については、見込みがあると弟は言っていました>

出来過ぎた夢だと思った。

<こっそりと陽子に聞いたのです。

彼女はあなたが自分のせいで亡くなったので、

もう一度現世をやり直して欲しいと願っています>

ああ、陽子がそんなことを。

でも、私はもう、あそこには戻りたくありません。

私は、その、いろいろあって、もう未練はないのです。

<しかし、あなたには、使命があるのよ>

女神の口調が変わる。

使命とはなんですか。

<1000兆10番目としての使命。

生きて、あなた自身が気付かなくてはならない使命です>

フォルトゥーナは世界が危険な状態に

変わりつつあることと、その理由について説明してくれた。

自分とは関係のない浮世離れした話で、

了解不能な内容だった。

頭では理解できたとしても、

気持ちの上ではどうしても整理しきれない。

分かりました。時間を下さい。

これはきっと夢だ。

醒めたらまた辛い現実に向き合わなくてはならないのだ。

月子はため息をついた。

もし本当に自分は死に、そして生き返ったとして、

何か価値のあることが出来るとは思えない。

要領の悪い自分が、大切な使命に気付けるとも思えない。

生きている間、陽子の陰に隠れて何もしなかった。

月子は陽子みたいに、強くも温かくも美しくもない。

頭が痛くなる。

耳に触れると、切れ目が入っていて少しほっとする。

そうだ。自分はできなかった。

陽子が襲われたとき、なぜそばにいてやれなかったのか。

そもそも月子が陽子と同じくらい強ければ、

比べられるのが嫌で剣術に逃げなければ、

同じ高校に行って代わりにくらいはなれたかもしれないのに。

月子はなぜ父からの電話にすぐに出て、

陽子の元へ駆けつけなかったのか。

辛そうにしている陽子を抱きしめてやれば良かったのに、

なぜできなかったのか。

最後に、なぜあの手を放してしまったのか。

まっすぐにしていた姿勢が前傾する。

意識を失いかけているみたいだった。

その時、背中を押される感触がして、途端に楽になる。

顔を上げると、そこには祖父の顔があった。

どうして。

「不覚を取ったのだ」

祖父は眉をひそめて言った。

一度にいろいろな感情が湧き出て来てきて、

目の先端が熱く痛くなる。

「持ちなさい」と祖父が拳を突き出して言った

拳の中には刀があった。

何がなんだか分からないまま、

月子は両手を上げて、丁重に刀を受け取る。

これは?

