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33話 葵 ソーニャ

33話です。

よろしくお願いいたします。

挿絵(By みてみん)

ぽかぽかと温かい。

結希と銀と三毛と虎の寝息がきこえる。

みんなが傍に居るのを感じる。

安心感につつまれて、葵の身体とこころは弛緩していた。

ふと、眉間の辺りに小さな光を感じる。

夢のような、現実のような、

起きているような、寝ているような、

生きているような、死んでいるような。

『死ぬのは生まれる前の、やすらかな状態に戻ることだ』

そう主張していた学者がいた。

結希に会いたくて、それまでは死にたくなくて、

これまで一生懸命やってきた葵だったが、

今なら安心して死ねるような、そんな気分だった。

葵は心地よい光の中で何かに抱かれて浮かんでいた。

すこぶる気持ちがいいので、

これが夢ならずっと見ていたいと思った。

<葵、葵>

呼びかける声が、優しい頃のお母さんに似ていた。

「はぁーい」

<お願いがあるの>

声がフォルトゥーナだとわかり、葵はすんなりと受け入れた。

「うん。どうしたんですかぁ?」

問うと、切迫した言葉が返ってくる。

<あなたの力が必要なの。すぐに来てっ>

体を包んでいたフォルトゥーナの気配は消失し、

同時にあたたかな光の世界も消え失せてしまう。

「え・・・・え・・・・?」

覚悟する間もなく、葵は底の見えない奈落に落ちていく。

物語が幕を上げるのだ。


   ◇


ソーニャはキーラと一緒に、

だいがくいんせいのパパとママのもとに生まれた。

パパとママは、「男の子と女の子の

双子はとてもめずらしい、2人は特別だ、天才に違いない」

と言って、ソーニャとキーラが生まれたのを喜んでくれた。

パパとママはまだ学校に行っていたから、

わたしたちきょうだいのお世話は出来そうになかった。

だから、生まれてすぐにおじいちゃんとおばあちゃんに

あずけられたそうだ。

パパとママはとてもかしこくて、

しょうらいゆうぼうだったから、

いなかで静かにくらししているおじいちゃんとおばあちゃんに、

子どもであるソーニャたちをあずけるのは、いやみたいだった。

でも、ソーニャは、土と草とたばこの匂いがするおじいちゃんと、

はちみつの匂いがするおばあちゃんが大好きだった。

パパとママはおしゃれなかっこうで会いに来てくれた。

あまり長くはいっしょにいなかったけど、

かわりにむずかしい本をたくさんおいていってくれた。

それを見たおじいちゃんとおばあちゃんが、

パパとママが帰った後に「もっと必要なものがあるだろう」と

言いながら、いつもかなしい顔をしていたのを、

ソーニャはおぼえている。

本については、どれもこれも、

まったく意味のわからないものだったけれど、

キーラはネズミがエサにかじりつくようにして読んでいた。

それなのに、せっかく読んだことを、キーラは話そうとしなかった。

お話をすることが、キーラはにがてだったのね。

だから、パパとママはあきれてソーニャばかり

かまうようになった。

3歳になる前の冬、そんな生活が終わりを告げた。

ようちえんのおゆうぎ会で、ソーニャは自分の名前と年と

将来の夢を発表することになった。

パパとママは、「おいしゃさんになるといいなさい」とか

「けんきゅうしゃになるといっても良いわ」と言った。

おじぎも、名前や年をいうことも、けんきゅうしゃも、

きちんといえるようにれんしゅうした。

