114話 葵
清十郎の声がイヤーカフから響いてくる。
「おーいみんな。
おーい」
窓の外に昇り際の朝日が見える。まだずいぶん早い時間だ。
「あんまり使わないからなぁ、コレ。
聞こえるかー?」
起き抜けの身体を起こしたとき、四つん這いの伊都子と目が合った。
2人は緊張したまま短く返事する。
「ああ。
朝早くからごめんね」
のんびりとした声だったので、ほっと胸を撫でおろす。
2人で深いため息をついたとき、
イヤーカフから「どうしたんだ」紫の鼻声が聞こえる。
どうやら彼も起きたばかりのようだ。
伊都子が立ち上がり、ソーニャのベッドへ向かっていく。
非常時を意識した彼女を見て、葵も目を擦り立ち上がった。
「あれ・・・?」
隣のベッドに月子が居ないのに気付く。
「今から、訓練を行いますっ!」
静寂と緊張を吹き飛ばすような、清十郎の声が響いた。
「ええっ?」
伊都子がソーニャの身体を起こしながら言った。
「いつになるかわからない状況だからな。
実戦形式の訓練を執り行いますっ」
「今からですか?」
ジャージを履きながら、すずが訝しんだ。
「すずちゃん。
起きてたの?」
「どうせそろそろキーラくんに起こされると思って」
「全員、無駄口はやめて、校庭前に集合!!
必要なものは全部持ってくるように。
紫は車を回しておけよ。
遅れた者は、厳刑に処すっ!」
清十郎の声に一同が呆気に取られていたところで、
「いいんじゃない?」別室のキーラの声が入る。
「キーラってば、もう起きていたのね」
「いや、今起きたんだよ」語尾が少し眠そうだった。
「みんな、寝起き良すぎでしょ」葵の方はまだ頭がはっきりしない。
「とりあえず、葵も着替えなさいよ」
「うんっ」素早いすずと伊都子に続いた。
「伊都子ちゃんは、俺と車まで来て」
ドアを開けて顔を出した紫が言った。
「ぎゃっ。おっさんやめてよっ」葵はまだ着替えている途中だ。
裏手にあるハンヴィーまで行くのだろう、
伊都子がソーニャを連れて廊下を右へ走る。
振り返った彼女から「キーラくんをお願い」
「はいっ!」廊下に座っている三毛虎を呼んだ。
手信号でついてくるように指示する。
「武器は持ってる?」
<ございます>三毛は迅速に盾を掲げた。
<どこいくにゃ?>葵に並走する虎が問う。
「校庭。銀は?」
左右に首を振って、辺りを見回す。
光が校庭を明るく照らし始める直前の景色。
なぜか数秒魅入られる。
<屋上におられます>
三毛に視線を合わせると、葵は上を指さした。
それだけで彼が全てを察する。
三毛と別れ、虎と一緒にキーラのいる技術室まで走った。
勢いよく開けたドアが跳ね返るのを押さえながら、部屋に飛び込む。
「行くわよ!」
「はいはい」
Tシャツ姿のキーラに、机の上にあるパーカーを強引に被せた。
「ドローンを全部放ってから」
窓を開けたキーラへ「訓練だからしなくていい」と伝える。
彼はこちらを鋭く一瞥すると、「訓練だからこそ、しっかりやらなきゃ」
『賢者の真心の王国』が輝き、4体の改良型ドローンが窓から飛び立った。
「これでよし」
段ボールを踏み越えたキーラの手を引いて、廊下を走り出す。
外からハンヴィーの走行音がする。
伊都子と紫がもう車を回してくれている。
迅速な対応だと葵は感心した。
「車が走ってるから、ぶつからないように気をつけて」
「子どもじゃないんだから」
キーラは手を引こうとする葵を拒まなかった。
むしろ強く握りしめてくれる。
校庭へ出ると同時に、紫達の乗ったハンヴィーが到着する。
虎に周囲を警戒するよう合図しながら「早かったね」
「まぁ、準備はしてあったからな」
彼は助手席にあるライフルを伊都子に手渡すと、車を降りてきた。
伊都子は、ハンヴィーのサンルーフからライフルを構えた。
「キーラは車に乗って」
彼がシートベルトをしたのを確認すると、屋上へ目を配った。
上から飛び降りてくる銀と、その背に乗っている三毛が見える。
<近くに獲物はいない>
傍に着地した銀からの報告に頷く。
「わかった」
結希と月子の姿が見えないのが気になった。
2人のオーラはかすかに残っている。きっと近くにいる。
胸騒ぎをしつつ校庭の真ん中にある、スカーのテントを見た。
そこには、スカーを抱きかかえた清十郎が立っていた。
「ジュ―ロー!!」
ハンヴィーの窓からソーニャが手を振った。
「おい、集まったぞー」嬉しそうに紫も声を出す。
外なのに蒸れたような圧迫感を感じて、葵は周囲を見渡した。
スカーの『ポータル』が見当たらない。
痺れるような戦慄が、葵の足元から頭上へ突き抜けていった。
眩暈に足をふらつかせる。
まさか。
「だめ―――」
幾度も訓練した周囲警戒の手信号を、無意識に行っていた。
三毛虎と銀が、背中の毛をそば立たせる。
「訓練お疲れー」
清十郎の明るい声が聞こえてくる。
「ばっちりだったろ」紫が笑顔で応じる。
違う。
笑っている場合じゃない。
清十郎とスカーを救わなくては。
テントにいるスカーと清十郎の前に、
外套の男と帯刀した女剣士が降り立つ。
―――ダニエルと陽子―――
10年先も耳に残るような、悲壮な叫びが聞こえる。
それは、自分自身の悲鳴だった。
事態は唐突に始まり、一瞬で終わった。
この世界での死とは、姿を消すことだ。
それが幸運なことなのか、それとも不幸なことなのか葵には測りかねる。
土煙以外の余韻は、世界に残されなかった。
スカーと清十郎の死は、それほどあっけなかったのだ。
「あ・・・ああ・・・」
ハンヴィーの中にいるソーニャとキーラもこれを目撃した。
目の前で行われた、短い一瞬に立ち会った全員が、
声も上げられないまま呆然としていた。
油断していた。
猶予は、あと一日あると思い込んでいた。
時間がないと悟った清十郎は、
咄嗟に自分の命を投げうって、全員に準備をさせたのだろう。
だが。
みんなを見る。
圧倒的な現実を前に、誰もが息を止めていた。
2人の死が、準備もこころも、何もかも吹き飛ばしてしまっている。
有事の際はキーラがドローンで周囲を確認する手筈だが、彼は動けない。
動けるわけがない。
葵自身も衝撃と悲しみで身体が動かなかった。
ただ膝を折らないのだけで精一杯だった。
ありがとうございました。
年内中にゴールを目指します。




