94.ガイド岩槻城 旅の終わりは優しい景色で
※本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。
******
やや西日を浴びてバスコンは岩槻インターを東へ、そして日光旧街道を左折して、岩槻城大手門脇を進む。
後ろには、東武岩槻駅と駅前のシンボル、時の鐘が見える。
それ以外の三之丸は、戦前の街並みが残る市街地だった。
二之丸に向かう中の門、高麗門ながら土橋を渡ろうとすると単層の太鼓櫓が睨みを効かせている。
「この岩槻城も中世関東で江戸城最盛期を築いた名将、太田道灌の手による城として知られます。
江戸以降は徳川譜代の高力氏が入城しましたが火災で焼失、後の代に今の姿、即ち三之丸を中心とした近世城郭に改められました。
尚本丸には将軍家の鷹狩り用に御成御殿が整えられました。
その後大名が交替で治め、江戸半ばに大岡裁きで有名な大岡越前守の遠縁にして病弱で有名な10代将軍家重の側用人大岡誰だっけ、の居城となり、以後大岡家の城となりました」
「オーオカサバキって?」
「う~ん水戸黄門といい時代劇って日本ローカルだよね、当たり前だけど」
「コノ桜吹雪が目に入らぬカ~!」
「脱ぐなグラシアー!」
「色々混ざってるよー!」
「さぶっ!」だから上着着なさいって。
******
そして二之丸の入口、車橋門へ左手に折れる。
「天守ないのネー」「御三階櫓もないのネー」
そう。この岩槻城、シンボル建築が無いんだよね、土浦城並に。
二之丸との間は大手前や中の門同様空堀。その向こうには本丸の二層瓦櫓…初層が水戸城的な海鼠壁だ。
向かう先に木橋の車橋と桝形外門、そして鈎の手の先に楼門の車橋門、さらにその左手に同規模の楼門、御成門。
本丸の塁上にはこの空間を狙う二重櫓…檜皮葺?が聳えている。将軍家御成なんで格調高く作ってあるのかな?
本丸前からの景色は、長閑な中に城郭建築が威厳を見せている、まるで日本画みたいな風景だ。
お次さんとグラちゃんがペンタブに向かっている。
御成門の先には、本丸御殿の玄関。
徳川の栄華を今に伝える、宇都宮城を始め古河城、佐倉城、高崎城等と並ぶ御成御殿だ。
一時明治天皇陛下の離宮となったとか。
そして瓦櫓は内部が公開されていて…
******
「ここも湖のお城だねー」
「ダネー」
「ネー」
なんかグラ玉とミキは1セットになってしまった。
それはさておき。
城の北は巨大な湖?沼?堀?が北東に向かって伸びている。
古河城東側とか、忍城東南側とか、水戸城千波湖を思い出す水の景色だ。
そして眼下と本丸の北に広がる森?林?
「この辺が中世岩槻城の名残りで、近世になって木がボーボーのままだった曲輪です。
この一帯は元荒川に突き出した台地を城に利用したもので、自然の地形を生かして掘割を掘った物と考えられています」
「不思議だなあ」
「え?」スーの疑問は何でしょか?
「いやね、治水とか東照宮とかで物凄いエネルギーを奮った徳川政権が、城となるとエコロジ~じゃない?
そのバランス感覚が不思議でね。
徳川って、前見学に行った江戸城を例外にすれば城とか権威とか、割と緩かったのかな~って思って」
「緩いって事は無いけど、少なくとも小田原御在所や沼田城みたいなガッチガチの城には興味は薄かっただろうねえ」
「それがバランス感覚なのかなあ」
うん、そこまでは解らない。こういう時は…
「もう戦国は終わった、城は要らない、そう見せたかったのかも知れないね」
流石時サン、その時代を御存知でいらっしゃる。
「私だったら五層天守ガンガン上げるけどな」
「改易すんぞオラ!」台無しである。
よく見ると、この景色の果て、沼の岸が一直線で、並木が飢えられた大通りになってる。
「え?この沼半分埋め立てられてんだ。道理で対岸がビッチリ街になってる訳だ。
この先には大きな橋もあったしね」
と、時サンが奇妙に笑った。
あ、毎度の確認。
「…どゆこと?」
「いやね、あの橋に向かう道、この足元通ってんだよね私の歴史」
「何と!」
「沼はほぼ全埋め立て、城で残ってるのは、あの東南の端っこだけで完全消滅。
それも木が生い茂って城跡って解らない状態だ。
残った沼もほぼ埋まって家族連れが遊ぶ芝生公園になってたよ」
「やっぱそうなるんだー」
本当の歴史というのを考えると、こうして眼下に御殿や櫓、門が広がる景色を眺められるのも贅沢ってもんなんだろうなあ。
******
帰路、改めて車橋付近から瓦櫓に車橋門を眺める。
「エコロジーかあ…」
関西や九州と違って、この関東城巡りは何というか、眼に優しいグリーンな眺めだったなあ。
「緑の城、土の城かあ。私ら西の出には、随分優しい景色に感じるよ」
「この緑と水の中でも激しい戦いがあったのでしょうねえ」
お延さんとお次さんも色々感想を漏らす。
感傷的になるのも、これから解散するだけだからだろうか。
西の冬空が赤くなっていく。
******
「お玉チャーン!グラチャーン!」
「「ミキチャーン!!」」
なんかミキが抱き合ってる。あれ?なんか泣いてない?
