32話 後編 葵
ありがとうございました。
32話が終わりました。
痛みで動けない銀の背を擦りながら、
葵は結希とトロルの戦いを見守っていた。
固く握った手が痺れて、徐々に感覚を失い始める。
<結希を手伝うにゃ>
鬼達を始末し終えた三毛虎が帰って来て、
結希への加勢を申し出たが、葵は首を振った。
「だめ」
<どうしてにゃ?>
「わからない・・・わからないけど」
結希は目の前のトロルではなく、
遠くの手に届かないものと戦っているように見えた。
<しかし、結希さまは足を怪我しておられる>
「わかってるっ」
葵は握った手に爪を立てた。
痺れていて痛みは感じなかったが、こころは心配で悲鳴を上げていた。
<どうして助けちゃダメなんだにゃ?>
「結希は・・・やらなくちゃいけないの」
三毛と虎が同時に首をひねるのを無視して、
ひたと結希の背中を見た。
結希の動きは正確無比で隙が無い。
おそらく、『トールの雷』の力を使って、
トロルの動きを先読みしているのだと、葵にはわかった。
だが、それこそが葵の心配の種となる。
『真実を見通す目』で見ていればよくわかるが、
トロルの性格は野蛮で無秩序で、非常に攻撃的だった。
結希が正確であるからこそ、何か間違いが起こりそうな気がしてくる。
それなのに、こともあろうに、
結希はトロルの手足を躱す度、相手との間合いを狭くしていった。
<結希さまは、自ら危険を犯しているように見えます>
「・・・心臓に、悪い」
<あれが、助けない理由なのかにゃ?>
鋭い指摘に、思わず虎を見た。
そうかもしれない。
普段は安全を第一にしている結希が
危険を犯してまで、一人でやろうとしているのだ。
「・・・うん」
猛スピードで向かって来る腕を、
結希はかいくぐるように紙一重で躱していく。
まるでスペインの闘牛士みたいだった。
結希は終始相手の攻撃を躱すことに徹していたが、
どこかで反撃する為に力を溜めている。
手首辺りに金色のオーラが、今にも爆発しそうなほど集まっていた。
あれだけの力をどう使うのだろうか。
非常に集中した結希の横顔が、わずかに笑っていた。
「笑っている・・・」
葵は唇を嚙みしめながら、眉を寄せて訝しんだ。
結希は、戦いや殺戮に喜びを見出すような男ではない。
だったら、どうして。
葵は結希のオーラを凝視したのち、「そうか」と首肯した。
戦いながら、彼は考えている
今までしてきたこと、自分の生い立ち、
それらが間違っていたのか、
それとも正しかったのか、精査しているのだ。
「なんで、戦いながら、そんなことを考えてるの?」
自分自身で自分の生き方を精査出来ることに、
結希は喜んでいるのかもしれない。
「よくわからないけど・・・」
葵は思わずつぶやいていた。
「よかったね・・・」
彼は新しい力を手に入れた。
自分を閉じ込めていた殻を破って、自分自身になれたからだ。
結希が持っている『トールの雷』は、
今か今かと解放の時を待っているようだった。
葵は額を熱くさせながら、時が来るのに期待していた。
胸の前で組んだ両手に力が込められる。
結希が踏み込んで、トロルの両腕に捕まったと思った瞬間、太陽が現れた。
葵は怯まずに目を開けて、
結希の腕から放出された美しい竜を見た。
空気が割れるような音を鳴らし、
竜は喜々とした様子でトロルに齧りついてむさぼった。
「・・・綺麗」
あれほど強大だったトロルは、一瞬で絶命した。
刹那、竜はまだ足りないといった様子で結希と見つめ合う。
葵は息をするのも忘れて、竜と結希を見守った。
竜は結希の背にある、黒い靄を一噛みする。
「あ・・・あの黒いのが・・・」
黒い霧をうまそうに咀嚼すると、竜は錐揉みするように天に向かっていき、
雲に入った途端、大きな花火が破裂したような爽快な音を立てて、
散らばって消えた。
結希が膝をついて、ややあって倒れた。
「結希!!」
結希に駆け寄り、肩に触れると強烈な電が指に刺さった。
彼の体にはまだ、あの竜の名残りがあるのかもしれない。
「いたっ・・・いったぁ・・・」
指を擦りながら、葵は結希を見ると、黒い靄がなくなっていることに気付く。
あの竜が、結希の黒い過去を食べちゃった。
ああ、でもこれは、結希自身が、結希の過去を乗り越えたことと同じなんだ。
葵はそう思った。
ほっとすると、今度はだんだん腹が立ってきた。
「もうっ。心配かけて!」
結希の肩を叩くと、彼が顔を歪めた。
「・・・ごめん」
葵は固く握っていた指をひらいて、うつむく結希の頬に触れた。
「で、でも、無事で良かった」
結希はゆっくりと体を起こした。
その時、彼の腕に亀裂のような痕がびっしりと刻まれているのが見えた。
「わっ・・・!
