110話 葵 紫 すず
銀の背に乗って、川沿いに南下していく。
市街のあちこちには、緑が増えつつあった。
だから遠望していると、天と地は澄み渡るように青く見える。
「わーい」
腰に腕を回して背中にくっついているソーニャが言った。
上空には、ソーニャを追ってきたオド達が飛び回っている。
「葵ちゃん。
このあたりです」
ソーニャのさらに後ろから、月子の声が響いた。
「銀。
ちょっと止まって」
伝えると、銀が徐々に速度を落として停止する。
月子が颯爽と銀の背から飛び降り、
リュックからタブレット端末を出した。
「えーっと・・・ああ。ここかぁ」
月子はタブレットを掲げると、
内臓カメラで周囲一辺をぐるりと撮影する。
カメラがこちらを向いたので、ソーニャと葵はピースサインをした。
撮ったものはリアルタイムで、
キーラの『賢者の真心の王国』へ送られる仕組みだ。
「2人とも、真面目にやってよ」
通信用イヤーカフからキーラのため息が聞こえた。
「はいはい、ちゃんとしてるってば。
あそこにある2台は、どうする? 」
葵が道路の縁にある2台の車を指さす。
すかさず月子がそれをタブレットで撮影する。
「外敵が隠れる場所にもなるから、
できるだけきれいにしておきたいね」
キーラの返事が聞こえる。
「はーい。わかりましたー」
月子がタブレットのカメラに向かって、コミカルに敬礼をする。
それを尻目に、汗ばんだ手で地図を開いた。
現在の行程は、3分の1といったところか。
後ろから追いかけてきていた三毛虎が合流した。
<葵さまっ。
お弁当です>
三毛が小包を3つ渡してくれる。
中身は確か、伊都子の手作り弁当だったはずだ。
「ありがと。伊都子さん達は?」
<まだ後ろです。
あの鉄の箱に手間取っております>
「大丈夫なの?
外敵は?」
<いないにゃ。
来たとしても、あの銃とかいうやつでイチコロにゃ>
「そうかもしれないけど、万が一があるんだから、
油断しないように」
人差し指を立てた葵に<わかりました!>
敬礼をすると、2匹は来た道を引き返していった。
月子が太陽に手をかざして、眩しそうに空を仰いでいる。
「今日は暑いね」この日差しは初夏を彷彿とさせる。
月子が跳び上がると、銀に跨った。さすがの運動神経だ。
キーラの義手のおかげで、身体のバランスが完全に戻ったらしい。
白かったオーラも、今は水のように透き通った綺麗な色をしている。
「出発!」ソーニャの掛け声で銀が走り出した。
葵の言うことすら利かないことがある銀が、
ソーニャの声に従うのは何だか癪だ。
そういえば最初から銀はソーニャに優しかった気がする。
「うーん。この」この狼はどういう基準で動いているのだろうか。
「葵ちゃん」
背中越しの月子から声をかけられて我に返る。
「うん」
「空いている・・・選んだら・・・」
風切音がうるさくて、うまく聞き取れない。
「んーっ? 何だってー?」
間に挟まったソーニャを押し潰すように月子がくっつくと、
葵の肩に顎を置いた。挟まれたソーニャは本当に嬉しそうで、
きゃっきゃっと声を出して笑っている。
「空いている、道を、選んだらさ」
彼女の前髪が耳に当たってくすぐったい。
「うん」
「もっとっ、早くっ、終わらないかなっ?」
「うーんっ・・・でもっ、キーラが、だめってっ、
言うかもよ?」
そこで耐えられなくなったのか、ソーニャが大声で笑い始めた。
銀の背に揺られながら葵と月子もつられて笑った。
<にぎやかな娘たちだな>
少しスピードを落とした銀が呟く。
「ふふっ。そーだね」
ソーニャがばんばんと背中を叩いてくる。
「ソーニャもしゃべるー!」
「いいよ」
顔半分振り返ると、上目遣いになっているソーニャと目が合う。
「ソーニャは、最近っ、お利口だね」
「うん! お利口だよー!」
「もう少しっ、したらっ、お弁当食べようねっ」
「やったー! 月子―。お弁当だって!!」
2人の笑い声が聞こえたので、首をひねって後ろを見てみたら、
ソーニャが月子の手にキスをしていた。
