97話 ソーニャ
学校の周りに植えてある桜に近付いた。
<女王だ>
<来てくれた>
<女王>
桜たちはひっきりなしに声をかけてくる。
「みんな元気ー?」
聞いてみると、口々に答えてくれる。
<元気>
<元気>
みんなの栄養状態、健康状態はまずまずといった感じのようだ。
ソーニャはひとまず安心すると、桜の足元にある雑草に触れた。
「あなたは、元気?」
<元気>
<抜くの?>
<抜くの?>
「抜かないわ。大丈夫よ」
優しく葉に触れて頷いた。
外をうろうろしていると、「おーい。ソーニャ―」
紫がすぐにスコップとじょうろを探してきてくれた。
「必要と思ってな」
「サキー。ありがとー」
噴水の水を汲んでかけてあげると、みんなとても喜んでくれた。
<女王。ありがとう>
<女王万歳。女王万歳>
<もっと水を頂戴>
<おいしい。おいしい>
クロエは死ぬ間際、
ソーニャが『緑の指先』を持っていると言った。
手の平を自分に向けて、まじまじと見る。
どこからどうみても、指先は緑ではない。
「うーん。
もっと頑張ったら、緑色になるのかなぁ」
少し不安になった。
「だめだめ。
ソーニャは女王様なんだから、女王様らしくしなくっちゃ!」
女王様らしく、といってもどうすればいいのかは知らない。
とりあえず、手を腰にあてて胸を張ってみる。
うん。イイ感じ。
「もっともっと大きくなってね・・・」
<はーい>
<はーい>
桜は返事をすると、すぐに薄いピンク色の花を咲かせた。
あまりの美しさにソーニャは歓声をあげた。
「わー!!
あなた、そんなにきれいだったのね・・・」
この花をクロエに見せてあげたい、と思った。
「きれいだね・・・」
だが、クロエはもういない。
「きれい・・・」
美しい花が目の前にあるのに、
ソーニャのこころが沈んでいこうとする。
スカートの裾を強く掴み、息を止めて上を見た。
俯いていると涙が零れそうだったのだ。
◇
胸がきゅっとなるクロエとの思い出がある。
その頃のソーニャはいつも不安で、イライラしていた。
何が不安だったのかと言われると、上手く説明できない。
ただ、いつも、クロエがふっといなくなりそうな気がしていた。
ある昼下がり。
野菜たっぷり特製カレーライスを、クロエがテーブルに並べている。
レトルトのハンバーグもうどんも、オムライスも大好きだけど、
一番好きなのはクロエの手作りカレーだった。
それなのに、ソーニャはわざとカレーをこぼしてしまう。
お皿が床に落ちて割れ、カレーライスがあちこちに飛び散った。
葵が立ち上がり、ソーニャの前までやってきた。
とっても怒っている。
「ソーニャ。
クロエさんに謝りなさいっ」
葵には『真実を見通す目』があるので、
ソーニャがわざとこぼしていることがバレてしまっている。
だがソーニャは、どうしても謝ることができない。
逆に、葵を憎いとすら思ってしまう。
こんなにも愛しているのに、なぜ、憎いと思ってしまうのだろう。
わからない。
ただソーニャは、自分の思う最大限に悪いことをした上で、
それを叱られたくなかった。
むしろ、抱きしめてなぐさめて欲しかった。
悪いことをしたにも関わらず、
抱きしめられたいという矛盾した気持ちのせいで、
ソーニャは混乱した。
「あらあら、いいのよ葵さん」
何度同じことを繰り返しても、クロエは怒らなかった。
カレーはもちろん、ハンバーグも、おかゆも、ソーセージも、
お茶も、パンも、お豆腐も、全部床に落とした。
食べ物が大事だということは、痛いくらいよく分かっている。
それなのに、ソーニャはやめられなかった。
一度だけ、ソーニャに紫が顔を赤くしたことがある。
「ソーニャ。おまえなぁ・・・」
あの優しい紫が、怒ったのだ。
その時も、クロエは割って入り、ソーニャを叱ることを許さなかった。
「いいのよ。だいじょうぶ」
クロエだけがソーニャを許し続けていた。
何度でもなんどでも、ソーニャは許されたかった。
そして、ある事件が起こった。
ソーニャは、その日、いつものように配られた
食べ物をこぼそうと思っていた。
周りのみんなが、またソーニャがしでかすのではないかと、
緊張しているのが伝わってくる。
ソーニャは誰が何と言おうと、止める気も、謝る気もなかった。
今回は、いつもとは違うことをしてみようと思った。
止めた方がいいと思うのに、身体はどんどん前に進んでいく。
料理をしているクロエの隣へ。
大きなフライパンにはお米と野菜ときのことお肉がたくさん入っている。
