36話 葵 結希 キーラ
36話です。
よろしくお願いいたします。
「はっ」
葵は誰もいない白い部屋に戻された。
目の前にはフォルトゥーナが直立姿勢のまま佇んでいる。
「ああ、頭がふらふらする」
<力を大量に使ったのね>
「ふ・・・2人はどうなったんですか?」
<まだ生きているわ。
でも>
「で、でも?」
でも、どうなるのか。
あの2人はどこにいるのか。
自分はこれからどうしたら良いのか。
ああ、あの2人を早く救わなくてはいけない。
あの2人には幸せになってほしい。
「ど、どうしたら」
<まずは落ち着きなさい>
「落ち着いてる時間なんてないっての!
あの2人はどこにいるんですか?!」
<そこまでは教えられないの>
「じゃ、じゃあ、私にこんなものを見せて、
何をさせたいのよ?!」
<それは・・・>
「あなたは、あなたは力を与えるだけで、
何もしてくれないのよね?!
肝心なことは教えてくれないのよね?!
それって卑怯じゃあないですか?」
<・・・そうね。
私は卑怯者です>
葵は我に返り、自分の頬を強く抑えて深呼吸をした。
今は八つ当たりをしている場合ではない。
「・・・ごめんなさい。
すぐに怒ってしまうんです。前よりも」
<知っています。見ていたから。
でも、私はその方が好き>
「え・・・」
<本当よ>
葵はフォルトゥーナの額にある青い瞳を見る。
感情は読み取れないが、そこには海のような広さがあった。
そうだ。
死んでから最初に親切にしてくれたのは、
フォルトゥーナだった。
「フォルトゥーナ様。教えて下さい。
皮無しや腫瘍を持ちは、ミーミルの仕業なんでしょう?」
<・・・>
「・・・言って」
<はい。その通りです>
女神が辛そうに応える。
「やっぱり、そうなのね」
葵は足元にある小さな火が、
山を覆い尽くす程の業火に変わるのを想像した。
「結希が、言っていました。
『トールの雷』に対応している外敵がいるって」
銀の髪が視界の端で、生き物のように揺れている。
女神が黙ったままなので、葵は続けた。
「本当に、一方的にミーミルは私達を殺そうとしているんですね」
<そう、かもしれません>
「どうにか止められないんですか?」
<私があなた達に力を与えたように、
ミーミルも誰かに力を与えて動かしていた。
互いに秘密裏です。
私からは何もできない>
何かに縛られたように、手足が動かなくなる。
「ちょっと待って・・・。
私達と同じように力をもらった人が、
嫌がらせしてきてるってこと?」
<おそらく、そうだと思います>
葵は唸りながら頭を抱えた。
だが、これで疑いは確信に変わった。
「よし・・・わかった。
じゃあ、キーラとソーニャはどこにいるんですか?」
<すぐ近くです>
「どうやって探せば」
<言えません。
もうこれ以上は>
「あっそ。
また襲われるかもしれないって訳ね」
葵はついつい女神を責めるような
物言いになってしまって後悔した。
「ごめんなさい」
ミーミルは確かにフォルトゥーナの弟だが、
弟の行動すべてが姉の責任とは限らない。
<いいの。
あなたに任せてばかりだから。
あなたたちを最後の希望にしたかった。
だけど、あの子にとって、狡いことだった>
フォルトゥーナの額にある大きな青い目から、滴が垂れて落ちた。
それを見た葵は何も言えなくなり、俯くしかない。
<私には何もできない。気を付けて>
葵は唇を噛んで頷く。
フォルトゥーナの謝罪が頭の中で響くと同時に、
水中から顔を出すように、葵は目を覚ました。
◇
「でや」
葵は目を覚ますなり体を起こした。
こめかみを血が波打って少し痛くなる。
「はやくしなきゃ・・・・って、
あれれ・・・」
頭が縦に一度大きくシェイクしたかと思うと、
葵は再度ベッドに倒れた。
「う」
夢を見ている時に、フォルトゥーナは力を使ったと言っていた。
それが現実の体にも影響を与えているのかもしれない。
「ゆ、結希」
少し離れたところにいるはずの結希を呼ぶ。
だめだ。急がなければならないのに、上手に声が出ない。
「葵さん。どうしたんですか」
結希の声がした。
「結希」
結希が葵の肩に触れてくる。
「目が痛い・・・」
悲しいソーニャの夢を見ていたから、
寝ている間にたくさん泣いていたのかもしれない。
「目が痛いの?
大変だ」
「い、いや。大丈夫だってば」
結希にこんな顔を見られるのは嫌だったが、
今はそんなことを言っている場合ではない。
葵は結希に助けられて体を起こすが、
地面が揺れているような感覚があった。
「うう。気持ち悪い」
「無理しちゃだめだよ」
「駄目なの。無理しなきゃっ」
唸っていると、三毛と虎がやってきた。
<大丈夫にゃ?>
「虎。三毛。ありがと。
結希も、聞いて欲しいことがあるの」
葵は夢の顛末を、みんなに説明した。
<寝ている間にフォルトゥーナ様に会ったのかにゃ?