でも、ソーニャにはどうしてもできないことがあった。

「あなたのお名前は?」ときかれても、

「ソーニャです」と答えることができないのだ。

ついつい「3歳です」と答えてしまう。

逆に、「なんさいですか?」ときかれると、

「ソーニャです」とこたえてしまう。

そんなソーニャにパパとママは「きちんといいなさい!!」と怒った。

必死で考えて、「私はソーニャです」とこたえたけど、

いつもまちがっていた。

パパとママはとっても、とってもがっかりしたようで、

会いに来ることはほとんどなくなった。

ソーニャは何度もパパとママにてがみをかいたけど、

へんじは一度も来なかった。

ソーニャはキーラに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

だって、ソーニャのせいでキーラはパパとママに会えないんだもの。

さびしくなって、一人で泣いていると、

よくおばあちゃんがはちみつをなめさせてくれた。

できたてほやほやのはちみつはとっても甘くて、

冷たいはずなのに温かくて、涙なんてすぐにとんでいった。

ソーニャはおばあちゃんが大好きだった。

そんな時でもキーラはパパとママにもらった本をずっと読んでいた。

「キーラ、わからない子。

なんで本ばかり読んでいるの」

とキーラにきいてみたことがある。

そしたら、キーラはいきなり泣き出した。

ソーニャはびっくりして、おしっこをもらしそうになった。

キーラはソーニャのふくをつかんで

「パパとママが読んでほしいって言ったからだ」といった。

やっぱり、全部ソーニャのせいだったのね。

ソーニャは、キーラと一緒にずっとずっと泣いていた。

でもその日、はじめて2人のこころがつながった気がした。

ソーニャはおばあちゃんがしているお花の水やりと、

おじいちゃんがしている、げんかんのおそうじを

毎日いっしょうけんめい手伝った。

キーラにパパとママを会わせるために、

いっしょうけんめい考えた方法だ。

「神様、ソーニャがいっしょうけんめいお手伝いするから、

ソーニャは会えなくてもいいから、

パパとママがやってきて、キーラにキスをくれますように」

ソーニャはねむる前にお祈りをするようにした。

神様がきっとかなえて下さると、信じていた。

5さいになって3か月と5日が経過した日、

ソーニャとキーラはおじいちゃんと

おばあちゃんとはなれて、しせつでくらすことになった。

きいた話では、パパとママが、

「どうしてもそうしたい」と言ったそうだ。

パパとママは、どうしてそんなことを言ったのだろう。

ソーニャとキーラは、つりざおと先日集めたミミズをかみばこに

入れてお外にでた。

しせつにつれていかれるとは、まったく思っていなかった。

見送りのおじいちゃんとおばあちゃんに、言われた。

「ソーニャちゃん。大好きよ。たくさんお手伝いしてくれてありがとうね」

「キーラ。ずっとあいしている。おねぇちゃんをよろしくな」

おさかなをつりに行くだけなのに、なんだか大げさだなと思った。

おじいちゃんとおばあちゃんからキスをもらった時、

キーラがいきなり泣き出した。

さいしょは大げさだなと思ったけど、

ソーニャも何だかかなしくなって泣いてしまった。

2人が入ったしせつは、大きなかべと門に囲まれていて、

一度入ったら出られないような気がした。

中に入ると、お庭がすごく広くて、お家はすごく古くてかびくさかった。

それもそのはず、しせつはもともとあった

しょうがっこうをさいりようしたものらしい。

なん日かたって、ソーニャは

