104話 葵
白猿が騒ぐと、どこからともなく猿達が出現した。
<やっかいだにゃあ>
「・・・ロックに似てる」
<そういえば、彼奴も増えていましたな>
猿はみるみる増えて、数えきれなくなっている。
「銀は白い子。
三毛と虎は黒い子と戦って」
言い終えると同時に、みんなが走り出した。
<うみゃあー!!>
三毛と虎が雑技団のように舞いながら、黒猿をせん滅していく。
銀は白猿2匹を相手にしても引けをとらず、
傷ついた方の白猿を執拗に狙っていく。
戦いは優勢のまま進んだ。
そしてとうとう、白猿の喉に銀の牙が突き刺さる。
喉は紙のごとく、びりびりと引き裂かれた。
空中で一回転した銀が、猿の脳天めがけて爪を振り下ろす。
とどめを刺すつもりだ。
「やめて」
思わず言った言葉が、銀の体が空中で停止させた。
その隙にもう一方の白猿が、番を抱え上げて退く。
銀が獲物を仕留めそこなった怒りを葵に向けた。
跳び上がって目前に着地すると、
鋼鉄さえもたやすく噛み切るだろう牙を、鼻先で交差させる。
がちん、と牙が打ち鳴らされた。
「ひ」
火花が散りそうな衝撃が額を掠め、
葵はたまらずのけぞり、しりもちをついた。
黒猿との戦いを終えた三毛虎が戻ってきたが、
歯茎をむき出しにしている銀に怯えて立ち止まる。
<ぎ、銀殿・・・>
おろおろする三毛へ銀が吠えた。
<だまれ。
喰い殺されたいか>
彼の声は葵の視界にハレーションを起こさせた。
「あ、あの・・・」
<なぜ邪魔をした>
銀の威嚇は、例えるなら底の見えない崖だった。
背後で白猿達が逃げていく。
しかし、銀はこちらから目を逸らさない。
<あの猿は番いの心臓を喰って強くなる。
おまえが愚図なせいで>
「で、でも、
夫婦だって聞いたから・・・」
銀は数歩踏み出すと、顔の真横に口をもってきた。
<夫婦だから、尊いと思ったのか>
「は、はい」
あまりにも恐ろしくて、涙が溢れてきた。
<おまえは、下僕となった猫や、私や若が殺されても、
夫婦だから尊いといって、敵を見過ごすつもりか>
「ち、ちがうっ」激しく首を振って否定した。
みんなが殺されてもいいわけじゃない。
むしろ、守りたいと思っている。
だが。
<では、どうする?>
「それは・・・」
はっきりしない葵に苛立っているのか、
銀の背に溜まった毛が逆立った。
<あの猿は私に番を殺された憎しみで、さらに凶暴になる。
契約を交わした私や猫に対してはっきりできぬおまえごときが、
一体どうするというのか?>
銀の目が窄まって、底の見えない洞のようになる。
<まだ、心臓を喰うまで時間があるな。
愚図なおまえに言っておく>
銀が一度口を閉じた。その間が永遠に感じられる。
<おまえのしたことで、みなが死ぬ>
息を呑んだ。
<若を殺しかけたあの連中にも事情がある。
おまえや私にあるように>
ダニエルと陽子、そしてロックを思い出す。
彼らにも、きっと事情がある。
<猿はおまえと違って、何が重要かわかっている>
葵は銀と、三毛、虎を順番に見る。
みんな、自分を守るために傷ついた。
<おまえは結局、若に守ってもらってばかり>
彼のいう通りだ。
いつも結希に守ってもらっていた。
<今のままでは、何もできずにみなが死ぬ。
お前のせいでな>
銀の正しさを前にして、葵は風前の灯となった。
<ぎ、銀殿>
銀の足元に三毛が跪いた。
<なんだ>
<私からも、一言よろしいでしょうか?>
<よい。
私はもう行く>
銀と虎が白猿を追っていくのを、三毛と葵は見送った。
静かになった地面を呆然と見つめていると、
<葵さまは迷っておられますよね>
三毛が言った。
葵は顔を上げて、顔のあちこちに傷をつけている彼を見た。
<あの『3人』はいつ自由になるかわからず、
クロエさまも、大切な方々も死んでしまった>
言葉にされることは、ひたすら辛いことだった。
三毛は足元を流れる砂埃を見つめてから、
<私も迷うことがありました>
少し迷った風に、ぎこちなく言った。
<葵さま。