葵はまるで巫女様だにゃん>
<で、加護を受けたお二人様は何処に?>
「それが分からないの。聞いても教えてくれなかったし」
<にゃあぁぁ。それじゃあ助けようがないにゃ>
「結希。
どうしたらいい?」
焦りのせいか、疲れのせいか、指先が痺れているのを感じた。
早くしないと、あの双子が皮無しに食べられてしまう。
「みんなで助けに行きましょう。
でも、念のため、目を噴水で洗ってください。
それに、ちゃんと準備をしないと」
「で、でも」
「まずはそれからです。
僕はリュックに必要なものを入れてきます」
結希はテキパキと準備を整えた。
焦る葵と対称的に、結希は冷静に見えた。
準備をしながら、結希は葵が夢で見たこと、双子の特徴、
夢で最後に見た場所について聞いてくれた。
支離滅裂な葵の説明に、結希は静かに頷いてくれる。
「10歳。
外国人で、双子の姉弟。
髪は白っぽい金髪。
言葉は、通じるのかな・・・」
「わかりません。
夢の中ではなぜか日本語に聞こえたから。
家族思いで、すごく頭の良い子達でした」
「うん」と頷いた結希が笑顔になる。
葵のこころに少しだけ光が差す。
結希は立ち上がって、固形の携帯食料を1つ食べると、
残りを葵にくれた。
「これ、あんまりおいしくないのよね」
「贅沢言わない」
とはいえ食べていると、だんだん体が楽になってくる。
「外に出ながら話しましょう。
次は双子のいる場所について」
「も、森の中っていうのは分かるんです。
あと、あの子達の故郷ではなくて、異国の地だって」
「・・・ということは、どこの国に行っているのかわかりませんね。
海外の森ってことも」
「高い木の森でした。すごく昔からあるような」
「高い木かぁ。それだけじゃあ、なんとも」
「どうしよう・・・。
フォルトゥーナ様にお願いされたのに」
「お願いされた・・・って・・・あ!!」
結希が大きな声を出したので、葵は思わずつま先立ちになった。
「なんなのよ!
びっくりしたわよ。馬鹿ぁ!!」
葵が結希の肩を叩くと、その手を握られた。
「葵さん。
葵さんが言っていた森ですよ」
「え。
どうして」
結希が得意な様子で鼻の下を指で擦った。
まるで漫画のキャラクターのようなしぐさだと思った。
「フォルトゥーナさんは、葵さんに頼むと言ったんです。
きっと、僕たちに無理は言いませんよ」
「なんであの森なの?」
<葵さまの言う通りかもしれません。
あの森は、私達が出会った場所であり、
銀殿が住処としていた場所でもあります>
「結希。
三毛もそうかもって言ってる」
結希が頷く。
「絶対に正解とは限りません。
ただ、今の状況ではここで待っているよりは、マシです」
結希は慎重な性格だから、
このような思い切りのよい台詞はあまり似合わない。
似合わないが、良い感じがする。
その良い感じに従う他なさそうだ。
「そうですね。
そうです。きっと」
葵は結希の思い切りの良さに笑って頷いた。
野外に出てから、葵は銀を呼んだ。
足の付け根にある腫瘍が痛々しく光っているが、
体調は悪くなさそうだ。
「銀ちゃん、私と結希2人までなら乗れるかな」
葵は銀を見つめながら、鼓動に耳を澄ました。
銀の鼓動はゆっくりと波打ったままで、調子は悪くなさそうだ。
「大丈夫そうかも」
それだけ伝えると、葵は結希の判断を待った。
「じゃあ、僕と葵さんが銀さんに乗っていきましょう。
三毛さんと虎さんはどうしますか?」
「2人とも足は速いから、荷物だけ持ってついて来てもらいます。
大丈夫よね?」
<大丈夫です。
もし離されても、銀殿の匂いを追いかけられます>
「銀ちゃん。あんまり2人と離れないように走ってね」
葵が銀の背を撫でると、銀は激しく鼻息を吐いた。
◇
葵は銀の背にしがみつき、その両脇を後ろから抱えるように
結希がくっついている。
銀の体はしなやかに、波打つように動くので、
背にしがみついているのにはコツが必要だった。
腕が疲れ切って握力が無くなって来た頃、
銀は毛を伸ばすと、葵の体に括りつけてくれた。
キラリ―ランドにはおよそ1時間で到着したが、
着いた頃には葵は疲労困憊だった。
股も足も腕も疲れ果てて、地面に落ちるように着地すると、
しばらく動けなかった。
「だぁ・・・・乗ってるだけなのにしんどい」
森の中は、驚くほど静かだった。
見渡す限り、外敵のオーラも見えない。
<おそらく銀さまの匂いで逃げたのでしょう>
「いや、オーラの残りも見えないから、もともと居ないのかも」
<でも、腫瘍持ちのやつらは襲って来るかもにゃ>
「確かに、狙われていることも考えておかなきゃね」
森の中を進んでいくと、銀が小さく唸るようになった。
殺気だった銀をなだめようと手を出すと、
葵は手を掴まれて後ろに引っ張られた。
「わ」
結希が葵の体を後ろ手に回すと、寒気のするような咆哮が聞えた。
銀が葵へ牙を剥いている。
「葵さん。銀さんが。
どうなってるんですか?」
結希が低く構える。
「ぎ、銀ちゃん」
銀は非常に苛立っていた。
もしかしたら、トロルよりも恐ろしい何かが居るのかもしれない。
葵は助けてくれた結希に礼を伝えると、前に出た。
「銀ちゃんはもう無理しないで。
もう、中に入らなくてもいいよ」
声をかけると、やがて銀は大人しくなった。
「ごめんね。
気付かなくて」
銀は鼻を鳴らすと、飛び出すように去っていった。
葵は『真実を見通す目』で森の中心を見た。
「ああ。そんな」
森からは黒い霧のような不穏な色が立ち込めている。
腫瘍持ち特有のオーラだ。
「中に腫瘍持ちがいます」
「ああ。
だから銀さんはあんなに嫌がっていたのか」
葵は右奥に、ただならぬ気配を感じた。
「それ以上の、何か変な感じもあります。
多分、銀ちゃんはそれに反応したんです。
私ってば、なんでちゃんと確認しなかったんだろ」
「何がいるんですか?」
「わかりません。
でも、絶対に行かない方がいい」
葵はしばらくの間、何か見えないか目を凝らし続けた。
左手奥に光に反射するような艶を感じた。