こんなことなら、おじいちゃんとおばあちゃんに、

もっとキスをせがんでおくべきだった、とこうかいした。


   ◇


1階は男子のおへやで、2階が女子のおへやになる。

だから、ソーニャはキーラとはなれてくらした。

最初の頃は、部屋にあるコンクリートのかべについた大きなシミと、

風の音が怖くて眠れなかった。

たまに会うキーラの性格は、どんよりと暗くなっていた。

ソーニャはできるだけ変わらないようにがんばった。

だって、おじいちゃんとおばあちゃんが迎えにきたとき、

ソーニャが暗かったら、がっかりするだろうから。

どんな時も前向きなのがソーニャの良いところだ。

深く考えず、ただ前向きにすごした。

それが、本当に良かったのかはソーニャにもわからない。

ソーニャは、毎日お世話をしてくれる先生のお手伝いをがんばった。

ナプキン折りと、お庭の草取り、お花の水やり以外の時間は、

たくさん勉強をした。

みんな勉強をいやがるけど、ソーニャには簡単だった。

学校での成績はいつも一番だった。

だから、年下の子に勉強を教える係になることも

しょっちゅうだ。

勉強を教えるのはとても好きだったが、

みんなはソーニャの教え方が変だと言った。

6歳になったころ、アビィという5つ年上の

女の子が友達になってくれた。

アビィは施設にいる子には珍しく、とても大人しい性格だった。

でも、星空みたいなきれいな黒髪をしていた。

ソーニャはアビィとよく遊んだ。

ソーニャが好きなお姫さまごっこも、よくつきあってくれた。

アビィと遊んでいる時、ソーニャは何度かキーラに声をかけた。

いつもひとりでいるキーラが、少しは明るくなったらいいと思ったのだ。

でも、決まって断られた。

キーラはひとりの方が好きみたいだった。

「あんたの弟、暗い子ね」

ソーニャはアビィにそう言われても仕方がないなぁ、と思った。

キーラはパパに似てイケメンなのに、

前髪を伸ばして、顔が見えないようにいつも下を

向いていたので、お友達からからかわれていた。

どれだけ嫌がられても、ソーニャは日に一度は

必ずキーラに会いにいった。

会っているときは、不思議と誰も邪魔してこない。

ソーニャはキーラと一緒に、パパとママや、

おじいちゃんとおばあちゃんにまた会えるようお祈りをした。

「みんなが幸せでいますように」

お祈りは、おじいちゃんとおばあちゃんと別れたあの日から、

ちゃんと続けていた。

「おわったの?」

お祈りが終わると、いつもアビィが迎えにきてくれた。

「さむいね」

小さな声で聞いてくるアビィの頬が、

寒さのせいか金魚みたいに赤くなっている。

施設に来てから、冬が前より寒くなった気がする。


   ◇


18歳を迎える子達が、

自立するための訓練をする小さな小屋がある。

まだ入ったこともないけれど、

オレンジの壁がかぼちゃみたいだとソーニャはいつも思っていた。

ある夜、6人の男の子が小屋に閉じこもった。

これは、先生達と子ども達を巻き込んだ大騒ぎになった。

「6人はみんな大人よりおっきいから、

先生達もなかなか小屋に入れないみたい」

部屋の隅でこそこそ話す声が聞こえた。

ソーニャはあまり興味がなかったので、

他の子たちがソワソワするのをしり目に

ベッドで眠っていた。

ウトウトしている時、部屋の入口が開く音がした。

「ソーニャ」

すぐ近くで声がしたので目を開けて見ると、

パジャマ姿のアビィが立っていた。

「アビィ?・・・どうしたの?」

ソーニャは驚いて、アビィをお布団の中に入れてあげた。

