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96話 月子

身体の痛みで目が覚める。

「起きたの?」キーラの優しい声。

「うん」

「気分、悪くない?

あの後、月子は倒れたんだよ?」

彼は重ねられた段ボールの上に座って、

『賢者の真心の王国』を膝の上で開いている。

賢者というより、さながら、段ボール王国の国王様って感じだ。

下りてこちらに近付くと、

「大丈夫?」

足をもじもじさせながら問う、可愛くて小さな王様。

「うん」月子は首を振り「だいじょうぶ」

部屋を見回したが、他には誰もいなかった。

「伊都子を呼んでくるね」

「あ」

こちらの視線を感じたのか、出ていこうとする彼が動きを止めた。

「どうしたの?」

こちらに戻ってくると、月子の手に触れてくれる。

彼の指はつるつるしっとりしている。

「み、みんなは・・・?」声を出すのにまだ慣れない。

キーラは頷くと、『賢者の真心の王国』を開いて、

光のメモ帳を中空に出現させた。

彼はメモを月子に見せながら、

「結希は街に出て、生活するための道具や、食べ物を集めてる」

ゆっくりとしたペースで説明した。

「伊都子とサキは結希が拾って来た食べ物で、料理を作ったり、

バリケードを作ったり、だね。

清十郎はさっき、学校にある使える物を集めて、ここの隣の教室に運んでる。

ソーニャは園芸」

言い終えると、キーラは音を立てて息を吸い込んだ。

「キーラくんは?」

「僕は、水道から水が出るようにして。

風呂でお湯が沸けるようにして。

いくつかの部屋の明かりが点くようにして。

ドローンを修理して、外敵のうろついている位置を確認して」

彼は指を折りながら、淡々と述べる。

「で、とりあえず大丈夫そうだったから、

これからどうしたらいいのか悩んでる、って感じ」

「・・・葵ちゃんは?」

彼の眉がへの字になった。

「葵は、銀達と一緒に外に出て行っちゃった。

結希はちょっと頭を冷やしに行っただけだって言ってたけど」

「どこにいったの?」

子どもには似合わない悲壮な顔。

「わからない。

きっと葵は、クロエが死んだことが辛いんだ」

喪失が大きすぎるせいかもしれない。

クロエの死について考えると、頭の芯がぼうっとする。

葵は、どうなのだろう。

感情的で、情熱的で、いつも真っすぐな彼女は、

クロエの死をまともに受け止めている気がする。

月子よりも、ずっと辛いはずだ。

「月子は、大丈夫?」

幼い瞳は、遠慮がちな好奇心に揺れている。

「・・・まだ、信じられない」

死によって置き去りにされた思い出が、月子の目元を通り過ぎていく。

すさまじい速さで。

「僕も」

彼は共感の頷きに、悲しそうな微笑みを添えた。

「月子は、それだけじゃないよね」

暗い川を渡るような慎重さで、キーラが呟く。

思慮深い彼は、もう気付いているのかもしれない。

月子は痙攣する唇を一度噛みしめると、言った。


「妹だったの」


キーラの微笑みから一切の隙間が消えた。

「なんとなく、そんな気がしていたんだ」

「私ね。

声が出せなかったから、ちゃんと話ができなかった。

いつもこうなの。

ぼうっとして、肝心な時に、何もできない」

歩くことすらままならない、強烈な向かい風を受けている気分だった。

「なにが、あったの?」

その問いに月子は、ぽつりぽつりと蛇口から落ちるしずくのように答えた。

およそ子どもに話す内容ではないと気付いていたが、

理性よりも感情が優先されてしまった。

月子は後悔しながら話し、その後の沈黙の間にまた後悔した。


「月子は強いよ」


そう言い放ったキーラの顔に陰りはない。

月子は首を振った。

「ううん。

強いかもって思ったこともあったけど。

ちょっと勘違いしてたんだ。

陽子ちゃんには、全然かなわなかった」

「月子がいなきゃ、葵は死んでいた」

救いになるような、ならないような、微妙な気分になる。

眉を顰めた月子へ、彼が手を伸ばしてきた。

手は頭に触れ、ゆっくりと毛の流れに沿って動いた。

「あ・・・」

「おばあちゃんがよくしてくれたんだ」