「あ。こっちに、何かいます」
葵はそちらを指さす。
「そっちは何があるんですか?」
「わかりません。でも、嫌な感じじゃない」
葵の指した方向へ歩き始めてすぐ、
茨がたくさんついた蔓のようなものが
森の奥から伸びてきているのに気付いた。
<これは何だにゃ?>
虎が槍の先で蔓を持ち上げる。
<見たことのない蔓ですね。それに妙です>
「何が妙なの?」
進行方向から目を逸らさないように気を付けながら、
葵は訊いた。
<これは全部、今日伸びた蔓です>
「え・・・」
蔓が1日で数10メートルも伸びるはずはない。
「そんな」
<間違いありません>
三毛が慎重に蔓に触れて調べる。
葵も隣にしゃがんで蔓に触れてみた。
「これ。
強い力を感じる」
蔓からはかすかなオーラを感じた。
それはどこか、健気なあの双子を思い出させる。
「あ」
「どうしたんですか」
「この蔓。
嫌な感じが無いんです。もしかしたら、
あの双子がしたのかも」
「さすが葵さん。見つかりましたね」
結希がどこか楽しそうに言った。
きっと葵をリラックスさせるためだろう。
「い、いえ。それほどでも・・・」
その心遣いに感謝して、葵は結希に笑顔を向けた。
「まぁ、まとめるとそういうことになります」
<こちらから、外敵の気配がします>
三毛が言うと、虎が突然走り出す。
「ちょっと、待って」
葵と結希は顔を見合わせてから、先行する虎の後を追った。
外敵は皮無しの狼だった。辺りからひどい匂いがする。
皮無し狼は茨に巻き付かれて、身動きがとれないようだ。
<こいつ。間抜けにゃ>
虎が喜々として槍を皮無しに向ける。
「でも、ほんとうにおかしいですね。
動物が植物に捕まるなんて」
結希の言葉に葵は頷く。
「葵さんは双子が与えられた力について、
何かわかりませんか?」
「あ。そういえば、女の子は植物を育てるのが上手でしたよ」
「やっぱり、それが能力?」
「うーん・・・
で、男の子の方は、確か・・・なんだっけ」
葵が思い出そうと首を捻っている間に、
虎が皮無しにとどめを刺して、戻って来た。
<この先は、もっと狭くなってるにゃ>
虎の言う通り、進むにつれて蔓の密度がだんだんと増えてくる。
周囲の木々には蔓が必ず巻き付いているので、
そこら一面蔓だらけに見える。
「すごく伸びていますね。
草刈機か鎌でも持って来ればよかった」
「うん。大変だわこれは」
<前に進むには、蔓を切るしかないにゃ>
虎が蔓に槍を向けそうになったので、葵は制止した。
「待って。これはあの子が出したものだから、
傷つけちゃ駄目」
一行は何とか蔓を躱しながら奥へ進んだが、やがて
完全に塞がれた場所に行き当たった。
ここから先は帰り道以外、どうあっても進めそうにない。
三毛がつぶやいた。
<しかし、これは蔓を如何にかしないと進めませんよ>
葵は上を見上げた。
3メートルくらいまでびっしり蔓がある。
まるで蔓でできたお城のようだった。
「うーん。確かに。
結希。どうしたらいい?」
結希は蔓に触れると、表面にある茨に刺さった指先を見た。
「外敵から守るために出したんだ・・・必死で」
真剣な表情をした結希が、葵を見たので心臓が痛くなる。
「力を使ったんだとしたら、すごく疲れていると思います」
「うん。そうかも」
葵は持ってきた絆創膏を結希の指につけてやる。
「蔓を刺激すると、子ども達はもっと必死になる。
でも、奥に進まないと助けられない」
結希が壁のようにして立ちはだかっている
蔓に向かって手を伸ばした。
「結希っ。
怪我するよ?!」
葵が慌てて結希の肩に手をかけるが、
彼は構わずもう一歩前に踏み込んだ。
「いてて・・・。思ったよりも痛いですね。
ちょっと行ってきます。きっと寂しがってるだろうから」
「で、でも」
「葵さんは、三毛さんと虎さんが、
蔓を傷つけてしまわないように、見張ってて」
結希が葵の後ろに目配せする。
振り向くと、今にも三毛と虎が槍で蔓を切ってしまいそうだった。
「こら。三毛虎!!」
「じゃ、またあとで」
葵が猫達の相手をしている間に、結希が茨に身を投じていく。
「あっ!ちょっと結希ってば」
「助けたらすぐに帰りましょう」
結希は茨に身体中を刺されてとても痛そうなのに、
葵を安心させるために、あえて陽気な声を出しているようだった。
結希の背中はすぐに見えなくなり、
やがて声をかけても返事が聞えなくなった。
◇
「いてて」
茨に刺される度に、小さく呟いた。
先程の場所からはずいぶん離れたが、
万が一葵に聞こえてしまって、いらぬ心配をかけたくない。
頭も背も、腕も足も、茨に刺さってひどく痛む。
手袋や厚手の上着を用意してくればよかった。
最初は、指に刺さった茨を噛んで引き抜いていたが、
それも今ではどうでもよくなった。
結希は痛みに耐えながら、ひたすら前を目指す。
「まだ、奥か・・・」
全身が細かい傷だらけになった結希は、
痛みに耐えて少し笑った。
「今助けてやる。こっちにくれば、大丈夫だから」
「今までつらかったな。大人の都合で振り回されて・・・」
痛い。
汗が背を伝い、頭が身震いするほど熱くなってくる。
「なんとなく、分かるよ。
この棘は、不安の裏返しだ」
結希は蔓を握りしめたままの手を止めた。
「ぼ、僕も、本当は不安だったのかも」
蔓をゆっくりと左右に開いていく。
「後ろにね。葵さんっていう人がいるんだ」
更に一歩分け入り、上から垂れさがる蔓を掴む。
「怒りっぽいけど、怖くないよ。
優しい所あるし・・・」
不意に落ちてきた一本の蔓が瞼にぶつかって来た。
「う」
結希は目が開けられない程痛くて、その場にうずくまった。
「葵さんが怒った分、僕は怒らないから。
家族ってそういうもんだろ。知らないけど。
いや、家族になりたくないなら、無理にとは言わないけど。
僕は、そういうのがずっと欲しかった」
結希は痛みで半ばぼんやりしながら、
正直な気持ちをしゃべり続けた。
すると、目の前の蔓がひとりでに持ち上がり始めた。
結希が蔓から手を引くと、