月子の前髪が風で浮かんでいて、幸せそうな笑顔がよく見える。
出会った頃の月子は暗かったので、本当に良かったと思う。
オドが走行する銀の両脇を飛びぬけて、大空に羽ばたいていく。
葵達はまるで、銀の背に乗って星空の間を走っているみたいだった。
「ふふっ」面白くなって、こっそりと銀に指信号を送った。
建物の屋根へ飛べ。
銀は加速すると、強靭な脚力で跳ねあがった。
「き、きゃあああああっ!!」
「うきゃあああー!」
突然の出来事に、月子とソーニャが悲鳴を上げる。
飛び跳ねる銀の背中は、さながらジェットコースターのようだ。
葵は慣れているが、初見の彼女達はかなり驚いたことだろう。
「いやっほー」
空中で一回転すると、逆さまになった風景の下に、
煌めく川のようなオドの流れがあった。
景色を軽々と飛び越えて、銀は民家の屋根に降り立つ。
もっと速く駆けて、次の屋根へ行け。
「ぎゃああああ!!」
月子とソーニャがしがみついてくる。
「たははっ」銀は屋根から屋根へ飛び続ける。
どんどん高度が高くなり、近くでは一番高いところへ上がった。
「楽しかったー!」
満足げな葵の後ろで、
「び、びびびびっくりした・・・」
月子はまだ放心状態でじっとしがみついている。
クールで憂いを持っている印象しかなかった月子が、
目に涙を浮べているのは、とても可笑しかった。
「ごめーん。
楽しくなっちゃって」
「え・・・今の、葵ちゃんがやったの・・・?」
月子が唖然とした表情でこちらを見ているので、
「そうそう」破顔で答える。
「もうっ」背中を叩かれる。
剣術家として鍛えてきた彼女の力はすこぶる強い。
「ごめんごめん・・・いたいいたい・・・。
ちょ・・・ほんとにいたい」
みんなで腹ばいになった銀の背から降りていく。
「ここでお弁当食べようかなって思って」
周囲を見渡した月子が「え・・・ここで?」狼狽える。
「屋根の上でお弁当を食べるのは初めて?」
「う、うん」
「えー月子さんってば遅れてるね」
「そ、そうなの?!」
「ソーニャはあるよねー?」
いたずらっぽい顔で「あるあるー」とソーニャ。
「そうなんだ・・・。
屋根の上でお弁当食べるのって、常識なんだ・・・」
真面目な顔で頷く月子に「うっそー」笑うと、
思い切り体当たりされた。
落ちる落ちる、そんなに強くぶつかったら屋根から落ちる。
一列に座り、お弁当を開けた。
「うわーっ」「おいしそー!!」
唐揚げやタコさんウィンナー、エビフライ、卵焼きはもちろん、
ソーニャの育てた新鮮な野菜もたくさん入っている。
「あら・・・でも、お米がないわね」
「はっ・・・本当だ」
「ソーニャお米が食べたいー」
「あ。
私あるかも」
月子が腰に下げている巾着に手を当てた。
「それ、いつも下げてるけど、何かなって思ってた」
「うん。
おばあちゃんにもらったの」
巾着の中には、
竹の皮に収められた3つのおむすびが入っていた。
「わーいっ!」喜んでソーニャが食べ始める。
「葵ちゃんも、どうぞ」
「ありがとうございます」
月子のおむすびは、塩加減が絶妙でおいしかった。
「すんごくおいしいっ」
「そう? よかった・・・」
ソーニャに麦茶を飲ませている途中、
月子が遠くをじっと見つめているのに気付く。
「どうしたんですか?」
「ううん。ただ、今日のためだったんだなーって。
おばあちゃんのおむすび」
月子が掲げたおむすびを見て笑んだ。
「ふふ。そうかも。
おっちょこちょいな私達のためね」
伝えると、月子が眉尻を下げてにっこりとした。
「このおむすびってね・・・」
月子は竹の葉を丁寧に畳むと、巾着に入れた。
そして、しばらくしてからまた巾着を取り出すと、
そこからまたおむすびが出てきた。まるでマジックのようだ。
「食べても減らないの」
葵はまた月子から1つ受け取った。
今度のおむすびは握ったばかりのように熱々である。
「すごい」
「うん。
だから、ずっとおかわり自由」
葵は目を見開いた。
「これ、食料問題解決なんじゃあ・・・」
月子が目をぎゅっと閉めて、両手を合わせた。
「ごめんね!