「抜きなさい」一歩離れた祖父の声が腹に響いた。

言われるままに抜くと、鈴のような音色がした。

刀身に刻まれた波紋は、美しく流麗な水を連想させる。

返陽月かえりようげつという」

祖父の表情を読み取り、月子は刀を鞘に収める。

涙が落ちた。

黙ったまま祖父は『産土一刀流』と刺繍がしてある、

丈夫な紺の帯をくれた。

恭しく受け取り、腰に巻く。

鞘を差すと、生まれた時からそうであったように、

月子と返陽月は一体となった。

「良し。

多く語るから、そのまま聞きなさい」

祖父はどこか満足そうな表情で、両腕を組む。

「おまえは小さな頃から怖がりだったな」

祖父の優しい第一声に、月子は目を見開く。

祖父が掌を月子に向けて、恥ずかしそうに笑った。

「おまえは俺の大小を触らせても、すぐに返したな。

逆に陽子は、好奇心旺盛で、負けん気が強く、

どんな技にも自ら飛び込み会得していった」

月子は下を向いた。

その通りだ。

自分からは何もできず、祖父に教えられるまま

にしか練習しなかった。

だから、すぐ陽子に敵わなくなったのだ。

「伝えたいことを先に言っておく。

剣の才能はお前の方が数段上だ」

肩に力が入った月子を見て、祖父が眉をひそめる。

「気付いてなかったか。

陽子は小学生の頃に、お前の実力に気付いていたというのに。

おまえは自分のことになると鈍い」

祖父はため息をついてから、先を話した。

「陽子が自ら技に飛び込んで会得するのに対して、

おまえには技の方から寄ってきていた」

この意味が分かるか、と遠い目をした祖父が言った。

「陽子が全国を制したとき、お前は喜んだ。

だがその頃、お前は私の剣術を超えて、技術的にも、

精神的にも自らの道を進み始めていた。

才能のあるものが、お前のように実直に突き進めば、

こうなるのかと俺は驚いた。

陽子はおまえの力に気付いていたからこそ、

剣道の道を選んだのかもしれない」

月子は頭を振った。

そんな言葉信じられません。

私は父も母も、陽子も祖父も、誰も守れなかった。

見ているだけで、何もできなかった自分に才があるわけがありません。

鞘を握る左手に力を込めると、祖父は刀を指して言った。

「それはおまえのために拵えた。

これから大切に使いなさい」

言ってから、祖父は可愛らしい梅の模様の巾着をくれた。

重さがあり、中に何か入っている

これは何ですか。

「おばあちゃんからだ」と後ろ頭を掻いて

恥ずかしそうに祖父が言った。

おばあちゃん。

「おまえの父と母もこちらに来ている。

みんな一緒だから、心配するな」

ちょっとみんなと外出をしているから、

といった軽い調子で祖父が言う。

信じられなくて月子は一歩踏み出した。

みんな、死んじゃったの?

祖父が月子の肩に手をやる。

「ああ。

おまえはこれから一人きりになるが、しっかりやれ」

力強く頷く祖父の体が薄らいできた。

別れの時が近づいて来ているのだ。

いやだ。やっぱり私もみんなと一緒がいい。

「まぁ。そう言うな。

最後には一緒になるんだから」

珍しい祖父の笑顔に圧倒されて、月子は閉口する。

「ちゃんと言ってなかったが」

月子の様子を見て、祖父が仕方なさそうに言った。

「本音を言うと、俺はおまえと陽子の2人に、

道場を継いで欲しかったんだ」

祖父は言うと、完全に姿を消してしまった。

痕を残さない清々しい別れ方だった。

祖父が言うには父と母も、祖父も、自分と同じく現世で死んだという。

自分が不甲斐ないせいで、大切なことを何一つ話せないまま、

別れることになったのか。

月子は泣いたが、

祖父の優しい言葉は、わずかな慰めになった。

どちらにしろ、行くしかないのかもしれないと思う。

涙を拭って、返陽月を握り締める。

死んだらまた一緒になると、祖父は言った。

使命を全うすればまた会える。

生きた先に、再会があるならきっと頑張れる。

祖父の余韻に浸っていると、また女神の声がした。

<もうすぐ戻ってもらいます>

女神の視線の先に、夕暮れが訪れた。

みるみる内に、光は失われ闇が近付いてくる。

<繰り返しますが、世界は大きく変わっています。

人にとっては、非常に過酷な世界です>

そのせいで、父と母も?

<そうです。

おじい様も>

声には戸惑いと慈悲があった。

<何か力が必要なら与えます。

その傷を治すこともできますよ>

月子は首を振った。

この傷は、陽子が生きた証だ。消してしまう訳にはいかない。

何もいりません。

それよりも、私は生きて何をすればいいのですか?

