102話 葵
猿達は五月雨式の襲撃を仕掛けてきた。
主導権を握られている分、こちらの疲弊は免れなかった。
幾度かの迎撃のあと、猿達の襲撃がようやく収まり、
やっと一息入れることができる。
銀の背にもたれて休んでいると、三毛虎が偵察から帰ってきた。
「どうだった?」
<やはり、完全に囲まれています。
包囲網は少しずつ狭まってきています>
<こっそりと何匹か殺したけど、
代わりのやつがすぐに来たにゃ。あいつら頭良いにゃ>
「そう・・・ありがとね」
偵察を終えた2匹を抱き寄せて労った。
<疲れたにゃむ~>虎が甘えるように目を閉じた。
<弱音を吐くな。
葵さまの方がお辛いのだぞ>
<三毛はうっさいにゃむ~>
眉間を寄せた三毛ともども、満足するまで頭をぐりぐりしてやる。
「帰るには、全部倒さないと駄目?」
<そうだにゃ><そうですね>
「はぁ・・・やっかいな相手に絡まれたわね」
2匹の言に落胆した葵は、
「でも、どうしたらいいんだろ。
あのお猿はすごく強いし・・・」
銀に視線を送るが何のリアクションもくれなかった。
「うーん」
頭を抱えていると<まぁまぁ、これでも食えにゃ>と
虎がペットボトルとドライフルーツを渡してくれた。
「ありがとう」
<葵さまはとりあえず、少しでも口にしてください>
「ごめんね」
そこら辺に生えている雑草のようなものを食べている三毛を見て、
申し訳ない気持ちになる。
「あの2人も食べる?」
<ダメです。
これは葵さまの分ですから>
横から手を差し出してきた虎の頭を押さえつつ、三毛が言う。
しばしの休息後、戦いが始まった。
猿が建物の間から、わらわらと這い出てくる。
<飽きずにくるにゃあ・・・>
わずかな抵抗の後、囲まれるのを恐れて狭い路地へ逃げ込んだ。
しかし、そちらからも猿が入ってきていたため、
挟み撃ちにされてしまう。
<やられましたっ>
三毛がなだれ込んでくる黒猿達を盾で受け止めるが、
力と数にはかなわない。
<このままでは>
どちらか片方へ突破しなくては、囲まれて殺される。
「銀ちゃん」
追いすがってくる方を三毛と虎に食い止めさせ、
正面の敵全部を銀に任せる。
「お願いっ」
叫んだ瞬間、魂を抜かれるような虚脱感に襲われた。
肩口辺りに裂けるような痛みもある。
「・・・?」
従者達の動きが精彩を欠いているように見える。
左右を見比べて、どちらに指示を出すべきか迷うが、決めきらない。
三毛と虎も銀も、みんなが同じくらい傷つき、疲弊していた。
「ああっ」意外にも先に銀の側が瓦解した。
猿達に彼の体が飲み込まれていく。
「銀ちゃんっ。
負けたらダメ!」
叫んだ瞬間、豪音とともに猿達が細切れになって散った。
「え」
呆気にとられる葵の視線の先、霧のような血の中を、
銀が高速回転しながら突っ切っていく。
<す、すごいにゃあ!!>
<葵さま、今ですっ。
銀殿の方へ逃げましょう!!>
三毛と虎に背中を押され、走り出そうとしたとき、
酷い眩暈に襲われた。肩の痛みは背中全体に及んでいる。
「うっ」
<葵さまっ?!
