3話 結希
3話目です。よろしくお願いします。
「あのっ」
結希は言ってから、一呼吸置いた。
質問する時は、いつもこうなる。
ついつい聞いても良いのか、
相手に迷惑をかけていないかと逡巡してしまうのだ。
「僕のことを知っているみたいですが、ここは何処ですか?
あなたは誰なんですか?」
フォルトゥーナは微笑みを湛えたまま、額の瞳を左右に動かした。
<ここは、現世と冥府の境目です。私の名前はフォルトゥーナと言います>
頭に響くような声は、この世のものとは思えない迫力があり、
結希は少しも疑うことなく、その言葉を信じた。
「フォルトゥーナさんは、か、神様なんですか?」
フォルトゥーナは結希から視線を外して、首を捻った。
何かおかしなことを聞いてしまったのかもしれないと不安になる。
<そうです>
あっさりと肯定されて、結希は不安と一緒に感嘆も吐いた。
もっと聞きたいことがあったので、慎重に息を吸う。
<いろいろと聞きたいことがあるようですが、
時間がなくてあまり多くのことを教えられないのです。
申し訳ありません>
「あ!すみません。いいんです。すみません」
結希は何度も頭を下げた。
<私にはミーミルという弟がいます。
今は弟にはわからないようにして、あなたと話をしているのです。
もし、知られてしまったら、怒られてしまう>
女神なりの理由が、あまりに人間的で結希は驚いた。
神にも姉弟というものがあるのか。
だが、結希と話しているとなぜ弟に怒られるのだろうか。
疑問を押し留めて、結希は頷いた。
<最近になって、私は弟のミーミルと一緒に地球を作りました>
「最近・・・」
結希は思わず呟いた。
たしか、地球は誕生してから46億年前だったらしいが、
神にとっては最近の出来事なのだ。
<地球はとても美しく成長しました。
2人ともとても気に入っていたのです。
やがて地球上に、人が誕生しました。
私はか弱い人を愛しました。すぐに人は理性を得ました。
ですが、理性に付随した知能が暴走し、
人は地球の環境ですら支配するようになります。
結果として、不幸にして死んでしまう命が
極端に増えてしまったのです>
フォルトゥーナは深い吐息をついた。
<私が人の行いにこころを痛めていると、
見かねたミーミルが地球を新たに作りかえると言いました。
作り変えられた地球は、人が生き残ることは難しい世界となります>
長い沈黙のあと、<私は反対しました>と女神が鼻にしわを寄せた。
<しかし、ミーミルは止まりませんでした。
私の涙を飲み、地球に洪水と地震を引き起こしたのです。
これでは、人だけではなく、地球すらも滅ぼしてしまいかねない。
そう思った私は仕方なく、思い立った日から数えて、
不幸にして死んでしまう者が、1000兆人を超えたときを境に、
地球を作り変えることを許可しました>
「1000兆人ですか?」
<はい>
なぜ1000兆人なのだろうか、と結希は思った。
人がいることで死んでしまう命というのはたくさんある。
例えば環境汚染による動植物の死などだ。
それだけではない。
不幸にして死んでしまう生物は、
人だけに限らずたくさんいるはずなのに。
1000兆人ではなく、1000兆の命とするべきではないか、
結希が口を開こうとした時、
<人に限定したのは、そうしないと猶予が短くなりすぎるからです>
その疑問に答えるように、フォルトゥーナは言った。
<それに私は、人が好きですから>
女神の微笑みに結希は閉口した。
ともあれ、地球を作り変えることでたくさんの犠牲は出るものの、
後の世界では今までのような理不尽な死が起こりにくいという。
潤ませた青い目が結希をまっすぐに見る。
<結希さんは丁度1000兆人目です>
「・・・え」
一時停止した脳が動き出すまでに、時間が必要だった。
「あ、あの・・・僕が、丁度1000兆人目?」
フォルトゥーナの言葉を反芻すると、
沖に流されていく浮き輪を眺めているような、
途方もない気持ちになる。