こ、この手・・・これ痛くないの?」
葵が結希の腕を指さして訊くと、結希は頷いた。
「雷が通ったので、まぁまぁ痛いです」
結希はさも平気そうに言った。
葵が顔をしかめると、結希は両手を振った。
「だ、大丈夫ですよ。慣れたら痛くなくなるし」
「ま、前から、こんな無茶してるってこと・・・?」
「えっと・・・うーんと・・・はい。
ごめんなさい」結希は歯切れ悪く言う。
葵がわざとらしく、大きな息を吐いて見せる。
「馬鹿よ。あんたは」
葵は立ち上がり、銀の症状が軽快していくのを確認してから、
追加の敵が現れないか周囲を三毛虎に見回りさせた。
「・・・」
葵は結希の隣に戻ると、また隣に座って手を握った。
「あ・・・葵さん」わざと返事はしなかった。
それからはしばらく会話がなかったが、
葵は結希の手を握ったまま、雲が流れていくのを見守った。
やがて、三毛と虎が周囲の哨戒から戻って来た。
<帰って来たにゃ>
<結希さまは無事ですか>
目配せで返事すると、2匹は何かを悟ったように離れて行った。
結希は少しすると、いびきをかいて眠り始めた。
「・・・寝ちゃった」
傷を治さなくても良いのだろうか。
結希を運んだら良いのか、それともこのまま休ませてあげれば良いのか、
葵はしばらく迷ったが、結局そのまま待つことにした。
手持ち無沙汰になった葵が顔を上げると、
三毛と虎が、葵の隣で両手を重ねて祈っていた。
「二人とも、何してんの?」
<結希さまの力は、まさにトール神の力でした。>
「トール神?」
<フォルトゥーナ様と、同じくらいの力を持つ神様にゃん>
「ええっ・・・。
そんなすごい力なの?」
<以前の結希さまの出す力は、トール神からすれば吐息のようなもの。
先日の夜に見た力も、明らかにまがい物でした。
ですが、今回の力は、神の御業そのものでしたな>
感心したように三毛は頷いた。
「見たことがあるの?」
<あるわけないにゃ。言い伝えできいただけにゃ>
「おい」
三毛が悪びれる様子もなく、澄ました表情を浮かべる。
<葵さま。
トール神は世界と異国の許嫁を守るために、
独り戦い続けた戦神です>
<すごい神様にゃ>
なぜか偉そうに説明をする2匹の頭を撫でる。
「そうね。
それを使いこなしていた結希も、本当にすごい人だわ」
<しかし、すごいのは、葵さまの方です>
「何が?」
<結希さまにトール神の力が備わっていたからです>
「はぁ?
それの何がすごいっての?」
<葵さまが見初められた方に、神の力があったのですから、
葵さまがご立派だということです>
「い、いや見初めたって・・・。
私は別に」
結希が聞いていないか、葵は顔を近づけて入念に確認をする。
よかった。寝てる。
「ま、まぁ、でも私は関係ないわよ。
ただ、結希がすごいだけ」
<いい雄を選べるのも、いい雌の条件にゃ>
「わ、私は、選んだなんて・・・」
結希に視線を落とすと、腕に刻まれた雷の痕が、
熱が引くみたいに薄くなっているのが見えた。
恐る恐る痕に触れると、恐ろしく熱かった。
結希の熱を確認するふりをして、彼に触れる。
胸に手を添えると、思ったよりも厚くてたくましかった。
オーラを見るだけでわかる。
竜が黒い靄を食べてしまってから、彼はさらに強くなった。
でも、彼は繊細で弱いところもある。
困ったことがあったら、助けてあげたいと葵は思う。
この気持ちは、相手が結希だから思ってしまう特別なものなのだろうか。
だが結希は、自分のことをどう思っているのだろうか。
葵は不安に駆られて、自らの肩を抱いた。
次回は来週に更新いたします。