すぐ近くにいるはずのフォルトゥーナの顔が見えなくなる。

問いの答えは、闇が全てを支配してから述べられた。


<それは、あなたが見つけなさい>



   ◇


気が付くと、月子は道場の中で突っ立っていた。

慌てて周囲四方を臨んだが、見慣れた光景が広がっているばかりだ。

「・・・」

月子はしばらくして、頂上まで上がりきっていた肩を、

ゆっくりと下ろした。

ああ、全て夢だったのか。

指先に何か当たったので見ると、

祖父のくれた返陽月が腰に巻かれた帯にしっかりと固定されてあった。

念のため確認すると、帯には月子の名前が刺繍されていた。

お尻に当たるものがあったので手をやると、

祖母が用意したという巾着がぶら下がっていた。

すべて夢で見たままだ。

月子は静かに息を呑んだ。

本当に、父も母も祖父も陽子もいない世界に、

月子はたった一人よみがえったのだ。

これからひとりで一体どうすれば。

急に不安になり、悲しみが膨れ上がってくる。

月子の身体から、うんっ、うんっ、と

不随意に声にならない声が出る。

うんっ、うんっ。

自分の体が、うんっ、うんっという声とともに、

くの字に折れ曲がっていく。

苦しくて不快な症状に、月子は思わず膝をついた。

「・・・」

冷や汗が額と首すじを伝って襟に染み込んでいく。

自分の体はどうなっているのだろう。

こころに生まれた動揺を静めるのが、この上なく難しい。

外から今まで聞いたことのない、風と枝葉がこすり合う音が聞えた。

うんっ、うんっ。

月子は胸を押さえたまま、動けない。

苦しみはなかなか収まらない。

思考の隅で、月子はこれが永遠に続くかもと思った。

背に汗をじっとりとかいた頃、苦しみは治まった。

身体的な疲労だけでなく、精神的な疲労も著しかった。

気持ちを落ち着けるために、返陽月の柄を何度も握っては放す。

巾着を開けてみると、竹皮で包まれた

小さな白おむすびが2つ入っていた。

月子はほっと息を吐いた。

ふわりとお米の良い匂いが鼻腔に入ってくる。

大切な儀式のようにおむすびを巾着に戻すと、

敷地内にある母屋に向かうことにした。

履物がない。

月子は足音を抑えるために、

裸足でここまで歩いてきたのを思い出す。

外に出ると、周囲が木々で囲まれているのが見えた。

え。

月子は急いで母屋の方向に向かって走ったが、

母屋はおろか隣の家も向かいの家も、

全部なくなっており、周囲四方は深い森になっていた。

産土道場だけが、森の中にぽつんとそのままの形で残っている。

どうしてこんな。

呆然としていると、10メートル程度離れた

大木の根元から、葉の擦れる音がした。

「・・・っ」

月子は反射的に姿勢を低くしてそちらを確認する。

森の奥は暗くてよく見えないが、

息遣いや足音、気配から大きな生き物がいるのがわかった。

非常に大きな狼か、小さな熊かもしれない。

生き物は殺気を出しながらこちらに

向かってゆっくりと動いている。

月子は返陽月の鐺が地面につかないよう所作しながら、

ゆっくりと後ろに下がり始める。

その時だった。

木々の隙間から漏れ入ってくる光が、

生き物を照らし出す。

「っ!」

姿を現したそれは、表皮を全て剥ぎ取られた後のような、

赤黒くおぞましい姿の四足獣だった。

こちらを認めた四足獣が、猛獣のごとき唸り声を上げると、

常人であれば、まともに呼吸ができないほどの圧力が

月子の身にのしかかってきた。

緊張が体を極度に強張らせた次の拍子に、

月子は全身の力を抜いて、背を撓ませた。

死の恐怖を、瞬時に覚悟に切り替える。

「ふぅー・・・」

長く息を吐いて、呼吸を整える。

突如現れた修羅場を前にして、

なぜ月子は達人のごとき所業を成し得たのか。

それは新陰流の教えが根拠となる。

新陰流から伝わる教えのひとつに、