地球が作り変えられる際に、
たくさんの人が亡くなるのかもしれない。
もしかしたら、未曽有の大災害でも起こるのだろうか。
結希は茫然としながら考えた。
「それは・・・すごい偶然」
しかし、すでに死んでしまっている自分には
関係のない話ではないだろうか。
結希には、地球へ思い残すような縁もゆかりもない。
これは他人事だ。
結希は小学生の頃に読んだ、絶滅に関する本を思い出す。
<どうしました?>
フォルトゥーナの質問は、結希の脳内に生じた複雑な思考の波に
飲み込まれて消えていく。
本にはこう書いてあった。
地球上の生命は、今までに何度も絶滅と誕生を繰り返している。
地球が誕生してから、長期間に渡って生存している生物は殆どいない。
地球にとって、生物の絶滅や環境の変化が起こることは、
数億年ごとに起こる新陳代謝に過ぎない。
絶滅に関する本の内容は、当時の結希に途方もない世界観と、
恐ろしさを与えた。
だが、今となってはとても自然なことのように思える。
他の生物と同じように、人類もいつかは滅びる。
かつて栄えた恐竜達もそうだった。
地球の創生者である神が判断したことなら、
なおさら自然なことではないか。
だから、神であるフォルトゥーナが、
地球が変わることをなぜ気にしているのか、
結希には分からなかった。
だからその分からなさを、迂遠させて言葉にする。
「仕方がないです」
恐れ多い気もしたが、口の動きは止まらない。
<仕方ない、のですか?>
咎めるでも肯定するでもなく、フォルトゥーナは言葉を促した。
「はい。
人間は、地球や、他の動物にたくさんの害を与えています。
人間同士ですらいがみ合っています。
きっと、絶滅するのは仕方ないんです」
自分の言葉は物事を俯瞰視した、
真っ当なものだという確信がある。
しかし、不意に浮かんできた小さな違和に胸を押さえる。
自らが放った、真っ当な言葉が、胸に小さなしこりを作っていたのだ。
このしこりが一体何なのか自分にはわからない。
<仕方ない>
フォルトゥーナがもう一度言う。
超自然的な力が宿っているような声だった。
結希は気付いた。気付いた後に愕然とする。
結希は自分の発した、仕方がない、という言葉が、
徐々に自分の首を絞めて呼吸を浅くさせていくのを知る。
結希の人生は、何も分からないまま、
何にも向き合わないまま、終わってしまったのかもしれない。
仕方がない、という言葉は、
自分に対するあきらめだったのかもしれない。
その時、結希の頭の天辺から足先に至るまで、
雷にでも貫かれたような衝撃が走る。
今まで自分は、いろんなことを諦めてきた。
親のこと、周囲の人とのこと、将来のこと、そして、自分のこと。
最後に自ら死んでしまって、
自分は一体なんのために生まれてきたんだろう。
もっと足掻けばよかった。
親に自分を愛してほしいと、
大学に行きたいから学費を少しでも払って欲しいと、
何故で言わなかったのだろうか。
あの時、上司に責任を押し付けられた時、
なんで自分はやっていないと声を上げなかったのだろうか。
何故最初からあきらめてしまったのだろうか。
結希は無意識に、フォルトゥーナの
深海のごとく青い瞳を凝視していた。
逡巡を見抜いたか、女神の目尻が下がった。
<1000兆人目というのは、紛れもなくあなたの因果。
因果が私と結希さんを巡り合わせたのでしょう。
私を神と信じるなら、これから使命を与えます。
あなたは再び生を受け、地球に戻りなさい>
「うぇ・・・?」
嗚咽に似た声が漏れる。
あまりにも突拍子のない内容だった。
唖然としたまま、どれだけの時間が経過しただろう。
「あ、あの。えっと・・・僕?」
<はい。結希さんが>
「えぇ・・・ほ、本当に?」
<あなたには後悔がありますね。だから戻りなさい>
「ちょちょちょっと待ってください」
声が掠れて上手く話せない。
<先程もお伝えしましたが、あなたがこれから戻る地球は、
今までとは違い、人にとってとても過酷な状態になっていきます>