アビィからは、白い花の匂いがする。

このまま一緒に眠れたら、

とても幸せだろうな、とソーニャは思った。

それなのに「一緒に小屋に行きましょうよ」

アビィがとんでもないことを言い出したので、

ソーニャは飛び起きた。

「ええ?やだよっ!」

小屋にはキーラをいじめたことのある男の子達がいる。

行くのは絶対に嫌だった。

「行こうよ。あんたがいないとさびしい」

「やだよ。アビィこそ、私と一緒にここで寝ようよ。

ルール違反だけど、誰も気付かないよ」

「男の子達はみんな優しいよ」

「いやだ。男の子はきらい」

ソーニャが言うと、アビィはキスをしてすぐに

出て行ってしまった。

胸にぽっかりと穴が開いたみたいに寂しくなる。

ソーニャはさっきまでアビィの座っていた場所をさわった。

何でアビィは意地悪な子達の

ところに行きたかったのだろうか。

アビィの気持ちがわからない。

考えている間に、ソーニャは眠りについた。

次の日の朝、とんでもないことが起こった。

アビィと、アビィの受け持ちであるヴェラ先生が居なくなったのだ。

ソーニャはヴェラ先生とはあまり話をしたことはなかったが、

若くてやさしい先生だったことは覚えている。

なぜこんなことになったのか、

先生達は何も教えてくれなかった。

先生達は口を閉じたが、子ども達は違った。

あの夜、何があったのか。様々な噂が施設内を飛び交った。

普段はうわさなんて相手にしないソーニャだったが、

大切な友達であるアビィのことだったので、

いろんな子達に話を聞いて回った。

聞いた内容を合わせると、こんな感じになる。

副寮長さんは、もともと子ども達に人気がある

ヴェラ先生にしっとしていた。

そのことは子ども達の中でも有名でことで、

ソーニャですら知っていることだ。

問題はそこからだ。

副寮長さんは、男の子たちをけしかけて、

小屋に立てこもるように指示をした。

小屋に入る鍵も、立てこもり方も、

副寮長さんが教えたらしかった。

そのすぐ後、副寮長さんはアビィに声をかけた。

「小屋にいって、男の子たちと一晩過ごしなさい。

なるべくみんなと仲良くなるのよ。

できたら、里親を見つけてあげる」

ああ。なんてことだろう。

きっとアビィは副寮長さんの言われたとおりにしたのだ。

それから小屋で何があったかは、分からない。

でも、男の子と女の子が同じ部屋で過ごすことは

禁じられていたから、アビィがしたことは大問題になった。

アビィと、アビィの受け持ちであるヴェラは、

問題を起こした責任を取らされて、施設から出ることになった。

施設に入って初めて出来た友達が、

無事里親のもとに行けたのか、幸せになれたのか、

ソーニャにはわからない。

ソーニャはいろんな先生に事情を聞いたが、

何も答えてもらえなかった。

ただ、時間だけがすぎていき、アビィとヴェラのことは、

なかったことみたいにされてしまった。

だから、ソーニャはいつものお祈りに、

アビィの幸せをいれてあげることしかできなかった。


   ◇


9歳になってしばらくすると、おじいちゃんが会いに来た。

クリスマスも誕生日にもずっとお手紙がなかったので、

ソーニャはとっても嬉しかった。

でも、隣に座っているキーラは暗い表情のままだ。

こんなときくらい、笑顔でいればいいのに。

代わりにソーニャが笑顔でお出迎えをすると、

おじいちゃんは泣きながら「おばあちゃんが亡くなった」と言った。

おばあちゃんが、なくなった。

なくなったって、死んだってこと?

