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40話 結希

40話です。

よろしくお願いいたします。

ソーニャが「ハヤクー。ハヤクー!」と叫びながら

ホール内を走り回っている。

間髪入れず葵が

「こらーやめなさい。

そんなに走ったらこけるよっ」

と手を挙げて注意を飛ばす。

「イヤダモーン」

ソーニャが葵から離れるように走って行くのを、

仕方なさそうに追いかけるキーラの顔が

少し笑っていたので、結希はこっそり喜んだ。

ここしばらくは、数人での共同生活という初体験でありつつも、

カジュアルな日々が結希の人生に訪れていた。

電気ガス水道が思うように使えないせいで不便は多いが、

生活ができないほどではない。

設備も少しずつ整い、

初めて来た時と比べて此処も様変わりしていた。

広間には一枚板で上等な大きいテーブルが置かれ、

大きさの合わせた椅子が並べられている。

脱衣所として使用することに決めた控室の前には、

タオルや着替えの詰められた三段ボックスが、

人数分設置してある。

持ってくるのが大変だったが、

キーラとソーニャ専用のベッドも仕入れた。

ベッドから少し離れたところに花壇がいくつか設置してある。

ソーニャがたくさんのプランターや土、花の種をせがんだので、

結希が外から調達してきたのだ。

種はその日の内に芽を出して、むくむくと成長し数日で花開いた。

少し前に植えたミニトマトは、すでに3度目の収穫を終えている。

「それにしても、なんでこんなに早く育つんだろう」

結希がつぶやくと隣の葵が言った。

「植物を育てる力があるみたいです」

「それって・・・フォルトゥーナさんの?」

「はい。

最初に会った時の茨も、そうだったみたい」

言うに及ばず、と言った様子で、葵が眼鏡を定位置に正す。

「そうなんだ。

すごいですよね。いざっていう時は頼りになるかも」

「ううん。できないって」葵が首を振る。

「どうして?」

「キーラが教えてくれたの。

あれはきっと、フォルトゥーナ様にもらった実のおかげだって」

「実?」

「よくわからないけど、実を食べたから力が出せただけで、

何度もすることはできないみたい」

「そっか」

葵は深く息を吐き出すと、

「キーラはキーラでさ」心配そうに眉を顰める。

「あの本がキーラの力なんだけど、

まだうまく使えないみたい」

話しながら、葵は表情を表に出さないよう頬に力を入れていた。

「うん。

でも、仕方ないよ。まだ子どもだし」

彼女の表情が急に険しくなった。

「それ、ぜったい言っちゃだめ。

キーラってば、子ども扱いが一番嫌いなんだから」

「あ。

ご・・・ごめん」

結希は思わず俯いて、静かな地面を探すように目を移ろわせた。

責めるような口調ではなかった。

それなのに、結希の内面にはひびが入ったような

緊張感が生じている。

葵に見損なわれたかもしれないという不安で

こころが動揺するのを隠せない。

「そうだね・・・気を付ける」

満たされた感情から遠ざかりたくなった結希の機微を察してか、

葵が急に声色を高くした。

「ああっ。ごめん。

私ったら、また」

かろうじて持ち上げた視線に、後悔するような葵の瞳が映る。

「い、いえ。僕が悪いんですよ」

葵に気を使わせたくなくて、

笑ってみせたがどうしても引き攣ってしまう。

「結希。

私、馬鹿だわ。ついつい言いすぎてしまう」

落ち込んだ彼女に、何かを言おうと慌てていると、

急に結希の脳が過去を高速で振り返り始めた。

自分の過去は、たくさんの失敗と後悔に彩られている。

あの時、こうしておけば。

あの時も、あの時も、あの時も。

たくさんの失敗を重ねてきたのに、それに気付きもしなかった。

俯いて癖毛のボリュームを上から押さえるような、