丁度一人分通れるほどの、蔓の回廊ができあがっていく。
「・・・え。なんで?」
呆気にとられた結希は、痛んだ両手を庇いながら奥の方を覗いた。
まだ先がある。
もしかしたら、葵の言っていた双子に何かがあったのかもしれない。
「そうだ。早く行かないと」
結希は先を急いだ。
蔓の回廊の奥には、ドーム状のひらけた空間があった。
上の方にいくつか空洞があり、そこから光が入ってくるのが見える。
その光が差す中心部には、大きな倒木があった。
「すごい。ここ」
眩暈がして蔓の壁を頼ると、結希は蔓に棘がないのに気が付いた。
上にある空洞から鳥が入って来る。
数匹の鳥は蔓に留まり、仲間同士で毛繕いを始めた。
この蔓は、内側のものを傷つけないようにしているのだ。
「すごい力だ。一体どうやって」
結希はまっすぐ倒木のある所まで歩いた。
倒木の下側に、蔓の塊を見つける。
網目のようになっていて、近付けないようになっている。
「もしかして、ここか」
結希は蔓の隙間から、倒木の下に隠れている
小さな子どもを見つけた。
男の子も女の子も、2人とも白金の美しい髪色をしていた。
外国の子どもだ。
男の子の方は大きな本を盾のように構えて、
後ろで横になっている小さな女の子を守っている。
「無事だな。良かった」
男の子が本を持ち上げて、何かを叫んだ。
「ああ。ごめんね」
結希は少し離れてその場に座った。
必死な表情でこちらを見ている男の子に、
これ以上心労を与えたくない。
「こんにちは」
結希が声をかけると、男の子は本の下に顔を隠した。
ひどく怯えている。
きっと怖い目に遭ったのだ。
結希は葵から聞いていた2人の名前を呼んだ。
「そーにゃ。きーら。発音がわからないな」
男の子のキーラが本の上から顔を出す。
「ハロー。キーラ。マイフレンド。
何もしないよ。キーラ。ソーニャ」
キーラは結希がにやにやしているからか、
英語がとてつもなく下手なせいかわからないが、
怪訝な表情をこちらに向けている。
「ハロー。マイネームイズユキ。
ノーエネミー。ユーアーマイフレンド。
フレンドリー。
くそ。英語まったく覚えてないな。
だめだ。てゆーか、英語圏なのかもわからないしな」
引き攣った笑顔を浮かべたまま、結希はキーラに話しかけ続けた。
「ちょっと、時間が必要だな」
いくら話しかけてもまったく反応がないため、
結希は掌に刺さった茨を抜き始めた。
「いてて。ててて」
気付くと、キーラがじっとこちらを見ている。
結希は少しだけ掌を見せると、
笑って見せてから作業を続けた。
ここは安全かもしれないが、外に葵を残している。
得体の知れない外敵もいるので、あまり長居はできない。
どうやってキーラに信用してもらったら良いだろうか。
一度戻って葵に無事を伝えた方がいいだろうか。
しかし、戻ったところで蔓が元に戻ったら、
1からやり直しになってしまう。
「こまったな」
結希は深呼吸をして、上を向いた。
子どもの頃の自分は大人にどうして欲しかっただろうか。
ただ助けて欲しかったわけじゃない。
何かを恵んで欲しかったわけじゃない。
でも、無視はして欲しくなかった。
かといって、結希が素直に大人を受け入れたかと言われると、
そうでもない気がする。
「うーん。時間はないし。仕方ない!!」
結希は立ち上がり、キーラとソーニャの方に向かって歩いた。
キーラがすかさず本に隠れる。
結希は手の届く所まで近づくと、声をかけた。
「キーラ」
声を出した瞬間、結希は蔓の網から
跳び出してきたキーラの頭突きをもろに喰らっていた。
◇
ソーニャの体が光に包まれ、
突如足元から棘のある蔓が伸びていったあと、
しばらくの間、キーラは身動きできなかった。
やがて蔓は植物とは思えない速さで伸び続けていき、
キーラとソーニャを守るように囲いを作った。
囲いには棘があり、
あっという間に皮無しの狼を追い払ってしまった。
にわかには信じがたいことだが、
これがソーニャの力なのだろうか。
何もわからない。
キーラはソーニャの肩の上で小さくなり、
心配そうに頬を舐めている白蛇を見た。
「お前には、何かわかるのか?」
よく見ると、白蛇の尾にある花が、枯れそうになっている。
そういえば、白い空間で白蛇はフォルトゥーナに
マンゴーの実をもらって花を咲かせていた。
白蛇にとって力の源は食べ物であり、
花は健康状態を表すバロメーターなのだ。
蔓を瞬時に成長させたことで、
ソーニャと白蛇は力を使い果たしたのかもしれない。
そうだとすれば、ソーニャは無事なのだろうか。
「ソーニャ。ソーニャ。起きてよ」
しっかり息はしているものの、
いくら揺らしてもソーニャは目覚めない。
キーラは途方にくれながらも、ただ待つしかなかった。
最初は蔓の間から周囲を確認していたキーラだったが、
此処が安全地帯だと分かると、少しの光を頼りにして
『賢者の真心の王国』を読み始めた。
この不思議な本は、やはりページをめくるたびに内容が変わっていた。
登山について。
次はおとぎ話。
次はある音楽家の一生。
本は興味深いのだが、キーラには1つひっかかることがあった。
フォルトゥーナは石でできた
蝶々の作り方がここに書いてあると言っていたのだが、
その内容についてはいつまで経っても出てこないのだ。
「目次くらいあればいいのに・・・そうだ。目次だ」
キーラは本の目次を探した。
果たして、目次はカバーの裏にあった。
「『この本に目次はない。
人が一生を終える前に、目次ができないのと同じ理由で』
回りくどい文章だ。
『知識を知恵にすること。
全ての知識は体験的でなくては、意味がない』」
キーラはそこまで読んだところで、イライラしてきた。
自分が本ばかり読んでいて、周りの人と関わらなかったことを
指摘されているような気がしたのだ。
「うるさいよ。まったく」
キーラは音を立てて本を閉じた。
「・・・仕方ない」
しばらくして気を取り直し、再度目次を開くと、
そこには何もなかった。
「・・・なんで?
