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101話 キーラ

キーラは、一通りの作業を終え、

『賢者の真心の王国』を手に立ち上がった。

「うむ・・・」

頭の中にあるいくつかの要素を組み合わせて、

アイディアを生み出そうとする。

考えながら、廊下をひたすら歩いた。

歩きながら考え事をすると、アイディアが出やすいからだ。

体を動かすことで脳が刺激を受けて、

今までにない考えをもたらしてくれるからかもしれない。

何かを思いつくと、『賢者の真心の王国』の表紙をつつき、

浮かび上がってきた光のメモ帳に、光のペンで文字を綴る。

「違うか・・・じゃあ、これを」

光のメモを指先で移動させ、新たなメモを目の前に出す。

そうして、数珠つなぎのように光のメモが、

中空にいくつも連なって広がっていく。

「うーん」

キーラは光を指先でフリックし、

メモの位置をより統合された配置に変えていく。

「ふむふむ」

少し離れて全体像を見渡すと、また新たな可能性が見えてきた。

「ちょっと違ったな・・・」

キーラは首を捻って、巡礼者のようにまた歩き始めた。

ただ歩くのに飽き、今度は階段の昇り降りを繰り返す。

あと一段下りれば1階フロアに辿りつくというところで、

キーラは良いアイディアを思いつき、足を止めた。

片足を持ち上げた姿勢のまま、再度光のメモを出す。


「こんにちは」


中空に文字とイラストを描いている時、近くで女の声がした。

集中の最にいたキーラは、返事をしなかった。

どのくらい時間が経過しただろうか、

足りなかった部分の修正を終え、声の出所に目を向けると―――

葵の友人で名前をすずといったか―――まだそこに声の主は立っていた。

階段をひとつ降りて同じ高さに地面に立つと、横目ですずを一瞥した。

すずは顔の整った女だが、

月子の方が色白ですらっとしていて可愛い。

それだけの感想しかなかった。

「・・・」

しばらくすると、すずが挨拶を返して欲しがっているのが分かった。


面倒くさい。


挨拶というものは、キーラにとって、

愚かな人が生み出した、消滅すれば良いと思う文化のひとつに過ぎない。

キーラはよく葵に「挨拶をしなさい」と怒られた。

だが、なぜしたくもないことを、自分からしなくてはならないのか。

その旨伝えると、葵は鼻白んで言葉を失った。

日を跨がずに、清十郎に聞いてみた。

清十郎はこう言った。

「挨拶は、今日もよろしくねっていう気持ちを伝えるためにあるんだ。

あとは、日頃の感謝とか、仲良くなりたいとか、そういう時も使う。

葵さんは、キーラにそういう気持ちがないと思って、

悲しくなったんじゃないかな?」

「ジューローも、俺が挨拶しなかったら悲しい?」

そう訊くと、

「別にキーラが挨拶してくれなくても、俺は悲しくない。

おまえがどういう人間なのか、分かっているからな」

清十郎は答えた。

なるほど、とキーラは首肯したものだ。

お互いがどういう人間なのか理解していれば、

挨拶などしなくても成り立つ。

葵と自分は、日頃の感謝とか、仲良くなりたいとか、

そういうことをすでに乗り越えた関係であるとキーラは思う。

だから、やっぱり挨拶は必要ない。

しかし、葵はずっとキーラに挨拶をして欲しがった。

挨拶を返さないと、決まって悲しい顔をした。

自分は葵を悲しませたいわけではない。

ある日、根負けして挨拶をすると、彼女は目に涙を浮かべて喜んだ。

葵がなぜそんなに喜ぶのか、よくわからなかった。

よくわからないが、いつの間にかキーラは

葵の喜ぶ顔が見たくて、自分から挨拶をするようになった。

したくなってしまった。

挨拶とは、自分がしたくなった時に、

したい相手を対象とすると、気持ちが良いものだ。

だから挨拶は、誰かに強制されるものではない。

長くなったが、キーラはすずの挨拶を無視することにした。

「なにか用?」

「え」すずは眉をへの字にした。

彼女はキーラの前に膝をついて、視線の高さをこちらに合わせた。

「私、何か手伝えない?」

「どういうこと?」

「さっき、阿多さんに言われたの。

キーラくんを手伝ってあげてって」

「ジューローが・・・」こころに嫉妬の火が灯る。

彼に相談したいことが、キーラには山ほどある。

それなのに、スカーの世話で手が離せないだろうからと、

ずっと遠慮していたのだ。

この女は、そんな自分を差し置いて、清十郎と話をしたというのか。

「・・・他には、何か言ってた?」

彼女は、困り顔のまま首を振った。

失望したキーラは、身体の位置を横にずらした。

こころを許していない相手の正面に立つのは好きではない。

「あ、あの・・・」

「何が得意なの?」

キーラは先に進むために歩き出した。

慌てて彼女がついてくる。

「得意なこと?