ずっと言い出せなかったの。
なんだか変に思われそうで」
「そ、それは・・・確かになぁ・・・」
でも、紫とソーニャならすぐに食べそうだなとも思う。
「ちょこちょこ食べて試してたんだけど、
大丈夫だったから、みんなにあげようって」
「月子ー。ちょーだい」
ソーニャが月子の手にまだのっているおむすびにむしゃぶりついた。
「ソーニャったら」
注意しようとすると、月子に笑顔で止められた。
そうだね、今日くらいはいいよね。
幸せそうに咀嚼するソーニャを、月子と葵はのんびりと見ていた。
食事を終えた時、いきなり月子が膝をついて姿勢を正した。
視線は葵の隣に座っている銀に注がれている。
「月子さんってば、どうしたの?」
「私、銀さんに助けられたことがあって」
「へ?」
銀が口を裂くように開いた。
<おまえと会う前のことだ。
死にかけていたから、喰ってやろうと思ったんだが、
抵抗されたので放っておいた>
「そんなことがあったんだ・・・」
水の入ったペットボトルの中身が揺れている。
緊張が伝わってきた。
「あの時は、ありがとうございました」
頭を下げた月子から、銀はそっぽを向いた。
<どうでもいいことだな>
葵はため息をついた。
『目』で彼を見ると、案の定嘘をついていた。
銀は月子を救うべくして救ったのだ。
まったく、素直じゃないなこの狼は。
「ふーん・・・」
葵は心配そうな顔をしている月子に向き直った。
「銀ってば、気にするなって。
また何かあった時は、助けてくれるって」
葵にはわかる。きっとこれが銀の本心だ。
「そっか」
眉をへの字にしていた月子だったが、
葵の言を聞くとほっと息を吐き出した。
<そんなことは言っていない>
言った銀の口を、葵は思い切り引っ張った。
「ソーニャねー。
ずっと月子とピクニックしたかったの」
右から左に流れる雲を見ていると、ソーニャが呟いた。
「そうだったの?」
月子の肩に、ソーニャが寄りかかる。
葵はわずかに身を引いて、絵画のように美しい2人の姿を見た。
背景にはオドの群れが流れている。綺麗な光景を目に焼き付けた。
「うん。
みんなで、お弁当食べたかったの。
あ!! 鳥さんが飛んでるよー」
ソーニャが彼方を飛んでいる鳥を指さす。
「高くまで上手に飛んでるね」
「ほんとうねー」
光を浴びて、虹色に光る鳥が飛んでいく。
◇
放置された車に乗り込んで、サイドブレーキを解除した。
自衛隊の高機動車を拡張して、
装備品やスカー用のベッドを乗せられるように改造した、
名付けて『ジャパニーズハンヴィー100式』の車体に目を向ける。
「伊都子ちゃんいいぞー」
合図を送ると、運転席乗った伊都子が手を挙げた。
「はーい!」
彼女の元気な声が聞こえてくる。
伊都子がゆっくりとけん引していくのに合わせて、
紫は少しずつハンドルを切って、放置された車を道の端に寄せていく。
「OK。ストップっ!」
「はーい」
すでに数十台以上の車を移動させてきたので、
伊都子との息はぴったり合っている。
しっかりサイドブレーキを引いてから、車を降りる。
ハンヴィーの方を見ると、伊都子がサンルーフから
キーラお手製のライフルを構えて周囲を見張っていた。
この一定の手続きは、紫が教えたことだが、
伊都子は堅実に守ってくれている。
専門家として思うことは、
『彼女はこういうことにかなり向いている』ということだ。
紫は6件分離れた場所にある道路標識を指さした。
「伊都子ちゃん。
あそこ、狙ってみて」
「・・・はい」
望遠鏡を覗きながら待っていると、
数秒後には標識に小さな穴が開く。
「もう一度」
言うと、今度は標識の真ん中が射貫かれた。
瞬時に射弾の修正ができるのは、センスの良い証拠だ。
「いいね。
狙うまでの時間も短くなってきた」
「そうですか?」
「うん」
紫もライフルを構えて、同じ標識を狙って打つ。
この銃は反動が少なく、連射してもぶれにくい。