妹に斬られ、深いと寂寥の渦中にいた。

あらゆる感覚は幕を下ろしたように鈍麻して、

胸には、二度と立ち上がることはできないほどの失意を抱えていた。

しかし、キーラの優しい手が、

抑圧された月子の感情と、曇天としたこころに切れ間を作る。

予備動作なしで、一気に涙があふれた。


どうしてキーラが月子の救いになったのか。


それは、ずっと壁を作ってきたキーラが月子に対して

感情を露わにしてくれたからかもしれない。

キーラの頭に触れた。

すると、キーラも年相応の子どものように涙を流す。

彼は変わった。

キーラが吐露する感情の兆しは、

月子にとってただ好ましいというだけではなく、大きな意味があった。

感情を表に出すのには勇気が必要だ。

彼の勇気は、何かの支えを軸に行われている。

きっかけは、きっと、クロエだ。

今はいない者が生きている者のきっかけとなり、

力を与えているという事実が、月子のこころに火を灯していく。

「スカーはあと、7日保たせるって言ってる」

「7日?」

月子が顔を上げると、キーラが頷いた。

「7日間で、僕は自分のできることをしたい。

うまくいくのは難しいかもしれないけど」

見るものを震わせるような気迫というのは、

大体は強いものが、弱いものに対して与えるものだ。

だが、目の前にいる幼いキーラの気迫が、

剣術家である月子を圧倒的な存在感で震わせている。

人の力の本質は、腕力でも技術でも、年齢でもない。


人の力は、その意志だ。


「私。

陽子ちゃんに敵わないかもって、内心思っちゃってる。

だけど・・・私」

月子の言に、キーラは慌てた様子で手を挙げた。

「ちょっと待って。

僕が先に言いたい」

微笑んで頷くと、彼の唇も軽やかな弧を描く。

「今までにない気持ちなんだ。

うまくいかないかもって、思ってるのに。

可能性が低い方に、思い切りベットしたい気分なんだ。

わかる?」

語尾が濡れているキーラの言葉に、

月子は感動して涙を流しながら何度も頷いた。

「・・・全力で何とかしようとしてしまうんだ」

彼の涙は拭われなかった。

「ソーニャはいつもそうだった。

だから、僕は、諦めろって伝える役だった。

でも、今は俺がソーニャみたく、どうしてもやりたくなってる」

首を横に振るということがどういうことなのか

わからないままに、月子は首を振った。

だがそれを見て、キーラは満たされたように頷いた。

「クロエは、すごく痛かったと思うけど、ずっと笑ってた。

大切なことを教えてくれた。

だから、クロエはダニエルなんかに負けてない」

月子にはクロエのそんな姿が想像できた。

まさに彼女らしい最後だ。

「勝てなくてもいい。

でも、どんなに苦しくても、どんなにつらくても、

まけたくないって・・・思う」

キーラがあまりにも偉大な少年だと感じたので、

月子は彼の頭を撫でるのがおこがましいと感じた。

「私は、まだ、どうしたらいいかわからない」

魔法じみたキーラの言に続く言葉を、今の月子は持っていない。

だが。

「このまま寝てるわけには、いかない」

濡れた頬を上げて、にっこりと微笑んだ。

希望、などという前向きな力ではない。

ただ、月子の中で、自分ではわからないうちに、

何かを為すための力が湧いてくる。

「月子は強いね」

「ううん。

でも、私は妹を、陽子ちゃんを守りたい。

キーラくんだって、そうでしょう?」

キーラが渋面を作って「まぁ、それもある」と言う。

「私達、『妹ちゃん守りたい同盟』ね」

2人は思い切り泣いたあとで、顔もぐちゃぐちゃで、

だけれど笑っていた。

「なんか格好悪いな、それ」

「まぁまぁ。いいじゃん」

「月子って、結構しゃべるんだね」

「それは、私の台詞」

2人が作るのは、日々をこんな顔で過ごせるなら、

と思えるような表情だ。

それが、どん底の状況でできたことを誇らしく思う。

そうして2人は握手をして、

何とかできそうもないことを何とかしようと決めたのだった。

ありがとうございました。

次回は近日中に更新いたします。

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