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22話 結希

22話です。よろしくお願いします。

日差しが頬に当たって熱い。

目を開けると、ガラス越しに太陽が見えた。

眩しさに一度瞼を閉じて息を吐く。

辺りは寂として声無しといった様子だ。

ここはどこで、自分は一体何をしていたのか、思い出せない。

「うう・・・」

前後不覚に陥ったような不安感が心臓を締めてくる。

慌てて体を起こそうともがいたところ、

身体のあちこちが凝っているのがわかった。

ずいぶん長い間眠っていたようだ。

「ててて」

右足の甲に痺れるような痛みがある。

首を動かすと、足に包帯が巻いてあるのが見えた。

包帯からは血がにじんでいるが、

黒く変色していることから、もう出血は止まっているようだった。

「さいあくだ」

一度体の力を抜いて、ベッドに体重を預けると、

どこからか流れてきた新鮮な外気が、結希の首筋を冷やしてきた。

閉塞感が薄れたことで少しだけ気分が楽になる。

結希は縦長の狭い空間にいた。

形からしてワゴン車の中みたいだ。

ただし、周りには医療器具がたくさんあり、

結希が横たわっている小さなベッドがあることから、

ただの車ではない。

「きゅ、救急車」

救急車の中に入ったのは生まれて初めてだ。

だが、車内にいるはずの運転手や医療スタッフの姿はない。

みんなどこに行ったのだろうか。

ゆっくりとベッドから足を降ろしてみる。

半身になったことで、フロントガラスが視野に入った。

ガラスは何か強い衝撃を受けたのか、

全面がひび割れて大きく歪んでいる。

もしかしたら、救急車は交通事故に遭ったのかもしれない。

「ど、どうなってんだ」

いろいろ考えようとすると、すぐに強い頭痛が襲ってきた。

空腹と渇き、倦怠感と肌寒さが順番に遡ってくる。

ダメだ。何も考えられない。

床に見慣れた上着があったので羽織ると、すこしだけ温かくなる。

上着を着る時に腕がチューブに繫がれていたので、

テープを外して注射器をゆっくりと引き抜いた。

冷えた痛みがあったが、意に介す程ではない。

結希は少しずつ体が温まってきたのを機に、救急車から出た。

足元に転がっている石やガラスを避けながら、ゆっくりと歩く。

道路の脇に見覚えのあるレストランを見つけた。

このレストランはセットが安くて結希は以前から重宝していた。

良かった。見知らぬ土地ではなくて。

ここから自宅アパートまで遠くはない距離だ。

次第に自分の状況を思い出すことができるようになってきた。

結希は一度死んで、女神の力で蘇り、

女神の弟神が形を変えようとしている地球にまた戻ってきた。

地球は人にとって危険な世界になりつつある。

その一端として、おぞましい怪物である小鬼と公園で邂逅したのだ。

小鬼は公園にいた人を襲い、結希も狙ってきた。

だが結希は女神フォルトゥーナからもらった

『トールの雷』の力を使って、辛くも小鬼を撃退することができた。

小鬼から受けた傷は深く、救急車を呼んだ結希はすぐに

意識を失ってしまった。

救急車は結希を助けてくれたが、

病院に到着する前に何らかのトラブルに巻き込まれて停車し、

結希を乗せたまま放置されたのだろう。

その後のことは、あまり考えたくはなかった。

結希は道路の真ん中で天を仰いだ。

街はさながらゴーストタウンだった。

通りにあった古着屋のショーウィンドウが割られて、

ガラスが地面に散らばっている。

来ている洋服がはだけて、手足のねじれたマネキンが空しそうに

倒れ、頭部が道まではみ出していた。

今まで結希が体験してきた世界とは、一線を画す世界が目の前にあった。

「・・・なんで、こんなことに」

結希には理由が分かっている。

人という種が、あまりに利己的だったため、

創生の神フォルトゥーナを悲しませてしまったからだ。

女神に言われた通り、何もかもが変わり始めた。

人にとって過酷な世界へと。