ここに目次があったはずなのに」
何度本を開き直しても、もう読めない。
怒らずに、最後まで読んでおくべきだったのだ。
「もうっ・・・何なんだよ。どいつもこいつも」
キーラは苛立ち紛れに、ソーニャの体をゆすった。
「もういい加減起きてよ。ソーニャ」
「んー・・・」
ソーニャがうわごとを言った。
父親と母親の名前だった。
聞いたキーラの肩に、無意識力が入る。
みんなもういない。
2人を守ってくれる大人はいない。
キーラの絶望はより鮮明になり、希望と展望は朦朧となる。
その時、遠くから音がした。
キーラは全身をびくつかせて体を起こした。
気配は正面から、徐々に近付いてくる。
でも、正面には大量の茨のカーテンがあるから大丈夫だ。
だがそのカーテンが、
まるで外からくる相手を受け入れるかのように開いていく。
「どうして」
キーラは慌ててソーニャを見た。
彼女は安らかな表情のまま寝入っている。
「ソーニャ。だめだよ。起きてよ。どうして入れるんだよ」
ソーニャの体を揺さぶっている間に、男が入って来た。
茨にやられて体中に傷を負っていたが、
大きな怪我には至っていない。
「まずいまずい。気付かれたら駄目だ」
茨の網に隠れて息を潜めていると、男は周囲を慎重に確認しながら、
こちらにまっすぐやってきた。
だめだ。位置がばれている。
男は「キーラ」と自分の名前を呼んだ。
「・・・」
キーラは返事をせず、ソーニャを抱きしめたまま、
黙っていた。
ややあって、男はソーニャの名前も呼んだ。
男は笑ったり、妙ななまりのある英語であいさつをしたり、
少し離れた場所で座ったまま顔を顰めたりした。
敵ではないのか。
いや。油断はできない。
大人はいつも自分たちを騙す。
優しい言葉をかけて、子ども達が自分達のペースにはまったら、
急に態度を変化させるのだ。
「僕は、騙されない」
キーラは決意とともに首肯した。
この本が読めたら、いつか一緒に住めるわよ、と
そうキーラに言ったのは母親だった。
言われてすぐに嘘だと分かった。
分かっていたのに、裏切られたときはとても悲しかった。
施設に向かう前、祖父母すら、釣りに行くと嘘をついていた。
あんなに信頼していたのに。
大好きだったのに。
キーラの目が熱くなり、一緒になって鼻水もこみ上げてくる。
だが、今は泣いている場合ではない。
思い出したら死にたくなるくらいのひどい記憶を、
頭の中から振り払う。
キーラは目元を拭って、本の盾をしっかりと構えなおした。
また同じ失敗をしてしまったら、自分はもう生きていけない。
ソーニャを先に死なせる失敗だけは、絶対にしてはいけない。
死ぬなら絶対に自分が先だ。
姉としかうまく話せなせず、不器用で暗い自分がせめて、
花のように美しいソーニャの代わりになるのだ。
キーラは一歩も動けなかったのに、
姉は銃を持った義父の前に、ためらいもなく出た。
ソーニャは男の自分よりも勇気と愛を持っていた。
キーラは手を握り締めて自分に言い聞かせた。
ソーニャへの愛なら、自分にもきっとある。
だから、それを証明してから死のう。
男が立ち上がってこちらに近付いてきた。
表情は暗い。どうやらこちらが無力だと気付いたようだ。
「うう~・・・」
やるしかない。
見つけてあった手ごろな石を持って、
キーラは立ち上がって、男に飛びかかった。
男の背はキーラとしては大きく、
腰の辺りにしがみつくのがやっとだった。
足を踏ん張って思い切り押すと、
男はすんなりとしりもちをついた。
やったぞ、僕はやった。
「ぐうわぁぁあああああ!!!」
キーラは石を握った手を、男の顔面に叩きつけた。
両手を思い切り振り上げて、身体を縮めながら振り下ろす。
手首をひねったみたいで痛みが走ったが、
構わず再度振りかぶって、叩きつける。
「ぐ」
男の鼻から血が吹き出して、
キーラの手にべったりと引っ付いた。
息が苦しかったが、止まらずにもう一撃。
男がうめき声をあげた。
キーラは無防備な男を何度も殴りつけた。
男と目が合う。冷たい目線にキーラは釘付けになった。
「いやぁぁああああああああ!!!」
叫ぶことで恐れや不安を振り払う。
手が血で滑り、石を取り落としたが、
キーラは止まらなかった。
襟首を掴んで頭を思い切りぶつける。
立ち上がって、何度も踏みつける。
「ぎううあああああああああ!!!!!」
手足が痺れてくる。
頭も。
そして、体中の酸素が奪われ、
体が動かなくなったキーラは、暴力をやめた。
「・・・かはっ・・・ごほっ・・・」
息も忘れて暴れまわったので、
なんだか呼吸が変になっている。
手足には痛みすらなかったが、
叩いた感触はおかしいくらいに残っていた。
男は顔面を血だらけにしながら、ぐったりとしている。
やった。
大人を倒した。
僕がやったんだ。
威張り散らして、子どもを言いなりにして、
散々やり放題してきた大人を、キーラが倒したのだ。
「・・・ごほっ・・・ざまぁみろっ」
キーラが落とした石を拾い、
完全にとどめを刺すために手を持ち上げた時、
後ろから女の叫ぶ声がした。
油断してしまった。男には仲間がいたのだ。
キーラは男の傍から離れて、ソーニャの前まで戻った。
「△□○×!!」
女は男と石とキーラを指さしながら何かを叫んだ。
異国の言葉だが、不思議とどこかで聞いたことがある。
女は大きな声で叫んでいたと思ったら、
今度は男の傍で泣き始めた。
やっぱりこの女は男の仲間だったのだ。
女はまずい。
特に大人の女は、普段いい顔をしている分、
とびきり酷いことをするから。
お義母さんにされたことを思い出し、
キーラは決意を固めた。
キーラは自分に残された握力を確かめる。
いまなら後ろから後頭部を殴れる。
隙がある内にやった方がいい。
だが、キーラの足は、
どうしても前に踏み出すことができなかった。
女の仕草が、男に対する思いやりに満ちていたからだ。
男が手を振って、女に何かを言った。
躊躇っている間に、男の意識が戻ったのだ。
「くそ・・・どうしたら・・・」
キーラは油断せず構えたまま、ソーニャの体を揺すった。
妹はまだ起きない。
「キーラ。ソーニャ。△□○×!!」
女が自分とソーニャの名前を叫んだ。
間違いない。
男も女も、自分達のことを知っている。
「キーラ。この人達は?」
隣に起きてきたソーニャが居たので、
キーラは跳び上がるくらいびっくりした。
「ソーニャ。危ないっ」
キーラはソーニャを庇うようにして、自分の体の後ろに隠した。
「キーラ。何か変よ。どうしたの?」
ソーニャがキーラの手を掴んだ。
「怪我してるじゃないっ?!