猫族はみな、死を恐れません。
ですが、1つだけ恐れていることがあります>
戻ってきた彼の視線は、葵だけを見ている。
<それは、
自分の生に意味を見出せないまま死ぬことです>
「意味を見出す?」
三毛がぴんと耳を立てた。
<そうです。
私と虎にとって、生きる意味は、
葵さまに尽くすことです>
「私なんかを・・・」
跪いた三毛が、肉球を葵の手にのせてくれる。
<虎と私が勝手にそう思っているだけですから。
しかし、葵さまはどうですか?>
「わ、私?」
<そうです。
葵さまの、生きる意味とは>
「三毛が言うみたいに、
私だって・・・死ぬ前に後悔したくない」
<ふむ>
「私は選んでこなかった。何もしなかった。
それを本当に後悔してる。
お母さんにも、お父さんにも、すずちゃんにも」
<そうですか>
「だから、ちゃんと選ぼうって決めた。
だけど。
選んだことで、クロエさんは死んでしまった。
また選べなくなって・・・何も変わってなかったのね」
伊都子が言っていた。
クロエは自分の意志で、みんなを守る選択をしたと。
結果としてそれが自らの死に繋がったとしても、
最後の姿は満足そうだったと。
「ああっもう」
葵は目を閉じて、思いきり頬を叩いた。
痛みを感じなくなるまで、何度も何度も叩く。
<あ、葵さま・・・>
クロエが死んだことは、悲しい。
だが、今自分が立ち止まることは、
彼女の死を無駄にすることになっていまうのかもしれない。
「もうやめた! 私はやる!」
<ああおお。
やめるのですか、やるのですか・・・?>
「三毛」
彼の手をきつく握りしめた。
<はい>
「さっき、三毛と虎は私のために
死ぬのは怖くないって言ったよね?」
<ええ>
「私も、もう怖がらない」
先に進もう。
クロエの死に向かい合うことも、ロックと対峙することも、
まだ怖くて仕方ないけれど。
「それでも・・・」
友達になった人達を、絶対に失いたくないから。
葵は走り出した。
そして、すぐに割れた縁石に躓いて転んだ。
「ぎゃー。いでーっ」
なんとか両手を前に出して顔面を強打するのを免れたが、
掌がアスファルトに削られてずる剥けになった。
「いだーああああああい・・・うえええん」
<葵さまー。大丈夫ですか?>
追いついた三毛が慌てて傷をなめてくれる。
「三毛。
みんなどっちにいったのぉぉ?」
<葵さま、実は方向逆です>
おずおずと言った三毛の頬を両側から引っ張った。
「あんたねぇ・・・早く言いなさいよ!」
三毛についていきながら、クロエと出会った日を思い出す。
明らかに訳ありで、見ず知らずの自分に優しくしてくれた。
結希との間を取り持ってくれた。
そんなクロエに、いつか恩返しがしたいと思っていた。
「クロエさん。
ちゃんと決めて自分なりに生きるほど、後悔って増えていくのね」
あちらで再会出来たら、まずお礼が言いたい。
その時にちゃんと言える自分でいるために、今、できることをする。
◇
銀と虎は、広い国道の真ん中で、黒猿に囲まれていた。
葵と守りの要である三毛が不在だったこともあり、
2匹はいくつかの傷を負っていた。
「ごめん2人とも!!」
三毛と葵は身を低くして猿達の手をかいくぐり、
虎と銀の背に触れる。
<葵が戻ってきたにゃっ>
虎は笑顔だが、銀の方は眉を寄せて、憮然としていた。
狼の目を葵は見つめ返した。
三毛虎だけではない、銀もずっと自分を守ってくれていた。
「みんな。もう、大丈夫だよ」
言った瞬間、全員の体から湯気のようなオーラが噴出した。
あまりの目映さに、葵は手をかざした。
みんなの力が無尽蔵に増していく。
受けた傷すら塞がっていく。
銀が一瞬だけ、驚いたように目を見開いた。
<すごいにゃっ!>
<葵さま、すごい力です!!>
敵の集団に囲まれているにも関わらず、
三毛虎がはしゃいで葵に飛びついてきた。
彼らの尻尾は2本に増え、身体も一回り大きくなったように見える。
「良かった。
みんないけそう?」
<いけるにゃあ!