5発撃ち込み、『ジャパニーズハンヴィー100式』に乗り込むと、
助手席のキーラが迎えてくれた。
「撃ち心地は?」
訊かれた紫はウィンクをする。
「イイ感じだな」
銃を掲げてみせると、
キーラは眩しい物でも見たように顔をしかめた。
「・・・どこか変えて欲しいところはある?」
質問の答えを考えてみる。
「特にないな。もしこれが現実にあったなら、
AKみたいに世界中で使われただろう。
それくらい、すごい銃だ」
この銃は、伊都子のような女性でも軽くて扱いやすい、
まさに完璧な銃といっても過言ではなかった。
「僕は戦争の片棒を担いでいたかもしれないのか」
表情に深刻な葛藤を浮かべた肩を、紫は強く掴む。
「使われると分かっていたら、お前は作らない」
真剣に言うと、彼は目を閉じて顎を引いた。
ため息交じりに「当たり前でしょ」
「2人ともー。
何の話ですか?」
バックミラーを見ると、後部座席に降りて来た伊都子が映った。
「いや、作業はどのくらい進んだかなってさ」
話題を変えた紫にキーラがうなずく。
「予定の場所まで着いてる。葵達の方も順調。
見落としがなかったら、夕方前には終わるよ」
作業内容も、作戦も、何もかも彼の頭の中にある。
「よし。
それなら、一旦飯食うか」
「そうしましょう。ベル。
虎ちゃんと三毛ちゃん呼んできて」
伊都子が言うと、肩に乗っていたベルが外へ飛んでいった。
「お弁当の中身は何かなぁ?
楽しみだなぁ!」
「サキ、伊都子と一緒に作ったんだから、
中身知ってるでしょ」
キーラの意見に、左右に首を振って見せる。
「おまえ、キーラ。
わかってねぇなぁ」
キーラの首に腕を回すと、ぐいっと引き寄せた。
「な、なんだよ?」
「あのな・・・」伊都子に聞こえない声でそっと耳打ちする。
「伊都子ちゃんを喜ばせるために盛り上げてんだよ。
お子ちゃまはこれだから」
「はぁ。そんなことで喜ぶ人がいるの?」
「わかってねぇなぁ、おまえはっ」
背後にいる伊都子を2人で振り返る。
彼女は嬉しそうに弁当を開けている最中だった。
「ほれみろ」
「お弁当が食べられるから喜んでいるだけだよ」
紫は盛大にため息をついて見せた。
「キーラは賢いけど、馬鹿だなぁ」
「賢いけど馬鹿って、わけわかんないよ」
首を振ったキーラを見て一笑する。
「おまえ・・・月子ちゃんのこと考えてただろ?」
紫が言うと、少年が怒ったように目を細める。
「月子がどうしたんだよ?」
ふくれっ面が可愛らしい。
「キーラ坊やは、月子が好きなんだろ?」
「はぁ?! ち、違うしっ!!」
「良い趣味してるぜ、美少年。
だけどあの子は、もっとストレートにだな」
「しらないよっ」キーラが両手で紫の肩を押す。
「だはは」
「あらあら、2人とも仲良しねぇ」
伊都子がお弁当を差し出してくる。
「おう。
伊都子ちゃんさんきゅー」
「何の話をしてるの?」
「おお、キーラがさぁ・・・」
「言うな言うなぁ!!」
顔を真っ赤にしたキーラが声を上げて紫の口を塞いだ。
少しからかい過ぎたようだ。
「まぁ、なんかあったら相談乗るからさ」
「そんなのいらないよ!」
そこにベルと三毛虎が帰ってくる。
急に賑やかになった車内で「頂きまーす」
◇
太陽が傾き始めた頃、悲鳴を聞いた。
声には、何かを呪うような怒りがたくさん込められている。
それは、自分ではどうしようもない時に、
周りに当たることでしか発散できない人が出す声だった。
一瞬だけ、平野の顔を思い出す。
腫瘍持ちになる前、彼女はこんな声を出していた。
悲鳴にはリズムがあり、そのおかげで声の主が
勢いよく何かを叩いているのがわかった。
狼狽えつつも周囲を見る。
みんな学校から出払っていて、頼りになる大人はいない。
悲鳴が景色と音を狭めるのを感じながら、声の出所へ歩いた。
スカーと清十郎が過ごしているテントが見えた。
テントの下には、ソーニャが敷いた柔らかい芝生がある。