どうしたの?あの人達、倒れている人はどうしたの?」
「今はそれどころじゃないんだ。
大人なんだ。気をつけないといけないんだ」
キーラは無理矢理ソーニャを倒れた木に押し付けた。
「痛い・・・キーラ。やめてよ。
あのお姉さん、泣いてるわ。きっと、悲しいことがあったのよ。
ねぇ。聞いてるキーラ」
「うるさいっ知らない大人なんだ!!
あいつらは!!」
キーラは無意識に手を振り上げて、
色々言ってくるソーニャを大人しくさせようとした。
ソーニャは驚いて目を閉じたが、
すぐに開くとキーラを睨み返してきた。
「その手をどうするの?
叩くのね。叩けばいいわ」
「う・・・」
「叩けばいいわよ」
ソーニャの瞳から大粒の涙が零れて、
キーラは息ができなくなった。
少し油断しただけなのに、キーラの手から石が落ちた。
ソーニャがキーラの脇を抱えるように、抱きしめた。
髪から花のようないい匂いがする。
「寝ている間に、守ってくれたのね。
そうでしょう?」
大人しくなりそうな自分に、キーラは狼狽えた。
ダメなのに。
大人しくしてばかりだったから、自分はソーニャを守れなかったのに。
「・・・う、うん」
「ありがとう。でも駄目。
人を殴ったりしたら」
ソーニャはまるで年の離れた姉のような言い方をする。
「ソーニャは寝てたじゃないか。僕は、ただ」
「わかってる。でも、だめなのよ」
ソーニャがキーラを抱きしめた。キーラの全身から力が抜けていく。
「みて」
ソーニャが動いて、2人の体の位置を入れ替える。
男と女はまだ離れた場所にいた。
男の方は、顏中傷だらけなのに、少し笑っていた。
あんなに殴ったのに、こちらを見ている視線が、
まったく怒っていないのがキーラは不思議でたまらない。
女は先程とは違い、優しい顏で男の手を握っている。
「あの2人、きっと悪い人じゃない」
「そ、そんなこと、わからないじゃないか。
あの時も、あの時も、あの時も、ずっとそうだった」
気分が悪くなって、キーラの体がよろめく。
血液が沸騰したみたいに頭が熱い。
「そうだった?」
「ソーニャは、覚えてないだけなんだ」
「うーん。キーラの言う通りかも」
「だったら」
「だったら、また殴るの?」
「うん」
「殴ったら痛いから、私はイヤ」
「そんなことを言われたら、全部僕が悪者になるじゃないか。
あの男にも、大事に思う人がいるってわかったら、
僕達はまた死ぬまで大人しくしておかなきゃいけないじゃないか」
キーラの目が熱くなる。
水面に出来た波紋のように、動揺が広がっていく。
「わかんないわ。キーラ早口過ぎて」
ソーニャが困ったように言う。
「ああ。ソーニャは馬鹿だ」
それを言うまでが、キーラの限界だった。
視界が緩やかに暗転していく。
耐えられない。
◇
「ね。結希ってば、大丈夫かな?」
キーラとソーニャと出会う5分前。
葵は結希の帰りを待ちながら、茨の壁を見上げて言った。
乾燥ワカメと煮干しを齧っている三毛と虎が、
あまり興味なさそうにこちらを見る。
<まぁ、結希なら大丈夫じゃにゃい?>
葵は指先で茨の先端を指で触ってみる。
「大丈夫じゃにゃいわよ。
この中に入って行くって、無茶にも程があるんだから」
<確かに怪我はたくさんされたでしょうな>
「う、うん」
葵はキーラとソーニャの境遇について、
結希に話し過ぎたことを少し後悔していた。
話を聞いた後の結希は、表面上は冷静でいたが、
行動面では葵以上に懸命になり過ぎていたような気がする。
結希は幼い時から実の両親に酷いことをされてきたので、
双子に対する思い入れも強くなったのかもしれない。
双子を救いたい余り、そんなことも考えつかずに、
べらべらとしゃべってしまった。
「私は考えなし過ぎる・・・」
葵はあえて血が出るように、茨をぎゅっと握り締める。
そうしなくては、気が済まなかったのだ。
『真実を見通す目』で遠くにある腫瘍持ちのオーラを探る。
オーラは少し不穏さを増しているが、動いてはいない。
かなり距離はありそうだが、万が一こちらに向かってきた時、
茨の中にいる皆を守るのは葵の役目だ。
「しっかりしなゃ」
後悔ばかりしていても仕方がない。
気持ちを切り替えるために、葵は両手で太腿を軽く叩いた。
<葵さま。茨をご覧ください>
三毛が指を指した方向―――
茨の壁を見ると―――全体の動きが激しくなっていた。
「わわっ。これって、どうなったの?」
<わかりません>
見守っていると、茨の壁に人が1人通れるだけの通路が出来上がった。
通路は結希の向かって行った奥まで続いているようだった。
葵は通路の奥を、『真実を見通す目』でしっかりと見た。
「あ、あれは・・・」
<葵。結希の所に行くにゃ>
「わわ。ちょっと待てってば」
葵はすかさず走り出しそうな虎を抱え、
三毛に中を確認するように指示を出す。
<風があります。抜け道ですな>
「結希の所までいけるかな?」
<はい。おそらく>
<じゃあ、行くにゃ。葵、止めるにゃあってば>
「だめ。こういう時は慎重にならないと」
葵は虎をしっかり抱きかかえると、