ソースの香りがしてとてもおいしそうだった。
ソーニャはクロエのそでを引いた。
「どうしたの?」フライパンを置いたクロエが笑顔で応えてくれる。
秘密のお話があるの、とソーニャは言った。
そんなの嘘だ。
クロエがこちらに顔を近づけるために屈んだとき、
ソーニャはフライパンの柄に手を伸ばした。
思った通り、フライパンがひっくり返った。
しかし、中身はソーニャの頭の上だった。
クロエは今まで聞いたことの無いような叫び声を上げながら、
ソーニャの体に覆いかぶさった。
油を含んだお米と野菜ときのことお肉が、クロエの腕や足にかかった。
おかげでソーニャは少しも痛くなかった。
代わりに、クロエがとても痛そうにする。
皆が駆け寄って来て、口々にソーニャを叱る。
ソーニャはその間、じっとクロエを見ていた。
これだけやれば、さすがのクロエも怒るだろう。
怒られたくない、でもこっちを見て欲しい。
全部を壊してしまいたいのに、それが怖くて仕方ない。
そんな思いがソーニャの腹の中で渦巻いていた。
クロエが痛そうに片目を閉じながら、こちらを見る。
どきりとする。
クロエがゆっくり手を上げる。
それがソーニャの頭部をめがけて走った。
ああ、ついに来た。
叩かれる。
ソーニャは目を閉じた。
しかし、想像した痛みは、いつまでたっても来なかった。
「ソーニャちゃん。
熱くない? 痛くない?」
聞こえたのはクロエ優しい声。
ソーニャが何度悪いことをしても、クロエはずっとクロエだった。
クロエは、変わらない。
その日を境に、ソーニャは呪われた儀式をやめた。
寝る時にクロエの指先を舐めるだけで、
悪いことをしなくても平気になったのだ。
◇
毎日おいしいご飯を作ってくれた。
眠れない日は背中を擦ってくれた。
我儘をいってカレーをこぼした時も、怒らなかった。
おじいちゃんとおばあちゃんに会いたくなって
泣いたら、頭を撫でてくれた。
クロエ。
会いたい。
両手を合わせてぎゅっと握る。
日本に来てからというもの、楽しいことばかりだった。
それなのに、また失ってしまった。
キーラに能天気だって言われることが多いソーニャだが、
今回だけは無理だと思った。
何もかも諦めて、地面の土になってもいいと思った。
すぐ脇を風と桜の花びらが通り過ぎていく。
何もかも、遠いところで起こっていることのように感じる。
少し遠くの空に、ふわふわと浮いているたくさんのオドが見えた。
それらは、前住んでいた配送センターの屋上で生まれたオドだった。
「・・・もういいよ。
好きなところへおいき・・・」
ソーニャが言うと、オド達は離れて空に舞って行った。
ふと、残ったオド達の中に、気になる光がみえる。
伊都子といつも一緒にいるベルの光に違いない。
ベルが風の隙間を通ってこちらに飛んでくると、
最後にソーニャの肩に留まった。
「ベル。いたのね」
白蛇のシロが髪の毛からするりと降りて来て、
ベルに向かって、しゃーと威嚇する。
この子たちって、仲悪かったのね。
ベルはそんなシロに構わず、ソーニャを見た。
<おい>ベルが言った。ソーニャはおどろいて「しゃべった」
<当たり前だろ>とさも当然のようにベル。
「あたりまえなの?」
ソーニャがまごついていると、ベルがその場でくるりと回転した。
とんぼのような薄い羽から、さらりと小さなオドが生まれる。
ベルもシロと同じ、オドを生み出す子なのだ。
<おまえさ、泣いてるのか?>
「泣いてないよ」
<泣いているだろ>
確かに少しは泣いていたかもしれない。
だがソーニャはそれを認めたくなくて首を振った。
<まぁいいや。
それより今、オドを追い払っただろ。
みんなおまえを心配しているんだぞ>
「うん・・・でも、ソーニャなんかのために、
ついてきてもらうの悪いから」
<あいつらは、自分の意志でついてきた。
おまえはあいつらの女王なんだから当然だろ>
「女王・・・」
クロエもそう言っていた。
<何だおまえ。『緑の指先の女王』だろ。
自分のことも知らないのか>
「緑の指先の・・・女王?」
ベルがこくこくと頷いた。
<『緑の指先の女王』は、植物とオドの主人だ。
追い払われたやつらは行き場をなくしちゃうんだぞ>
行き場がない辛さは、ソーニャが一番わかっている。
「そんな・・・かわいそう」
<だったら、また集めろよ。
みんなお前を慕っているんだから>
「みんな・・・私を好きでいてくれるの?」
<そうだよ!
