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19話 葵

19話です。よろしくお願いします。


商店街にある肉屋や魚屋は、全て荒らされていた。

「ここもだめだね」

<ええ。きっと小鬼達の仕業です>

<食べ物を荒らすだけが、あいつらの特技だにゃ>

虎によると、小鬼達は魚と肉を特に好むという。

そんな中、三毛が荒らされていない八百屋を見つけた。

一行はそこで休むことに決める。

三毛と虎は手際よく傷の手当てを互いにすると、

すぐに八百屋内の食材を漁り始めた。

「あ、あの。2人とも傷は大丈夫なの?」

<大丈夫です>

三毛の説明する猫族の言い伝えによると、

傷を負った時はとにかくたくさん食べれば良くなるという。

「なんていうか、おおざっぱね」

<何かいったかにゃ?>

「ううん。猫族ってすごいのね」

虎に睨まれた葵が訂正すると、虎は満足そうに笑った。

<葵さま。こ、これはなんですか?>

三毛がきゅうりを手にこちらに走って来た。

「おお。これはきゅうりよ」

水分の多い野菜だと葵が説明すると、2匹とも喜んでかじり始める。

<うまうまにゃ>

喜んでいるところを見ると、どうやら口に合うようだ。

トマトやレタス、白菜などは黄色くなってもうだめになっていたが、

リンゴ、バナナ、大根、ニンジン、ジャガイモ、キュウイなど、

たくさんの商品はまだ食べられそうだった。

奥の方から、虎が袋入りの切り干し大根と乾燥しいたけを持ってきた。

「それ。昨日もたくさん食べてたけど、おいしいの?」

<うまいにゃ。

ボクたちのいた世界にも似たようなのがあったにゃ>

「他にも似ているのがあるの?」

虎は手前にあったパイナップルを取った。

<これは、あっちの果物に匂いとか似てるにゃ>

<あーそれ、私も気になっていたのです。

ご主人、これは食べられるのですか?>

「うん。食べれるし、とてもおいしいよ」

<なるほど。ではこれは・・・>

三毛が何か言っている途中で、耳鳴りが始まった。

床が揺れているような感覚がして、左右に体が傾く。

「わ・・・」

手が震えている。

意識しても動かせない体のあちこちの筋肉が、

不規則に引き攣る。

腹や背中が引き攣る度に、「う」と声が出た。

<葵。大丈夫か?>

声が出ないので、代わりに何度か頷く。

<食べるのはまた後にして、葵さまに休んでいただこう。

虎よ。葵さまが休める場所を探せ>

虎が返事をして駆けていく。

<葵さま、ここへお座りください>

いつまで経っても葵は2匹に迷惑をかけてばかりだ。

情けなさに涙が出そうになる。

三毛が竹筒で作ったような水筒を渡してくれる。

飲むのは憚られた。

飲んでしまえば、自分で自分を役立たずだと

認めてしまうような気がした。

葵は口の中に残った気持ち悪い液体を飲み込む。

いつもそうしてきた。

下に腰かけて、商品棚に背を預けると少し気分が楽になる。

<辺りには外敵の気配はありません。

ご安心下さい>

沈黙の後、自分が普段通り話せることを確認しながら声を出した。

「ね、ねぇ。三毛」

<はい>

「さっきは、運が良かったね」

<はい。そうですね>

商店街の中に充満している肉や魚の腐った匂いが、

葵の方まで漂ってきた。

「ねぇ。三毛」

<はい>

「私、怖くて何もできなかった」

「・・・ええ」

外敵の発する獣独特のすえた匂い。

「三毛と虎はさ、なんであんなに普通でいられるの?」

<・・・私も最初は動けませんでした>

「そうなの?」

<はい。しかし、前も話しました通り、

外敵に囲まれた生活でしたので、

動かないわけにはいきませんでした>

判別不能な何かの匂い。

「動けるようになったのね」

<はい。しかし、何一つ成し遂げられませんでした>

「そんなこと」

<ありがとうございます。しかし、そうなのです。

虎もそれを恥ずかしがっていました。

ですから、次こそはと思っているのです>


「次こそは、か・・・」


いつしか匂いは気にならなくなった。

「そう。すごいのね」

<すごくありません。すごくなりたいとは思っていますが>

「ええ。うん・・・いや、すごいよ。三毛は」

そうやって慣れていくのだろうか、

できるようになるのだろうか、と葵は思った。

「ちょっと元気が出てきた。ありがとう」

<いいえ>

会話を終えた時、虎が戻って来た。

<いい場所があったにゃ>

そう言った虎の笑顔に救われた気がした。


   ◇


虎が案内して到着したのは、新しく開店したばかりのスポーツジムだった。

『新規会員募集中!!』と大きく書かれた看板と、

いくつもの花輪が店頭に飾ってある。

「新しくできたお店なんだ」

世界がこんなことにならなければ、

ジムは仕事終わりにやってくるサラリーマンや、

OL、スポーツマンが集まってくる場所になったのだろうか。

自動ドアの前に立つが、通電していないので

もちろん開くはずもない。

「葵。ここを動かしたら開くよ」