「サビシーヨー!」
「ミキー、一緒だヨー!」
大学の寮前、飴ズとグラ玉が別れを惜しんでる。
「お次さん、グラちゃん、また絵をアップしてね」
「あ~、色々手直ししたり加筆したりするから、ちょっと時間かかるけど待っててね」
「待ってるぜ!」
スーもお次さんと抱き合ってる。
「オネーサマー、また一緒に飲もーネ!」
「その時はまた司さんの事教えてくださいね?」
「またって、この旅行であんた何言ったかー!」
「とても面白いお話ですよね、うふふ!」
「ウフフのフ!」
ラン、恐ろしい子!
10分位別れを惜しんで、バスコンは出発した。
「亘サーン!ありがとネー!」
陽が落ちた寒空の下、三人が手を振る。
次は私かあ。
程なく久々の自宅に到着。
両親も迎えに出てきた。
「只今戻りましたー!」
「楽しそうだったみたいだねえ」
「亘さんには本当にお世話になりまして!」
飴ズと違ってウチの道は細いのでそんなにバスコン泊めてられない。
幸い、やかましい弟は仲間と遊び歩いているのでいないし。
「じゃあ、また4人と連絡して下さいね」
「司ン、寂しくなるなあ」
「ツカサー!また一緒にイコーネ!」
「行こうね、行こうね!」
まずい、何だか込み上げてきそうだ。
今生の別れじゃあるまいし。あ、後ろから車が来た。
******
久々の我が家で汗を流し、部屋でまったり。
バスのエンジンの振動が背中に残る。
何か弟が「美人姉妹がー」とか下の階で喚いてるのがちょっと聞こえるけど気にしない。
ちょっとうとっとすると、皆の笑顔が浮かぶ。
楽しかったなあ。次も9人で旅する事があるだろうか。
旅の余韻って、こういうものか。
と、携帯が鳴った。あ、メッセージだ。
「明日初詣いくぞー!」
「今回の旅行に因んで上野東照宮はどう?」
「イーネ!」
「ツカサー!イコーヨ!」
「イコーヨ!」
私は携帯をポチポチと。
「旅の余韻返せー!」
******
※水に浮かぶ城、岩槻城の復元図は下記の通り。
https://yamashiro2015.blog.fc2.com/img/202107181427195d9.jpg/
中心部を拡大したのが下記。クリックするとさらに大きくなります。
https://www.legatoship.co.jp/blog//wp-content/uploads/2021/05/horin_shiro.jpg
※今は城の中心部は県道に串刺しにされていて鍛冶曲輪と新曲輪の一部のみ残っていますが、城跡、という実感は余り湧きません。
僅かに資料館前の道、桝形状に曲がった辺りにその名残りを感じる程度でしょうか。
城とは関係ないですが、個人的には往年の東武ロマンスカー特急きぬが保存され、中に入れるのが嬉しかったです。
※物語中の本丸前の景色は、明治の廃城後に藩士が昔日を偲んで絵と句で綴った「岩槻八景」の一幕、「車橋晴嵐」を参考にしました。
跡形もない岩槻城を思わせる、幻想的な絵と句です。
もし楽しんで頂けたら、また読者様ご自身の旅の思い出などお聞かせいただけたら今後の創作の参考とさせて頂きますのでお気軽に感想をお書き下さい。




