18話 葵
18話です。よろしくお願いします。
<これは女神の泉と言われるものです>
三毛が噴水を指さして言った。
<女神というのはフォルトゥーナ様のことです。
女神の泉にはフォルトゥーナ様のご加護があります。
ご加護のない者は、この場所には入ることはかないません>
「そうなんだ。私はすぐに入れたけど」
<葵さまはフォルトゥーナ様に会われたのですから、
ご加護があるのは当然です>
「他の人も入れてたけど」
<そうですか。では、人族は無条件に加護を
受けているのかもしれません>
確かに、三毛の言う通り、フォルトゥーナは人を
特別大切に思っていた。
葵は首肯する。
「じゃあ、人は入れるけど、鬼達は入れないってことね」
<そうです>
「虎と三毛は何で入れるの?」
<猫族は古くからフォルトゥーナ様を信仰していますから、
女神の泉に立ち入ることが出来ます。
他の野蛮な種族や外敵には無理ですがね>
胸を張って三毛が言う。
そっか、と返事すると、三毛と虎が両手を合わせて目を閉じた。
「お祈り、2人もするんだね」
<はい。フォルトゥーナ様は大切な神様ですから>
葵も2匹に倣って手を合わせ、しばらく祈りを続けた。
祈りを終えた葵は噴水の中心を臨んだ。
夕方を過ぎて辺りは暗くなっているが、
噴水の中心からまばゆい光が漏れ出しており、
灯りがなくとも周囲がよく見えた。
「なんで光ってるのかな」
<フォルトゥーナ様のご加護があるからです>
「ふぅーん」
葵はうっとりと光を眺める。
「でも、フォルトゥーナ様、
なんでみんなにご加護を与えてくれたんだろう」
<フォルトゥーナ様は慈悲深いお方だから。
この祭壇も、もしかしたら人族を守るために、
作ってくださったのかも知れないにゃ>
確かにそうだなと思う。
フォルトゥーナの額の目は慈愛に満ちていた。
優しく人類が悲しい死を迎えることを嘆いていた。
「ありがとうございます。フォルトゥーナ様」
虎が穏やかな表情で頷く。
<葵さま。ここの水は、フォルトゥーナ様の加護が満ちています。
口にされてください>
三毛がこちらを見上げて言った。
「え・・・。勝手に飲んでいいの?」
戸惑う葵を、三毛が笑った。
<大丈夫ですよ。神は信仰あるものを助けてくれます>
葵はおずおずと噴水の水を手のひらで掬って口にした。
今まで飲んだ水の中で一番おいしかった。
「お、おいしい・・・ちょっと甘いかもっ」
<甘露なだけではありません。
怪我や万病を治す力もあるのです>
「すっごい!じゃあ、2人のケガも治るの?」
葵は鬼との戦いでボロボロになった三毛虎の体を見る。
<はい。ですが>
「はい。ですが、じゃないわよ。
早くあなた達も使わせてもらいなさい」
葵が言うと、2匹は再度お祈りの仕草をしてから、
噴水の水で傷を洗い始めた。
葵は噴水の水で濡れた手を、虎の背中にあるひどい傷に当ててやる。
<葵さま。私達は自分でやりますから>
三毛が慌てたが、葵は自分の手でしてあげたかった。
「あなたたちがよく頑張ってくれたから。
私は今生きてるのよ。このくらいさせなさい」
言い聞かせると、三毛はまだ何か言いたそうにしていたが、
最後には口を閉じた
2匹の傷は、水をかけると小さな瘡蓋になってしまった。
「わぁ~・・・」
葵は2匹を抱きしめた。
「よかった。2人とも・・・」
助けてもらったお礼に、葵は再度フォルトゥーナに祈りを捧げた。
就寝する準備が出来ると、すぐにみんなで横になった。
今日はとても疲れた。
今晩は見張りを立てる必要が無いので、
みんなゆっくり眠れそうだ。
三毛と虎に挟まれていると、布団の中にいるくらい温かい。
虎がすぐに寝息を立てはじめた。
釣られて葵は眠りに落ちた。
◇
肩が燃えている。
熱はみるみる胸と背中に広がっていく。
息が苦しくなって、葵は目を醒ます。
全身に信じられないくらいの汗をかいている。
「痛いっ」
声が漏れると、すかさず柔らかいものが口を押さえてきた。
少し遅れて三毛が顔を覗き込んでくる。
<葵さま。シー>
鼻先に小さく息がかかる。
口を押さえているのは、三毛の肉球だ。
痛みと暑さでパニックになりそうだった葵は、
三毛の姿を見て、少しだけ落ち着く。
口を開きそうになった葵へ、三毛が声を出しては駄目だと
目で合図される。
「・・・」