ソーニャがきくと、おじいちゃんはうなずいた。

おばあちゃんにはもう二度と会えない。

ソーニャは悲しくて、おじいちゃんに抱かれながら泣いた。

キーラは本を持ったまま、じっとこっちを見ていた。


   ◇


しばらくの間、ソーニャのこころは寂しさで一杯だった。

ソーニャはいつもより話さなくなったので、

無口なキーラと一緒にいても、黙っていることが多かった。

それでも、お気に入りの場所にいくと、少しだけ気持ちが

楽になった。

お気に入りの場所は、お庭にある木の下だ。

施設を建てた偉い人の、

お孫さんが生まれた記念に植えられた木だそうだ。

ずいぶん大きいから、お孫さんはもうおじさんかもしれない。

「もうすぐ、ここにいられなくなる」

キーラが、地面から盛り上がった木の根を蹴りながら言った。

「久しぶりに声が聞けたと思ったら、そんなこと?」

ソーニャは嫌な気持ちを表すために、

劇の台詞みたいに大げさに言った。

キーラがソーニャを見て、鼻を鳴らす。

「信じなくてもいいよ。別にどうでもいいんだ」

キーラはあまり話さないが、大事なことはソーニャに教えてくれた。

だから、キーラの言っていることは、きっと本当のことだ。

ソーニャは不安になって、キーラの手を握った。

「そうならないように、お祈りして」

キーラが何かを言い返してきたが、ソーニャはきかなかった。

キーラは齧ったリンゴみたいな顔をしていたが、

最後には一緒にお祈りをしてくれた。

それから少しして、受け持ちの先生から、

おじいちゃんが亡くなったと知らされた。

「おじいちゃんは、おばあちゃんと

会いたくなって、行っちゃったのかな」

いつもの木の下でソーニャが言うと、

「きっとそうだ」とキーラがぶっきらぼうに言った。

ずっと我慢していたソーニャは、涙が止まらなくなった。

ソーニャはそれから、少しのことでイライラしたり、

わざと鉛筆を折ったりするようになった。

受け持ちの先生は、他の先生と話し合って、

キーラとソーニャを一緒に寝られるようにしてくれた。

夜になるとキーラは、日本のアニメに出てくる

ロボットの人形を貸してくれた。

おじいちゃんが誕生日にくれたプレゼントで、

キーラはずっと大切に持っているものだった。

なんだかんだ言って、結局キーラは優しい。

ある夜、キーラが言った。

「パパもママも、アビィも、

おじいちゃんもおばあちゃんも、みんないなくなった」

そんなことを聞かされると、ソーニャはまた涙が出てきた。

「ここから出よう。ソーニャ」

「え。でも、外は寒いよ?」

「いいや。そうじゃなくて・・・」

大人みたいに静かな感じではなく、

小さな子ども達がするみたいに、キーラは笑った。

「一緒に行こうよ」

キーラが手を握って、キスをしてくれた。

だからソーニャは「うん」と返事した。

キーラのキスのおかげで、ソーニャは鉛筆を折らなくなった。

その後すぐ、2人は里親に引き取られることに決まった。

里親と初めて会った時、

キーラはずっと齧ったリンゴみたいな顔をしていた。

受け持ちの先生は「2人ともいい人よ」と言った。

ソーニャは度々会いに来てくれる里親をすぐに気に入ったが、

キーラは慎重だった。

「ソーニャは無防備すぎるんだ」

キーラはソーニャに注意して里親を『観察』するよう説明した。

ソーニャとキーラは毎日話し合った。

もしも、里親がよくない人だった時には、

キーラがわざとトラブルを起こして、

嫌われる方法を考えた。

だが結局2人とも、里親を信じることに決めた。

お義父さんとお義母さんの住んでいる家は、

大きくてとってもお洒落だった。

キーラとソーニャには別々の広い部屋があり、

ベッドも勉強机も、鏡台も、クローゼットも、

なにもかも揃っていた。

お義母さんは、ソーニャがお花の世話が好きだというと、

庭にたくさんのお花を植えてくれた。

お義父さんは、キーラが塞ぎこんでいるのを気にして、

よく2人でお出かけをしてくれた。

次第にお義父さんとキーラは打ち解けて、

お庭でフリスビーをして遊ぶようになった。

キーラのそんな姿を見たのは本当に久しぶりで、

ソーニャはこころの底から、ここに来てよかったと思った。

ある日の夜、キーラが読んでいた本を、

お義父さんが乱暴に取り上げた。

私はお義母さんの近くで何があったのかと

心配しながら見ていた。

「キーラは本当にこれを読んでいるのか?」

お義父さんは怖い顔をして、何かを疑っていた。

ソーニャはハラハラしていた。

キーラは自分よりも頭の悪い大人を

からかうところがあったからだ。

じっとしていたキーラが一度、ソーニャを見た。

宝石みたいな目をじっと見つめ返していると、

キーラが少し目を細めた気がした。

「うん」

キーラが頷くと、お義父さんはいくつか質問を始めた。

キーラが答え終えると、

今度はお義父さんが怖がる番になった。

お義父さんが本を持っている手が、白く青く染まっていく。

「すごい。キーラは天才だ」

お義父さんの声は震えていた。

「・・・天才?キーラが?」

キーラが天才だなんて。びっくりだ。

だって、いつもソーニャの方が成績良いのだから。

だが、お医者様をしているお義父さんがそういうなら、

そうなのかもしれない。

少し悔しかったが、誇らしさの方が大きかった。

大好きなキーラが天才なら、自分は天才キーラ少年の姉なのだ。

「ソーニャも成績1番だよ!」

ソーニャがお義母さんの陰から出て言うと、

キーラとお義父さんは笑った。※2


※2

お義父さんがこっそり測定したソーニャとキーラのIQ。

ソーニャ 言語理解=96

     知覚推理=115

     ワーキングメモリー=150

(お義母さんが途中で声をかけなければ170)

     処理速度=139


キーラ 言語理解=166(満点。大人用は試していない)

