122話 キーラとソーニャ
葵を上空に残したまま、キーラ達は落下していく。
圧倒的な絶望と、凄まじい浮遊感に曝されて息ができない。
必死で『賢者の真心の王国』を見た。
手が動かない。本を開くことすらできない。
「ぐ・・・くくっ・・・」
ボンネットに引っかかったままでいる三毛と虎と目が合う。
彼らはじっとこちらを見ていた。
悔しいと、その目が言っていた。
そのとき、『賢者の真心の王国』の表紙が勝手に開く。
本が目映い輝きを放ち、構築プログラムを展開する。
ハンヴィーの荷台から、巨大なパラシュートが開く。
落下はかなり緩やかになったが、それでも強い衝撃は避けられないだろう。
『賢者と真心の王国』が車体の下部に衝撃吸収材を展開する。
全員が頭を下げたと同時に、ハンヴィーが下から突き上げられた。
「うおああああああ!!」
数回バウンドして、車体はやっと停止した。
「うう・・・み、みんな」紫が呻く。
「・・・ど、どうなったの・・・?」すずの声がした。
身を起こそうとしたが、その上に誰かが乗っていた。
うんみゃーと鳴いたのは三毛と虎だ。
いつのまに、車内に入ってきていたのだ。
ひどい目に遭ったにゃ、と言わんばかりに虎が鳴いている。
「みんな大丈夫?」
伊都子がひとりずつに声をかけていく。
キーラは返事できず、三毛の背に顔を擦りつけた。
「う・・・うううううう・・・・うわああああああああん!!」
誰かが呼びかけてくれたが、何も聞きたくない。
もう、いやだ。
また大切な人がいなくなった。
「うぎゃあああああああああああああん」
キーラは自分の頭を叩いた。何度もなんども。
すると、その手を止めたものがあった。
細くて優しい手は、すずとソーニャの手だった。
「うう・・・・ううう~~~・・・・」
すずはキーラを抱きしめながら、泣いていた。
ソーニャもだ。
「うえええええええええええん」
伊都子と、紫、そして清十郎がやってくる。
みんなの中心で、キーラは泣いた。
葵はあいつに喰われて死んでしまった。
キーラが何もしなかったからだ。
もう二度と走れない、がたがたのぼろぼろになった車の中で、
ただひたすら泣いた。
その現実に、涙がとまらなくなった。
『賢者の真心の王国』に涙の染みが次々と生じていく。
思考がどんどん遠くにいってしまう。
もう、おしまいだ。
◇
「大丈夫よ」
ソーニャは両手でキーラの顔を挟み込んだ。
「そんなのわかりっこない」キーラが言い返してくる。
弟は後ろ向きの言葉なら、無限に言えそうな顔をしていた。
「葵はさっきまでここにいたわ。
私のすぐ傍に。キーラだって見たじゃない」
「そうだよ。
おじいちゃんも、おばあちゃんもそうだったんだよ」
どこかが痛むような顔でキーラが言った。
「葵のこと、感じるもん」
「感じたって、触れなきゃ意味ないよ。
クロエだって」
「なんでクロエの話になるの?」
「クロエは死んだ。もう会えない。
ここにいる全員そうなるんだ」
「そんなはずない。キーラは悪く考え過ぎ」
キーラが割れたガラスのような涙を拭きとった。
「悪く考えて、悪く考えて、それでも足りなかったんだ。
最悪の状況になってしまった。僕のせいで」
ソーニャはいったん静かにすることにした。
「本当は怖い」
蛇口をしめてもぽろぽろこぼれる雫のようにソーニャは言った。
「何が怖いの?」キーラが静かに訊いてきた。
「みんなが、いなくなるのが」
◇
唐突に飛び出した答えに、血の気が引く思いがした。
こんな大人びた意見を言うような姉だったろうか。
いつもなら馬鹿にして終わりだが、正直に答えたくなる。
「僕も・・・怖い」
「キーラも?」
キーラは子どもみたいに死を恐れている自分にうんざりする。
「悪かったな」
「ううん・・・ソーニャだけじゃなくて嬉しい。
すずと伊都子も怖い?」
ソーニャが2人に水を向ける。
「一番怖いことかも」すずが言うと、
「私も、怖いよ」目を真っ赤にした伊都子も続いた。
「大人も怖いんだね」
「俺だってとっても怖い」清十郎が肩に手を触れてきた。
ソーニャが「クロエ」と呟く。みんなが同じ傷を感じて頷いた。
「クロエが消えてくの、見た」
「うん」
全員の手の力が強くなる。
「クロエさんって、すごい人だったんだね」
「すっごい人だった」伊都子が呟く。
