105話 すず
キーラに叩き起こされて目を覚ます。
「荷物を全部技術室に移して」
言った当人は、椅子に座って本を読み始めた。
すずは顔も洗わぬうちから、荷物を移す作業をさせられている。
たくさんのがらくたを段ボールに詰めると、ただひたすらに運んだ。
「重っ・・・」
作業用テーブルの上に置くと、
「もっと丁寧に置いて」と注意された。
「仕方ないでしょう?
すごく重いんだから」
「でも、大事な資材なんだ」
「こんながらくたが大事なものなの?」
すずは両手を腰にあてると、ため息をついた。
「すずが昨日浴びたシャワーのお湯も、
夜に足元を照らしてくれた灯りも、そのガラクタから作ったんだよ」
すずは二の句がつけなくなって、次の荷物を運ぶために部屋を出た。
「なんなの・・・っ」
誰にも聞こえないように、すずは悪態をついた。
自分は一体何をしているのだろう。
世界が転変するまでは、すずは自由自在だったはずだ。
クラスメイトも、先生も、親でさえ、
すずを尊重して最優先にしてくれた。
それは、すずが素晴らしい人間だからだと思っていた。
要領も頭も、美しさも、何もかも自分が優れているからだと。
「ただの・・・ガラクタでしょ」
しかし、此処では、
自分の存在がほんの小さなものだと実感せざるを得ない。
食べ物も、飲み物も、服も、生活するほとんどすべてのものを、
すずはみんなに頼って生きている。
だから何かを手伝おう、と思っても大して役に立てない。
「ただの・・・子どものくせにっ」
それなら、キーラやソーニャのような幼い子どもにとっての、
姉的な役割を演じてみようか、すずは思った。
子どもの相手など退屈だが、
うまくいけば此処ですずの立場が確立できる、はずだった。
しかし、キーラやソーニャのこころには、
既に葵という大きな存在があった。
葵は、キーラやソーニャにとってだけではなく、
此処にいるすべての人達にとって、大切な存在だった。
「・・・なんで、こんな・・・」
人を観察するのが得意なすずは、早い段階で
彼らのこころに入り込める隙間がないことに気付かされた。
紫や伊都子は優しくしてくれたが、
すずはそれを憐れみのように感じてしまって素直になれない。
憐れみなんて、絶対にもらいたくはなかった。
自分はこれまで自分の力だけで、何もかも得てきた。
それなのに、どんな風に振る舞っても、誰も靡いてはくれない。
キーラみたいな幼い子どもの手伝いなど、本当はしたくない。
彼は素っ気ないし、遠慮もないし、人使いも荒い。
だが、そこしか自分の居場所がないことも事実だった。
葵ちゃんだったら。
葵は。
どうしているかな。
どうせ大声で。
あの子は。
きっと帰ってくる。
まるでみんなが、葵のことを口にする機会を待っているかのようだった。
すずの前ではほとんど感情的な話をしないキーラですら、
葵を思っているような所作をする。
それがすずにはとてつもなく悔しい。
自分の方が、ずっと優れていたのに。
あの子の方が、ずっとつまらない子だったのに。
「私が、助けてあげたのよ・・・・。
『ゴミのよう』だったあの子を」
ガラクタを拾い集めて視線を上げると、本を抱えたキーラが立っていた。
しまった、聞かれたか。
すずはすかさず頬を引き上げて笑顔を作ったが
彼は誤魔化されなかった。
「今の・・・葵のことだよね?」
「違うけど」
図星を指されて、頭が沸騰しそうだった。
「すずは、本当に葵の友達なの?」
どう答えるべきか迷っていると、キーラが眉を寄せた。
「ごめんね。
どうでもいいことを訊いて」
「ど、どうでもいいって・・・」
キーラの物言いが、すずを絶望の淵へ叩き落とす。
彼はすずのことなど、本当にどうでもいいと思っている。
それなのに訊いたのは、葵が心配だからだ。
「・・・っ」
すずを見向きもしないキーラが、切なくなるほど葵を必要としている。
とんでもない差がひらいてしまった、と思った。
すずは彼に背を向けると、静かに涙を流した。
悔し涙だった。
◇
作業台の上に座って本を読んでいるキーラへ視線をそそぐ。
「こんなにがらくた。
いえ、材料を集めて・・・何を作るの?」
問うと、キーラが黒い本から少しだけ視線を上げる。
「今はオーダー待ち」
「作るものが決まってないのに、こんなに集めたの?」
彼は光のメモを宙に浮かび上がらせた。
最初は驚いたが、彼には特殊な力があるのだ。
「そう。
でも大体決まっている」
キーラがメモのひとつをこちらに見せた。
ロシア語アルファベットなので、何一つすずには読めない。
わざとやっているのだろうか、この少年は。
「ああ、そう」
そう返事するのが精いっぱいのすずから、
キーラはすんなり視線を逸らした。
プライドをガタガタにされたすずは黙り、
言われた通りに、電線コードから銅線を引き抜く作業を続けた。
ペンチを握る手に握力が無くなってきた頃、伊都子がやってきた。
「おつかれさま」
「伊都子。どうしたの?」
キーラが立ち上がり、彼女の元へ向かう。
伊都子は彼の頭を撫でると(!)、
もうすぐ昼だから、食事の準備を手伝って欲しいという。
「僕はまだやることがある」
