99話 葵
街をあてもなく彷徨い続けた。
銀と三毛と虎は静かについてくる。
目に貼ってあるガーゼを上から掻くと、爪の間に血がこびりついた。
以前『呪視』が暴走したせいで、
葵の右目は開かず、左目もやや霞んで見える。
<葵さま、触ってはだめですよ>
三毛は葵の指先を洗浄し、ゆっくりとガーゼを剥すと、
目に大きな葉っぱをつけて、上から包帯を巻いた。
柔らかい肉球からは、優しさと愛を感じる。
「包帯なんて、どこにあったの?」
葵は、彼の小さな手を人差し指と親指で挟んだままでいる。
<葵さまはよく無茶をされますから>
「そ」
左右に振ると、三毛は少し嬉しそうに目を細めた。
辿り着いたのは、大きなパチンコ店だった。
「おっきー。初めて来た」
<ここは何をするところなんだにゃ?>
虎が可愛らしく小首を傾げた。
額を指先でつついてみる。
「賭け事を、するところよ」
お母さんの彼氏達が、例外なく好きだったのがパチンコだ。
そういえば、
彼氏達にパチンコの魅力をいろいろと説明を聞かされたが、
結局何が楽しいのかさっぱりわからなかったっけ。
<こんにゃでっかいところで賭け事するにゃ?>
「うん。
よくわからないけど」
店の中はひどく煙草臭かった。
一角に、軟らかいシートと透明なテーブルの
置かれた休憩室があった。
三毛と虎が向かい側のシートに座った。
銀は少し離れたところに腰を下ろした。
「ごめん」
三毛が耳をぴんと立てた。
<何が、でしょうか?>
「・・・今までの、態度とか」
虎が駆け寄ってくる。
<良かったにゃあ。
葵の機嫌がなおったにゃ>
「うん・・・ごめんね」
虎が葵の膝を叩いて、嬉しそうに跳ねた。
銀のんびりあくびをしている銀を「ちょっと」呼ぶ。
彼は落ちていく花びらのように歩いてきた。
「銀ちゃんも、ごめん」ふかふかの背に触れる。
「あんたはいつも綺麗ね」官能的な感触にしばし没頭する。
やがて銀は、葵の太腿に顎をのせて目を閉じた。
どうやら許してくれたようだ。
虎と三毛も両脇に座ってくれる。
まるで毛布にくるまれたみたいに、温々として気持ちがいい。
「クロエさん」小さな声で言う。
「もっと一緒に居たかった・・・」
銀が目を瞬いたので、
「結希にも、ひどいこと言っちゃった」
額を掻いてやると、また気持ちよさそうに目を閉じた。
「みんなすぐに前を向いてるけど、私にはできなかったな」
目の前がチカチカしてくる。
従者達は黙っている。
「またあいつが出てきたら、勝てる気がしない」
溜まった涙が流れ落ちた。右目には、血が混じっている。
「みんな心配してるよね」
誰にも死んでほしくない。
みんなを守りたい。
でも。
「うう・・・」
自分が自分であろうとした結果が、取り返しのつかない喪失を生んだ。
これから、どうするべきなのだろう。
◇
警戒の唸り声で目を覚ます。
それが銀のものだとわかるまで、時間がかかった。
「・・・な、なんなの・・・?」
<葵さま。敵です!>
反射的に体を起こすが、頭の片隅にあきらめが横たわっている。
自分の命を守ろうという気持ちが、
空虚に鷲掴みにされた胸中には存在しないのだ。
三毛と虎は武器を構えていた。
<こちらへ>
三毛に手を引かれ、休憩室から出る。
廊下の奥の暗闇から、
殺意のオーラが真っすぐこちらに流れ込んでくるのが見える。
「外敵?」
<わかりません。
しかし、銀殿の匂いに向かって来るとは>
並みの外敵では、銀の匂いがする場所には近付かない。
暗闇の中には、おそらく強敵が潜んでいるのだろう。
床を叩く音とともに浮かび上がってきたのは、2つの眼光だ。
眼光はあり得ない方向にくるくると回り、中空で止まった。
「あ」
見えたのは、天井にぶら下がっている大きな黒い猿だった。
「あの猿。
見たことある」
<どこで見たにゃ?>
「月子さんを助けに行く途中」
猿はこちらを挑発するように手を叩くと、
高い声で鳴き、バネのように跳ねながら襲いかかってきた。
<下がって下さい!>
三毛が素早く前に出て、盾ごと体当たりをした。
三毛と猿の間に割り込むように、虎が槍を突き出す。
槍は顎に突き刺さり、そのまま脳を貫いて絶命させる。
「あ、あぶな」
安堵するのも束の間、
同じような猿達がわらわらと闇から這い出てきた。
<おおいにゃ!