どこかうらやましそうにしている三毛と視線を交わした。
「三毛。言うから、間違ってたら教えて」
三毛は耳を立てて、賢明そうな顔を上下させた。
「外には大きくて怖い子がいる。小さな腫瘍持ちも。
あの子達は茨には近づけないみたいだけど、
確実じゃない」
<はい>
「で、今、茨に抜け道が出来てしまった。
もし、万が一あいつらが動き出したら
中に入られちゃうから、止める人が必要。
ここまでOK?」
<はい。概ね>
「相手が普通の外敵なら、銀ちゃんに止める役をお願いして、
私達が奥に行くのが良いと思うんだけど、
腫瘍持ちだから、やめた方が良い」
<はい。そうですね。
銀さまが受けている呪いがありますから>
もがく虎を挟んで、三毛と葵が頷き合う。
「なら、結希を信じて、通路を私達が守るのが良いよね?」
<ええ>
葵は三毛から視線を外して、通路を見た。
「それなら、結希のオーラが酷く混乱していて、
誰かの助けが必要な状態だったら、どうしたらいい?」
葵は無意識に、虎を抱えた手に力を入れた。
<・・・葵さま?>
「通路の奥にある、結希のオーラがすごく乱れてるの。
大けがした時みたいに」
葵は努めて冷静に考えようとしていた。
だが、心配で声が掠れて、涙が出そうになる。
<ふぎゃあっ>
我慢できなくなった虎が暴れ出し、
葵の手から逃れて飛び上がった。
「あ。虎ったら」
<葵。しっかりするにゃ。
それなら、ボク達がここを守って、
葵が走って行くしかにゃいにゃ!!>
「え」
<うむ。虎にしては良い答えだな。
結希さまのことは、葵さまにお任せしましょう>
三毛と虎が首肯する。
<ささ、お早く。腫瘍持ち共が来ないとも限りません>
「う、うん」
口許に乾燥わかめをつけたままの従者2匹が、
槍と盾を悠然と構えた。
<葵。早く行くにゃ。
まぁ、あいつら来ても全部倒すにゃけど。
あ、『呪視』に頼ったら駄目にゃよ>
「わ、わかってるわよ」
葵は三毛と虎に頬ずりすると、結希へ向かって走り出した。
通路を進むと奥は大きなホールになっていた。
その中心部に、倒れた結希と、キーラがいた。
ひどく殴られ顔が腫れあがっている結希を見て、
葵は絶句する。
『真実を見通す目』で事情は把握できていた。
結希は石を掴んで殴りかかったキーラの攻撃を、
無抵抗のまま受け続けたのだ。
葵は結希に走り寄り、叫んだ。
「なんでこんなことしたの!?」
キーラを睨みつけながら叫んだが、
その問いはほとんど結希に向けられたものだった。
トロルの攻撃を悠々と避け続けた結希なら、
子どもの攻撃など受けるはずはない。
「結希・・・大丈夫?・・・結希ってば・・・」
晴れた瞼をわずかに持ち上げて、結希が笑った。
「うう・・・。やられました。
でも、きっと、こうした方がいいんだって思って。
ててて。
ぐわ。口の中もやばい」
「何がよ!馬鹿っ。大きなたんこぶできてるわよ!!」
わざと腫れたところを指でつつく。
「いや。やめてくださいよ」
「やめないわよ。何で少しの抵抗もしなかったのよっ?!」
「いや・・・。
だって。後悔してたと思ったから」
「何がよ」
「キーラは、お姉さんに守ってもらって、
きっと後悔しています。
だから、今度こそはって。僕だったら、そう思うから」
結希の言に、葵の心臓が突き刺されたような痛みを生じさせた。
キーラはいつもソーニャを守りたいと思っていた。
それなのに、いざというときになってソーニャに守られた。
キーラは、もう二度と失敗したくないと思っていたに違いない。
だからその思いを、結希は遂げさせたいと思ったのだ。
「だ、だからって・・・」
結希はキーラの後悔を、無抵抗の体で受け止めたというのか。
信じられない、という気持ちと
ああ、結希はこういう人だった、という気持ちが交錯する。
結希とキーラの気持ちに気付かなかった自分が、
全部悪かったのだ。
何のために、自分の目はあるというのだ。
腹の中に溜まった空気が、圧力と共に吹き出す。
「だからってさ!」
思いとは裏腹に、葵はついつい結希を叱りつけてしまう。
彼にはもっと、自分を大事にして欲しい。
自分の存在を、勘定に入れて欲しい。
「あんたは、馬鹿よ!
だからってこんなに殴られなくてもいいでしょうがっ」
身体中に棘が刺さっていなかったら、
顏に傷がなかったら、きっと頬を引っ叩いている。
「す、少しだけ、よけましたよ」
「そんなボロボロで、なに言ってるんだ!!」
「だって、あの子。すごく困ってて。
責任感があって・・・立派だったんです。
だから、殴りかかってきた時、動けなかった」
酷い目に遭ったのに、双子を見る結希の目が優しかった。
「言っとくけど、本当に馬鹿よ。あんた」
睨みつけていると、観念したように結希が目を閉じる。
「すみませんでした」
葵は立ち上がり、双子の方を見た。
疲れが出たのか、キーラがぐったりとして動かなくなり、
ソーニャが支えるために右往左往し始めた。
「ちょっと見てくるわ。
あんたはじっとしてなさいよ」
倒れたままの結希に言うと、葵はソーニャに駆け寄った。
「ソーニャ、ちゃん。大丈夫?