大人しい仕草をしている彼女を見る。

「・・・」

そうしていると、すべての失敗を反省したい、

と思っている自分に気が付く。

身の内に生じた、意外な自分の一面に驚く。

「あ・・・あれ?」結希は口の中で呟いた。

恐怖と罪悪という名の海で偶然、

美しい瑪瑙を拾ったような気分だった。

傷つきたくない、という感情以上に、結希は反省したい。

「大丈夫。

言い過ぎてなんかないよ」

反省の機会が結希に、よりよくなれるチャンスをもたらしてくれる。

だから結希は、葵の言葉を取り零さないように胸にしまう。

もちろんその胸には、少しだけ痛みが残る。

だが、そのおかげで、気付かずに過ぎ去ってしまう愚を犯さずにすむ。

言いにくいことを言ってくれた彼女への、

感謝の気持ちが膨らんでくる。

「ありがとう。

また、何かあったら教えてよ」

とはいえ、初心者が狭い道を運転するような不安さが結希にはあった。

自分にとっては新しい生き方なのだから、

仕方ないと思うべきなのかもしれない。

葵へ、自分は辛くない、むしろ嬉しいのだと表現するために、

結希は冒険をする。彼女の手を握って、上下に振ってみた。

「ちょ、ちょっと・・・結希?」

「いいから」

戸惑う葵に構わず、結希は続けた。

「結希ったら」

眉をへの字にした彼女に笑いかける。

「僕は気にしてません。

むしろ、感謝しているくらいです」

「何でそうなるのよ・・・?」

浮かない表情が混乱に変わるのが面白くて、

握った手をさらに大きく振ってみる。

「葵さんはそのままでいいです」

「もうっ。わけわかんないよー」

葵の頭上にいくつも?が浮かんでいるのが見えるようだった。

そのとき、2人が面白い遊びをしていると思ったのか、

キーラとソーニャがやってきた。

「なにシテルのー?」

「葵と遊んでいたんだよ」

「ソーニャもスルー!」

「いいよ」

結希と葵はキーラとソーニャを挟んで手を繋ぎ、上下に振った。

ただ振っているのではつまらなくなってきたので、

結希は体と手を上下に動かして、波を作ってみた。

キーラとソーニャは結希の意図を察して、上手に手で波を作ってくれる。

「2人ともうまいね」

「ソーニャ―オイシイ?」

「そのうまいじゃないわよ」

結希の作った波が、キーラとソーニャを通して葵に届く。

何度も何度も。

「キーラもうまいうまい!」

「こんなの、カンタンだよ」

今度は、葵が作った波がキーラとソーニャを通して、

結希の方へ向かって来た。

波を自分の中に受け入れる。

丁寧に受け入れようとする。

指先から伝わってきていた罪悪感と緊張感が少しだけ緩んだ。

そんな気がした。


   ◇


今日は食事当番だったので、適当にまぜご飯を作ることにした。

結希は視線を巡らせて、キーラを探す。

ホールの端で、銀の陰に隠れるようにして彼はいた。

「キーラ」

結希が呼ぶと、銀の脇からキーラが少しだけ顔を出す。

手招きをしたが、顔を引っ込めてそれ以降動きはなかった。

「仕方ない」

結希はコンロに火をつけて、油と米、

チーズやハムをフライパンに入れて炒める。

良い匂いがしてきた。

背後に気配を感じて振り向くと、銀とキーラが近くに来ていた。

「お。いたのか。

言ってくれたらいいのに」

キーラは返事もせず、呆れたような目をして、じっと結希を見ている。

この子は聡い子だから、結希のいろいろな行動が非効率的か、

または程度が低いと思っているのかもしれない。

いやいや、ネガティブに考えるのは自分の悪い癖だ。

「キーラ。手伝ってよ」

明るい声を出して、フライパンを掲げてみせる。

キーラは沈黙を守ったまま、

今の結希に必要な手助けをしてくれた。

「ありがとう」

料理ができて皿に盛るまで終えると、

キーラはそそくさとテーブルの方へ行ってしまう。

食事が終わり、片づけをするとみんなで並んで歯を磨く。