    知覚推理=132

    ワーキングメモリー=110

    処理速度=113


きっとお義父さんは2人がすごくて驚いているのだ。

ソーニャはますます嬉しくなった。

洗い物を終えたお義母さんが、後ろから頭を撫でてくれた。

その時、テーブルについたままのキーラの顔が、

齧ったリンゴみたいになっていた。



ソーニャは10歳になった。

誕生日パーティーは豪華で、

きっとどこの家よりも素敵な夜になったと思う。

お義母さんから、たくさんの花の種と、

大好きな○ーラームーンのぬいぐるみをもらった。

キーラはお義父さんから、

大きな本棚と欲しがっていた虫の図鑑をプレゼントされた。

本当の家族じゃないけど、みんなは仲良しになれたと思う。

誕生日から数か月が過ぎたその日は、

朝一番の授業が数学で、先生に当てられた答えが外れて、

気になっている男の子に笑われてブルーだった。

何度も数学の問題が頭に浮かんできたので、

その度に答えを呟いた。

今なら簡単に答えられるのに。

悔しくて涙がでてきた。

こういうときは、お花のお世話をするのが一番だ。

お水をかけて、葉っぱを優しく撫でてあげると

自分まで元気がでてくる。

「今日はとってもブルーだけど、元気出さなきゃ。

あなたももっと元気になってね」

顔を上げると、家の窓からキーラがこちらを見ていた。

肩が震えるくらい、キーラは怖い顔をしていた。

勇気を出して手招きをすると、

キーラは肩を竦めてこちらを指さすと、姿を消した。

少ししてから外にでてきたキーラに声をかける。

「どうしたの? 怖い顔をして」

「別に。なんにもない。どうでもいい」

キーラは嘯いた。

「今日の分のお祈りをしよう」キーラの手を取ったら、

キーラが「そんなことをして、なんになるの?」と言った。

ひどい言葉だったので、ソーニャの目から涙が出てくる。

「今日はブルーだったけど、頑張ってお花と一緒に立ち直ったのに、

キーラがぶちこわしちゃった」

泣きながら言うと、キーラ謝って家の中に入ってしまった。

キーラのバカバカバカ。

こころの中で、キーラにできる限りの悪口をいった。


ソーニャは子どもだった。

ソーニャは一体、キーラの何を見ていたのだろうか

ソーニャはいつも学年で一番の成績を取り続けていたのに、

いったい何の勉強をしていたのだろうか。

キーラが何を悩んでいたのかなんて、少しも考えなかった。


それから何日か経ったある日に、大変なことが起こった。

どのくらい大変かというと、

今の幸せがぜんぶ台無しになってしまうくらいのことだった。

何か大きな事件が起こった時、ソーニャはいつも

すごく大きなきっかけがあると思っていた。

だが、それは違っていた。

きっかけは、ひとつではないのだ。

キーラがお義父さんとお義母さんを

里親にするのを嫌がったあの日から。

いや、おじいちゃんが亡くなった時から、

すでに始まっていたことだったのかもしれない。

ソーニャは夜中に変な音で目が覚めた。

普段なら目が覚めても、すぐに眠れるが、

その日はお手洗いに行きたくなった。

枕の横に座っていた○ーラームーンと一緒にトイレに向かう。

キーラの部屋の前を通ると、ドアの隙間から光が漏れていた。

灯りをつけたままにしているなら消してあげようと思って、

ソーニャは静かにドアを開けた。

部屋は少し暗かったが、

ベッドの上にお義母さんがいるのがはっきり見えた。

お義母さんは服を半分以上脱いでいて、

下にはなにもはいていなくて、丸出しのお尻を