大丈夫ですか?>
「うん・・・それより、2人とも怪我はない?」
<ないにゃ。
それよりもっと早く走るにゃ!>
虎に背中を叩かれて、鈍痛を抱える体を前へ進めていく。
「い、痛いよ。虎。もっと手加減して・・・。
はぁ・・・はぁ・・・」
遅々として路地を抜けると、ひらけた場所に出た。
「銀ちゃん。
無事なの?」
銀の眼前には、無数の猿を引き連れた白猿がいた。
脱力感に襲われて、よろよろと壁にもたれた時、
上空から雷のように振ってくる、禍々しい赤のオーラがあった。
オーラの源を辿ると、3階ビルの屋根に、
白猿よりもさらに大きな白猿の姿が見えた。
「あ、あれは・・・」
<なんと、番だったか?!>
三毛が唸り声を上げた。
「番って、夫婦ってこと?」
後ろから追撃してきた黒猿を、虎が懸命に迎撃する。
<ぼーっとするにゃ。
後ろから来てるにゃ!!>
三毛虎が後方に手を回した時、アパートの屋根を粉々に踏み破って、
大きな白猿が宙へ飛び上がった。
白猿は飛び込みの選手のように回転すると、
葉っぱのようにひらりと着地をした。
新手の白猿はかなりの巨体だが、恐ろしいまでの身軽さも備えている。
2匹になった白猿は高速で動き回りながら、
銀の周囲を不規則に飛び跳ねた。
適当に飛び跳ねているのではなく、
連携を取りながら銀への攻撃の機会を窺っているのがわかる。
ある瞬間を境に、白猿が銀へ攻撃を加え始めた。
銀はいくつかを避けたが、いくつかは食らった。
巧みな白猿の仕掛けに対応できないのだ。
「だめだ・・・銀ちゃんがやられちゃう」
銀は鼻筋に険しいしわを作り、頭の位置を地面すれすれまで下げた。
反撃に出ることができず、防戦一方となっている。
「違う」汗を振り払うように頭を振った。
なぜ銀がこんなに苦戦するのだろうか。
出会った頃の銀は、もっと凄まじかったはずだ。
今彼が苦戦しているのは、
白猿が強いのではなく、銀の力が萎んでいるからだ。
力が出せれば、銀にも勝機はある。
だが、どうやって。
<葵さま>
銀から目を離さずに、葵は三毛の声に意識を向けた。
「なに?」
<銀殿に命令を。
あの猿は銀殿と同等か、それ以上の格があります。
命令されなくては、勝てません>
「命令・・・?」
<従者は命令されないと力が出ないにゃ!!>
<先ほどは、少しだけ銀殿の力がでました。
葵さまが命令をされたからです。
もっとお願い致します!!>
「そ、そんなこと急に言われても。
なんて言ったらいいのよ?」
<葵さまの言葉でなくてはいけません>
それだけ言うと、三毛は黒猿との戦いに身を投じていった。
確かに今まで葵は、銀に命令をすることはなかったかもしれない。
どんな風に言えば良いのか。
「命令されないと力が出ない・・・?」
葵の従者となった三毛と虎は、出会う以前よりも力を増している。
だが、銀の方は従者になってから、力を落としている。
「私が、銀ちゃんに、命令をしなかったから・・・?」
銀が白猿からの打撃を食らい、壁際まで追い詰められた。
「め、命令すればいいんだよね?」
言葉を口にするには、なぜか大きな覚悟が必要だった。
唇が震える。
「・・・ぎ、ぎんちゃん」
違う。
声から恐れを消して、ちゃんと命令をするのだ。
「・・・銀」
呼ぶと彼の背が針の筵のように逆立った。
生命の息吹ともいえる、力強いオーラの片鱗を感じる。
「一回から言わないから、よく聞きなさいよ
―――――いたたたたっ!」
突然、背中と肩口に激痛が走った。
手で押さえると、ぬるりとした感触があった。
「痛い!
ちょっとっ。すんごく痛いんだけどぉ!!」
<いけにえの印だにゃあっ!!
忘れてたにゃー!>
そういえば、葵はもともと銀のいけにえだった。
いけにえが捕食者に対してへ命令したのだから、力の反発は必至である。
<葵さま、我慢して>
三毛が盾にのしかかってくる猿に難儀しながら叫んだ。
「うおお・・・簡単に言いやがって・・・。
すんごい痛いんだから・・・なっ」
ぎりぎりと痛む肩口を鷲掴みにする。
少しでも油断すると悲鳴が出そうだ。
<急ぐにゃ。
やられちゃうにゃー!!>
「ぐうううぅぅ・・・わかったわよっ。
痛いの我慢すればいいんでしょ!?
