26話 結希
26話です。
よろしくお願いいたします。
結希は立体駐車場を上がっていき、屋上に出た。
天気は良く、風もあって気持ちが良い。
川向こうに街が見えた。
結希は街のある方向を指さす。
「あっちが繁華街・・・で、あっちが噴水公園か」
手にしたプロテイン入りのボトルあけて、大口で飲んだ。
水分も食料もたくさんあるので、もう節約する必要はない。
結希はこれから『雷獣』の使い方を研究することにした。
以前使った半分くらいの力で走ってみる。
かなり足に負担がかかったが、鬼と戦った時のように、
脱力するほどではない。
「よし。この位なら痛くない」
結希は身体を痛めず疲労だけに留まるレベル1、
関節や体を痛めるがかなりの力を出せるレベル2、
やったあとは動けなくなるか、怪我をしてしまうが、
己の限界を超えるレベル3に区分けして、雷獣の使用限界を定めた。
外に出て探索をしている間は、極力レベル1までの使用とする。
レベル2は強敵との戦闘時、レベル3は生死のかかった
緊急時のみ使用可とする。
今日はこの後、朝食を摂ってから繁華街を探索し、
正午までに噴水公園に葵の形跡を確認してから、
配送センターに帰宅する予定だ。
「あれ」
出発すると、結希は道路のあちこちで雑草が
目立つようになっていることに気付いた。
人が使わなくなることで物の劣化は早まると聞いたことがあるが、
ほんとうにそうだったらしい。
いつか、この街も自然に沈む日が来るのかもしれない。
人に代わる生物が、地上を支配するのだ。
「地球を作った神様の片方は、それを望んでいるんだよな・・・」
橋の中腹で立ち止まり、手すりに寄りかかった。
ここからは、大きな川と配送センターと繁華街が一望できる。
広い空の臨んだ結希は大きなため息をついた。
「これから、どうなるんだ」
葵を探して、鬼達を倒して、住処を探して、食べ物を探して、
結希はこれから、どこに向かって行くのだろうか。
葵に会いたい。強くなりたい。だが、そこから先は?
どうしたら良いのだろうか。
何処がフォルトゥーナの示したゴールなのだろうか。
「わからない。何もわからない・・・」
ただ、生きる残るためには歩くしかない。
それだけは確かなのだ。
◇
繁華街では以前に入ったスポーツ店でプロテインと、
ビタミンの豊富に入ったサプリメントを拝借する。
財布の中身がもうないため、お金を置くかわりに手を合わせる。
途中で小鬼3匹と遭遇する。
3匹は本当に静かにしていて、間近になるまで結希は気付かなかった。
「わ」
声を出した結希の方を、小鬼達が一斉に振り向く。
結希は咄嗟の判断で、『雷獣』を使った。
焦っていたので、限りなくレベル2に近い出力で走り出す。
肉体の強化は凄まじく、一気に路地を走り抜けた。
聞いたことのない風切音が耳に入ってくる。
結希はさらに地面を深く踏み込んで飛んだ。
すぐ脇に、小鬼によって投擲された石が弾け、
顏に振りかかってきた。
「う」
小さな破片が目に入る。
構わず走り、結希は叫び声を後方に置き去りにした。
夢中で走り、止まった時には、結希は見知らぬ場所に出ていた。
両脇を小さなビルに挟まれた場所に、
小さな鳥居とわずか5段の石階段があった。
奥には小屋と地蔵が数体置いてある。
切れた息を整えながら、結希はじわりじわりと鳥居に近づいた。
「こんなところに、神社があるなんて」
苔の生えた鳥居をくぐり、地蔵達に一礼する。
「少しだけ、お邪魔します」
結希は石階段に腰を下ろしてひと息つくことにした。
痙攣するふくらはぎを優しくマッサージする。
雷獣はうまく使えているが、緊急時には手加減が難しい。
興奮状態になると、ついつい出力を上げ過ぎてしまうのだ。
身の危険がある時に、手加減をしなければならない、
という矛盾に結希は頭を抱えた。
少しずつ危険と隣り合わせの状況に慣れていき、
冷静な判断ができるようになるしかない。
課題は山積みだ。
自分の呼吸音と風の音に紛れて、水が滴る音が聞えた。
首を巡らせると、手水舎から水が垂れているのが見えた。