こちらに向けているけど、ソーニャはそんなものが見たい訳じゃない。

キーラはどこ。

背伸びをして、お義母さんの向こう側を覗き込むと、

そこにはキーラがいた。

キーラは裸で俯いていた。

お義母さんが頭を動かすと、キーラが苦しそうな顔をする。

お義母さんが、キーラにとてもいけないことをしている。

やめてあげて。キーラがかわいそう。

キーラを思う気持ちが、

お星さまに届くくらい大きくなって、ソーニャの喉から溢れだした。

「やめてあげて!!」

それがすべての間違いだった。

絵本で見た怖い狼のように、お義母さんが振り向いた。

いつもの優しく美人なお顔は、お化けみたいに歪んでいて、

お義母さんじゃあないみたいだった。

ソーニャは怖くなって、ぬいぐるみを落とした。

ああ、おもらししてしまった。

下の階から、足音が上がってきた。

お義父さんだ。

「ソーニャ?どうしたの?」

足音は、一度ソーニャの部屋で止まり、

キーラの部屋に向かってきた。

なにが起こっているのかわからない。

でも、とてもいけないことが起こっているのだけはわかる。

そして、それは、お義父さんがこの部屋にやってきた瞬間に、

大きく爆発する。

ソーニャはキーラを見た。

身体を起こして、こちらを見ているキーラの顔が、

深い悲しみを浮かべている。

お義父さんが来てしまったらどうなるのか、

キーラには分かっていたのかもしれない。

「まぁまぁ・・・ソーニャ。ダメだよ」

後ろから伸びてきたお父さんの大きな手が、

ソーニャの肩にのせられる。

「え」というお義父さんの声がして、

みんなが石像みたいに固まってしまう。

本当に足が石みたいに重たくなって、ソーニャはその場にへたり込んだ。

お義父さんは黙ったまま、じっと2人を見ていた。

「ち、ちがうの」

お義母さんは、よだれで光る唇を開けたり閉じたりした。

お義父さんは返事をしなかった。

ソーニャが見上げると、お義父さんは目を見開いて、

なぜかキーラの方を見ていた。

黙ったまま、みんなを残してお義父さんは下の階に戻っていく。

お義父さんの様子は、まるで悪魔に取りつかれたみたいだった。

「・・・」

家の中は、雪のたくさん降った山みたいに静かだった。

その中を、お義父さんの足音だけが響く。

何かに気づいたのか、お義母さんは顔を上げると、

お尻を出したままベッドから降りた。

ソーニャとすれ違おうとした時、

お義母さんはおもらしに足を滑らせて転んでしまった。

「ああ」

お義母さんが声を上げて、

転んだ虫のように床の上でもがいた。

それを見ていたソーニャの所へキーラがやってきた。

「ソーニャ・・・。ソーニャごめん」

キーラがソーニャを抱きしめる。

キーラの顔はとても冷たくて、

体育で履く用のくつ下を忘れた時みたいな表情をしていた。

その時、聞いたことも無いような大きな音がした。

一瞬、耳が聞こえなくなる。

振り向こうとすると、キーラが顔を正面に戻した。

「ダメだ」

キーラが優しくソーニャにキスをした。

キーラにキスをされたのは久しぶりだったので、

ソーニャは嬉しくてたまらなかった。

でも、後ろの方で何が起こっているのかも、とても気になる。

「どうして、こんなことに!」

お義父さんの叫び声が聞こえた。

キーラの手が、手旗信号の練習を沢山した時みたいに震えている。

「ああ・・・だめだ」

ソーニャにしか聞こえない小さい声で、キーラが言った。

ソーニャはついに、後ろを振り向く。

長い棒を持ったお義父さんが、