葵、両親、自分を裏切った上司の順番で、

出会った人達の顔が脳裏に浮かんでは消える。

「くそ」結希は悪態をついた。

喉が渇いていて、声がまともに出ない。

体はあまりに疲れ、痛んでいた。

今はとにかく帰るしかない。

しかし、歯痒いことに、眩暈と頭痛がひどかったため、

結希は度々休まなくてはならなかった。

鼻を塞ぎたくなるような焦げ臭い匂いがする。

どこかで火事があったのかもしれない。

結希は街の全貌が知りたくなって、一度国道に出ることにした。

国道には車が連なっており、長い渋滞になっていた。

車はドアが半開きになっているものが多く、

持ち主が降車したまま放置されたているようだった。

いくら渋滞しているからといって、

車を放置してどこかに行ってしまうのはいかにもおかしい。

中の人はどこに行ったというのだろう。

近くにあったセダンはフロントガラスが割られて、

車内は遠くから見ても分かるくらい、血であふれていた。

きっと外敵に襲われたのだ。

当時を想像した結希は、

絶対零度の氷で背筋を撫でられたみたいに戦慄した。

通りの中央から音がした。

結希は半ば茫然としたままそちらに向かう。

恐ろしい光景が待っているかもしれないが、

足を止めて踵を返すことができない。

辺りは静寂に包まれていた。

恐怖で唇が震えている。

ゆっくりと首を巡らせると、引き千切られたタイヤと、

何かの肉片が車の上に乗っていた。

風が止まって、異臭が鼻に入ってくる。

これ以上ないほどの不快な匂いだった。

身体が反射的にくの字に折れ、結希は下に向かって嗚咽した。

「うっ」

こんなはずではなかった。

こんなことは予想していなかった。

真ん丸縁のメガネ、栗色の瞳、可愛らしい笑顔を思い出す。

葵は生きているだろうか。

フォルトゥーナに力をもらったとはいえ、まだ高校生だ。

言葉に出来ない恐怖が身を竦める。

「くそ」

冷静になるよう自らに言い聞かせる。

今焦っても仕方がない、結希は家路を急いだ。

ずいぶん歩いたのに、誰一人会わなかったが、

代わりにたくさんの小鬼達と遭遇した。

公園で対峙した小鬼と同じ奴らだ。

小鬼達はまるで人類にとって代わったかのように、

悠然と街を闊歩していた。

その中でも、体色や姿は小鬼とよく似ているが、

2倍以上の体格を持つ外敵を見かけた。

何か気に入らないことでもあったのか、

外敵は小鬼の頭部を鷲掴みにすると、軽々と持ち上げた。

もがいていた小鬼はやがて動かなくなり、

頭部から大量の血が流し出した。

恐ろしい握力で、外敵が小鬼の頭部を握りつぶしたのだ。

結希もあの手に捕まったらただでは済まない。

あれは鬼そのものだ。

日本人が恐怖のシンボルとして扱ってきた存在が顕現したのだ。

みんなあいつらに殺されたのかもしれない。

どこで呑気に構えていた。

どうにかなると思っていた。

危機感が足りなかった。

何かできることはなかったのかと、後悔が浮かんでくる。

その反面、両親、自分を裏切った上司、

それを見て見ぬ振りした人々に、逆襲できたような感覚になった。

以前、自分が失ったものを、今度はみんなが失ってしまったのだ。

「くそ。何考えてるんだ」

混乱している頭を振って、邪な考えを追い払う。

日が暮れ始めた頃、結希はアパートに到着した。

小鬼を避けるために迂回を繰り返したことや、

周囲を確認しながら歩いたことでずいぶん時間がかかってしまった。

結希は音楽プレーヤーの一時停止ボタンを押したように、

全身の動きを止めた。

仕事から帰ってくるといつも一番に目に入るドア。

それが文字通り、何者かにもぎ取られていた。

金属でできたドアをもぎ取るなんて所業は、人間には不可能だ。

脳裏に小鬼の頭を握りつぶした鬼がよぎる。

結希は無意識に屈みこみ、耳を澄ませた。

破壊の痕があるのに、周りには何の気配もないのが、

不気味で仕方ない。

中の人は無事だろうか。いや、無事なはずがない。