何度か頷くと、三毛の肉球が口元から外れた。
三毛はある方向を指差す。
首だけ少し起こして、指された方向を見た。
噴水公園の塀に身を隠して、油断なく奥の様子を見ている虎と、
更に3、40メートル先に小鬼数体と鬼2体が見えた。
「鬼だぁ・・・」
小さな声で言うと、三毛が葵の体をゆっくり起こしてくれた。
<まだ奥です>
背中にある皮が剥けるような痛みを抑え込み、
さらにその先を見つめる。
「あ、あれって・・・」
葵は小鬼と鬼に囲まれた狼を見つけた。
見覚えがある。
キラリ―ランドの森で出会ったあの美しい銀色の狼だ。
<あの狼は危険です。すぐに離れないと>
三毛の耳と尻尾が垂れ下がっている。
葵と同じで狼に恐怖しているのだ。
虎が音もなく戻ってきて
<本当にまずい。はやく逃げるにゃ>と慌てて言った。
三毛虎にとっても、あの狼は恐ろしい相手なのだ。
急いで身を起こして荷物をまとめると、
一行は狼達とは逆の方に向かって移動を始めた。
<なるべく身を低くしてください>
三毛が手振りで姿勢を低くするように指示をくれる。
恐怖と痛みでふらつく葵を、三毛はすかさず支えてくれた。
「ありがと」
<葵さま。どこか悪いのですか>
「ちょっとね。でも、大丈夫」
言いつつ後ろを振り向くと、
素早く回転しながら小鬼を蹴散らし、
圧倒的スピードで鬼の喉元に噛みつく狼が見えた。
まるで地獄の入口に立ったような緊張感に、
呼吸が浅くなり、身がすくんだ。
<狼と小鬼達が先に出会ってくれたおかげで、
運よく逃げられることができそうです>
もし、見つかる順番が逆だったらと思うと、葵はぞっとした。
狼から離れることを第一にして移動をしていくと、
葵の痛みは次第になくなっていった。
とりあえず一行は、小さなビルの非常階段に身を隠す。
三毛が葵の口を塞いでしまったことを詫びる。
<葵。急に痛がり始めたけど、一体何があったにゃ>
以前あの狼と会った時のことを猫たちに説明した。
三毛と虎は顔を見合わせ、
酸っぱいものでも口に入れたような顔をした。
「どうしたの?」
三毛が何かを言おうとして、口をつぐんだ。
かわりに虎が口を開く。
<私達もあの森にいたのです>
「あっ!そっか。私が森で従者帯、
を落としたのを拾ったんだもんね」
<はい。しかし、力になれず申し訳ありません>
「いいの。あの時は、まだ出会ってなかったんだから」
<はい>
三毛が苦渋の表情を浮かべた。
<それより、大変だにゃ。
あいつ、葵を狙ってるんだと思うにゃ>
「どういうこと?」
三毛と虎が互いに顔を見合わせて俯く。
<噛まれたところ見せてくれるにゃ?>
身体についた大きな紋章を見せるのは憚られたが、
虎は頑固だった。
仕方なく上着を脱いで、葵は猫達に患部を見せてやった。
三毛と虎が顔を近づけて匂いまで嗅いでいる。
「ちょっとやめてよ。恥ずかしいんだから」
<血が出てるにゃ>
虎は高価だと言っていた手ぬぐいを、
木の水筒から出した水で濡らして、
痛む肩に優しく当ててくれた。
表面がひりつくように痛んだが、ぎゅっと喉を締めて堪えた。
虎の言う通り手ぬぐいには血が滲んでいた。
<包帯を巻いておくにゃ>
「ありがと」
押し黙ったままだった虎が、真剣な表情をした。
<あの狼は森の主だにゃ。
森の主は、ひとつの森に1頭しかいないんだにゃ>
虎の言葉の意味するところが分からず、三毛の方を見る。
<森の頂点にいるのが森の主です>
<凄腕の狩人なんだ。狙った獲物は絶対に逃がさないにゃ>
「強いのよね?」
<え、えーと・・・>
<ちゃんと言わないと葵に分からないよ。
お前が言わないからボクが言うにゃ>
三毛を制して虎が続ける。
<森の主は、すんごく強いにゃ。
鬼なんかじゃあ、何匹いても勝てないにゃ。
んで、森の主は気まぐれに、自分の力を示すために、
獲物を一回甘噛みして逃がすことがある。
それで、追いかけ回してもう一度狩るにゃ。
まぁ、遊びみたいなもんにゃ。
甘噛みされた獲物には、いけにえの印が
浮かび上がるにゃ。
他のやつが横取りしたら分かるようにしてるにゃ。
森の主を怒らせたら大変だから、
皆そいつには関わらないようにするんだ。
腹の減った鬼達みたいによっぽどの馬鹿じゃないかぎりは>
「ようするに、私は、めっちゃ強い森の主に
甘噛みされたいけにえってわけ?