囲まれるにゃっ!>
銀が前へ飛び出すと、黒い猿の頭部を軽々とかみ砕き、放り投げる。
放られた死体に当たって、数匹の猿が転倒した。
黒猿の数は多かったが、銀が前面に強い圧力をかけているせいで、
一気に襲って来られない。
三毛と虎は相手がしり込みしているのを認めるや否や
素早く飛び出し、見事なコンビネーションで5匹を蹴散らした。
「あっ!」
黒猿に混じって、真っ白で髭の長い猿がいるのを見つけた。
身体の大きさは猿の2倍あり、放つオーラもかなり大きい。
あの子がリーダーかもしれない。
「三毛」
「はい」
「特別な子がいる。気を付けて」
<ふむ。
あれは猿共の頭領のようですね>
初めて銀と出会った時のような圧力を、白猿から感じる。
強い。だが、それだけではない。
白猿から蒼い墨汁のようなオーラが発せられ、黒猿達に広がっていく。
きっと、部下の黒猿達に力を与えているのだ。
白猿は銀の元へ一気に近づくと、無造作に拳を叩きつけた。
床に敷き詰められたタイルが割れて、破片が辺りに飛び散る。
銀はかろうじて躱したが、追撃の蹴りをまともに食らった。
銀は天井まで飛ばされて、叩きつけられ地面に落ちた。
「銀ちゃん!!」
三毛と虎に殿を任せ、銀が倒れた場所に走る。
葵の指示で三毛虎が守りに入ってくれるが、
白猿の登場で勢いを増した猿達に、苦戦を強いられる。
<こいつら、さっきより速いにゃん!>
「何とか守って」
背後に指示を飛ばすと、銀の背にそっと触れた。
「銀ちゃん。
大丈夫?」
足元を震わせながら、銀が起き上がる。
怪我はしているかもしれないが、どうにか動けそうだ。
<葵さま!!>
三毛の声に振り向くと、
白猿が背面跳びでこちらに向かってくる途中だった。
「わぁっ」
銀の頭を上から押さえて姿勢を低くすると、
すぐ隣を白猿の大きな腕が通り過ぎていく。
しかし完全に躱せなかったようで、
こめかみがぱっくりと裂けて、血が流れ出す。
白猿は、今までの外敵よりも遥かに器用で、素早くて強い。
「だめだ、逃げよう」
三毛と虎が匂い消しの粉塵をばら撒いて、猿達に吹きかけた。
敵が怯んだ隙に、葵達は一目散に逃げ出す。
先行した虎が体当たりをしてドアを開け、
そこへみんなで滑り込むように外に出た。
広い場所に出ると、猿達は追って来るのをすぐにやめた。
<追って来ないにゃ>
<うむ。
もしかしたら、縄張りを守ろうとしただけで、
攻撃することが目的ではなかったのかもしれん>
油断なく背後を警戒しながら、三毛虎が言った。
やたら広いパチンコ店の駐車場から出てると、
葵は帰路に沿って歩き始めた。
<帰るにゃん?>
「・・・うん」
しばらくすると、銀が顔を葵に当てて足止めをした。
「どうしたの銀ちゃん? 痛いの?」
銀の眉間は怒りによって盛り上がっていた。
<葵っ。
気を付けるにゃ!>
葵には、街全体が赤いオーラを放っているように見えた。
おそらく、数えきれないほどの猿達が、周囲を取りかこんでいるのだ。
<ここら辺は、あいつらの狩場だったんだにゃ。
まんまと迷い込んじゃったにゃ>
虎の言に三毛が首を振る。
<違う。
誘い込まれたんだ>
三毛の言う通りだ。
オーラは確かな目的を持って、こちらに殺意を向けている。
ありがとうございました。
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