葵が虎に言われた通り、

両手でドアをスライドさせるとすんなりと開いた。

「あ。ほんとだ」

管理する人が慌てて鍵をかけるのを忘れたのかもしれない。

「虎。よく開け方わかったねぇ」

虎の額を撫でる。

葵はドアの下部にあるロックをかけた後、

ジムの出入り口にあった受付用の椅子やベンチを重ね合わせて、

簡易的なバリケードを作った。

侵入者が来れば、バリケードが倒れて大きな音が生じるはずだ。

<葵。奥に行こう>

虎が作業で息を切らしている葵の手を引く。

店内の壁紙や備品は全て新品そのもので、

外敵はおろか、人間がいた形跡や気配もほとんどない。

「ほんとうに、開店したばっかだったんだ」

虎はジムの奥にどんどん進んでいく。

「奥に何があるの?」

温かい肉球を感じながら聞くが、虎は答えない。

「もう。何とか言いなさいよ」

綺麗な店内を、とても汚れている自分が歩き回るのに躊躇する。

蛍光灯がついていないので店内はやや暗かったが、

計算されたように窓が設置してあって、

廊下を進むのは苦労しなかった。

ずぐにトレーニング用の器具が並ぶ広い空間に出た。

壁面はガラス張りになっていて外がよく見えた。

エアロバイクのような、知っている器具もあれば、

どう使うのかもわからない複雑な機構のものもあった。

<なんと面妖な・・・>

三毛が警戒して器具を盾で小突いた。

「わぁっダメダメ!高いんだから」

葵は三毛を羽交い絞めにして止めた。

シャワールームから奥に進むと、プールがあった。

25メートル4レーンだけの、

学校と比べるとかなり小さなものだったが、

室内にあることを思えば十分な規模だろう。

プールにはしっかり水が張られており、

十分な塩素が入っているのが匂いで分かった。

「うわぁ・・・すごいねぇ」

感激する声に合わせるように、湖面は静かに揺蕩う。

高い場所に設置してある窓から光が入って、

水面に反射して眩しい。

<ふむ。こんなところに池があったとは。

よく見つけたものだ>

三毛が虎の肩を叩いている。

<ボクもこんなところに池があるとは思わなかったよ>

<しかし面妖な。真四角の池とは>

葵は三毛の言い回しに笑う。

「池じゃないよ。プールだよ」

<プール?>

<プールとは何ですか?>

「泳ぐところ。ここからあっちまで泳ぐの」

<見たところ、魚はいないようですが、

どうして泳ぐのですか?>

「え、いや・・・運動で泳ぐのよ」

<泳ぐことが運動なのは私にもわかりますが・・・>

「う、うーん。そうね」

葵が答えに迷っていると、三毛はどうでも良くなったのか、

虎に続いてプール再度まで歩いて行ってしまった。

葵もついていくと、不意に虎が振り向いた。

<葵はここで身を清められるね!>

「え・・・」

<そうですね。かなり匂いがしていましたから>

顏が紅潮する。

「うるさいなぁっ。仕方ないでしょうが!」

ついつい自分の匂いを嗅ぐ。確かに汗臭い。

葵の傍らにいた三毛が背中をつついてきた。

「なによ?」

<お召し物をすべて脱いでください。私が洗いますので>

「は?いやいや」

<あとは私に任せて、ゆっくりと水浴びをされてくださいな>

三毛が両手を出しながら恭しく語る。

「恥ずかしいからいいよ。自分でやるし」

<従者に気を遣われないで下さい

それに、葵さまのお召し物はそれしかありませんから、

早く洗いませんと一晩で乾きません>

「いいって!馬鹿!恥ずかしいんだってば」

押し問答を繰り返していると、虎がやってきた。

<あのねぇ葵。ボクはそんなことしてもらうために

苦労してココを見つけたんじゃないんだけど>

危険を顧みず休める場所を探してくれた虎の言葉だけに、

葵は二の句がつけなくなる。

結局こちらを見ないという条件付きで、服を渡すことにした。

下着姿で水浴びをしようとしたところで、

三毛が下着も洗うので寄越すように言ってきたため、

葵は下着姿のまま、また押し問答をしなければならなかった。

「結局こっち見てんじゃん・・・」

<葵さまが強情だからです>

下着を死守した葵は、

さっそくプール再度に行って水浴びを開始した。

「いたた・・・」

水が沁みて背中全体が痛い。

葵は自分が狼のいけにえであることを思った。

このままでは、三毛や虎を巻き込んでしまうかもしれない。

ひとりでいた方がいいのではないか。

水は塩素の匂いがしたが、そこまで気にならなかった。

一通り手で体を濡らしてみたが、

さっぱりした感じがまるでしない。

シャンプーやボディソープ、せめて石鹸が欲しい。

濡れたままで少し寒かったが、

プールに併設されたシャワールームを覗く。

「おじゃまします」

一番奥の個室にスタッフの誰が使っていたのか、

個人用らしいシャンプーセットが置いてあった。

嬉しいことにきちんとしたメーカーもので、

コンディショナーもある。

「すみません。お借りします」

葵は一礼すると、一式を抱えてプールに戻った。