結希は短く息を呑んだ。
喉を空気が通る音が、一際大きくなって聞こえる。
指先が火傷したようにひりついて、ぴくりと跳ねた。
「は、はい・・・でも」
<あなたの代わりはいない。
だから、この話は他の誰かに、ということはありません。
あなただから、お願いしたいの>
「でも・・・また戻っても同じかもしれません」
絞るような声が、ようやく出た。
<同じですよ。あなたがあなたでいればいいだけ>
女神が瞼を上下させると、銀色に光る蛍が生まれた。
蛍はそよ風に流されるように、結希の頬を撫でて通り過ぎていく。
なぜか、自分を少しだけ信じても良いような気がしてきて、
結希はわずかな動きで頷いた。
フォルトゥーナは白銀の髪を揺らし、唇で弧を描く。
<よろしい。苦労をかける代わりに、あなたに力を授けます。
神の力のほんの一部ですが、地球を生き抜く力になるはず>
フォルトゥーナは右手を揚げて、結希の額にそっと触れる
何かをつぶやくと、右手が小さな光を生み出す。
光は水のように、右手から零れ始める。
あ、と思った時には、触れられている結希の額から、
眉間を伝って、一筋の光が流れ落ちた。
光はそのまま唇の上を通っていく。
わずかに口へ少し入った光は、例えようもないほど甘露だった。
<これがあなたの力の源になります>
光を含んだおかげで、いつもよりも滑らかに動いた舌が
こう言っていた。
「フォルトゥーナさん。
僕は、ずっと家族が欲しかったんです」
そう伝えると、声を上げフォルトゥーナは手を離した。
<家族?>
よく見ると青い瞳が大きく見開かれているので、
フォルトゥーナは驚いているのかもしれない。
結希も口元を押さえて一歩下がった。
顏が赤くなるのが自分でもわかる。
突然フォルトゥーナが笑いはじめた。
今までの優雅なものとは違い、崩れた笑顔だった。
口元に手をやりながら、くつくつと肩を上下させる。
<昔、同じようなことを言っていた友達がいたの。
思い出してしまって。ごめんなさい>
女神が懐かしそうに目を細める。
友達はこれからあなたが頑張って作りなさい、
とフォルトゥーナは言う。
結希は恥ずかしくなって後ろ頭を掻いた。
<あなたに与える力は、友と同じにしましょう。
それは、『トールの雷』と、『困難を与えられるほどに強くなる肉体』>
結希は咄嗟にフォルトゥーナの言葉を口の中で繰り返す。
雷と、肉体。
やがて結希の体がまばゆく輝き始めた。
「わわ!!」
驚く結希に構わず、フォルトゥーナが頷く。
<最初は小さな力かもしれませんが、
あなたの力は次第に大きくなってゆきます。
肉体の力は、まずこころの力から生まれます。
だから、まずこころを、そして体を鍛えなさい>
「は、はい。がんばります」
<自らの力だけが、自尊心に繫がるわけではない。
人は孤独なままでは強くなれません。覚えておいて>
言われたことがいまいち分からないまま、結希は頷いた。
フォルトゥーナは数歩離れて、両手を合わせる。
<力を与えます
結希は奥歯を噛んで、もう一度頷いた。
フォルトゥーナが両手を擦ると、
轟、と大きな音が聞こえて稲妻が発生した。
本能的に身を竦めたくなるような帯電音が、地響きを起こしている。
触れればひとたまりもない。
結希はわずかに後退した。
<これはあなたの力。心配せず、触れなさい>
フォルトゥーナの細い指が、結希に向けられた。
神の指先は何もかも飲み込んでしまいそうな気迫を放っている。
恐怖の感情とは裏腹に、吸いこまれるように近づいてしまう。
稲妻の放つ光越しに、青い瞳が見える。
なぜだかはわからない。
結希はためらいを忘れたように光に触れた。
全身を電流に貫かれ、結希は意識を失った。
ありがとうございました。
「小学館の図鑑NEO 大むかしの生物」
「DVD付 新版 恐竜 (小学館の図鑑 NEO)」
上記を参考に致しました。
子どもの頃は、恐竜の図鑑を何度も読んでいました。
また来週に更新いたします。