えっと、学校の勉強なら一通り」

実践的で具体的な意見が出なかったことに、ため息が出る。

「学校の、勉強だって?」

生き延びるために、今できることを必死でみんなやっている。

この女は、そこらへんをちゃんとわかっているのだろうか。

「違う。

そういうことじゃなくて。

すずは何ができるの?」

「え・・・あの。

こう見えて、器用だし、飲み込みは早いって言われて」

「器用・・・」

様々思ったが、要約するとキーラはすずを嫌いなタイプだと感じた。

「へぇ。

すごいね」

振り向いて伝えると、すずの顔が子どものようにほころんだ。

「小さい頃から大体のことは、

すぐにできるようになったから」

彼女は少し自慢げだ。

「へー」

すずは、此処では孤独なのだろう。

だから自分の立場を確立しようとよくしゃべった。

それに、徐々に幅を利かせていくつもりなのだろう。

時折、キーラのことを子ども扱いするようなことも言った。

キーラはその感覚を久しく忘れていたので、

懐かしいと感じて笑った。

すると、的外れなことにすずは嬉しそうにした。


この人のことは、とりあえず置いておこう。


話し続けている声に適当に相槌を打ちながら、

キーラは校庭を目指した。

ソーニャに、オドを戦いに使う許しを得るためだった。

足が重い。

キーラなりの正しい道を進んでいるはずなのに、

後ろめたさで、こころの方もずんと重くなるのを感じる。

ソーニャは、キーラの話を聞いて傷つかないだろうか。

考えているうちに、自分の中にあるアイディアを、

これからどうやってみんなに伝えていけばいいのか、

わからなくなった。

みんなが前を向くためには、

絶対に伝えなくてはならないことなのだが、

伝えるには、まだ時期が早すぎる気がする。

だが、時間がないのも事実である。

設置された短い階段を下りていく途中で、

校庭のど真ん中に、大人用の大きな帽子をかぶっているソーニャが見えた。

「妹だっけ」

すずがソーニャを指さしたので、キーラは頷いた。

「ずっとひとりで運動場にいるよね。

変わってる」

すずのいう通りだ。

ソーニャは食事の時間以外、

ほとんどの時間を外での農作業に費やしている。

一般的な子どもと比べて、変わっていることは間違いない。

キーラは階段の最後の段から飛び降りた。

ソーニャはちょっかいをかけてくるオドに息を吹きかけると、

手を振って優しく追い払っていた。

その姿を見て、キーラは息を止めた。

理由はソーニャの横顔にある。

顔は笑顔だったが、目は真っ赤で、頬が濡れている。

ソーニャは涙を流しながら、

同時に笑いながら黙々と作業を続けていたのだ。


あれは「変わってる」なんて生易しいものではない。


ソーニャは、通常の人間が一生かけても辿り着けない領域にいる。

キーラは今までの人生において、これほどの強い意志を持って、

何かに打ち込む人を見たことがなかった。

再度、「変わってる」すずが言った。


「たしかに変わってるよ」


キーラは感動で膝が打ち震え、立っているのがやっとだった。

「・・・いつも、そうなんだ」

「そっか」とすずは言う。

事情がわからなければ、この場面を見た多くの人が、

すずと同じ台詞を口にすることも知っている。

だが、それをキーラは許せなかった。


「変わっているけど、僕の最高の姉さんだ」


キーラは静かに、ソーニャの思いに負けないと誓った。

だから、オドの使用許可など取らない。

周りになんと言われようと、全部自分の決意でやりとげる。

ソーニャの育てたオドを使い、キーラは戦うのだ。

ありがとうございました。

次回は来週末に更新をいたします。

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