『こころの下作り』というものがある。

『こころの下作り』とは、いついかなるときでも、

命のやり取りを開始する覚悟を持つことだ。

「すぅー・・・ふぅー・・・」

血みどろ皮無しの獣は瞼のない目を鋭く縦に切り裂き、

唇を剥いて歯茎を見せつけてくる。

歯茎の下には、ナイフの先端のような鋭い牙が無数に生えていた。

月子は身体も顔も動かさないまま、

冷静に視界の端にもう1体皮無しが現れたのを確認する。

さらにその奥、藪の中にもう1体いる。

相手は全部で3体。

月子は辺りを見回すと、すぐさま脱兎のごとく駆け出した。

ひらけた場所にいれば、囲まれてあっという間に殺されてしまう。

だから道場の中まで逃げることにしたのだ。

皮無し達が、月子の背中へ向けて、

聞いたことのないような叫び声を上げた。

追って来る。

地面を必死で蹴るが、腐葉土が積もっているせいで、足の裏が滑る。

すぐ後ろで皮無しの息遣いが聞こえる。

着ていたワンピースの生地を突き抜けて、

何かが太腿をかすめるのを感じた。

恐怖の感情が表に出るのを必死で抑えながら、

月子は道場の中に飛び込んだ。

すぐに踵を返して戻り、戸を閉める。

直後、強い衝撃を受けて、月子は戸ごと後ろに吹き飛ばされた。

床に叩きつけられながら、反射的に受け身を取る。

なんとか起き上がるが、衝撃を受けたせいで、

肺が痙攣を起こして呼吸ができなかった。

先程まで無酸素で走り抜けてきたので、

酸素不足で手足が痺れている。

この状況では返陽月を満足に振るえない。

戸を壊した皮無しは体勢を崩しており、

苦しそうにもがいているところだった。

ありがたい。

月子は一旦、腹の中にある空気をすべて吐き出した。

両腕を畳んで脇の下に入れながら息を吸う。

太ももの筋肉に酸素が届くのを感じた。

重い打撃により、腹部に衝撃を受けた際に有効な、

のがれの呼吸である。

もう一度呼吸をしようとした時、

体勢を整えた皮無しが一足飛びに駆けてきた。

「!!」

月子は体重を左側にかけて、

身体をよじりながら倒れ込んで逃れる。

顔のすぐそばで、恐ろしい力で牙と牙が噛み合う音がする。

もし捉えられたら、絶命は避けられないだろう。

態勢を崩した所へ、道場に入ってきた新たな皮無しが

跳びかかってきた。

月子は跳びかかってくる皮無しの方へにあえて進み、

紙一重ですり抜けた。

皮無しの直線的な動きを見抜いた一手だった。

月子は床で回転して立ち上がり、もう1体が入ってくる気配と

最初の皮無しがこちらに向き直るのを察知する。

2体同時に襲われるのはまずい。

月子は上座に向かって駆けた。

自身の速さと、皮無しの速さと、

壁までの距離を計算した月子は顔を歪ませた。

間に合うか微妙な線だ。

壁に向かって、足を大きく持ち上げて跳び上がる。

片足で壁を蹴って身を翻した時、眼下に2体の皮無しが見えた。

月子が空中に上がったことに反応できず、

皮無し達は壁に激突する。

鞘を床に打たない完璧な着地をみせると、

月子は素早く距離を取った。

皮無しがめまいを起こしているのを見守りつつ、

左足を引き、腰を回転させ、右足を踏み込んで、

左足首の回転を使い、最後に手先の動きで返陽月を鞘から引き抜く。

身体に馴染んだその動きは、産土一刀流居合の基本形だ。

「・・・」

伝統には深い意味があり、時には人生の教えすら含まれている。

常に基本に忠実だった月子は、今まで多くを学んできた。

だが、それが全て正しい訳ではない。

陽子がよく言っていた。

剣道には剣術の鍛錬にはない、

フェイントやすかしといった技術が数多く存在すると。

以前、応援で見た陽子の試合を思い出す。

陽子は終始、上半身の動きを使って下半身の動きを隠していた。

初動を見分けられない相手は、陽子の仕掛けに反応できない。