「大切な人だった」みんなと一緒にいると暖かい。
ソーニャの髪をつたってきたシロが、頬をつついてきた。
見るとシロの体がオドのように光っていた。
いや、シロだけではない。ソーニャの体も光っている。
キーラは返事をするのも忘れて、姉の美しさに見惚れていた。
「ああ・・・。
ちょっとだけ怖くなくなった」キーラは呟いた。
「怖くなくなったの?」眩しそうに目を細めたすずが言った。
「うん。
ソーニャの気持ちが少しわかったから」
「どういうこと?」清十郎が興味津々といった様子で訊いてきた。
「まったく怖くないわけじゃないけど」
ばつが悪くなって言うと、とみんなが笑った。
◇
キーラが手を伸ばしてきた。大好きな弟の手。
前よりも背も手足も伸びて、大きく太くなっている。
腕の中は暖かい。
シロがゆっくりと動いて、
キーラとソーニャの首を一周して止まった。
まるで2人が1つになったみたいだとソーニャは思った。
「みんなも、もっと近くに」全員で抱き合った。
辛いことを忘れてしまいそうなほど、幸せな気持ちになる。
「流れ星と同じ。
一瞬一瞬の輝きが大事なんだ」キーラの泣いているような声。
「僕は、最後に裏切られたり、死んでしまったら、
それで全部終わりだと思っていた。全部不幸だと思っていた」
キーラはゆっくりとつぶやく。
「お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん」
「2番目の、おとうさんとおかあさんもね」
ソーニャが言い、キーラが頷く。
「みんな最後には、僕達から離れて行ってしまった。
だから僕はみんなを恨んだ」
「ソーニャも、寂しかった」
「でもさ。
今は違うって思うんだ」キーラが少し笑った。
「どういうこと?」
キーラの顔を見たソーニャの体は、ぼうっとするくらい暖かい。
「お母さんは、大学院に行っていたのに、
休学をしてまで、僕らを生んでくれた。
たとえ、その後離れてしまったとしても、
大事な時期に、僕らを選んでくれたんだ」
ああ、そうだったんだとソーニャは頷いた。
「おじいちゃんとおばあちゃんも、
僕らを手放して離れ離れになったけど、
それまでは、ずっと一緒にいてくれた」
「おじいちゃんとおばあちゃんは、
私達を大事にしてくれたわ」
「2番目のおとうさんとおかあさんも、
最後には大変なことになったけど、僕らを大切にしようとしてくれた」
涙がどんどん出てくる。他のみんなも嬉しそうに頷いてくれる。
「それに、ベラも、アビィも。
・・・クロエも」
暗闇に輝く北極星のような声だった。
「あの時、僕らが大事にされた事実は消えないんだって教えてくれた。
そして、僕はみんなを恨むのをやめられた」
ソーニャは何度も瞬きをした。
キーラがみんなのことを恨まずに済んで本当によかった。
ソーニャの体がもっと暖かくなる。もっと光っていく。
「寂しいけど、恨まない」濡れた顔でキーラが笑った。
「うん」
長い間息を止めた後の、最初の呼吸のような笑顔だった。
「僕は今、無敵になった」
「かっこいい」鼻をすすりながら、すずが両手を合わせた。
伊都子とソーニャも一緒になって「ふふふ」と笑う。
「かっこいいぞ」清十郎が真面目な顔をして言う。
「自分でもちょっと変な台詞だってわかってる」
茶化した訳じゃないと、真っ赤な顔をしたキーラにみんなが謝る。
「キーラくんは、これからどうするの?」
「みんな、協力してくれる?」
「うんっ」ソーニャは両手を挙げた。
「私も、葵には言いたいことが残ってるし」すずがうなずく。
嬉しくてどんどん体が熱くなる。
熱くなるにつれて、ソーニャはもっと眩しくなった。
「うわっ。ソーニャったら眩しいよ!」
「元気が出てきたのよ」と返事した。
今なら何でもできそうな気がする。
その時、ベルが車の中に飛び込んできた。
「ベルだ・・・!」ソーニャは彼を受け止めて叫ぶ。
ベルが学校から連れてきたすべてのオド達も、
ハンヴィーの中に突っ込んでくる。
「うわあああああ・・・・」
「オドでいっぱいだ」
「くすぐったい」
みんなが手を合わせたまま、笑顔でオドの渦の中心にいる。
たくさんの希望の中にいるみたい。
「よし。始めよう」
キーラが『賢者の真心の王国』を手にとった。
ありがとうございました。