子どもだなぁおまえは。
ついててやるから、しっかりしろ>
ベルが鼻の頭にパンチしてきた。
あまり痛くなかった。むしろ元気が出てくる。
「わかったっ。ソーニャ頑張る」
ソーニャは空に向けて手を振ってみた
すると、離れていたオド達が群れを作り、ソーニャの方に戻ってくる。
「みんな、ごめんね」
さらに大きく手を振っていると、他のオド達もどんどん群れに合流してくる。
「みんなーごめんねー!」
力の限り叫ぶ。
<女王万歳>
<女王万歳>
<女王万歳>
集まってきた数えきれないほどのオド達が、
みんなで一斉に空気を震わせた。
それを聞いていると、どんどん力が湧いて来る。
ソーニャは両手をちぎれんばかりに振りまくった。
「頑張る・・・。
クロエに見えるくらいに」
ソーニャは元気なオド達の声を聞きながら、種を植えることにした。
リンゴ、レモン、柿、アケビ、栗、イチジク。
トマト、ジャガイモ、大根、トウモロコシ、ニンニク、キュウリ、キャベツ。
バラ、コスモス、ナノハナ、スミレ、ヒマワリ、ポピー、チューリップ。
集めていた種を、ポーチに入れていて良かった。
<早く。早く>
<早く植えて>
取り出した種が植えられるのを待ちわびている。
「ここに植えてもいい?」
<いいよ>
<いいよ>
<そこがいいよ>
ソーニャは種に、どこに植えたら良いのか聞きながら作業を続けた。
「早く育ってね」
ソーニャが言うと、首に巻き付いていたシロが身動ぎをした。
シロの尾から生じたオドが地面に落ちていき、
種達の上に重なって消えていく。
「これ、どうなったの?」
ソーニャがベルに聞くと、ベルは大きなあくびをした。
<わかんねぇなら、水でもやってみろよ>
ソーニャは言われた通り水をかけて見守った。
すると、種が芽を出した。
芽はみるみるうちに育っていく。
「すごいすごい!」
<お水をちょうだい>
<水>
<お水>
「ちょっと待ってね」
元気に育つのは良いが、みんなすぐにお腹が空いてしまうようで、
水やりが大変だった。
水を飲んで大きくなった葉っぱが、小さなオドを生み出した。
生まれたオド達は、決まってソーニャの髪にまとわりついてくる。
「みんな元気ねー」
ひとつひとつに挨拶をして、息を吹きかけてやると、
オド達は風に乗って校庭の上空を飛び始めた。
まぁ、しばらくするとまた戻ってきてまとわりついてくるのだが。
「わぁ・・・きれいだなぁ」
ソーニャが思うに、オド達は植物のこころみたいなものだと思っている。
根を張った植物自体は地面にあるが、
こころは自由に空を飛びまわっているのだ。
ソーニャは顎を天に向けた。
お空にいるクロエにも、きれいなオドの光が見えているだろうか。
「見てて。
クロエ・・・」
胸がいっぱいになっても、ソーニャは笑顔でありつづけよう。
天国のクロエも笑ってくれるように。
ありがとうございました。
次回は近日中に更新いたします。