すずの方もまだやることがある、と言いたいところだったが、
キーラにしてみれば、すずの仕事など誰でもできることなのだろう、
「手伝いに行って」と言われてしまう。
ため息をつきながら伊都子について行くと、
「今日は気分を変えて、外で食べようと思って」
こちらの表情が暗いのを察してか、彼女は明るく言った。
正門側の玄関から外に出ると、テーブルやら鍋やらが並べてある一角で、
紫が忙しそうに動き回っていた。
「おう。来たか」
返事をしないでいると、対角線上で伊都子と紫が視線を交わす。
彼は肩を竦めるだけで何も言ってこなかった。
くそ。
何で私が腫れもの扱いされなきゃいけないんだ。
不思議な力を持つキーラやソーニャ、結希や月子は
仕方がないかもしれないが、すずはせめて力をもたない
この2人だけには下に見られたくなかった。
そう思うえば思うほど、すずはどんどん殻に閉じこもっていってしまう。
以前の自分は、こんな人間ではなかった。
食卓にはカレーが準備された。
準備が整った頃、結希と月子が帰ってきた。
2人は頭から水をかぶったみたいに、全身ずぶ濡れだった。
伊都子が急いでバスタオルを2枚持って来た。
「2人とも、何でずぶ濡れなの?」
問いに結希と月子が面白そうに顔を見合わせた。
「全部月子さんのせいなんですよー」
結希が太陽の下が似合う笑顔を浮かべた。
「えぇ・・・私?」
「珍しいですねー。月子さんが迷惑をかけるなんて。
いつもはかけられる側なのに」
伊都子が月子をからかって笑った。
まさに蚊帳の外となったすずは、
テーブルの隅でみんなのやりとりを見ていた。
「で、どういうことなんだよ?」
「あーそれはですね・・・」
結希がテーブルについた時、キーラがやってきた。
「なんで外?
てか、なんで結希と月子は濡れているの?」
キーラはすずには一度も見せなかった、彩ある表情で結希の隣に座る。
すずのこころに、返しのついた針が突き刺さる。
ことの経緯を結希と月子が代わる代わる説明していると、
ソーニャがやってきた。
彼女は駆け出して、最後に結希の背中に思い切りぶつかった。
「どわっ。びっくりした」
「えへへ。
結希―。おかえりー」
みんなの顔が結希に向いている。
それは彼が此処の中心人物なのだということを、如実に表している。
すずは明るくなっていく場を直視できなくなり、とうとう下を向いた。
みんなが食事を始める。
中心にいる結希は楽しそうだが、水面下には憂いがある。
その憂いこそが、すずの喉元を圧迫する原因だ。
彼は、見ているこちらが熱を帯びるほどに、
葵のことを案じている。
誰もがそれに気付いており、彼を勇気づけることをやめない。
みんなが真心を持っている。
以前の世界には、こんな場所はなかった。
すずは絶望した。
ずっと孤独にいじめられていた葵の絶望は、
今のすずの絶望と同じ形をしているかもしれなかった。
何も思うようにならない。
何の願いもかなわない。
ただ孤独で、ただ否定され続けて。
ああ、あの子はこんなに辛かった。
それなのに私はあの子を見下して、おもちゃのように扱った。
いや。
自分と葵では、比べ物にならない。
あの子は、伊都子や紫のように優しい大人が周囲に1人でも
いたなら、きっと仲良くしたはずだ。
すずは今、それすら素直にできないでいる。
ちくしょう。
自分は見下してきた人達以上に、未熟で小さな存在だった。
「う・・・」
みんなの姿が歪んで見えなくなる。
鼻と目が熱くて、上を向いていられない。
「うう・・・・ううう・・・」
誰にも見られたくなくて、すずは顔を両手で覆った。
肩の上下と、嗚咽が止まらない。
「どうしたの?」
すずの肩に触れたのは、小さい手だった。
思わず顔を上げると、キーラの顔があった。
「すず、大丈夫?」
あまりにこころが苦しくて、何も答えられなかった。
「ごめん。
僕があんなことを言ったからでしょう?」
すずはただ首を振った。
心配そうにやってきた伊都子が、すずの隣に膝をつく。
「あんなことって、何だったの?」
「うん。
俺が悪いんだ・・・」
2人の会話に、すずは頭を激しく振った。
「ちがう。
キーラくんはっ・・・悪くない。
全部、私が悪いっ」
全身を嗚咽で揺らしながら、すずは言った。
ひたすら自分を罰したい気分だった。
すると、
「全部あなたが悪いなんて、そんなことない」
伊都子の優しい口吻に、すずは強烈に感情を揺さぶられた。
本格的に泣き始めたすずを、優しく抱いてくれる。
「うあああああん」
こんな情けない声で、自分が喚いている。
どこか他人事のように思った。
「うえええええん」
「よしよし。
大丈夫よ。・・・大丈夫」
伊都子が頭を撫でてくれる。そのせいで、もっと涙が出た。
自分がこころから願った言葉が―――
「葵に謝りたい」―――だったことが、どうしても信じられない。
要領を得ない言葉を発し続けるすずに、
キーラが寄り添い、伊都子が返事を続けてくれた。
「よしよし・・・大丈夫だよー・・・」
涙が止まるまでには、もうしばらくかかりそうだった。
ありがとうございました。
次話は明日更新をいたします。