超常的な気配を感じて、結希は手水舎に手を伸ばす。
「あ」
触れた水は、女神の祝福を受けた噴水公園の水と同じだった。
フォルトゥーナは、こういう場所に外敵は入れないと言っていた。
此処は安全だ。
水で顔を洗い、口をゆすぐ。
靴を脱ぎ、火照った手足を濡らすと、すぐに楽になる。
その時、頭上を素早く何かが通り過ぎた。
小さな虫か鳥か、速くて捉えることはできなかったが、
ほんのり輝いていた。
「・・・」
どこか、懐かしい感じがする。
自分の上を通りに来ないかな、と結希は上を仰いだまま思った。
すると、小さな光が結希の上を通った。
「あ」
見覚えがある。あれは、何だったか。
光は戸惑ったように中空で停止すると、
すぐにまた飛んでどこかへ行ってしまった。
もう戻ってこないだろう、なぜか結希は確信していた。
◇
噴水公園への道を探す途中で、小鬼を1匹発見した。
すかさず街路樹の陰に隠れて様子をうかがう。
小鬼は前を向いたまま、ただ虚ろに立っていた。
周囲に他の外敵がいないか、結希は入念にチェックする。
周りに何もいないことを確認すると、
結希は要所で身を隠しつつ、小鬼へ少しずつ近づいていった。
こいつは、なんだ。
食べ物や獲物がいないのに、
こんなところで突っ立っているなんて、明らかにおかしい。
結論からいうと、この時結希は失敗した。
もう少し考えるべきだった。
一足飛びの距離まで近づくと、
結希は『トールの雷』で小鬼に迫った。
しゅるしゅるしゅる、と不吉な音が背後に聞こえる。
間断なく、背中に何かが衝突する。
強い衝撃に後ろから突き飛ばされるようにして、
結希は前のめりに倒れた。
うまく手足が動かず、倒れた拍子に
頭をしたたかに打ち付けてしまい朦朧とする。
体を覆う痛みを感じて、結希は我に返った。
「うう」
どうなった。
右手が痺れて力が入らない。
まずい。
後ろから攻撃された。何かが刺さっている?
それより、目の前の小鬼を仕留め損なってしまった。
倒れていたら殺される。
体の上に何かがのしかかってきた。
傷口付近を押されているようで、痛みがひどくなった。
「ぐぅううう・・・」
結希が呻くと、頭上で小鬼の下品な笑い声が聞こえた。
小鬼は結希の身体に刺さった何かをグリグリと動かした。
「うああ!!」
結希は激痛に身を震わせた。
小鬼が刺さった何かを無理矢理引き抜く。
結希は『雷獣』を使い、渾身の力で地面を押した。
背中に乗った小鬼ごと、自分の体を持ち上げる。
結希は叫びながら、背中へ手を伸ばしたが、
危険を察知した小鬼はすでに飛び退いた後だった。
しゅるしゅる、とまたあの音がした。
結希は反射的に頭部を庇い、身縮めた。
すぐ近くを高速で何かが通り過ぎ、後方のアスファルトを削った。
「!!」
少し離れたところに小鬼が見える。
結希は自分の目を疑った
小鬼が弓矢を持っていたのだ。
まさか小鬼があんなものまで扱えるなんて。
近くの小鬼が叫びながら跳びかかってきたのを躱して、
結希は次の矢を番い始めた小鬼に向かって走った。
手加減なしの『雷獣』で小鬼に体当たりをする。
肩からぶち当たると、小鬼は後方に吹き飛んで行った。
建物のガラスを突き破って奥の方へ見えなくなった小鬼を尻目に、
結希は振り返った。
「ぐ」
ぶつかった肩と、首に猛烈な違和感がある。
脳震盪を起こしたのか、身体がぐらりと傾く。
顔を上げると、建物の壁に激突して絶命している小鬼が見えた。
立ち上がろうとして、全身が軋んだ。
考えなしに『雷獣』を使ってしまった報いだ。
だが、以前大鬼と戦った時よりは軽い。
『困難を与えられるほどに強くなる肉体』のおかげで、
身体が雷獣の負担に慣れてきているのかもしれない。
起き上がり、最初に仕留め損なった小鬼に向き直る。
先程まで笑っていた小鬼の声が、警戒する叫び声に変わる。
こいつを倒したら、少し休もう。
そう思った時だった。
わき道から体躯を出してきたのは、
数匹の小鬼とそれらを引き連れた大鬼だった。
「・・・は?」
逃げようと雷獣の準備をした瞬間には、大鬼は近くまで来ていた。