葵がいたら100匹力にゃあ!!>
従者達は今までの苦戦が嘘のように、黒猿達を蹴散らしていった。
このまま戦いが終わるかと思われたその時、白猿が姿を現した。
彼は口から涎を垂らして、いかにも苦しそうにしていた。
「なんだか辛そう」
<辛いのではない。怒っている>
「そう。
やるしかないってことね」
<わかっているのか?>
「うん」
毅然と言うつもりが、語尾が震えてしまった。
しかし銀は少し満足そうに葵の頬を舐めてくれる。
「銀」
<しっかりやれ>
「うん!」
銀が白猿へ向けて歩を進め、三毛と虎がついていく。
白猿と銀の間に機先が訪れた瞬間、
「いけ。戦え」3匹が駆ける。
たくさん助けてもらう分、気持ちだけでもついていきたくて、
葵も前へ踏み出した。
「三毛、虎、もっと速くっ」
<はいっ><うみゃあ>
「銀。もっと強くっ!」
しかし、銀に命令した時だけ、肩に齧りつくような痛みが走る。
銀のいけにえの身でありながら、
彼に命令をするという矛盾から生まれる痛み。
両親の離婚、いじめ、自分の感情を殺し続けた日々。
今までたくさんの矛盾を抱えて生きてきた。
そんな自分と決別するために、
今更、そんな痛みにやられるわけにはいかない。
「虎ぁ!」
虎が槍を投擲する。
槍は白猿の背中に刺さり、胸部から先端をのぞかせた。
ほぼ同時に、銀が首に喰らいつく。
銀がこちらを一瞥する。
<葵さま><葵>心配そうに言う三毛虎。
しかし、「やって」葵は躊躇しなかった。
音を立てて血が吹き出し、その溜まりに白猿が倒れる。
やがて彼は小さく痙攣したのち、光とともに消えていった。
<お、おお!>
<葵やったにゃあ!>
「お、おわった・・・」
葵は車道の真ん中で、仰向けに倒れた。
三毛と虎もさすがに疲れた様子で、地面にへたり込んだ。
「つ、疲れた・・・いたい・・・いたい・・・つかれた」
三毛に言われて上着を脱ぐと、シャツに血がべったりついていた。
「あーあ。
気に入っていたのに、もう着られない」
<どこかで調達しましょう>
三毛と虎に介抱されながら、大きなため息をつく。
静かにたたずんでいる銀を見る。
葵は少しだけ、銀がまた口をきかなくなるのではないかと不安になった。
「えーと、銀?」
<なんだ>
あっけなく返事が返ってきたので、胸を撫で下ろす。
「ああ~よかった」
<何がだ>
「ううん。
あの子は、選んだんだよね」
銀が口の端を引いた。
<猿は背の高い森を支配する一族だ。
気位だけはあるのさ>
「死ぬより気位が大切だったのかな」
銀がこれ見よがしにため息をついた。
<猫共に聞いてみよ>
そうだ。
三毛は、死よりも怖いものがあると言っていた。
<みな、死にざま生きざまに、芯がいるのさ>
「銀って、よくしゃべるんだね」
<森に棲むもの達と、よく話していた。
私の血肉になりたいと、身を捧げるものも多かったから>
「自分から食べられに来る子がいたの?」
銀が喉を鳴らした。
<何事も成さずに、死ぬ方が怖いのさ>
「わからない」葵は頭を振ってから、
「銀に食べられるのが、何かを成すことになるの?」
と訊いてみる。
<私にもわからん。
だが、そいつらはそう思ったのだ>
ああそうか、と納得した。
何事を成すかも、成す内容も個人が思うそれぞれで良いのだ。
<おまえは、どうする?>
葵はため息をついて、銀の尾を掴んだ。
「またその意地悪な言い方するの?」
銀は大きなあくびをして目を閉じる。
「私は。
みんなと生き残る方を選ぶから」
従者達とそれぞれ目を合わせる。
「てゆーか、あんたら。
このまま全部終わるまで、こき使ってやるからなっ」
銀が目を細めた。
<それでいい>
銀が裂けるように大口を開けると、葵の顔を咥えた。
「わ」
すると、肩の痛みが引いて、
あとはじんわりと暖かい感覚だけになる。
「え・・・痛くない」
<印は残るが、もう痛みはない。
おまえはもう私の餌ではないからな>
葵は呆気にとられた。
「そんなに、簡単に、消せるの?
え?
もっと早く消してくれればよかったのに!」
銀の背を何度も叩きながら叫んだが、彼はどこ吹く風だ。
<おまえが小娘のままだったら、そのままだった>
銀が笑う。
「た、試したってこと?!」
<葵さま・・・銀殿は、葵さまの成長を信じていたのです>
「ぐ、ぐぬぬぬっ・・・。
くそぉー・・・なんにも言い返せない・・・」
<葵が悪いにゃ>
「うおあ! 虎はうるさいっ。
てかあんたら、わかってたのに黙ってたんだろ!?」
葵は銀から虎へと矛先を変える。
顔を鷲掴みにしてもみくちゃにしてやる。
<に、にゃ~ん。葵がわるいにゃ~>
「まだいうか」
今日はよく晴れている。
<ああ~虎が余計なこと言うから・・・>
「うるさい。三毛もうるさいっ」
最近はずっと、晴れているのが嫌だった。
<おまえは、やはり小娘だったか>
「うるさい。
銀はもっと早くしゃべればか!!」
でも今は晴れてくれてよかったと思っている。
ありがとうございました。
次話は来週末に更新を致します。