倒れて動かなくなったお義母さんを見下ろしている。

お義母さんは、お義父さんに何かをされたのだ。

「ああああああ!!」

お義父さんが叫んだ。

「お義父さん。お義母さんは・・・」

ソーニャがきくと、お義父さんはこちらを指した。

「あ、お前が!! おまえが悪い!!」

「わ、私は、何も・・・」

お義父さんは棒の後ろ側で、ソーニャの肩を強く打った。

ソーニャの身体は、兎が跳ねるように跳んで倒れた。

あまりの痛さに息が止まり、

身体中の力が抜けて、起き上がれない。

涙でふやけた景色の中で、

キーラがソーニャを守るように立ちはだかっているのが映った。

「お前だ。キーラ!!

おまえのせいだ!!」

お義父さんは怒り過ぎて、何も見えなくなっている。

「ああ。頭が良いせいだ。

お母さんを誘惑したんだろ!!そうだな!?」

お義父さんがキーラの顔を叩いた。

それでも、キーラはソーニャを庇うのを止めなかった。

「やめて!」

ソーニャは痛みを我慢して立ち上がり、

お義父さんの足に抱きついた。

ソーニャは上から殴りつけられた。

床に倒れた時、また耳が聞こえなくなるくらいの大きな音がした。

目の前にキーラの顔がある。

キーラが元気なのか聞きたいのに、声が出なかった。

「・・・?」

立ち上がろうとしたが、

お腹に大きなストーブが乗っかっているみたいで

うまくいかない。

ああもう。

もう一度キスしようと思えばできる位、

キーラの顔がそばにあるのに。

ああ。

あの夜、アビィと一緒に行けば良かった。

そういていたら、こうはならなかったのに。

「き・・・・ら・・・・」

出るには出たが、とても小さな声しか出せない。

「大丈夫。大丈夫。なにも心配しないで」

キーラは笑っているのに、目から涙を流していた。

やっぱり叩かれたところが痛いのね。

「い・・・た・・・い・・・」

「大丈夫。明日には良くなるから。

すぐにいつも通りさ」

キーラの言うことは、いつも正しい。

でも、今回だけなんだか変な感じがする。

手が動かしてストーブが乗っている辺りを触ってみたら、

暖かいものが手についた。

やっと思いで手をみると、赤色が見えた。

身体が動かなくなっていく。

手が重たいなぁ、と思っていたらすぐにキーラが握ってくれた。

急に心配事が頭に浮かんでくる。

ああ、ソーニャが動けなくなったら、キーラはどうなるの?

おじいちゃんも、おばあちゃんも、

パパもママも、お義父さんも、お義母さんも、

おまけにソーニャもだめになってしまったら、

キーラはどうしたらいいのだろう。

「あ・・ああ・・・・・や、めて」

身体がどんどん冷たくなってきて、

ソーニャの頭はだんだん変になってきた。

「だいじょうぶだよ」

キーラがキスをしてくれる。

うれしくて目を閉じてしまったら、もう開けられなくなった。

見えない代わりに、しっかり手を握る。

ソーニャはもうすぐ意識が途絶えるのを悟った。

キーラのために、最後にお祈りをしてあげたい。

「キー・・・ラ・・・・・」

アビィと、ついでにパパとママにもね。

「し・・・せ、が」

天国のおじいちゃんとおばあちゃんにも。

優しかったお義父さんとお義母さんにも。

施設のお友達にも。意地悪な男の子達にも。

世界中のみんなにも。

「・・・よ、う・・・に」

ありがとうございました。

次回は来週に更新いたします。

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