葵は虎と三毛がこちらを見ていないか、念入りにチェックするが

2匹はこちらにまったく興味がない様子で、

葵の服や自分達の手拭いを洗っていた

時折、2匹は冗談を言い合って笑っている。

いつまでも気にしている葵の方が逆に恥ずかしくなってきた。

身体中の汚れを念入りに洗い流すと、プールに飛び込んだ。

虎と三毛が驚いて声を上げているのが聞こえたので、

葵は水中でくつくつと笑った。

底のタイルを思いっきり蹴って、推進力を得る。

葵は泳ぎ続けた。


葵は小学3年生から5年生の間、

夏休み限定の水泳教室に通っていた。

もともと泳ぐのは得意ではなかった。

それでも、優しい先生のおかげで、

泳ぐのが前より好きになった。

週に3回を欠かさず通っていた葵は、すっかり日に焼けた。

夏休みが終わるのが寂しかった。

教室最後の日は、保護者が集められて泳ぎのお披露目会があった。

そこでの評価の基準は、どれだけ速く泳ぐかではなく、

どれだけ長く泳げるかというものだった。

保護者から疑問の声が上がった時、

優しい先生は「より実践的だから」と説明していた。

ともかくお披露目会は始まった。

葵は『自分のペース』で泳ぎ続けた。

『自分のペース』なので息も体もまったく苦しくならず、

永遠に泳いでいられそうな気がした。

他のメンバーも泳いでいる気配があった。

自分よりもずいぶん先に折り返して、

中には一往復差をつけられている子もいた。

葵はほんの少し焦った。

母親が恥ずかしい思いをしていないか気になった。

だが、『自分のペース』で続けたかった。

葵は周りに誰の気配もしなくなっても構わず泳ぎ続けた。

いつまで泳いでいたのかわからない。

最後には、先生に止められた。

水面から顔を上げて見た先生の顔は、喜びに満ちていた。

それなのに、楽しかったことを止めさせられたのが

悲しくて、葵は泣くのを我慢しなくてはならなかった。

周囲の大人は「すごい」と褒めてくれたが、

うれしいとは思えなかった。

あの時の葵は周りの人に認めてもらいたいわけじゃなくて、

『自分のペース』を続けたいと思っていた。

それからというもの、葵の人生は、

『自分のペース』を続けることができず、

途中でやめさせられることが多かった気がする。

家族も。

学校も。

生きることすら。

いつの間に葵は『自分のペース』がわからなくなったのだろうか。

父親、母親、同級生、すず、先生達、

順番に顔が浮かんでは消えていく。

もう何度ターンを繰り返したかわからない。

他人がどうあっても、自分がやりたいことをしていれば、

葵はこんな風には感じなかった。

こんな風?

こんな風って何?

女神と話した時に感じた、あの黒い点の正体は一体なんなのか。

よくわからない。

自分の胸の中にあることのはずなのに。

泳ぎが乱れて、口の中に水が入った。

面倒なので飲み込んだ。

何かきっかけがつかめそうな気がする。

もう少しいけば、自分の殻が破れそうだ。

突然止められる。

ふくらはぎに痛みが来て、動かない。

足が攣ったのかもしれない。

またか。

悲壮感が全身を満たす。

それでも前に行こうとした。

今度は腿に痛みが来た。

仕方なく、泳ぐのを止めてタイルに足をつける。

水の中なのに、全身に纏わりつくような熱がうっとおしかった。

「はぁ・・・はぁ・・・」

もう少しだったのに。

<葵。すごく速く泳げるんだな!>

声のした方を見ると、虎がどこから見つけてきたのか、

バスタオルを振り回している。

<今日はもうお上がりになって、安心してお休みください>

遠くから三毛の声が聞こえる。

耳に水が入っているようだ。

ぼうっとしたまま、葵は2匹を見た。

「そ、そうね。そうしよう」

足の引き攣りが悪化しないように、ゆっくりとプールサイドに向かう。

手の力を使って勢いよく上がる。

<こむら返りですか。大丈夫ですか>

葵の震える足を見て、三毛が心配そうに言った。

「大丈夫」

気遣う言葉に苛立ちが募ったが、それは三毛のせいではない。

深呼吸をして言った。

「本当はもう少し泳げた。

でも、足が動かなくなっちゃった」

不覚にも涙が出てきたので、虎の持っているバスタオルを

奪い取って顔を隠す。

タオルに向かって大きくため息を吐くと、

顔全体へ呼気にこもった熱が広がった。

ますます涙が出てくる。

「もし、もしもよ・・・」

葵の声が出ない間、2匹は傍らで静かに待ってくれた。

「なるべく無理はしないようにするけど・・・」

タオルから顔を上げて、三毛と虎に濡れた目を向けた。

「私がやりたいって思ったときは、最後までやらせてね」

<おう。頑張るにゃっ>

分かっているのかいないのか、

虎は笑顔で二度三度頷いてくれた。

対して三毛は何か考えている様子を見せてから、

<ことによります>と厳しい表情で言った。

ありがとうございました。

次話は来週に更新いたします。

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