はやい。
脇腹から割り箸を折ったような音が聞えた。
横薙ぎの蹴りをくらったのだ。
続いて結希の体を貫くような拳が飛んでくる。
拳が体にめり込む寸前に、結希は『雷獣』で後ろに跳んだ。
結希は着地と同時に膝をつく。
「げぇ・・・」
結希は呻きながら、血の混じった胃液を吐き出した。
後ろに跳んだ分、まともにくらうよりはマシだが、
完全にダメージを殺せたわけではなかったようだ。
反面、結希はこれまで以上に集中していた。
死に瀕してようやく、結希は死への恐怖を越えて、
戦いの本能に身を任せるようになったのだ。
骨が折れても、死にはしない。
呼吸が止まっても、人はしばらく動ける。
大鬼の叫び声に呼応して、小鬼達がやみくもに獲物を振り回しながら
向かってきた。
「もっと・・・・」
もっと自由に、雷を使うんだ。
結希は雷を自在に操り、駆けまわるトールの姿を思い出す。
常識を捨てて、思うままに、トールのように自由に。
自由。
自由にする、という考え方、思想は小学校の頃から知っていた。
だが、自分にはできる、という確信がないまま物事に飛び込んで
行けるほど、結希は希望に満ちた人生を歩んでいなかった。
自分には、未知に取り組んだという経験がない。
文字通りの土壇場で、わからないまま、手探りで、思い切りやってみる。
やるしかない。やらなくては死ぬのだから。
ふと、小さな神社で見た光を思い浮かべる。
あの光のように、自由に。
枷が外れる瞬間が来た。
あと一瞬後には死ぬかもしれないという状況が、
結希にその一歩を踏み込ませる。
パズルのピースのように、何かがはまる感覚に包まれる。
「あ・・・」
根拠がないのに、できるという感覚が手足に生まれる。
それは泉のようにあふれ出し、結希を満たしていく。
攻撃を避けるために後ろに跳んだのは悪手だった。
攻撃を避ける最短の距離は、後ろでも横でもなく前だ。
ベクトルは常に前へ。
すれ違うように攻撃を躱して、結希は小鬼達の背後を取った。
『雷獣』を使ったとはいえ、その間2秒。
まさに疾風迅雷のごとき速さだ。
躊躇している小鬼達に向かって、ボトルの中身をぶちまける。
中身は食塩を混ぜた噴水の水だ。
結希が念じると、よく電気の通る水を伝って雷光が迸った。
トールのみが生み出すことを許された雷が炸裂する。
雷は小鬼の脳血管を破裂させ、瞬時に絶命させる。
結希は背後に迫った大鬼の一撃を、体を捻ることでやり過ごす。
結希は大きく跳ねて、大鬼の間合いから脱した。
荒い呼吸に金臭さが混じる。
受けた傷は深く、体力は限界に近い。
急いで終わらせなくては、結希の方が先に倒れてしまう。
結希はリュックから2本目のボトルを取り出し、
荒々しく両手にぶちまけた。
大鬼が剛、と唸った。
大きな2本の角が力強く輝く。
結希はおもむろに両手を擦り合わせ、雷電を発生させる。
乾いた破裂音とともに、空に火花が散る。
大鬼がその火花ごと空間を踏み潰そうとしたとき、
結希はそこには居なかった。
靴底を焼いて到達したのは、大鬼の背後。
やや遅れて反応した大鬼が、腕を横薙ぎに払った。
当たれば頭部が千切れ飛びそうな一撃を、結希は身を屈めて躱す。
結希は確信した。
こいつの攻撃はもう喰らうことは無い。
なぜなら、今の自分は大鬼よりもはるかに速く動けるからだ。
速く動けるものは、自分よりも遅いものの動きが遅く感じるものだ。
食塩水で濡らした手を大鬼の頸椎辺りに押し当てる。
激昂した大鬼が、出鱈目に両手を振り回して暴れ出す。
腕の端が肩に掠ると、結希は大きく態勢を崩した。
めちゃくちゃに手を振っているだけだが、
膂力は凄まじく動きは読みにくい。
いくら結希の方が早く動けるからといって、油断は禁物だ。
結希は間合いを外した位置で、大鬼の動きを観察した。
振り回される手足の動きには、始まりと終わりがある。
そのどちらかを捉えて動けば、
こちらから一方的に触れることができるかもしれない。
結希を狙い振り下ろされた大鬼の腕が、アスファルトを砕く。
右腕の動きが終わると、すぐに左腕がこちらに向かってくる。