キーラ、くん、はどうしたの?」
葵がキーラの体を支えてやると、
ソーニャが泣きそうな顔で叫んだ。
「○×▽!」
何と言っているのかわからないが、酷く怯えているのは表情からわかる。
葵がキーラの顔を見ると、
汗をじっとりとかいて苦しそうにしていた。
「ちょっと熱がある。
手も、怪我してる。でも、まぁ大丈夫そう」
念のため、オーラも確認する。
結希に比べたら、キーラは全くの軽傷だ。
ソーニャに頷いて見せると、葵はキーラを背負った。
「ソーニャちゃん。あれ、忘れ物じゃない?」
倒木の近くに落ちている本を指さすと、
ソーニャは金とも白とも見える長い髪の毛を
なびかせて走って行った。
3人で戻ると、結希は立ち上がった。
結希に向かって、ソーニャが申し訳なさそうに何かを言った。
彼は頷くと、そっとソーニャの頭に手をのせる。
「気にしなくていいよ。大丈夫」
その言葉が不思議と伝わったように、葵には見えた。
「結希、休まなくて大丈夫?」
「大丈夫。
少し休んだから。それより」
結希が葵の肩を叩いた。
顔を上げると、三毛と虎が走って来ていた。
「2人とも、どうしたの?
ま、まさか」
<そのまさかだにゃ!!
あいつらが来たにゃ>
追いかけて来た獣の頭部を、
振り返りざまに突き刺した虎が叫ぶ。
<葵さま!
守り切ることができず、申し訳ありません!>
三毛が葵に向かって膝をついて一礼すると、
飛び上がって入口側に構えた。
葵は『真実を見通す目』で従者達の視線を追う。
茨の壁を覆ってしまいそうなほど、大きな黒いオーラがあった。
「な・・・ななな」
オーラは蛸の足のように、こちらに足を伸ばし始めた。
恐ろしい敵が、もうすぐここにやってくる。
葵の頬と頭が緊張で粟立つ。
「結希。
本当に・・・やばいやつがこっちに来る」
二の句がつけなくなった葵に、結希が笑顔を向けてくる。
「大丈夫。
葵さん。まずは逃げることを一番にします」
結希の言に、葵は頷く。
その時、そいつは姿を現した。
◇
結希は全力の『雷獣』を纏った。
全力の『雷獣』は、身体に無理を強いるので、
怪我のリスクが大きい。
できれば余力を残せる『麒麟』で立ち回るべきではある。
しかし、前方から感じる恐ろしい気配は、
小手先で戦うことを許さないだろう。
木々がなぎ倒され、茨が引きちぎられる音がする。
結希の脳裏にトロルが浮かぶ。
「多分、あれ以上だ」
前方の相手と比べれば、トロルは子どもみたいなものだ。
強度の高いワイヤーが引きちぎられるような音と、
まるで牛のような唸り声をあげながら、そいつは姿を現す。
3メートル以上はある長身と、常人の数倍は発達した手足。
そして、皮膚のない全身赤黒い体表。
頭部は無く、それが生理的な嫌悪感を駆り立たせる。
やばい。あいつはやばい。
赤黒い巨人は、結希が苦労してかいくぐって来た茨のカーテンを、
たやすく踏み潰して乗り越えてきた。
結希は『雷獣』を解いて、体中の力を両手に集めた。
心臓から振り絞るようにして、『トールの雷竜』を呼び出す。
「ぅぅぅぅううううっ!!」
もっと力を上げないと、あいつは倒せない。
死ぬ気で、力を振り絞るんだ。
巨人が手に持った大きな鉈を振り上げた。
結希はそこを狙う。
「みんな下がれ!!」
結希が放った一撃は、
金属である鉈にぶち当たり、巨人の体を貫いた。
『トールの雷竜』に命じて、巨人の体内で大暴れさせる。
巨人の体内には、いくつもの腫瘍があった。
その1つ1つが、トロルのものと同じくらいの大きさだ。
渾身の『トールの雷竜』が、腫瘍によって吸収されていく。
「くそっ」
結希は巨人の右足に力を集中させた。
小さくなった雷竜を膝にある腱に噛みつけせて、焼き切る。
巨人がくぐもった悲鳴を上げ、膝をついた。
『トールの雷竜』でも、大したダメージを与えられなかった。
だが、これで逃げることができるかもしれない。
「今だ!」
結希はみんなに駆け寄ると、キーラを抱え上げて叫んだ。
「逃げるぞ!」
『トールの雷竜』が巨人の体表にある血液を蒸発させたおかげで、
辺りは白い靄につつまれている。
周囲が見えなくなった巨人は、腕をやみくもに振り回し始めた。
好都合だ。
これを隠れ蓑にして、巨人から逃れよう。
結希は巨人の脇を指さす。
走り出した一行を狙って、靄の中から皮無しの獣が現れた。
「三毛虎!」
葵が言うと、三毛と虎が迅速な動きで敵を始末する。
「わぷ」
前を走っていた葵とソーニャが転んだ。
結希は葵の腕を掴んで、思い切り引っ張って起き上がらせた。
「ありがと」
葵の笑顔の後ろに、飛びかかって来る獣の口が見えた。
結希は葵の頭を抱き寄せると、拳を思い切り突き出した。
なけなしの『雷獣』で筋力強化した拳を受けて、
獣の顔面が潰れる。
だが、結希の方も、拳が砕けてしまう。
「ぐ」
鼻から血を流して、獣が茨の中に突っ込んでいくのを
見届けてから、葵を見た。
「結希ってば、あんな大きな奴を吹っ飛ばすなんて・・・」
葵が憧れの芸能人を見つけた時のように、
結希を指さした。
「いいからっ!
ぼさっとしないで、走って!」
その時、すぐ近くを巨人の腕が通り抜けていった。
「ぎゃあああ!!」
「頭を低くして、早く!」
無事森を抜けるまで、無我夢中だった。
ありがとうございました。
次回は来週に更新いたします。