「おちつけっ・・・」

もぎ取られたドアは、無造作に廊下に横たわっていた。

それを乗り越えて進むと、

薄暗い室内がぽっかりと口を開けて結希を迎えた。

静かにドアの淵まで近づき、目だけを出して中を覗き込む。

誰もいないが、奥の方に何かが丸くなっているように見える。

布団のようにも、何かの荷物のようにも、死体のようにも思える。

「っ・・・」

結希はすぐにドアを離れ、階段を駆け上がった。

この恐怖を終わらせたい一心だった。

走り続けて、一気に部屋の前まで来て結希は唖然とした。

ドアが引きちぎられている。

「そんな・・・」

これ以上なく慎重に入っていくと、

見るも無残に荒らされた室内が薄暗闇に浮かんできた。

うるさい呼吸が自分のものだと気付くのに、しばらく時間がかかった。

「おちつけ。おちつけ」

呟きながら灯りをつけようとスイッチを押したが、反応がない。

リビングに向かうと、カーテンが千切られて床に落ちているのが見えた。

テーブルが散々壊されて、破片を飛び散らせている。

足に何かが刺さる。

窓ガラスが割られて破片が床に飛び散っているのだ。

裸足のままでは怪我をするかもしれないので、

玄関へ靴を取りに行く。

再度リビングに戻った時に、何もかも元通りになっているのを願ったが、

それは敵わぬ願いだった。

横たわった冷蔵庫の中は、すべて食い荒らされていた。

みたことのない生き物の毛や、汚らしい体液が落ちていたので、

結希は使えるものを探す気にならなかった。

キッチンは不思議と食べ物を入れてある棚だけがこじ開けられ、

中身を奪われていた。

何も残っていない。

仕方なく蛇口をひねったが、水が出ない。

思わず自分の太ももを叩く。

「くそ」

葵と一緒に買い込んだ食料品が個室に入れてあったのを思い出す。

飛びかかるように個室に向かうが、

そこが一番めちゃくちゃにされていた。

絶望に眩暈がした。


   ◇


結希は着ていた服を全て脱ぎ捨てて、

ストレッチジーンズとシャツ、

着古した薄手のジャンパーを羽織った。

衣服を整えただけで、いくらか気分が楽になる。

テレビのリモコンに手を伸ばすが、電源が入らなかった。

一通り部屋の状態を見て回ったが、結希はおかしな点に気が付いた。

災害対策用に買ったラジオと懐中電灯が使えないことだ。

こんな短期間で両方とも故障してしまうのはおかしい。

壁につけてあるアナログ時計も停止している。

「おかしい」

何が原因かわからないが、

電化製品や機械類すべて使えなくなったようだ。

帰りに渋滞していた大量の車が

そのまま放置されていることを思い出す。

渋滞中の車はすべて、故障して動かなくなったから

放置されたのかもしれない。

月明りとカーテン不在のおかげで、

夜になってもリビングは時計の針が見えるほど明るい。

「疲れた」

何もかも失った。何もかも。

これからどうやっていけばいいのだろうか。

結希は途方にくれながらも、就寝の準備を始めた。

ドアを壊してしまうような相手には障害物にすらならないだろうが、

玄関前には不要になった家具を重ねて置く。

リビングにあるソファーの裏側に隙間を作り、

小さくなって入り込む。

ここには逃げ込む場所も、外敵を防ぐ手立てもない。

見つかったら終わりだ。

しかし、その時はその時だ。

結希は半ば諦め、床についた。

身体がソファーと壁に挟まれて窮屈だったが、

物に挟まれるというのは安心感を生んだ。

埃っぽくてくしゃみが出る。

孤独だ。結希はたった1人になってしまった。

「あれ・・・でも」

結希は思い返す。

孤独なのは今までもそうだった。

外は敵だらけだが、それも今までと変わらないかもしれない。

毛布にくるまって目を閉じると、思ったよりも早く眠りにつけた。

ありがとうございました。

次話は来週に更新いたします。

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