それって・・・逃げられないの?」
<・・・>
虎と三毛が顔を見合わせたまま黙っている。
返事は十分予想できたのだが、葵は返事を促す。
「正直に言ってっ」
<む、無理です>
言おうとした虎を遮って三毛が言う。
<甘噛みされた時点で、臭いを覚えられています。
森の主が持つ鼻は、どんなに離れていても
獲物の匂いをかぎ分けられるのです>
「そんな・・・」
葵は頭を抱えた。
三毛が意を決したように面をあげる。
<私に考えがあります>
三毛の作戦とは、葵の匂いを染み込ませたものを、
移動しながら街中にばらまいて、森の主を混乱させることだった。
<確かにそれなら匂いを追えないにや>
虎が感心したように言った。
葵にも、これは有効な作戦のように思えた。
<葵さまご自身は、
まめに身を清めて、臭いが出ないように>
葵は頷いた。
「どうにかなるかな・・・?」
<やるしかないですね>
大変な作戦だが、それ以外に方法は思いつかなかった。
虎と三毛が葵の血が染み込んだ手ぬぐいを、
引き裂いて細かく分けていく間、葵は茫然としていた。
<じゃあ、行ってくるにゃ>
虎が葵の血が沁み込んだ布をあちこちに設置しに出て行く。
虎はずいぶん離れたところまで行ったようで、
その後1時間は戻らなかった。
三毛はその間に匂い消しのお香を焚いて、
念入りに葵の匂いを消した。
「変な匂い。これで匂いが消えるの?」
葵が顔をしかめると、
<いえ。強い薬草の匂いで誤魔化しているだけです。
本当は身を清めて頂くのがよいのですが。
今はこうするしかありません>
虎が帰って来てから、皆で朝食を摂った。
コンクリートの食卓で、
最初はあちこちを歩き回った虎の土産話が続いたが、
次第にこれからどこに向かうか、という内容に向かっていった。
<葵さまは疲れている。あまり動かない方が良いのでは>
三毛の意見に虎が反対する。
<じっとしていても、いつか見つかるにゃ。
ここから離れた方がいいにゃ>
三毛も負けじと腕を組み、
<移動した分、匂いをまき散らすことになる。
森の主に見つかる危険は高まる>
会話は平行線だった。
葵は、あの銀色の大きな狼が自分を狙っているということに、
現実感が湧かず、ぼうっと宙を眺めていた。
<葵さまはどうされますか>
<葵はどうしたいにゃ>
「私・・・?
私は死ぬ前に、せめて佐藤さんに、会いたい」
ふと我に返り、葵は猫達を見た。
「あ。私、何か言ってた?
ちょっとぼうっとしちゃってて」
三毛と虎が他所へ行き、何かを話し始める。
それから一行は狼に見つからないよう注意しつつ、
移動を繰り返すこととなった。
葵の食料確保のため、いくつかコンビニに寄ったが、
めぼしいものは残っていなかった。
「ここも、何もないわね」
床に散らばっている食べカスを指さして、三毛が言う。
<先ほどの店にも、ここにも、
人族の匂いの他に、小鬼達の匂いがあります。
きっと食い荒らされたのでしょう>
「ねぇ。三毛。
何で移動することにしたの?