おしゃべりに夢中になって歯磨きを怠っているソーニャを

葵が指さしで注意する。

それでもきかないソーニャを見かねた葵が、

歯ブラシを奪い取って磨き始めた。

もともとそのつもりだったのか、ソーニャがしたり顔で目を閉じる。

「ふふ」

笑いながら、結希はキーラを見た。

上手に手を動かして歯磨きしている彼と、目が合う。

灰色の瞳には、涙が浮かんでいた。

「あ・・・」

結希は歯ブラシと息を止めたが

―――この時、自分はどうすれば良かったのだろうか―――

結局それしかできなかった。

どうしたの、と訊いてみれば良かっただろうか。

しかし、それはキーラの抱えた問題を軽んじているようで、

結希にはどうしてもできなかった。

素早くうがいをすると、キーラは走ってその場を離れて行ってしまう。

葵から聞いた双子の人生は壮絶だった。

だからこその涙だったのだろうか。

それとも違う理由かもしれない。

「・・・」

結希は就寝時間を過ぎても、ずっと考えていた。

幾度目かの寝返りをうった時、誰かが起き上がる気配がした。

気付かれないように首を少しずつ動かして、

気配の向かった辺りを確認すると、寝巻姿の葵がしゃがんで

銀を撫でているのが見えた。

結希が2人の様子を見ていると、銀が耳を立ててこちらを見た。

葵が銀の仕草でこちらに気付く。

彼女は流れるように自然に笑ってから、手招きした。

双子が目を覚まさないように、ゆっくりと布団を剥いで体を起こす。

結希が近付くと、銀は口を歪めてホールから出ていった。

キーラだけではなく、銀にも嫌われているのだろうか。

葵に誘われるままホールから出て、搬入口の幅狭の階段に座り込んだ。

2人の距離が一気に縮まる

「結希。

どうしたんですか?」

内に矛盾のない真っ直ぐな問いかけだった。

彼女は訊くことが、よりよい未来を想像できると信じている、

そんな風に見えた。

「え」

「ご飯の時から、ずっと何か考えているよね」

葵は、『真実を見通す目』で結希の感情を表すオーラが見える。

その目は、結希が幼い頃に抱いた不都合すら見抜いたのだから、

隠れ場はないはずだった。

それなのに「なんでもないです」とつい言ってしまう。

葵はため息をひとつすると、顔を覗き込んできた。

琥珀色の瞳が輪郭上で、不思議な光を放つ。

「結希、教えてよ」

気持ちを知られてしまう『目』なんて、普通の人なら嫌がるだろう。

だが結希はその『目』が全く嫌ではない。

むしろ、彼女になら知ってほしいとさえ願ってしまう。


知ってほしい?

僕が?


自分自身に戸惑いつつ、それをなぜか心地よいと思ってしまう。

結希が考え込んでいる間、

腹が決まったような表情で葵は待っていた。

「参りました」

たまらず折れると、彼女がくつくつと笑った。

「一体なにを悩んでいるのかな?」

手で触れるような問いを、結希は一度もしてこなかった。

誰かが何かをした時、人は外から見た色だけで批評をする。

大した証拠もないのに。

かつての結希は、それに苦しめられていると感じたことがあった。

人々の多くが、外から見た色だけで人を判断してしまう。

しかし、手で触って確かめたことがあるだろうか。

そもそも、その色は本当に批評の対象となる色なのだろうか。

葵ならきっと、キーラが泣いていた時、すぐに訊いただろう。

「・・・キーラのことなんですが」

結希が自信なさげに言うと、葵は仰々しく腕を組んで首を傾げた。

「えっと・・・」

「続けてつづけて」

先を促され、結希は思案しつつ話し始めた。

「いつまでもこころを開いてくれなくて」

「うん」

「だから、できることないかなって。

でも、僕は嫌われてるし」

「えぇ・・・?」

葵の瞼が大きく開いた。

「結希ってば、嫌われなんかないわよ?」

「・・・え?」

「え?