その上で、2人は取っ組み合いをしていた。
よく見ると、スカーが一方的に清十郎に手をあげているようだった。
清十郎の肩や胸に、スカーの拳が何度もぶつかる。
その度に、聞きたくもないような言葉が吐き出されていた。
怖い。
血液が逆流して、膝ががたがたと震え始める。
こんな時、すんなり動ける強さが、すずにはない。
葵だったらと、想像せずにはいられない。
たとえ怖かろうが、無様な結果になろうが、あの子だったら迷わず動く。
要領よく動くこと、失敗をしないことがすずにとっての強さだった。
だが、本当の強さとは、あの子みたいに。
スカーがぐったりとして、その場に座り込んだ。
すずはようやく2人に近づくと、おずおずと声をかけた。
「あの」
「・・・君か」
清十郎の顔は土器色で、本当に疲れ切っているようだった。
何か手伝えることはないか、2人を見比べた時、血の匂いがした。
目立った外傷はないので、おそらく経血だと目星をつける。
「あ、阿多さん。
ちょっと待っていて下さい」
すずは走り出した。
自室として使っている調理室からバッグをひったくると、
テントにとんぼ返りする。
「はぁーー・・・ぜぇーーー・・・」
荒い息を吐きながら、スカーの前に膝をつく。
「す、スカウトさん・・・生理ですよね?」
汗でべたついた前髪の間から見える、彼女の青い瞳。
うつろな目には、真っ暗な悲しみがあった。
「生理?」背後から清十郎の声がした。
声に反応して、スカーの眉が寄る。
すずは、スカーの刺激になっているのは清十郎だと気付いた。
バッグからバスタオルを出すと、清十郎に押し付ける。
「阿多さん。
お湯を沸かして、十分に絞って来て下さい」
「あ、ああ・・・」
清十郎が離れて行くと、スカーにあった刺々さが薄らいだ。
ほっと息を吐きながら、彼女のジャージを脱がしていった。
ジャージと下着は、案の定経血でひどく汚れていた。
「生理って、イライラしますよね」
スカーとは話したことはない。
緊張しながらも、なるべく軽い調子で言ってみた。
すると、スカーの頬から涙が流れ落ちていく。
「汚いわよ・・・あたし」
すずは思わず彼女の手を握っていた。
「大丈夫ですよ」
スカーが辛そうに瞬きしてから、
「汚い、女、なの・・・あたし」おでこに爪を立てて声を出す。
汚い女という言葉が、今の状態を表しているだけではないと
すずは感じた。
「痛いですか?」
「いたい・・・」
スカーの体を抱きしめた。細くて小さな身体だった。
「汚れるって」
スカーがこちらに気を遣うが、すずは嫌ではなかった。
むしろこうできたことが誇らしい。
こころの中で平野に礼を言った。
ごめんなさい。ありがとう。
「私。
こんなことしか、できませんから」
スカーの手がすず体に回されると、彼女の涙が本格的になった。
「つらいの・・・とっても」
聞く人のこころが切れるような声だった。
お湯をバケツに入れた清十郎が戻って来たので、
それを使って丁寧にスカーの体を拭いてやる。
「もう、死んじゃいたい」
スカーはもう長い間眠っていない。
彼女の辛さは、すずの想像を絶するだろう。
「イライラするの。全部。何もかも。
したくもないのに」
「・・・はい」
彼女の汗を拭うことしかできない自分にイライラする。
それが頂点に達し、何かが堰を切りそうになった瞬間、
「でも、あんたの手は気持ちがいい」
すずは手を止めた。
何か温かいものが胸中に生じて、少しだけ涙が零れた。
「ありがとな。すず。
・・・もう少し、頑張るから」
こんな自分の名前を、スカーは覚えていてくれたのか。
すずは握り締めた拳の内部で、自分の鼓動を聞いた。
どくん。どくん。
すずは、ついさっき自分が始まったばかりだと思った。
「ついでにさ、この髪の毛も・・・どうにかしてくれる?」
だから「はい」元気よく返事ができる。
ありがとうございました。
次話は明日更新いたします。