あんなに反対してたのに」
<いえ。私は従者ですから、葵さまを守るのが役目ですから>
奥を歩いていた虎が、槍で雑誌をつついているのを見ながら、
葵は呟いた。
「そうじゃなくて、このままでも大丈夫かなって」
<実は、わかりません。
森の主が獲物を取り逃がしたという話を、
私は聞いたことはありませんので>
「じゃあ、いつかは見つかるってことね」
三毛は葵を見つめ返してきたが、それ以上は何も言わなかった。
移動の途中で、単体の小鬼と出会った。
三毛と虎が先行して、素早く小鬼を始末する。
三毛と虎の存在が、最初の頃よりも頼もしく感じる。
この猫達がいなかったら、自分は一体どうなっていたのだろうか。
葵達は駅の近くにある、商店街に入った。
中には見慣れない外敵が存在した。
「あれは?」
物陰に隠れて、葵は初めて見る外敵を指さした。
<鰐族だ。無口で大人しいけど、
食欲と縄張り意識が強いやつらだにゃ>
「鰐族?」
<ええ。セベクと呼ばれています>
セベクは鰐の頭部と表皮を持ちながら、
人間のように二足歩行をしている奇妙な生物だった。
ある程度の知能があるようで、ぼろ布で作った上着を羽織り、
手には槍のように先の尖った木の棒を持っている。
今眼前に見えるセベクは全部で5匹。
幅の広い通りの真ん中に固まって静かに身を寄せ合っていた。
「何してるんだろ」
葵はセベクをじっと見つめた。
爬虫類の冷血そうな姿見とは裏腹に、
鼻腔から音を立てて吐き出されるオーラは緑色で、
まるで植物のような穏やかさと緩やかさがあった。
こいつらは、小鬼のように好戦的ではなさそうだ。
「こわいけど、大人しそう。やり過ごせないかな?」
三毛が頷く。
<はい。そうした方がいいですね。
音を立てなければ大丈夫です。ついて来て下さい>
一行は物音を立てないようゆっくりと、
極力姿勢を低くしたまま、セベク達を迂回するように移動していく。
葵はゆっくりと息を吐いて、セベク達を見た。
一際体の大きな一体が、
こちらに背を向けてくれていることで視界が遮られ、
みんなこちらに気付かない。
三毛が葵と目を合わせ<大丈夫そうですね>と頷いた。
葵も頷く。
迂回は成功し、かなり距離を取れた、その時だった。
虎が葵に跳びかかってきた。
「ぎゃ!」
一瞬ふざけているのかと思ったが、違った。
刺さるほどではないが、
虎の爪が葵の首すじに喰い込んでいたからだ。
「と、虎っ?
どうしたの?!」
虎の勢いに押されて、葵は尻餅をつく。
虎の体越しに見えたのは鮮血と、刃物を持った小鬼だった。
<小鬼ですっ。葵さまは下がって>
三毛が素早く割って入り、盾で小鬼を殴りつける。
虎は肩から血を流していた。
「虎っ。とら。大丈夫?」
腕の中にいる虎に声をかける。
<うう。油断したにゃ>
立ち上がり、虎は三毛の盾を受けて転がっている小鬼に
槍を突き立てた。
心臓の辺りに槍が刺さって小鬼が即死する。
「虎っ」
葵は出血している虎に駆け寄り、傷の様子を見る。
かなり深く裂けている。
「三毛。虎がっ」
葵は叫びながら、通り側に盾を構え、
じっと動かないでいる三毛の鞄を引っ張る。
反応のない三毛を怪訝に思うと、葵は視線を通りに向けた。
愕然とする。
セベクの群れがこちらに向かって、
ぬるぬると這い寄って来ていたのだ。
悲鳴を上げた葵を押しのけて、傷を負った虎が進み出た。
ややあって三毛が虎の横に並ぶ。
葵達はあっという間にセベク達に取り囲まれてしまった。
<おまえのせいだぞ。虎>
<うるさいにゃ>
スペースを利用して虎が左右に回り込もうとするが、
うまくいかない。
手負いの虎の動きが悪いのもあるが、
セベク達は長い槍を使って、うまく動きをけん制しているのだ。
虎は懸命に攻撃を繰り出す。
しかし、長い槍と硬い表皮を持つセベク達は守りが固く、
すぐに膠着状態になった。
<こいつら、やりにくいなぁ・・・>
セベクは隣り合った仲間を助けるように、
槍や大きな体をうまく使っている。
猫達個々の動きはセベクに勝っているが、
組織力という面においてセベクに負けているのだ。
「仲間同士で、助け合ってるんだ」
悔しそうに虎が唸っている。
感情的になって、無謀な仕掛けを始めるのも時間の問題だろう。
追い詰められれば、スーパーの時のように怒りに身を任せて、
半狂乱に陥ってしまうかもしれない。
そうなったらきっと負けてしまう。
葵はセベク達の頭上にある緑に混ざった赤いオーラを見た。
「に、にげよう。このままじゃあ、やられちゃうよ」