陽子はその上、初動にタイムラグを作って、

フェイントだけで相手の態勢を崩していた。

月子からすると、陽子は万能で、自由自在だった。

陽子を思い出しているうち、

彼女の動きが自分の中に入ってくるような気がした。

りーん。りーん。

どこからか、鈴の音が聞こえる。

寂しいその音が、月子を冷静にさせる。

月子は陽子がしたように、上半身の動きで下半身を隠した。

さらに、視線や肩の動き、剣先の動きを使って

皮無し達へ巧みにけん制していく。

獲物が得体のしれない動きをしたことで、

皮無しは攻撃するのをためらっているようだった。

その時を使って、月子は頭を整理していく。

対人用の剣術を、対皮無し用に変更していく。

野性的な動きに対して、どう躱してどう斬るか。

連続で仕掛けられたらどうするか。

無数に浮かんでくる斬り方を、

頭の中で試行錯誤して整理していく。

月子は美しい返陽月の刀身を見た。

普通の打刀よりも、反りが作られている。

男性よりも非力な月子が、撫で斬りをしやすいようにできているのだ。

返陽月を拵えた祖父の意を汲むことで、

月子の戦い方が完全に決まる。

固まった腰と手首が柔らかくなった。

いつでも後の先が取れる月子に対して、

皮無し達は臆したように動かない。

野生の生き物は、人よりも直感が優れていると聞いたことがある。

無闇に飛び込めば斬られることを、

皮無し達は察知しているのかもしれない。

月子は左足を大きく上げて、

床板に向かって強く打ち下ろした。

打ち鳴らされた大きな音が、皮無し達の緊張の糸を切る。

弾けるように1体が走り、他の2体もつられて動き出す。

左に体重を傾けて皮無しの側面に回り込み、丁寧に真っ直ぐ振り下ろす。

返陽月は、よく研いだ包丁で野菜を切った時みたいに、

皮無しの頸を骨ごと両断した。

頸椎を分断されて、

皮無しは糸を切ったようにあっさりと息絶える。

月子は噴出する返り血から逸れるよう回り込み、

わずかに乱れた姿勢を正して、次に備えた。

残りの2体は直線的な動きで、頭部めがけて跳び込んできた。

皮無しが噴出させる決死の迫力を受けて、

月子は足がもつれてしまうような錯覚を覚える。


しまった。


動揺した月子は、悲鳴を上げそうになった。

心が引いてしまっては、刀は強く振れない。

だが月子のこころとは別に、身体は反撃に動いていた。

踏み込み離れで牙を躱し、頸を袈裟斬り、

さらに無拍子打ち下ろしによって、月子は皮無し2体を瞬殺する。

気付けば月子は、繰り返し練習した身躱し斬りの手順のおかげで、

返り血すら浴びずにそこに立っていた。

我ながら、あまりにも見事な手際だった。

振り下ろしたままの格好で、月子は動けない。

「・・・っ」

本当なら死んでいた。

一度は憎み、否定した剣術と道場での稽古が、

産土一刀流が、月子の身体を的確な位置に動かし、

救ってくれたのだ。

陽子ちゃん。

型通りも駄目だけど、型がなくても駄目だね。

月子は思った。

しばらく放心していた月子は、やがて刀の波紋に目を通す。

3体の皮無しを屠った刀には、刃こぼれ一つなかった。

それだけではない。

刀の表面から染み出すような水分が、血のりを落としていく。

この刀は一体。

月子は天上にいる祖父に問いかけるが、

答えは帰ってこない。

残心したまま月子は、一歩下がって納刀した。

そうして姿勢を正すと、月子は両手を合わせた。

祖父や陽子、父や母、祖母と産土一刀流に感謝する。

涙が幾度か頬を伝って落ち、最後に目を開いた時、

皮無し達の死体は霞のように消えていた。

ありがとうございました。

次回更新は、今週末にいたします。


よろしくお願いいたします。

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