ばかぁ!!!!」
葵は白猿と戦っている銀を睨みつけた。
「銀。
あんたが私を噛んだせいで、いい迷惑だ!」
多少の苛立ちも含めて、思い切り叫ぶ。
「お猿さんごときにやられてるんじゃないわよ。
狼だろお前は!!」
いけにえの印がさらなる反発を生み、
傷口が両脇から引かれたように、大きく開いた。
「ぎゃ・・・」
あまりの痛みにその場にうずくまった直後、
銀が白銀の渦巻くオーラの中心で、轟と咆えた。
目を閉じて、何もかも受け入れたくなるような圧倒的な気迫。
葵の目には、銀の体が一回り大きくなったように見えた。
いや、実際に大きくなっている。
元々強靭だった爪がみるみる伸びて太くなり、
毛先は奇跡のように輝きはじめた。
「・・・すご・・・」
銀の姿を見た白猿は大きく跳び退き、
両手を叩いて何かを叫び始めた。
どこか、喜んでいるように見えるのは気のせいだろうか。
お互いが応じるように跳ぶ。
ナイフのように鋭い銀の爪が、白猿の胸板を深くえぐった。
吹き出した血が霧のように宙を赤く染める。
白猿も打撃を見舞うが、銀は巧みに身を左右に躱していく。
出会った時以上に、銀は強い。
「三毛、虎。
やったわよ。あんた達も頑張りなさい」
三毛と虎がうみゃーと気合を入れるように鳴いた。
葵の鼓舞を力に変え、虎が素早く動いて槍を上下すると、
先端が振れて黒い猿の顎を2つに分けた。
すぐに他の猿が体ごと突進して来るが、
虎はしなやかな動きで躱す。
回転しながら着地した場所は、三毛が持つ盾の上だ。
三毛は一度腰を落とした後、捻りを入れながら、盾を旋回させた。
虎は足元に生じた三毛の力を存分に利用し、
身体を回転させて、目の前まで迫った3匹の猿の
こめかみから上を分断した。
脳髄の混じった濃い血液が宙に華を咲かせる。
長い滞空時間の間に、虎は槍を脇に抱えて小さくなる。
これを好機と捉えたのか、離れた位置にいた猿が跳びかかってきた。
タイミングとしては、虎が着地すると同時に攻撃が届く。
危ないと思った時には、三毛が間に割り込んでいた。
三毛は背に盾を当てたまま、体重をかけて猿にぶつかる。
猿の両手が盾にはじかれたそこへ、三毛が膝蹴りを放つ。
ロケットのように放たれた膝をまともにくらった猿は、
前歯が砕け散り、海老反りするようにして後方に倒れる。
虎が槍の柄を斜めに倒してその上に乗り、
曲芸のようにバランスを取りながら猿達を見下ろした。
音を立てるような殺気が2匹から放たれる。
猿達が攻めあぐねるような仕草を見せた。
三毛虎をさらに強くするため、葵は命令を下す。
「もっと速く。
もっと強く」
虎が三毛の盾を蹴って急加速し、黒い猿の群れに突っ込んでいった。
銀は白猿と体力を削り合いながら、いまだ苛烈に戦っていた。
身体中に傷を負っているものの、戦いを阻害するような重症はない。
対して、白猿の方は手足からかなりの血を流していた。
このままなら時間とともに、銀が有利になることは間違いない。
黒猿達を倒し終えた虎が合流してくる。
「そっちは終わった?」
<楽勝だったにゃ>
返り血でべたべたになった顔を精悍に歪ませて、虎が笑う。
銀が葵の隣へ音もなく着地した。
「銀」
彼の口には白猿の片腕が咥えられていた。
出会った頃のように殺気をはらんだ目をしながら、
銀は猿の腕をがりがりとかみ砕いて咀嚼する。
<まだ、やるかにゃあ?>
銀と三毛虎がいつでも動けるように身を丸くした。
白猿の身体の大きい方が、腕を失った小さい方を労わるように
毛に触れている。
「・・・この子達は夫婦なのよね?」
<そうだにゃん。
夫婦だにゃ。匂いで分かるにゃ>
虎の言を聞いて、葵は無意識にかかとへ体重をかけた。
「もう、逃がしてあげない?」
聞いた銀が、不愉快そうに唸る。
<葵。
どうしたにゃ?>
「だ、だって・・・夫婦って」
<だからどうしたにゃ。
メスの狩りをオスが手伝ってるだけだにゃ>
「ばか!!」
思わず虎の頭を叩いた。<な、なんでだにゃ?!>
「ご、ごめん・・・でも、
あの子達を殺すなんて、できないよ」
白猿の大きい方が小さい方を庇うようにして立つのが見えた。
<あいつは一つの谷を支配するくらいの主だにゃあ。
普通、主同士は戦わないにゃ>
「じゃあ、なんで。あの子達は襲ってきたのよ」
虎がこれ見よがしにため息を吐いた。
<わかんにゃいの?
ボクはすぐに分かったけど>
「え」
葵は白猿に目を向ける。
視力が下がったせいで見えていなかったが、
注視することで葵は、ようやく白猿の悪阻しいオーラを捉えた。
「あれは・・・腫瘍持ち?」
<やっと気づいたかにゃ。
あいつもロックの手先にゃあ>
「そんな」
逃がしてしまえば、みんなに危険が及ぶことになるかもしれない。
じわり、と額から汗がにじむ。
三毛はもう一歩前に出て、静かに頷いた。
<殺すしかありません>
ありがとうございました。
次話も更新いたします。