<わかりました。どちらに向かいましょう>
葵は首を振って周囲を見た。
店と店の間に、人が一人通れるくらいの細い通路がある。
あそこならセベク達は追いかけてこられないだろう。
「あそこ。あそこに行こう!!」
<よし。わかったにゃ>
虎が唸り声を上げて前に出た。
反応した敵の槍2本と虎の槍が交錯する。
虎の槍は一番大きなセベクの胸に突き刺さる。
セベク側の槍は、寸前のところで三毛の盾によって
迅速にはじき返される。
無謀とも言える虎の突出によって、セベク達の統制がやや乱れた。
セベク達の矛先が宙を彷徨っている。
「なんなの?」
葵は、大きなセベクの頭部から細い糸のようなオーラが、
他のセベクの頭部に向かって伸びているのが見た。
「あの子が、みんなをまとめてる」
大きなセベクは他の小さなセベクのリーダーなのだ。
リーダーが虎によって攻撃されたおかげで、
群れ全体が動揺したのかもしれない。
迷っているセベク達の槍を、三毛が盾で打ち払う。
<葵さま。今なら向かえます。行きましょう>
三毛が葵の臀部を前に押し出した。
<走って下さい>
虎はもう先に走っている。
セベクの脇を過ぎる時、槍が葵の横腹に
向かって突き出されるのが見えた。
「っ!」
三毛が盾で受け流す。
盾と槍先が擦れ合う不快な音が、耳の内側でバウンドする。
背後にある三毛の気配が一瞬消えたので、葵は振り返った。
「三毛」
<大丈夫です。さ、お早く>
息の抜けるような苦しそうな声を出した三毛の背中に、
セベクの槍が刺さっていた。
「ぎゃ。三毛!!」
<いいんです。それより>
三毛は槍を引き抜いて、向かうべき方向を指さした。
三毛は悔しそうに鼻を鳴らして、立ち止まった。
<少し時間を稼ぎます。葵さまはお先に>
「だめ!!」
セベクに向き直った三毛の背に、おびただしい出血が見える。
浅い傷ではないのは一目でわかった。
「そんなっ。一緒に行こうよ!」
セベクの槍を盾で受け止めた音で、葵の声がかき消される。
<行って下さい!!>
葵では三毛を助けることはできない。
通りに入ってしまった虎を呼んで来るしかなさそうだ。
しかし、それでは結局またみんなを危険に晒してしまうことになる。
「ど、どうしたら」
逡巡したまま動けないでいる葵の元へ、
通路の死角から虎が飛び出してきた。
<遅いにゃ!!
お前らいつになったら来るんだにゃあ!!>
虎の姿を見てほっとしたのも束の間、
虎を追いかけてきた小鬼が数匹、通路から出てきた。
<挟まれたにゃ!>
後方に5匹のセベク、
前からはたくさんの小鬼達に完全に挟まれた形になる。
完全に思考停止した葵を庇いながら、
虎が小鬼達を槍で威嚇する。
三毛の方はセベクの徐々に厚くなっている槍でのけん制を、
盾で必死に防いでいる。
2匹とも怪我をしているのだから、
この状態が崩れるのも時間の問題だろう。
「あ、ああ・・・」
自らを掻き抱くしかできない葵の元へ、
少しずつ虎と三毛の背が近付いて来る。
包囲網が狭まってきているのだ。
あの通路に行くと提案しなければ。
もっと早く走っていれば。
もっと自分に考える力があれば。
真近くに聞こえる打撃音に堪えられなくなり、
葵は両耳を塞いでしゃがみ込んだ。
もう終わりだ。
そう思ってしばらく経っても、終わりは訪れなかった。
肩に手が乗せられる。
<葵。あ・お・い>
かすかに聞こえる虎の声に、耳を塞いだ手を外した。
「え・・・え?」
<ゆっくり動いてください。逃げましょう>
<はやく立てよ>
三毛の声も虎の声も、疲れ切っているが無事のようだ。
おそるおそる顔を上げる。
小鬼達とセベク達が向かい合って、何かを叫んでいる。
頭上には赤色と黒色が岩礁にぶつかる波のように弾けている。
どうやら両者はいがみ合っているようだった。
「ど、どうして?」
<鬼族と鰐族は、もともとすごく仲が悪いにゃ。
小鬼は森を減らすから、セベクはいっつも鬼に怒ってるにゃ>
凶暴な生物同士の争いが起こっている隣で、
いつまでも話していたくはない。
一行はいそいそと現場から逃げ出した。
やがて葵の背後で、小鬼とセベクは激しい戦闘を始めた。
そこまで来て、葵は三毛と虎に縋りついた。
「こ、こわかったよ~」
<あ、葵さま。まだ近いです。もう少し離れませんと>
<そうだにゃ。怖かったのは分かるけど、もっと離れるにゃ>
虎の合図で一行は走り出し、難を逃れたのだった。
ありがとうございました。
次話はすぐに更新いたします。