今だ。
結希は左腕へ向かって一歩踏み出した。
結希は最小限の動きで左腕をかいくぐり、大鬼の脇下へ入る。
少し遅れて大鬼の逞しい腕から生じた風圧が結希の髪を乱す。
結希は食塩水にまみれた両手を、大鬼の脇に押し当てる。
そして、ありったけの雷撃を叩きこんだ。
トールの雷は結希の意志に従って動き、脳に向かって奔る。
雷が槍のように脳を突き刺し、細胞を根こそぎ破壊する。
まともに雷を喰らった大鬼は、すぐさま絶命した。
不審に思った結希は、消えゆく大鬼の体をくまなく観察する。
「ああ・・・」
こいつには瘤がない。
配送センターで会ったやつとは違う種類だったのか。
それとも、あいつだけが特別だったのか。
「ふぅー」
全ての力を使い果たした結希は、その場に倒れ込んだ。
世界が変わってしまってから、倒れるのは何度目だろうか。
だが、何とか生き残ることができた。
呼吸を整えるために息を吸うと、
すぐ何かがこみ上げて来て、結希は口から液体を吐き出した。
血だ。
脇腹の骨が内臓を傷つけたのかもしれない。
そういえば、腹がとてつもなく痛い。
背中も手足も、首も。
大鬼の攻撃はとてつもない衝撃だった。
結希は軽い交通事故に遭ったくらいのダメージを
負っている状態かもしれない。
本来なら無理して動くべきではないだろうが、
このままじっとしていては他の外敵に襲われる可能性もある。
結希は痛む背に触れた。
背中から出る血がパンツまでべったり濡らしている。
「ぐ・・・」
何かが手に触れる。
小鬼から射貫かれた矢が、背中に深々と刺さっている。
頭を下げると、腹からも血が出ていた。
もしかしたら、矢が背中から腹を突き抜けているのかも。
動揺していると、視界がぐらりと回って気を失いそうになった。
「ああ・・・まじか」
手が震えはじめる。血が足りないのだ。
「早く、帰らないと・・・」
だが、此処がどこなのかわからないのを思い出す。
この状態で帰路を探すことになるなんて。
もう無理かもしれない。
痛む傷を押さえながら、結希は途方に暮れた。
霞んだ視界に、あるものが通り過ぎる。
光だ。
景色に霧がかかったように視界が狭まる。
結希はわずかな軌跡を残して進む光を追って、
のろのろと歩き出す。
最初は外敵を警戒しながら歩いていたが、
次第にそんなことどうでもよくなってしまった。
傷から暖かい血が流れていく。
足を伝って、アスファルトに後を残す。
「う・・・・ぐ・・・・」
子どもが、道に自らが歩いた証拠を残すという童話があった。
あれは、何という題名だったか。
スクワットを何セットもくり返した時より足が重い。
咳がよく出るようになった。
のどに血が絡んでいるのだ。
周囲に何があるかもあまりよく分からない。
ただ、光を追って歩く
止まらずこのまま行こう。
咳の後に、苦しくて息を吸い込む。
いくら吸い込んでも足りない。
ついに足が前に進まなくなった。
前に行かなきゃだめだ。
視界にとらえた光が小さくなる。
距離が離れてしまっている。
結希は『雷獣』を使って無理矢理歩いた。
時折、膝がガクガクと痙攣したので、更に強めの『雷獣』をかけた。
だんだんと、けいれんする頻度が上がっていく。
結希にはここがどこなのか見えない。
とにかく下を向かないようにした。
下を向いたら前に進めない。
首が痛くても、前を向いて歩いた。
たぶん、もう少しだから。
――――――さん――――――――――――
―――――佐藤さん―――――
遠くで女の人の声がした。
必死で叫んでいるが、あまり聞こえない。
幾度も呼ぶ声に、なんとか返事をしようとしたが、
遮るように血の混ざった咳が出る。
この咳が憎い。
―――佐藤さんってば―――
自分が地面に伏しているのに気付く。
いつの間に倒れてしまったのだろうか。
自分を呼んでくれる人のために、せめて返事をしたい。
大丈夫だって伝えたい。
しかし、結希の願いは空しく、意識は下へ下へと落ちていった。
「黄金の少年、エメラルドの少女」という本を参考にしています。
次話は来週に更新いたします。