じゃなくて、嫌われてないってば。

私にだって、そんなに懐いてないもん。

あの子」

「でも、頭を撫でたり、抱きついたり」

彼女が指を唇に当てて、うーんと唸った。

「まぁ、確かに結希よりはマシかもしれないけど」

それを聞いて、結希はがっかりして項垂れた。

「やっぱりなぁ・・・」

「で、でも。

嫌ってはいないよ、絶対」

「じゃあ、なんで僕とは距離があるんでしょうか」

「え?

う、う~ん。わからない」

「そんな・・・。

葵さんの『目』でも、わからないんですか?」

絶望のあまり葵の目をあてにしてしまう。

「雰囲気はオーラの色でわかるんだけど、

細かいことまではわからんのです」

「はぁ。

肝心なことがわからないんですね」

結希が言うと、葵が目を細めた。

「なんか言ったかよ?」

危機を感じて結希は頭を下げた。

「すみませんなんでもありません」

「まったく・・・。

でも、結希も心配してくれてたんだね」

「はい・・・。

なんの役にも立ちませんが」

結希の言を聞いて、葵が笑った。

「ふふ。

そんなことないよ」

もしかしたら、結希が葵に知ってほしいと思ったように、

キーラも誰かに知ってほしいと思っているかもしれない。

孤独を体験した自分だからこそ、

キーラの孤独を知ってやれるかもしれない。

でもそれは、訊いて初めてわかることだ。

葵が結希に対して躊躇いもなく一歩踏み込んだように。

葵は強い。強くて立派だ。

「結希」

細めた目を開き、葵が唐突に結希へ近づいてくる。

身体がぴったりとくっついた。

「結希はいつも優しいね」

彼女の声が身体の中に響いてきた。

「いつも優しい」

華奢だが柔らかい体にどぎまぎする。

結希は高鳴る鼓動を抑えるために、息を止めた。

「そ、そんなことないです」

葵が階段の腹を蹴って、結希の膝の上に乗ってきた。

「わ」

結希が思わず受け止めると、2人の身体はさらに密着する。

葵の胸の辺りが、結希の横顔にくっついたので、

さすがに少し離れようと体を動かす。

「嫌がらないで。

お願い」

極寒にいるような声のおかげで、ようやく結希は知った。

葵は、覚悟を決めていただけで、自信があるわけではないのだ。

「嫌がってなんかいません」

少し前まで、ただの女子高生だった小さな体を、

ガタガタと震える手でそっと抱きしめる。

結希にだって自信はなかった。

「よかったぁ・・・」

葵が自らの安堵を口にした時、

結希の方こそ、ずっとそれを聞きたかったのだと気付く。

「僕も、よかったですぅ・・・」

偽りのない言葉を口にすると、思った以上に満たされる。

今までの結希はいくつものフィルターを通して、

やっと他人と話せていた。

それを、葵が一枚一枚剥していく。

結希の気付かないうちに。


「心配しないで。

きっとうまくいく」


強くて立派だと思っていた彼女が、とても不安そうに言った。

そうだ。

目の強さと意志の強さと、言葉の強さがあっても、

彼女はいつも不安そうだった。

それに気付かないなんて、自分は本当に未熟者だ。


「きっと・・・うまくいく。

やってみます。僕も」


どれだけの時間を過ぎても、言葉ひとつ交わさずに、

2人はずっと抱き合っていた。

表面の色だけでは見分けがつかない深いつながりが、

結希と葵にはある。

きっとある。

きっとうまくいく。

いつの間にか腕の中で眠った少女の頭に、自分の額をくっつける。

「ありがとう。

葵」

身の内からにじみ出るような愛情を、言葉に込めた。

ありがとうございました。

次回は今週末に更新をいたします。

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